33、あなたのとなり
「そうだ。俺がやらなきゃ……」
男子生徒は、ナイフを持ったままじりじりと私に近付いてくる。
「……何か、事情があるの?」
恐怖で声が震えないように、お腹の底に力を込めて問いかける。じっと、彼の目を見つめることも忘れない。
張りぼてとはいえ、私は堂々とした態度を取り続ける。
「お前には関係ない!」
男子生徒は激昂し、ナイフをふりあげる。
思わず息を呑んだ。
その瞬間だった。
「リアーーっ!!」
扉の外から、待ち望んでやまなかった声が聞こえた。
「ブレディ!」
開けっ放しだった扉から強風が吹き込んできた。風は精霊避けの香を霧散させ、そのまま壊れかけの窓を強引に吹き飛ばして屋外へと抜ける。
思わぬ風に煽られ、よろめいた男子生徒に、高速で突っ込んできた赤い影が飛び付き、引き倒した。
彼の手からナイフが転げ落ちる。
「ルパート!」
赤い影――ルパートは、私の姿を確認すると唇の端をにっと上げた。
「リア、無事!?」
続いてブレディとロレッタが室内に飛び込んでくる。ブレディは杖を構えて、ルパートが制圧している男を油断なく睨む。ロレッタはナイフを回収してから、私の拘束を風魔法で断ち切ってくれた。
「ありがとう……」
私はさっと立ち上がる。
「なぜ邪魔をする!?」
男子生徒がブレディに向かって喚いている。それを全く気にせず、幼なじみはちらりと私を見た。
「リア、走れる?」
「うん、もちろん」
もちろん、虚勢だ。全身あちこち痛いし、特に後頭部を殴られたせいか少しふらつく。
でも、まだやれる。
「これ」
ブレディは私にそっと杖を渡してくれた。落としてしまったはずの杖を、託されたものの重みを、しっかりと握りしめる。
「行って」
「わかった!」
その場はブレディとルパートに任せ、私はロレッタと共に部屋を、旧校舎を飛び出した。
今度こそ、イルゼ様への襲撃を止めるために。
*
私とロレッタは全力で学園内を駆け抜けた。
お昼休みなのか、中庭は生徒たちが大勢出てきている。
何も知らずに、楽しそうに笑いあっている。
「あいつの仲間がどこに行ったか、わかる!?」
「東棟って言ってた!」
短く答えて、また私たちは走る。時に誰かとぶつかりながら、それでも前へ。
やがて前方に、学生が多い一角が見えてきた。その中に、一際長身のリオネル様の姿を見つける。
ならきっと、イルゼ様はあそこにいる――
私は息を切らしながら、それでも走った。
「アメリア、上!」
ロレッタの声で東棟の上を見上げた。逆行で見えにくいけど屋上に人影がある。
身を乗りだし、杖を構えている。
イルゼ様に向かって。
「イルゼ様っ! 逃げて!」
私は思いっきり叫ぶ。人波の中、リオネル様とイルゼ様がこちらを振り向いたのが、確かに見えた。
リオネル様は目を見開く。私とわずかに視線が交わる。
けれどすぐに、彼は無言で空を見上げた。
光の矢が音もなく降り注ぐ。
それはイルゼ様を貫く前に、一瞬で形成された結界ですべて弾かれ、空中に霧散する。
リオネル様の結界は、空に浮かんだ傘のような弓形をしている。その下にいたイルゼ様にも、生徒たちにも、何の被害もない。
「きゃああっ」
攻撃を受けていることを理解して、イルゼ様の周囲にいた生徒がパニックになる。
「上だ、行け。残りは生徒の保護を」
生徒たちが我先にと逃げ出す中で、リオネル様は結界を維持しながら淡々と部下に指示を出す。
王宮魔法使いの何人かが東棟の屋上へと向かって走り出す。残った魔法使いたちは、右往左往する生徒を保護するために動き出していた。
中庭の中心にはすっかり人がいなくなり、私たちの他はまばらに生徒がいるばかりになった。
彼らは下手に逃げるよりリオネル様の傘の下にいた方が安全だと判断したのだろうか。みんなで寄り添いながら、不安げに結界を見上げている。
「大丈夫ですか?」
ロレッタがイルゼ様に駆け寄り、声をかける。
「ええ……ありがとうございます」
イルゼ様は優雅に頷き、ふとこちらを見た。
「アメリアさん? そのお姿は……」
イルゼ様と話したいのは山々だったけど、私はまだ立ち止まれない。
(あと、一人……!)
