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38、あなたが見ているのは


 間近で見ると、王城は本当に大きく、私は呆気に取られた。教会からもうっすらと見えていた城壁の尖塔は、馬車の窓からではてっぺんが確認できない。


 緊張で顔が強張る。


 馬車は堀にかけられた跳ね橋を渡り、閉ざされた門の前で一度止まった。


 リオネル様が窓から顔を見せると、警備の兵たちは緊張した面持ちで敬礼し、門扉を開けてくれる。


 馬車は再び進みだした。きれいに整えられた庭園を抜け、噴水を迂回し、石造りの城の前で今度こそ停車する。反動で倒れそうになり、慌てて踏ん張った。


「城の中では私から離れるな」


 リオネル様の言葉に、私はこくりと頷く。


 彼が先に馬車を降り、私の手を引いてエスコートしてくれる。お姫様ではないのに、と一瞬躊躇ったけど、結局私はその手をとった。下心は、もちろん、大いにある。


 馬車を降りてすぐ、目の前に巨大な扉が待ち構えていた。その前には数名の衛兵がいて、リオネル様の顔を見ただけで扉を開けてくれる。


(顔パスなんだ……)


 それに、私――同行者についても何も聞かれない。飾り気がなく、明らかに平民です、という服を着ているのに。リオネル様がどれだけ特別な存在なのか、改めて理解した。


 玄関ホールは吹き抜けになっていて、天井が高い。決して華美ではないけれど、質素でもない。壁を彩るステンドグラスに金糸で織られた王国の旗。足元には落ち着いた色合いの絨毯が敷かれていた。


 リオネル様は迷わずその上を歩いていく。


 私はワンピースの裾を引っ張り、皺を伸ばす。


 すれ違ったメイドや衛兵は全員、リオネル様を見かけると道を開け、頭を下げる。


 背筋を伸ばしながら、彼の後を固い足取りで追った。


 ホールを抜け、廊下を歩き、衛兵が守る扉をいくつも通りすぎた後――唐突に建物は終わりを告げ、中庭が現れた。


「わあ……」


 美しい景色を見て、つい声が漏れた。


 低木が規則正しく植えられ、どれもがきちんと剪定されている。花壇には色とりどりの花が咲き乱れ、訪れるものの目を楽しませていた。王都の中とは、なんというか……空気自体が違う。


