41、予感
一度目の人生で、私が入院している時のこと。
「リア」
優しく名前を呼んで、ブレディが病室に顔を出してくれた。
季節は秋から冬へと移り変わる途中で、病室の窓から見える木の葉は、ほとんど落ちてしまっていた。
花瓶に飾られた野花だけが、季節から取り残されたように健気に咲いている。
学園からの帰り道に寄ってくれたのだろうか。ブレディは制服を着ていて、愛用の杖を持っていた。
「ごめん、来たけど今日はすぐ帰らなきゃいけないんだ」
申し訳なさそうに、けれど軽い調子でブレディは言った。
ほんの少しの違和感。
その声色に、いつもと違う陰りを感じる。
「そっか。わざわざ来てくれてありがとう。顔が見れただけても良かったよ」
と、私は何でもないように返す。
「また、時間がある時に来てね」
私の言葉に、深い意味はなかった。単に社交辞令的にそう言っただけ。特別な意味のない言葉なのに、ブレディは目を見開いた。
窓の外の枝から、最後の一葉が落ちる。
彼は視線を落とすと、寂しげに笑った。
「……リア」
ブレディが私に近付き、肩に両手を置く。私たちは一瞬、間近で見つめ合うことになった。
紫水晶の瞳が揺れている。
それを認識した直後に、私の体はそっと引き寄せられた。上半身がブレディの腕に優しく閉じ込められる。
「ブレディ?」
私の力でも振り払おうと思えば、振り払えたと思う。それか私が少しでも嫌がれば、多分ブレディは離してくれた。
けれど、どちらもできなかった。
兄のように思っていた人が、泣きそうな顔をしていたから。
拒絶したらきっと、ブレディはとても傷付くだろう。
「ごめん、リア……」
どうして抱きしめられているのかも、謝られているのかもわからなくて、でもその心に寄り添いたいと、ただそう思った。
どうしたらいいか悩む。結局、抱擁を返すことはできなかった。
少しして、ブレディは私を解放した。
「急にごめん」
「いいけど、どうしたの?」
私の質問に、ブレディは曖昧に笑っただけで答えなかった。その手は色が白くなるくらい、頑なに握られている。
「じゃあね。――元気でね」
ブレディがゆっくりとした足取りで出ていく。彼は一度も振り返らず、そのまま扉が閉じて私たちの間を隔てた。
それが、一度目の私たちの今生の別れとなった。
瞼の裏で星がちらつく。
まるで、私をどこかへ導こうとしているかのように。
*
朝の身支度をしながら、私は今朝の夢を思い返していた。
なんで、今になって急にあの夢を見たのだろう。ブレディの名前を、心の中で呟く。
一度目のブレディと私が最後にやり取りした場面の記憶――忘れていた訳ではないけれど、一度目と二度目は大きく展開が変わっている。私は入院していないし、冬に入っているのに、ブレディはここにいる。
でもまた突然姿を消してしまうのではないかと思うと、胸が締め付けられるようだった。
私は結局、ブレディが抱えているものの片鱗も知らないでいる。
(黙ってどこかに行ったりしないでって、言ってみよう)
不安に対してそう言い聞かせて、私は気持ちを切り替えるようにひとつ伸びをする。
いつもみたいに、一階に降りて食堂に入った。今日に限って早起きして朝食を準備しているブレディの姿がなくて、拍子抜けする。
「ブレディなら先に学園に行きましたよ」
きょろきょろしていた私に、シスター・マリーがそう教えてくれた。
私はほっと息をついた。学園に行けば、ブレディと話せる。
マリーと一緒に朝食を用意して、子供たちの面倒を見ながら食べる。片付けは途中で切り上げて、私は一度部屋に杖と鞄を取りに行った。
鞄の重みを感じた瞬間、ふと疑問が胸を過った。
そういえば。一度目にお別れした時のブレディは、杖は持っていたけど鞄は持っていなかった気がする。もちろん遠い昔の記憶なので、単に私が忘れているだけかもしれないけど――どうしてか、それが妙に気になった。
部屋を出て、もう一度1階へ向かった私は、途中にあるブレディの部屋の扉をちらりと見た。
訪れるものを拒むように、ぴたりと閉ざされた扉。開けてみる勇気はなかった。
「アメリア、気をつけていってらっしゃい」
玄関先で、マリーにそう声をかけられた。
「今日はどうしたんですか? いつもはそんなふうに言わないのに」
「ブレディがいませんから。それに……最近、この辺りで見慣れない男を見かけることが増えたので」
「わかりました、気を付けます」
そう言い残して、教会を出た。外はあいにくの曇り空で、今にも雨が降りだしそうだった。
天気が崩れる前に学園にたどり着ければいいなと思いながら、私は走り出した。
*
結論から言うと、ブレディは学園に来ていなかった。
「私、今日は真っ先に教室に入ったけど、ブレディは見てないわ」
