59、出会い
月の光が、優しく私たちを照らしている。
私に触れるリオネル様の視線は、ここにはいない、他の誰かを見つめている。
想う相手がいることは、知っていた。イルゼ様とのお茶会の日に、彼自身がはっきり言っていたことだから。
だけど、私をその誰かに重ねていたのは知らなかった。ティンバー邸での生活で、距離が少し縮まったように感じていたのは、私だけだった――
「誰、なんですか?」
抑えたつもりなのに、声が震えた。私の心を揺らすのは諦めの悪さと、リオネル様の指先だった。彼の手が、今も私に触れ続けているから。
彼の顔が、歪む。
口を開いては閉じる。そんなことを何度か繰り返しても、彼の唇は言葉を紡がない。
私は髪に触れているリオネル様の手に、そっと自分の手を重ねた。それは、驚くほどに冷たかった。
「……長い、話になる」
長考の末に生み出された言葉に、私はこくりと頷いた。
言葉を探すように、視線が宙を彷徨う。
「私はかつて、大切な人を不幸なまま……死なせてしまったんだ」
重苦しい声が聖堂の中に反響して、消えた。
*
私が生まれたティンバーという家は、古く、厳格で、風通しが悪かった。
精霊を使役し、魔法使いとしての高みを目指すことしか考えていない両親。私のことを素晴らしい魔法使いになると誉めそやしながらも、高嶺の花とばかりに距離を取る使用人や家庭教師。重苦しい空気ばかりが漂い、今思い返してもいい思い出など浮かばない。
そんな温かみとはかけ離れた家に生まれ育った私にとって、唯一気を許せる存在だったのが精霊たちだった。
『リオネル、また魔法上手になったね!』
『リオネル、遊んでよー』
物心ついた時から、私には子供のような彼らの声が聞こえていた。普通は精霊の声は聞こえないものだと知って、ひどく驚いたことを覚えている。
姿は見えない。でも、魔力の波長と声で、傍にいることはわかる。
そんな幻のような声たちを、大切な友人のように思っていた。彼らは人間の複雑な思考は理解できないようだったから、相談相手や話し相手としては物足りないにしても、『遊んで』とじゃれついてくる無邪気な姿に心が和んだ。
息子が精霊と会話できるという稀有な才能を持っていたことを両親は喜んだが、『友達扱い』は決して認めなかった。それに反発するように、私はエインズワース魔法学園に入学してから寮暮らしを始めた。両親が立て続けに流行り病で亡くなった後は、使用人に暇を出して屋敷で一人で暮らし始めた。
魔法学園に入学してから、エリック、ハミル、トビアスといった人間の友人もできた。それでも精霊たちの存在が私の根っこにあったのは変わらない。
魔法使いとして優秀な成績を修めた私は、王宮魔法使いとして王族に付くことが決まっていた。お茶会での暗殺未遂事件を経て、私は王太女イルゼ殿下付きになることが決まったのだが。
イルゼは頻繁に狙われていた。それは命であったり、人々からの評判であったりした。
精霊たちは人の感情に敏感だから、イルゼを狙う者の悪意をいち早く見抜き、教えてくれる。
あの日も、そうだった。
『リオネル、敵がいるよ。気をつけてー』
イルゼの乗った馬車を駆っていた私は、耳元で囁かれた言葉に気を引き締めた。
その瞬間、幼い女の子が、何者かに突き飛ばされて馬車の行く手に飛び出してきたのを、はっきりと見た。
その子を庇おうとして、もう一人、誰かが道に飛び出してくる。
馬車は急には止まれない。手綱を引いて速度を落としたものの間に合わず、私は女の子を抱いた少女を撥ね飛ばしてしまった。あの瞬間を思い出すたびに、胸の奥が痛む。
事故を起こして、ようやく馬車が止まる。小さな体は少し先の地面に落下し、血を流していた。大通りが悲鳴に包まれる。
「少しお待ち下さい」
イルゼに早口で告げ、私は返事も待たずに彼女たちへ駆け寄った。最初に飛び出した女の子と野次馬が、少女を取り囲んでいる。
「下がっていろ」
