39、水属性がつなぐもの
美しい庭園に、晩秋のやわらかな日差しが降り注いでいる。穏やかな光景なのに、テーブルの空気だけは水底のように沈んでいた。
それを誤魔化すようにティーカップに手を伸ばしかけていた私の手が、リオネル様の発言に凍りついた。
リオネル様が良いと思う女性が、いる。
そんなの――聞いたことがなかった。妻だった一度目にも、そんな素振りは見たことがない。仕事と偽って出かけた先で、というのも、誠実な彼らしくない行動だ。
だからきっと、二度目になって変わったことのひとつなのかもしれない。私との出会いが変わった影響だろうか。
(私じゃ、ないよね、さすがに)
自分に都合がいい思考を、すぐに打ち消す。馬車の中の距離が、正しく今の私たちの距離だ。
驚きの代わりに作り笑いを浮かべて、予定通りティーカップを手に取った。指は震えていない。大丈夫、取り繕えている。
カラカラの喉に液体を流し込んでも、ちっとも渇きが治まらない。つきんと痛む胸を、そっと押さえる。
対面しているイルゼ様は、驚いた様子もなくにこにことしていた。彼女の眼差しは私に注がれている。
「……エリックと護衛を交代します」
リオネル様はイルゼ様の返事を待たずに、さっさと歩き去ってしまう。遠ざかる真っ直ぐな背中が何を思っているのか、私にはわからない。
リオネル様は噴水の前でエリック様に声をかけている。私はそれを、ぼんやりと眺めていた。
「アメリアさんの想い人は、リオネルなのですね」
イルゼ様の静かな声に、心臓を直接叩かれたように鼓動が跳ねる。
私は椅子を蹴倒しそうな勢いで立ち上がった。作り笑いの化けの皮が剥がれる。
護衛ふたりが訝しげな視線をこちらに向けている。私はあわてて席に戻った。
「なんで……」
「だって、ずっとリオネルのことを気にしていたでしょう? 収穫祭でも踊っていましたし」
いたずらっぽく微笑むイルゼ様の顔が直視できなくて、私は庭園に視線を向けた。
「護衛、僕に変わりましたよー。アメリアさん、大丈夫ですか?」
エリック様が優しく声をかけてくれる。私は黙って頷いた。
「リオネル様も、気付いていると思いますか?」
イルゼ様は一拍置いてから、ゆるゆると首を横に振る。
「いいえ。朴念仁で鈍い男ですから、全く気付いていないと思います」
テーブルの上で固く握られていた私の手に、そっとイルゼ様が手を重ねた。
「わたくしはアメリアさんの味方です。どうにかして、あの男を振り向かせてやりたいですね」
エリック様が私を見て、それからリオネル様を振り向き、また私を見た。
「あー……なるほど。あいつをどうにかするのは難易度高そうですね」
「ええ」
イルゼ様とエリック様はうんうんと頷きあっている。
(振り向かせる……か)
心の中で、呟く。
今という二度目を生きて、ただリオネル様に会って、普通に話したいと思って、傷付きたくないと思って――ここ最近は、目の前のことに必死になっていた。
ループして最初に思った、『もう一度、あなたと幸せになりたい』という願いの重み。それを私は今、ようやく知った気がする。
「ところでエリック。リオネルが気にしている女性がいるそうなんですけど、誰か心当たりはありますか?」
イルゼ様の問いかけに、エリック様は大げさなくらい首をかしげてみせた。
「ないですねー。ていうかあいつ、女性に興味あったんですね。まずそこが信じられない」
言いたいことは何となくわかるけど、エリック様の言動は情けも容赦もない。
「そういや、秋の半ばくらいから雰囲気が変わった気がするんですよねー。惚れた女ができたのってその頃かも?」
「そんなこともありましたね。部下を動かしてこそこそ何かしているようですし……」
イルゼ様とエリック様が考え込んでいる。しかし結論は出なかったようで、ふたりは揃って首を横に振った。
「でも! わたくしは断然アメリアさん推しです。だってアメリアさんとお話する時間は、いつもとても楽しいですから」
「じゃあ僕もー」
にこにこ笑いあう主従に、私は椅子の上で小さくなって恐縮するばかりだった。
「それに、完全に脈なしではないですから」
イルゼ様は噴水の側で突っ立っているリオネル様を一瞥する。
