52、『リア』
「わたくし、リオネルを本当に恨みましたわ」
次の休日。例によってリオネル様と共に登城した私は、唇をへの字に曲げたイルゼ様に出迎えられることになった。
「アメリアさんの誕生日パーティー、わたくしも出席したかったです」
「僕もですー」
エリック様まで、恨みがましい視線をリオネル様にぶつけている。
「駄目に決まっているでしょう」
ふたりに対して、リオネル様は取りつく島もない。
大抵の相手はこの塩対応で引き下がるだろうけど、長年の付き合いであるふたりは一筋縄では追い払えないらしい。
「あら、お忍びなら構わないでしょう?」
結果、リオネル様の眉間の皺は、今日も深く刻まれることになる。
「よし、イルゼ様、来年は僕らでパーティーを開きましょう! リオネルは出禁で」
「まあ、いい考えですね」
エリック様の提案に、イルゼ様は深く頷いた。
「お気持ちだけ、頂いておきます……」
息ぴったりな王太女殿下と公爵子息に、私はそう言うことしかできなかった。恐ろしくてリオネル様の顔が見られない。
「アメリアさん。とてもお似合いですよ」
イルゼ様がふわりと微笑む。私は咄嗟に、髪飾りにそっと触れた。
「ありがとうございます」
「行くぞ」
不機嫌そうなリオネル様に導かれ、私は執務室を後にした。
今回も、私は執務室の隣の部屋でリオネル様を待つことになった。
前回、中庭で出会った少女のことを思い出す。彼女とは、また会おうと約束をした。
(中庭なら、会えるかもしれない)
そう思って、私はまた中庭へと続くガラスの扉を押し開けた。
夜に降った雪で、中庭は砂糖をまぶしたようにまだらに白く染まっている。太陽が登りきり、影の角度が変われば、すべて溶けてなくなってしまうだろう。
冷たい風が吹いて、私は思わず肩を抱いた。少女は体が弱いと言っていたし、庭園には雪が多く、魔法の椅子とはいえ滑って転倒する危険性もある。
来ていないかもしれないと思いつつも、私は中庭に踏み出した。
「ごほっ……」
聞き覚えのある咳の音が聞こえてきたのは、中庭を歩き始めてすぐの時だった。
低木に隔てられた向こう側に、見覚えのある金髪の少女の姿がある。魔法の椅子に座り、本を読んでいるようだった。
「大丈夫ですか?」
私は回り込みながら、彼女に声をかけた。
「あっ! この前の方ね。良かった」
少女は私の姿を認めると、本を閉じ膝の上に乗せた。嬉しそうに笑みを浮かべるその柔和な顔に、不思議な既視感を覚える。
どこか、知っている誰かに似ているような、そんな気がして。
「わたしね、あなたしかお話相手がいないの。だから、また会えてとても嬉しいわ」
上目遣いで私を見つめる彼女は、とてもいじらしい。
(もし、私に妹がいたらこんな感じだったのかな)
なんて想像して、心が和んだ。
少女は咳を何度かした。今日も顔色があまり良くないように見える。
「暖かい部屋でお話しませんか?」
私はそう言って、彼女の椅子を押していつもの部屋へと戻った。ここならば、暖炉があって暖かい。
少女は私が使っている部屋を見て、元々大きな目を更に丸くする。
「ここ、お姉さまの休憩室よね?」
「お姉さまって……」
少女の言葉に、彼女の正体を確信した。
「ええ。ごめんなさい、まだ名乗っていなかったわね。わたしは第二王女のリアーナよ」
リアーナは名乗ってから、寂しげに肩を落とした。
「あなたは、お姉さまのお知り合いなのね……」
「はい。アメリアと申します」
イルゼ様との関係性をどう表現したものかわからなくて、そこは伏せて自己紹介する。
「リオネルの恋人でお城にいるんですもの。前回気付くべきだったわ。軽率に声をかけてごめんなさい」
「こ、恋人じゃありません!」
思わず大きな声を出してしまう。隣の部屋に聞こえていたらどうしようと一瞬焦ったけど、誰もこちらに来ることはなかった。
リアーナ王女はくすくすと笑っている。
「アメリアは、とってもリオネルと似ているわ」
「そんなこと、初めて言われました」
自分で考えてみても、リオネル様との共通点は浮かばない。
