番外編④ これは命令です
私がティーポットを傾けると、花茶の優しい香りがふわりと執務室に満ちた。
「ありがとう」
カップを受け取ったリオネル様がそう言ってくれたので、私は微笑みで返す。
続けて残りのおふたり――イルゼ様と、師匠のエリック様のカップにもお茶を注いでいく。
今日の私はエリック様の弟子として登城しているのだけれど、師匠は忙しくて私の面倒を見られないことも多い。
そういう時は執務室でひとりで魔道書を読みながら、わからないところがあればエリック様に質問する――そんな基礎勉強を行っていた。
普段は仕事の海で沈没しそうなイルゼ様の執務室も、お茶の時間だけはのんびりとした空気で満たされる。
リオネル様は書類から顔を上げて、窓の方を見た。
「美しいな」
彼の呟きを聞いて、私も窓の外――王宮の中庭に視線を向けた。みずみずしい新緑が風に揺れ、花たちが見る者の目を楽しませている。
「はい。とても綺麗ですね」
丁寧に手入れされた王宮の庭は、季節ごとに違った趣を見せてくれる。緑は見ているだけで心がけ安らぐ。
初夏の眩しさを感じたのか、エリック様が目を細めた。その隣ではイルゼ様が、何か言いたげにリオネル様を眺めている。
「この花は、君が?」
「そうなんです。リアーナ王女から、以前花茶の作り方を伺ったので、作ってみました」
リオネル様の問いに、私は軽い調子で返した。
実は、こうして披露するまでには、リアーナ王女と何度もこっそり取り組んでは失敗した歴史がある。摘んだ花を崩さないように魔法で乾燥させる工程は、半人前の私ではまだまだ難しい。
「美味しい」
「良かったです」
リオネル様の直球な言葉に、私は笑みを深めた。最愛の人に喜んでもらえたのなら、努力した甲斐がある――そんなふわふわした気持ちを抱いていた私は、ごほん、という咳払いで我に返る。
「……あのさ、ちょっといいかな」
「は、はい!」
師匠に厳かに告げられて、私は飛び上がる。
「アメリアさんとリオネルはさ、普段からこんな感じなの?」
エリック様の青い瞳に見つめられた。羞恥心が湧き上がって、咄嗟に視線を落としてしまう。
「そ、そうです。……すみません」
公共の場であまり親密さを見せるのは良くないことだ。私はさっと頭を下げる。ましてや、休憩中とはいえ職場なのだ。少し浮かれすぎていた。
対してリオネル様は強気だった。顔色ひとつ変えず、エリック様を睨み返している。
「……何か問題が?」
「問題、大ありですわ」
イルゼ様がため息をついた。優雅にカップを置く仕草まで、こちらが息を吐きたくなるくらい美しい。
「この際、ハッキリ言わせて頂きますけれど。貴方たちは婚約しているのでしょう? なのに! なんですの! その、熟年夫婦みたいな距離感は!」
王太女殿下は今だかつて見たことがないくらい、厳しい表情をしていた。予想外の発言に、私はリオネル様と顔を見合わせる。
「そもそも順番間違えてますしねー。恋人期間ゼロでいきなり結婚申し込んじゃう男ですよ。不器用すぎ?」
「ええ。頭が痛いですわ。こんな朴念仁、アメリアさんに愛想を尽かされないか、わたくしとても心配です」
「ええと……」
ぽんぽんと飛び交う不平不満に、私は伺うようにリオネル様を見てしまう。予想通り、彼は結託する主従に冷めた視線を向けている。
「余計なお世話です」
ぴしゃりと言ってくれて、私はほっと胸を撫で下ろした。
(……今さら、だもんね)
イルゼ様とエリック様は、私たちの間にあったこと――ループしていることを知らない。
一度目は白い結婚だったとはいえ、私とリオネル様は数年間は一緒に暮らしていたのだ。今さら恋人同士のように振る舞うことなどできなくて、お互いどう接していいかわからずにいた。
「それに、まずは自分たちのことを心配して下さい」
続いたリオネル様の発言に、私は耳を疑った。
リオネル様をからかう雰囲気だった執務室の気温が、一気に下がる。次の瞬間には、もう元通りの雰囲気に取り繕われていたけれど。
「僕たちはラブラブですよ?」
「もちろんですわ」
ねー、とふたりが顔を見合わせている。
わざとらしい笑顔の下に、どこか切なげな――そう、死に戻りした後の私と似た感情が隠れしているように見えて、ぎゅっと胸が掴まれたように苦しくなる。
(……イルゼ様の想い人って……本当に?)
エリック様がお相手ならば、今までのイルゼ様の言動に納得ができてしまう。
未だに「騎士業を続けたいから」と逃げ回っているようだけれど、エリック様は実家のハーバー公爵家を継ぐ立場だ。次期女王であるイルゼ様と結ばれるためには、王配と公爵を兼任しなければならない。それは、とても難しいのではないだろうか。
気付いてしまったから、もう戻れない。
執務室の空気はどこかぎこちない。まるで薄氷の上にいるような思いがした。
「というわけで!」
ぱちん、とイルゼ様が手を打ち鳴らし、淀みかけた雰囲気を切り替える。
「リオネル、今からアメリアさんと街に行ってくるといいですわ。アメリアさんと恋人らしいデートをするまで、ここに来ることを禁じます」
「ことわ――」
「これは命令です」
有無を言わせない勢いで、イルゼ様がリオネル様の言葉を上書きする。職権濫用なのでは? と口を挟む隙は当然ない。
「……わかりました」
リオネル様がしぶしぶと頷いた。不満を取り繕うことすらしない態度だけれど、イルゼ様は気にした様子はない。
リオネル様はこちらを振り返った。
「すまないが、付き合ってもらえるだろうか」
声色は優しく、その表情には僅かに照れが滲んでいる。
「……はい!」
はにかみながら答える。リオネル様の背後で、王太女殿下と師匠がニヤニヤと笑っているのが見えて、いたたまれなくなった私は視線を落としたのだった。