東棟の上にいた男子生徒は一人だけだった。
どこかにもう一人、襲撃犯がいるはず。
東棟のどこかに潜伏している?
(ううん、違う)
みんながパニックになっているのに、私は逆に酷く冷静だった。
(あの人たちは、平民だった)
狙撃に向いた東棟。だけどこうやってリオネル様が守ろうとすれば、上からの狙撃など何の意味もない。
もし、結界が張られることをわかった上で、それを避けて攻撃しようとするのなら――結界の範囲外となる低い位置から狙ってくるはず。
そしてリオネル様の行動をみてから作戦や攻め方を変えるのであれば、不慣れな場所より、慣れ親しんだ校舎を選ぶだろう。
私は咄嗟に、ロレッタとイルゼ様たちを北棟の射線から隠すように立ちはだかった。
北棟の2階で、きらりと魔法の力が輝く。
「させないっ!」
杖をかまえ、防御魔法を展開した。何よりも厚く、硬く。私の願いに呼応して生まれた光の盾は、強力すぎて私の魔力じゃ維持するのが手一杯なくらいだ。
放たれた炎の剣を、盾で受け止める。魔力への負荷が増し、目の前がくらくらした。
(強い……!)
じり、と盾が押される。顔や手に強烈な熱気を感じ始めた。このままじゃ、押し負ける。出し惜しみしている場合じゃない。
(自分の中の魔力をすべて込めたっていい。私は、みんなを守る力が欲しい――)
きらりと、私の祈りに応えるように銀の光が周囲に散った。
(これは……?)
まるで星のように明滅を繰り返すそれに後押しされるように、私の魔法の出力が大幅に上がる。魔力が一気に奪われ、がくりと脱力しかけた。
それでもまだ、足りない。
光の盾を炎が包み込もうとする。
私はぎゅっと目を閉じた。
(もう……っ)
その瞬間、誰かの手が私のそれに添えられた。
大きくてあたたかいその手の持ち主を、私はよく知っている。
「リオネル様……」
隣に立ってくれた人のことは、姿が見えなくたって感じ取れる。
「手を貸す」
杖を握る手に自然と力が籠った。
短く、ぶっきらぼうな言い方でも、私にはその一言だけで十分だった。
私は視線だけを横に向ける。リオネル様が寄り添うように立っていてくれる。その横顔は、これだけの光と熱の中でもやっぱり涼しげだった。
触れあった手から魔力が流れ込んでくる。その熱い奔流を、すべて魔法の維持に注いだ。
盾は眩く輝き、剣を押し返し始める。魔法の火花が散り、目が開けていられないほどだった。
リオネル様がやってみせたように、この場で相手の魔力を霧散させることは、私の技量では難しそうだ。
でも今の私の内側には、貴方の魔力があるから。
「いきます」
全力で杖を振るう。その軌跡に従うように、魔法の盾はゆっくりと傾く。放たれた炎の剣を鏡のように反射して、空へと打ち上げる。
炎の剣は弧を描いて上昇し、やがて上空で爆発四散した。その衝撃波でよろけた私を、隣にいた人が力強く支えてくれる。
そこで、限界がきた。
「あ……」
体中の魔力が尽き、視界は真っ暗で、全身が重い。私の体がぐらりと傾ぐ。立っていられない。
そのまま地面に、ぶつかる――そう思った瞬間、私の意識は途切れた。




