4、事故という運命
「はぁ……どうしよう……」
ベッドの上で枕を抱えて、私は寝返りを繰り返していた。
精霊歴1815年、10の月、20日。
今日は私がリオネル様と出会った、あの事故が起こる日。
ループしてから数日が過ぎ、とうとう運命の時を迎えてしまった。
『二度目』の人生を得た私はまだ、今日の事故をどうするのかを決めていない――
(決めてないけど、動きださなきゃ何も始まらない)
気力を振り絞ってベッドから這い出す。
カーテンを開けると、お城の尖塔の向こう側に、朝焼けの空が見えた。柔らかな光が世界を染め上げていく。
正午まではまだ、時間がある。
何か、できることがあるかもしれない。
*
「おはよう。今日もいい天気だよ」
食堂の扉を開けるとすぐに、明るい挨拶が飛んできた。
「ブレディ」
私と同じく教会で育ったふたつ年上の幼なじみは、人好きのする笑顔を浮かべている。
明るくてふわふわの茶髪に大きめな瞳。柔和な雰囲気を持つブレディは、側にいるだけでほっとするような、癒し系と頼り甲斐をちょうどいい塩梅で混ぜて作ったような人だった。
「おはよう」
挨拶を返しながら、私は食堂に足を踏み入れる。ステンドグラスから差し込む朝日が眩しくて、私は目を細めた。
幼なじみはお皿を持って、キッチンに立っていた。ただそうしているだけでも、何となく他の人と違う――たおやかな雰囲気が漂っている。
(いつも通り、だよね)
嬉しいような、寂しいような、どちらともつかない感情を抱いてブレディを見る。
一度目の人生で、ブレディはある日突然、魔法学園を退学した。同時に、一緒に暮らしていた教会からも姿を消している。その理由も行方も、かつての私は知らないまま――死んでしまった。
「リア?」
入り口で立ち止まったままの私に近付き、幼なじみが顔を覗き込んでくる。リアという呼び名が一瞬、自分のことだと認識できなくて、スルーしそうになってしまった。
私をリアと呼ぶのは、ブレディだけだ。数年ぶりの愛称はまだ耳慣れない。
「ごめん、ぼーっとしちゃった」
言い訳して笑ってみせる。
「朝ご飯の準備、手伝うね」
私はブレディと同じデザインのエプロンを、ハンガーラックから手に取った。
私は生まれたばかりの頃、教会の前に捨てられていたところを、マリーに拾われたと聞いていた。
ブレディも8歳の頃に家の都合で預けられ、今までずっと教会で生活している。だから、私たちは一緒に育った兄妹でもある。
私やブレディはもう十分に大人だから、朝晩や休日は恩返し代わりに、シスターたちの手伝いをしているのだ。
「お、リアの手料理か。楽しみ」
「いつも食べてるのになに言ってるの。今日のおすすめは黒焦げパンと雑草のサラダだよ?」
「えー、手厳しいなあ」
口では言うものの、彼はにこにこしている。
気心の知れた幼なじみと、また軽いやり取りができるのは純粋に嬉しかった。
私たちは連れ立って教会のキッチンに立つ。もう、ブレディがサラダ用の野菜を切ってくれてあった。私は彼の横に並んで鍋を掴み、スープを作り始める。
「最近、急に料理の手際が良くなったよね? 特訓でもしたの?」
私がかき回している鍋を覗き込んで、ブレディが疑問を口にした。
「特訓というか……」
言葉を濁す。
思い当たる原因はひとつしかない。当然、ループだ。でも、ループしたと素直に言うのは気が引けた。
シスター・マリーは受け入れてくれたけど、彼女が私にとって親代わりであり、悩める人々を導く聖職者だからだ。普通の人にはループした、なんて言っても、当然信じてもらえないだろう。
私は隣に並ぶブレディの横顔を盗み見る。幼なじみで、兄のような存在の彼には、打ち明けてもいい気がしたけど――寸前で踏みとどまる。
余計な心配をかけたくない。これから馬車の事故に遭うかもしれない、なんて言ったら、きっとブレディは意地でも私を教会に留めようとするだろう。
「まあ、ちょっとね」
見た目は17歳だけど、中身はれっきとした大人で人妻だ。
以前の自分自身よりも、格段に料理技術は進化していると胸を張って言える。……はずなのだけれど。
「ブレディのが上手い……」
突きつけられた事実に少し、いやかなり、ショックを受けた。
私がスープ用に新たに切った野菜は不揃いで、まあこんなものという程度の出来映え。とりあえず均等に火は通るだろう。