「見た目や性格の話じゃないのよ。ふたりとも、わたしとお話しするのを嫌がらないの」
「嫌がる、ですか? どうして?」
理由に心当たりが全くない。リアーナ王女は私の答えが予想外だと言いたげに、目を瞬かせた。
「あなたは……本当に知らないのね」
リアーナ王女は、そこで一度口をつぐむ。彼女の視線が落ちて、膝の上の本に注がれる。
「わたしはね、いらない王女なのよ」
部屋の温度が、少し下がったような気がした。
本の背表紙を、王女は白くほっそりした指先でそっと撫でる。
「王位を継ぐための『星』を持たないし、こんな体だし。それにお母さまが、お姉さまを――殺そうと、したから」
言葉が、また途切れた。
懸命に続きを伝えようとする彼女の唇を見て、私は黙って続きを待った。
「わたしとお兄さまはっ……全部、全部失ったわ。お兄さまはお城を追い出されて。わたしは政略結婚の道具として留め置かれて。だれも、わたしとお話なんかしてくれない……」
本を撫でる手を止めて、リアーナ王女は項垂れてしまった。
(リアーナ王女のお兄さまって……)
話を聞くに、最近王都で暗躍している、王子派が主と尊ぶ第一王子のことだろう。
実母が起こした事件のせいで、家族や居場所を奪われ、今も冷遇されている王女様。
聞いているだけで、気持ちがどんよりと重くなる。
私にはその境遇のすべてを、理解してあげることができない。
「辛かったんですね」
私にできることといえば、年端もいかない少女の悲しみに、ただ寄り添うことだけだった。彼女の背中を優しく擦る。
私にも、血の繋がった本当の家族はいない。でも、ブレディが、教会のみんながいてくれたから、私は楽しく日々を過ごせている。
少しでも、リアーナ王女はひとりじゃないと伝えたかった。
「ブラッドリーお兄さまに、会いたい……」
ぽつりと呟かれたその言葉に、私の手が凍りついた。
ほんの数秒が、永遠のように長く感じる。
(ブラッドリー、王子……?)
心の中で、リアーナ王女の兄、第一王子の名前を転がす。
この先を、考えてはいけない気がした。
ぞわりと背筋に冷たいものが走る
「お兄さまだけが、わたしを……」
言葉を続けようとしたリアーナ王女が咳き込んだ。苦しげに身をよじった彼女の膝から、本が滑り落ちる。
本は下向きに広がる形で床に落下した。裏表紙に、綺麗な字で文字が書き足されている。
『愛しい妹、リアへ』
その文字を見た瞬間、呼吸が止まった。
(リア……?)
胸の奥で、何かが音を立てて崩れ落ちた。
柔和な笑顔で、私をそう呼ぶ幼なじみの顔が浮かぶ。
――ブレディ。
繋げてはいけない。
頭を振って彼の面影を振り払おうとする。そんな訳ない。ブレディは私の幼なじみ。特別な人じゃない――そう思いたいのに、点と点はどうしても結び付いてしまう。
教会育ちの私が王子派に『人質』として狙われていること。ブレディがいなくなってしまったこと。彼が時々、お城を見ていたこと。
全部。
全部、ブレディの過去に繋がっている――?
足元が揺らぐような感覚に、膝が震えだす。
「リアーナ? いるのですか?」
咳の音を聞きつけたのか、執務室に繋がる扉からイルゼ様が顔を覗かせた。
イルゼ様は私、床に落ちて裏表紙の文字を晒した本、咳き込むリアーナ王女と順に視線を巡らせた。
「アメリアさん……」
私に呼び掛けたその声は、ひどく固い。
「気付いて、しまいましたか」
感情の読み取れない声だった。私はイルゼ様を見る。その表情もやはり、無に近い。いっそ冷酷さすら感じてしまう。
(イルゼ様は知っていたんだ)
いつから?
――浮かんだ疑問の答えを、私はもう知っていた。
きっと、最初からだ。
初めて会った時、教会にイルゼ様が来ていたのは偶然じゃない。あそこに兄、ブラッドリー王子がいると、知っていたから――
リオネル様も当然知っていただろう。ブレディ本人も。
みんな知っていて、私だけが知らないまま呑気に過ごしていた。
知らなかった頃には、もう戻れない。
ひどく心細い気持ちで、私はその場に立ち尽くした。




