48、魔法椅子の少女
私が学園にいる間に、リオネル様は城で仕事をする。私の送迎がある分、リオネル様は仕事を部下に振り分けて、量を調整しているようだった。
時には家に書類を持ち帰り、夜遅くまで向き合っていることもあった。私は一度目の結婚生活と同じように、家事をして、彼にお茶を淹れる。
家に一緒に帰った時は、「おかえりなさい、お疲れさまでした」と挨拶をした。一度目の時は、あまり言えなかったから。これは私の役得もあるけど、とにかく少しでも、私にできることで彼の気持ちが安らげば良いと願った。彼のためになることがしたかった。
私たちの不思議な同居生活は、平日の間はうまくいっていた。
それが破綻したのが、今日。週に一度の休日だった。
朝、ダイニングで顔を合わせたリオネル様は、難しい顔をしていた。
イルゼ様の臣下には休日と平日の区別はない。というか、リオネル様はほとんど毎日城に顔を出している。それを私は今さら思い出した。
「私は城に行かなければならないが、君は……」
リオネル様が私の顔を見て考え込む。何と答えたらいいかわからなくて、私は黙ってしまった。
もちろんリオネル様の家で留守番するとか、教会に避難するとかは可能だけど、『人質』である私が絶対に安全な環境であるとは言い難い。
長い沈黙の末にリオネル様が下した決断は――
「君も、城にきてもらうしかない」
というものだった。
これしか選択肢がないのだから、異論なんてあるはずもない。
こうして、二度目の王城訪問が決まったのだった。
*
一度目と同じく、王城に入るのに大きな問題はなかった。堅牢な門も衛兵に守られた扉も、リオネル様の歩みを止めるには至らない。私たちはスムーズにこの前お茶会をした中庭にたどり着いた。
相変わらず、中庭は丁寧に手入れされていた。
リオネル様は迷わず中庭を突っ切り、反対側にあった建物に入る。
その後に続いた私は、驚いて言葉を失った。
最初の建物も十分に豪華でイメージ通りの『お城』だったのに、この場所は更にその上をいっていた。
息を飲むほど、美しい。それが第一印象だった。純白の壁に、葉を象った金色の装飾が施され、頭上ではシャンデリアが悠然と煌めいている。
最初の建物が政治をしたり、敵を食い止めるための砦のような建物だとしたら、こちらは実用性を無視して美しさを誇るためだけの建物だと思った。
私がいるのは、すごく場違いな気がする。
「ここは王宮だ」
リオネル様は手短に説明し、またどこかへ向かって歩き出す。繊細な模様で織られた絨毯を踏みつけにすることに少しの抵抗を覚えつつ、彼の背中にぴたりと張り付くようにして進んだ。
最終的にたどり着いたのは、ひとつの扉の前だった。
リオネル様がノックをすると、「どうぞ」と聞き覚えのある鈴のような声が返ってきた。
「失礼します」
扉を開けたリオネル様に続いて、中に入る。
部屋の中は比較的質素だった。華美な装飾はなく、シックな焦げ茶のテーブルと椅子、それから同じく飾りなどひとつもない本棚が置かれているためか、落ち着いた雰囲気が漂う。
外より、こちらの方がよほど馴染み深いと思った。
「アメリアさん!」
中にいた2人の人間は、同じ言葉を口にした。にこにこと私を出迎えてくれたのは、イルゼ様とエリック様だった。
まさかお二人にお会いするとは思わなくて、私は入り口で固まってしまう。
「アメリアさん、大丈夫でしたか? 二人から保護したとは聞かされていましたけれど、わたくし心配で」
イルゼ様が眉を下げて、私を見る。
彼女も私が狙われていることをご存知だったらしい。あの夜、私を助けてくれたリオネル様もエリック様も彼女の臣下だから、改めて考えなくても当然のことだった。
「はい。ありがとうございます」
言葉を裏付けるように、笑顔を浮かべてみせた。
「リオネルの家で暮らすのは大変じゃないですか? 何なら、僕の家に引っ越してきてもいいですよ。無駄にいっぱい部屋がありますし」
エリック様の言葉に、真っ先に反応したのはリオネル様だった。エリック様の視線から私を隠すように、半歩前に出る。
「誤解を招くような言動はやめろ」
「はーい」
ちっとも反省していなさそうなエリック様のウインクに、リオネル様はここ最近で一番不機嫌そうな顔を見せた。
「今日は学園が休みだから連れてきただけだ」
「そうですね……リオネルが仕事をしている間、別室に留まっていてもらうのが良いでしょうね」
イルゼ様はそう言って、隣室へ続くドアに視線を向けた。リオネル様は頷き、そのドアを開ける。
私はおふたりに頭を下げてから、リオネル様と共に隣の部屋へ移動する。
執務室の隣は、休憩室になっていた。仮眠用のベッドとテーブルに椅子、ソファなんかが配備されている。南側にはガラスの扉があって、中庭と直接出入りできるようになっている。部屋の片隅に本棚もあった。
「この部屋で待っていてくれ。何かあれば声をかけてくれ。あまりここから離れないように」
「わかりました」
私が頷くと、リオネル様はさっと執務室の方へと行ってしまった。
「リオネルってば、やさしいじゃんー」
扉が閉まる寸前、エリック様のそんな言葉が聞こえてきてしまった。何となく居たたまれない気持ちになる……。
何か気分を切り替えるものはないかと、私は本棚に近寄った。タイトルを見て、絶句する。
本棚に並んでいたのはすべて恋愛小説だった。イルゼ様の趣味なのだろうか。
中には覚えのあるタイトルもある。確か、ロレッタが「ヒーローがすっごく焦らし上手~!」と感想を言っていた気がする。
その1冊を手に取り、ソファに座って読み始める。
なるほど、確かにヒーローの態度が絶妙に思わせぶりで、つい続きが気になって半分くらい一気に読んでしまった。
(少し、休憩しようかな)
本を置いて立ち上がり、伸びをした時だった。
(あれ?)