威圧するように低い声で告げると、人々はさっと倒れ伏した小さな体から離れた。女の子は怯えたように私を見て、それから躊躇いがちに彼女から距離を取る。
(……これは)
助からないかもしれないと、咄嗟に思った。防御魔法で身を守ったようだが、それでも衝撃は殺しきれなかったようだ。
治癒魔法は万能ではなく、命に関わる深い怪我や、体の中の損傷までは治せない。例え、エリックのような水属性の治癒術士であっても。己の無力さを呪いたくなる。
それでも、諦めるという選択肢はなかった。
目の前の彼女は、生きようと懸命に腕を伸ばし、なにかを探している。
「無理に喋らなくていい」
イルゼが近衛騎士と共に馬車を降り、私の元にやってきた。被害者の姿を見て、はっと息を呑む。
「彼女を病院に連れていきます。構いませんね?」
「ええ、もちろんですわ」
私は力なく倒れる少女を抱き上げた。されるがまま、私に身を預けるその体は、とても軽い。
「必ず、助ける」
それが自分が轢いてしまった少女への、せめてもの償いだった。
女の子を連れてイルゼが待つ馬車へと乗り込み、座席に少女を寝かせる。
近衛騎士の手で動き出した馬車の中で、私は彼女に治癒魔法をかけた。少しでも、彼女の苦痛を和らげたかった。
『リオネル。この子、助けたいね』
周囲の見えない存在が、私に力を貸してくれる。
「わたくしも手伝いますわ」
私の隣で、イルゼも治癒魔法をかけ始める。イルゼの周囲に星が浮かび上がり、宝石のように輝き始めた。
眩い光に照らされ、彼女の表情がほんの少しだけ和らぐ。
私たちは魔法を維持しながら、馬車に揺られた。
少女を病院へ託し、共にいた女の子、ミーナから身元を聞き出した。ミーナと少女――アメリアは、西の精霊教会に預けられている孤児だという。
病院に駆け付けたシスター・マリーに、「アメリアが目覚めたら連絡が欲しい」と言い残して、私とイルゼは病院を後にした。
王子派がふたりを狙った理由はわからない。調べる必要があるだろう。
巻き込んでしまったアメリアのために、せめてできることをしよう――そう思った。
その日、ティンバー邸に帰宅した私は中庭に出た。
『ねえねえ、あの子にお花を贈るのはどうかな?』
『きっと喜ぶよー』
中庭の片隅に、私が手入れした花たちが咲いている。何の変哲もない、白い野花だ。お見舞いの品には相応しくないかもしれないが――
アメリアのやわらかな真珠色の髪を思い出して、私は花をいくつか摘んで花束にし、病院に引き返してマリーに渡した。
少しでも、アメリアの気持ちが解れればいいと願いながら。
それから、数日に一度は花束をマリーに託すようになった。アメリアが目覚めたと聞いて、謝罪のために会いに行った日も、私は花を持っていった。
「直接渡さなくていいのですか?」
マリーは花を受け取って、私にそう尋ねてきた。
「加害者から貰っても嬉しくはないだろう。手間をかけさせて申し訳ないが、いつも通り飾ってくれればいい」
そう言ったら、マリーは何か言いたげにしつつも頷いた。
マリーの案内でアメリアの病室に入るときは、珍しく緊張を覚えた。
アメリアの体はあまり思わしくないと聞いている。そんな中で加害者と会うことは、彼女を苦しめるだけではないかと思ったからだ。
その心配は、杞憂に終わることになる。
……アメリアは強い少女だった。初めて会った時も、その先も、ずっと。
厳しい物言いをしがちな私に臆せず、
「私の気持ちを、認めてくれてありがとうございます」
と言ったのだ。恨みもせず、まっすぐに私を見つめて、自分の気持ちを精一杯示してくれた。
小さな明かりが灯るように、心の奥底が揺れ動いた。
体が治らなくても、前に進み続けたい。そんな強い意思が眩しかった。中庭に健気に咲く、あの白い野花のようだと思い――彼女から目が、離せなくなる。
これが、私とアメリアのはじめての出会いだった。