「少し距離が縮まっていますよね? いつの間にかリオネルを名前で呼んでいますし」
イルゼ様は、本当に鋭い……。
「そうだと、いいんですけど」
私は曖昧に笑った。
リオネル様から言い渡された線引きのことは、伝えないでおこうと心に決めた。
*
お城からの帰りは、エリック様が送って下さることになった。お姫様ではないし、別に送ってもらう必要もなかったんだけど――やむにやまれぬ事情で、この状況になっている。
「イルゼ様は時々、リオネルと同じくらい圧が強いですよね」
エリック様がのほほんとした笑顔で言った。
馬車の中はほぼ初対面の私と、エリック様のふたりだけ。親しみやすい彼の性格のおかげか、あまり緊張せずにいられる。
「本当は、アメリアさん的にはリオネルに送って欲しかったですよね。ごめんなさい」
彼の言葉をそのまま肯定するのは、気を遣ってくれたエリック様に失礼だと思い、私は微笑んで誤魔化した。
――お茶会が終わった後。
誰が私を教会まで送るかという話になった。私は断ったんだけど、イルゼ様が「どちらかを連れて行かないのなら、わたくしが送ります」と言い出してしまった。
多分、イルゼ様なら本気でやるだろう。私はかなり焦った。普段の私なら迷わずリオネル様にお願いしただろうけど、さすがに「想う女性がいる」なんて話を聞いた後では言い出せなかった。二人きりになった後、どんな顔をしていいのかわからない。
困り果てる私に「じゃあ僕が立候補するよ」と言ってくれたのが、エリック様だった。
「君と少し話をしてみたくて、無理を言ってしまいました」
「私と、ですか?」
理由がわからなくて、私はまじまじとエリック様を見つめてしまった。
イルゼ様に聞いたことだけど、エリック様は公爵家の生まれの貴族らしい。本人は「放蕩息子で勘当されてるから、気にしなくていいですよー」と言っていたけれど、イルゼ様ほどではなくても、私にとっては雲の上の存在であることは変わらない。
「アメリアさんって、水属性ですよね? 僕と一緒だなーと思ったんです」
得意属性を言い当てられて、私は目を見開いた。エリック様の前で魔法を使っていないのに。
「わかりますか?」
「もちろん。僕の家はみんな水属性に長けてるし、優秀な治癒術士を育てるパトロンもしていますから、見る目はあるつもりです」
エリック様はそう言って、ご自分のハーバー公爵家がエインズワース魔法学園に多額の出資をしていること、将来治癒術士として活躍できそうな学生向けに奨学金を出していることを教えてくれた。
「アメリアさんは、僕の家の奨学金を受けてないですよね?」
「はい。私は防御魔法は得意だけど、治癒魔法はすごく苦手で」
気付けば口が軽くなっていて、そんなことまで漏らしてしまっていた。エリック様は聞き上手だなと思った。
「そうなんですか? 君ならいい線いくと思うんですけどねー。防御魔法が得意なのも、柔軟性が売りの水属性あるあるです」
エリック様は心底不思議そうに首をかしげた。それから、ふと笑みを消して真剣な顔で私を見た。
「水属性を持つ魔法使いにとって、水は手足みたいなもの。望めば必ず応えてくれる……は、言い過ぎですけど」
雪が溶けるように、またエリック様は笑顔を見せてくれた。
「もっと水を信じてあげてもいいんじゃないかと思います」
(信じる……)
その言葉が、すとんと私の心に落ちた。
ずっと魔法が得意ではないと思っていた――それこそが、もしかしたら成長を阻害していたかもしれない。
「がんばってみます」
「うんうん、その調子です。僕は水魔法だけならリオネルよりも得意だし、いつでも相談に乗りますからね。……あ、恋愛相談は力になれるかわからないですけど」
エリック様が照れ笑いを浮かべながら付け足した一言に、思わず笑ってしまった。
社交辞令なのかもしれないけど、彼の優しさに触れて、心の痛みがほぐれていくのを感じる。
そうすると、心も自然と前を向く。
リオネル様に想う相手がいたって、私が恋心を捨てなきゃいけない理由はない。私が私の気持ちを信じなくて、誰が信じるというのだろうか。
「ありがとうございます」
エリック様に、心から感謝する。
行きの馬車よりも、ずいぶん空気が明るかった。