中庭に、誰かがいるのが見えた。
赤みがかった金髪を持つ、10代前半くらいの少女だ。華奢で色白な彼女は、椅子に座ったまましきりに下を覗き込んでいる。椅子には車輪とハンドルがついていて、椅子に座ったままでも移動ができるようになっている。
(あの椅子は……)
見覚えがあった。一度目の人生で足を悪くしていた私のために、リオネル様が作ってくれた魔法で動く椅子。それにとてもよく似ている。
どうしても気になってしまって、私は中庭に出た。
扉を開ける音に気付いたのか、少女がこちらに視線を向けた。ちょいちょいと、手招きされる。
「ごきげんよう。少し、お手伝いしてもらってもいいかしら?」
言われるがままに彼女に近付いた私は、はっとした。
特徴的なライラックの瞳と、人形みたいに整った顔立ち。年齢もあってまだ可愛らしさが目立つけれど、その美貌はイルゼ様によく似ている。
そういえば、今の王家にはふたりの王女がいると聞いたことがある。ひとりは当然、イルゼ様。そしてその下に病がちな姫君がいるという話だ。
目の前の彼女がそうなのかもしれないと推測する。
「車輪が地面に嵌まってしまったようなの。後ろから押して頂けないかしら?」
確かに、庭園に敷かれた石畳の僅かな隙間に、車輪がぴったり落ちてしまっている。少女の細い手では、ハンドルを漕いでも抜け出せそうもない。
「わかりました」
私は少女の背後に回り、力一杯椅子を押した。がたんと揺れて、魔法の椅子が嵌まりから解放される。
少女はハンドルを操作して、私の方を向いた。
魔法の椅子は、体が弱い者でも容易に操作ができるように、動力の一部を魔法が担っている。見るからに体力がなさそうな彼女でも、平地であれば楽に移動ができるのだ――魔法椅子の少女が、かつての自分の姿と、ぴたりと重なる。
「ありがとう。あなたが来てくれて助かっちゃった」
柔らかな語り口にほっとした。
「お役に立てて良かったです。失礼ながらその椅子、リオネル様が作ったものではないですか?」
少女は目を丸くする。ますます幼く、可愛らしく見えた。
「そうなの。少し前に作ってくれたのよ。あなた、リオネルを知っているのね?」
「はい。えっと……」
説明しようとしたけど、言葉が止まる。
元夫婦? 同居人? 護衛と護衛対象?
それとも、ただの知り合い?
色々と考えてみても、どれも正しいのに、どこかしっくりと来ない。
少女はこてん、と首を傾げる。
「人に言えない関係? もしかして、恋人なの?」
「こっ……!? ち、違います! いや、そうなれたらいいなって……」
思わず口走ってしまい、顔にかっと熱が集まる。
少女がまとう無邪気な空気に流され、余計なことを言ってしまった。失言を後悔しても、一度言った言葉は取り消せない。
「あら、素敵ね!」
彼女はくすくすと笑った。あどけない笑顔に、緊張が一気に解れる。
「あの、秘密にしておいて下さい……」
「もちろんよ」
少女が大きく頷いた。
その拍子に、乾いた咳がひとつ飛び出した。小さな肩が震え、彼女は立て続けに咳き込み始める。
「大丈夫ですか!?」
私は苦しげな彼女の背中をさする。
しばらくして、ようやく咳が落ち着いてきた。ひゅうひゅうと肩で呼吸する少女の顔は、先程よりも白くやつれて見える。
「ごめんなさい。わたしは昔から体が弱くて、時々こうなってしまうの」
少女は美しい瞳を伏せた。
「あのね。せっかくお知り合いになれたのだから、あなたともっと、お話してみたいのに。もう休まないと……」
小さな手で胸を抑える彼女に、何かしてあげたいと思った。教会で一緒に暮らす子供たちのようで、何となく放っておけない。
「私、また来週の休日はここに来ることになると思います。ですから、その時にお話しませんか?」
私がそう提案すると、彼女の顔がぱっと輝いた。
「本当? とても嬉しいわ!」
「はい。だから、今日は少し休んだ方がいいですよ」
「わかった。来週、約束ね」
じゃあね、と彼女は手を振って、椅子を漕いで去っていく。
懸命に椅子を漕ぐ小さな背中が、庭園の垣根の向こうに見えなくなるまで見送った。
少女が去ってから、私はそっと胸の上に手を置いた。どうしてだろう。胸がざわついて、落ち着かない。
彼女との出会いがなにかをもたらすような、そんな不思議な予感がしていた――