 小さなガゼボがあり、その下の円形のテーブルにイルゼ様が座っている。傍らに護衛の騎士がひとり立っている。収穫祭で見かけたあの人だろうか。


 イルゼ様は私に気付くと、にこりと微笑んで小さく手を振ってくれた。テーブルの上にはティーセットとお茶菓子が並べられている。


「ごきげんよう、アメリアさん。この前は本当に助かりましたわ。ありがとうございます」


 イルゼ様はにっこりと微笑んだ。


 あの事件の日は結局挨拶もできなかったから、イルゼ様とお話するのは収穫祭以来だ。


「こんにちは。イルゼ殿下が無事で良かったです」


「さあ、座ってください」


 勧められ、ぎこちない動きでイルゼ様の正面の椅子に腰を下ろす。リオネル様はいつかの教会でのひとときと同じように、イルゼ様の後ろについた。


 控えていた騎士が、慣れた手つきで紅茶を淹れてくれる。柑橘系の爽やかな香りが立ち上った。


「ありがとうございます」


「いえいえ~」


 お礼を言うと、銀髪に青い瞳の騎士は朗らかに笑った。間延びした声が印象的だった。


 なんというか……黙って立っていればかっこいいのだろうけれど、親しみやすくてふわふわした雰囲気で怜悧さが中和されている気がする。そんな、不思議な雰囲気の人だった。


「リオネルに意地悪はされませんでしたか?」


「意地悪……」


 ではないけれど、どこまで踏み込んでいいのかわからなくて困ったり、傷付いたことはある。


 そんな思考が顔に出ていたのか、イルゼ様は笑顔を消した。次いで、リオネル様に冷たい目を向ける。


「アメリアさんが可愛らしいからといって、意地悪をしてはだめですよ? と、あれほど言ったのに!」


「イルゼ様ってば、リオネルにそんな無理難題をふっかけたんですか」


 騎士様がくすくす笑っている。


「その件に関しては、もう彼女に謝罪しています」


 リオネル様は不機嫌そうに騎士様を睨んだ。


「はい。それに、意地悪じゃなくてリオネル様は私を思って言ってくれたことですから」


 大丈夫です、と私は微笑んでみせる。


「そうですか。でももし、リオネルに何かされたら遠慮なくわたくしに相談して下さいね?」


 イルゼ様のそのお言葉が心強いような、恐ろしいような……。


 私が苦笑いしていると、イルゼ様は今度は騎士様に視線を移した。


「エリック。ここからは乙女の内緒話ですから、少し離れていて下さいね」


 イルゼ様の言葉に、エリックと呼ばれた騎士様は不満げにリオネル様を見つめた。


「こいつは乙女じゃないですよ?」


「そうですけれど、庭園の空気にはなれます。ね、リオネル?」


 イルゼ様の微笑みから、無言の圧力が漏れだしている。リオネル様もまた、言葉なく頷いた。


「んー、わかりました。何かあればすぐ来ますからね」


 不満げな顔を隠しもせず、エリック様はてくてくと歩いて去っていく。声が聞こえない程度の距離を空けて、噴水の縁に腰掛けていた。


 私と目が合ったら手を振ってくれた。騎士様に対して手を振り返すのも躊躇われて、でも無視することもできなくて、迷った末に私は曖昧に笑ってみせた。


「騎士なのに変わった方でしょう? エリックはね、お茶を淹れるのがとても上手だから、いつも淹れてもらっているのです」


 イルゼ様はティーカップを優雅な動作で持ち上げ、口をつけた。そういう何でもない仕草でさえ、気品のようなものが溢れている気がする。


 イルゼ様には到底及ばないとはいえ、私もなるべく姿勢を正してカップを運ぶ。


 口に入れると、紅茶特有の苦みと共に、ほんのりと酸味を感じた。


「とても美味しいです。コツを教えてもらいたいくらいです」


「ふふ。想い人に淹れてさしあげるんですね?」


 イルゼ様が突然そんなことを言い出すものだから、完全に油断していた私は軽くむせてしまう。

 これはまた、リオネル様の顔が見られなくなる流れだ。


「前に仰っていましたよね。お茶の淹れ甲斐があるって」


(お、覚えてたんですか……)


 とは言えないので、私はこくこくと頷いた。


「わたくしもね、お慕いする方に淹れてさしあげたいのですけれど、いつも逃げられてしまうのです」


 イルゼ様はティーカップに視線を落とした。紅い水面に小さな波紋が生まれている。


「王女様に淹れて頂くなんて、おそれ多いからでしょうか?」


「そうだったら嬉しいですけど」


 イルゼ様が見せたどこか寂しげな微笑みに、こちらの胸までちくりと痛んだ。


「どんな方なんですか?」


 沈んだ空気を吹き飛ばすように、あえて明るめにそう振ってみる。イルゼ様はそうですね……と、唇に手を添えた。


「王子様みたいな方です」


 絶世の美少女が頬染めする姿に見惚れてしまいそうになるけど、問題はそこじゃない。


 本物の王女様に『王子様みたい』と言われる人物って……一体、何者なんだろう。


「王子様みたい、というのは?」


 話を広げるためにも、私はイルゼ様に質問をぶつけた。


 ロレッタが好むような恋物語に登場する王子様といえば、美形で、物腰柔らかで、頼りになる――そう、ブレディみたいな男性のことだろう。


「とても優しくて紳士的です。それから、ちょっと情けなくて可愛らしい人なんですよ」


(王子様……?)


 前半はともかく、後半は王子様要素がない。が、もちろん王女様相手にそんなことは指摘できず、私の疑問は解消されないままだった。


「この前ふたりきりになった時があって、手を握ってみたのです。そしたら、顔を赤くして逃げてしまわれたんですよ」


 イルゼ様の暴露話に、空気に徹していたリオネル様が堪えきれずといった様子でため息をついた。眉間の皺が深くなっている。


「まあリオネル。何か言いたいことがあるんですか?」


「そういうことは謹んで下さい。醜聞になったらどうするおつもりですか」


 至極真っ当な指摘をするリオネル様に、イルゼ様は挑戦的な瞳を向けた。


「密室ではありませんのよ? リオネルはそんなにお堅いから、浮いた話のひとつもないのですよ」


 リオネル様は眉間に皺を寄せて押し黙った。

 反論が思い付かないのか図星なのか。


 その両方かもしれないと思った。


「そもそもあなたは、良いと思う女性くらいいないんですか?」


 不機嫌オーラ全開のリオネル様に対して、単刀直入すぎる質問をぶつけられるイルゼ様の胆力がすごい。私は重さを増し続けていく空気に、小さくなることしかできない。


 彼は珍しく、強い感情が籠った視線をイルゼ様に向けていた。


「…………………………」


 リオネル様の沈黙が痛い。返事がないのは数秒だっただろうけど、引き伸ばされたように長く感じた。お茶会中だというのに、私は喉が渇きを覚える。


 長考の末、リオネル様は二度目のため息を溢した。


「……います」


 その言葉に、心臓が止まるかと思った。




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