一方ブレディが切った野菜たちはでき得る限り同じ形、同じ一口サイズに綺麗に切り揃えられ、美しさすら感じる。
出来映えの差が歴然すぎて、私はブレディの野菜たちから視線を逸らす。
生まれ持った才能は、時に経験じゃ追い付けないものがあるという事実を、残酷に突き付けられた気持ちだった。
「料理は上手さじゃなくて愛情が大事だよ?」
「フォローされると余計に凹む……」
がっくりと肩を落としながら、それでも鍋をかき回す手は止めない。
「いやいやほんとに。男ってのは女の子の愛情たっぷりの手料理に憧れるものだよ。浪漫なんだよ」
「浪漫ねぇ」
適当に相槌を返しながら、私が考えていたのは一度目の夫のことだった。
私の料理を、失敗しようが成功しようが顔色ひとつ変えず食べていたあの人は、浪漫を感じてくれていたのだろうか。
今さら確かめようもないことが、ふと気になった。
*
朝食を終えた私は、何をするでもなく食堂の席に座っていた。みんなはやれ遊びだ、お出かけだと出ていってしまい、今は私一人しかいない。
(巫女姫も、こんな風に悩んだりしたのかな)
本棚の紅色に目をやりながら、私は小さくため息をつく。
「最近、リアの様子がいつもと違う気がする」
窓の外から突然話しかけられ、私はびくっと肩を震わせた。
「びっくりしたぁ……」
いつの間にか、窓の外にブレディがいた。理知的な薄紫の瞳は、すべて見透かそうとしているみたいに私を見つめている。
ブレディは基本的に穏やかだし、髪の毛が示す通りにふわふわとした優しい性格だけど、時々妙に鋭いことがある。
「違うってなんのこと? あ、もしかして大人っぽいとか?」
からかい混じりの私の問いに、ブレディは首をかしげた。彼の優しげな雰囲気と相まって、非常に絵面が良い。美形は特だなとしみじみ思う。
「何の話? リアがため息なんて珍しいなって思っただけだよ」
……なんだろう、私の精神年齢って成人してもそんなに変わらないのだろうか。
ショックを受けた。ついでにブレディに恥ずかしいことを言ってしまった気がして、ただちにここから消え去りたい。
傷心を隠しつつ、適当に言い訳を考える。
「嫌なことを思い出しちゃったの。それで悩み中」
嘘ではない。私は未来を知っているから、行動を選ぶことができる。同じ死は繰り返したくない。
そう思ったら、心のどこかがちくりと痛んだ。
もしも。もしもまた事故に遭うことができれば、私はあの人と――
「そういう時はさ、気分転換が一番だよ」
ブレディはにこやかな笑顔で、壁際に置いてあった買い物用のバスケットを指差した。
「買い物して、ついでに好きなお菓子でも買ってくるのはどうかな?」
「お買い物? あたしもいきたーい!」
ひょこっとブレディの横から顔を出した幼い少女が、キラキラした眼差しを私に向けてきた。
ミーナ。私やブレディと同じく教会に保護されている、無邪気な女の子だ。
彼女の姿を見て、私の全身が強張る。
(……どうして)
ブレディが善意でしてくれた提案に、私の足元がガラガラと音を立てて崩れていくような気がした。
私は思い出す。
一度目の今日の日記に、ミーナの名前があったことを――
事故の後で振り返って書いた日記を何度も読み返したから、この日の内容は丸暗記している。
『私が子供たちと庭で遊んでいると、ブレディがやってきた。彼に買い物をしてきて欲しいってお願いされた。
まったく、私の幼なじみは人使いが荒いんだから。その場にいたミーナが「一緒に行きたい!」と言ってくれたので、私は二人で出かけることにした』
一言一句違わずに思い出せる。
「アメリアお姉ちゃん、お願いっ! いいでしょ?」
ミーナの弾んだ声に、胸が締め付けられるように苦しくなる。
どうして、展開が違うのに同じ状況になってしまうのか。
行きたくないとも行きたいとも言えなかった。私は全身が凍りついたように動けない。
ふたりは私の様子になんて、まるで注意を払っていない。
「あたしね、自分でお野菜選んでみたいー」
「だって。リア、ミーナのこと頼んだよ」
笑い合う彼らを、とても遠くに感じる。
なんだろう、これは。
まるで、決められた道を進むように、私はあの運命に向かっていく。
今日は具合が悪いからとか、部屋の掃除をしたいからとか。外出しない言い訳はいくつも頭に浮かぶのに、それらは言葉として生まれることなく消えていった。
……心が、どこかに吸い寄せられているみたいに。