ロレッタが首を横に振った。
「なんだよ。あいつサボりか?」
「ブレディだって、しょっちゅうサボるルパートにだけは言われたくないでしょ」
「俺はサボりじゃなくて寝過ごして一限に間に合わないだけですー」
「もっと悪いじゃない!」
ロレッタとルパートが言い争いをして戯れている。いつもなら微笑ましく見守るところだけれど、今日の私にはその余裕がなかった。
窓を叩きつけている雨と、空いっぱいに広がる黒雲に、心がざわついた。
(ブレディ……どこに行ったんだろう)
結局その日、ブレディを学園で見かけることはなかった。
*
雨具を被った私は、ひとりとぼとぼと帰路についていた。雨避けの魔法がかかった雨具は水を弾くし、上に一枚羽織ることになるから多少の防寒にもなる。
なのに、薄ら寒い感覚が抜けない。
出かける直前のマリーの話を思いだし、冷たいものが足元から這い上がってくるような感覚を覚える。漠然とした不安に、教会まで小走りで駆け抜けることにした。
もう数分で教会にたどり着く。
「ぅ……」
そんな時、私は人のうめき声のようなものを聞いた。
足を止め、耳を澄ませてみても、もう何も聞こえない。ざあざあという激しい雨の音と、私の荒い息遣いだけが耳に届く。
降りしきる雨の中だ。勘違いかもしれない。
そうも思ったけれど、誰かが倒れて苦しんでいる可能性に思い至って、私の足はひとりでに声が聞こえたと思わしき方へと向かっていた。
「あっ……」
路地の角を曲がったところで、男性が壁にもたれるように座り込んでいた。息が荒く、苦しげだ。その隣にもうひとり男性が立っていて、座り込んでいる方に治癒魔法をかけているようだった。
座り込んでいる方の男性は右肩を押さえ、苦しそうに小刻みな呼吸している。じんわりと滲む赤いものを、雨がすぐに洗い流していく。
雨でぐっしょりと水分を吸った彼らの服は、漆黒のローブ――王宮魔法使いを示すもの。リオネル様の同僚だ。
マリーが言っていた『見かけない男』ではないだろう。彼らの特徴で真っ先に出てくるのは『王宮魔法使い』なのだから。
「大丈夫ですか? これ、使って下さい」
私は雨具を脱ぎ、座り込んでいる魔法使いにかけた。せめて少しでも、体温を維持できればいい。そう願って。
「ありがとうございま……っ、アメリアさん!?」
治癒魔法をかけていた魔法使いが、私の名前を呼ぶ。
(どうして、私の名前を?)
なんて、動揺している暇はなかった。
「いたぞ! あの女だ!」
路地の向こうから、フードで顔を隠した男たちが現れた。魔法使いは治癒魔法をやめて、私の前に立ち塞がる。
彼の杖から光が放たれ、路地に物理的な光の結界を形成した。男たちはそれに阻まれ、私たちのところまで来ることができずにいる。
(女……私の、こと?)
背筋が凍った。
何が起きているのかはわからないけど、私が狙われているのは、わかる。
「護衛します。今すぐここを離れましょう。ティンバー様なら、貴女を保護してくれるはずです」
彼は結界の魔法を維持したまま、私の手を取った。
「ま、待って下さい。この人はどうするんですか?」
「任務が優先です」
感情を押し殺したような、抑揚のない声だった。
「それって……」
「貴女をお守りすることです。さあ、早く」
魔法使いが私の手を引っ張り、移動を促す。フードの隙間から見えたその顔は唇を引き結んでいて、悲しみを堪えているように思えた。
背後で、男たちが結界に向かって剣を振り下ろしている。光の結界にヒビが入り、みしりと嫌な音を立てた。
――時間がない。
私はぐいっと力を込めて、魔法使いの手を振り払った。
「いけません。この人を置いていったら、リオネル様はきっと悲しむから」
無表情に見えて、情に厚い人だと私は知っている。この魔法使いも同じだったのか、身を震わせながら座り込んだ同僚を眺めていた。
「あなたはここに残って、この人を助けてください。私は一人で逃げます」
私は魔法使いに有無を言わさず、素早く杖を向けると彼と同じ結界魔法を発動させた。それはふたりを光の球体の中に封じ込め、強制的にこの場に残らざるを得ないようにするもの。
「アメリアさんっ!」
閉じ込められた魔法使いが結界の中から抗議をする。
「ごめんなさい」
それは目の前の彼への謝罪であり、「無茶ばかりする」と言ってくれたリオネル様への謝罪でもあった。
強い雨の中で、覚悟を決める。魔法使いによる最初の結界は、今にも崩れ落ちてしまいそうな程にひび割れていた。
杖を改めて握る。
ぱりんと、薄いガラスが割れたような音。続いて水を跳ね上げて走ってくる足音が聞こえてくる。
「魔法使いはいい。女を追いかけろ!」
「アメリアさん!」
私は魔法使いの声を振り切り、雨の路地を駆けた。




