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32、人質


 はっと気付いた時、私は冷たい床に横向きで倒れていた。後頭部と首がひどく痛む。


 すぐには状況が理解できなかった。

 周囲を見回そうとして、体が思うように動かないことに気付く。


 足は自由だけど、上肢は後ろ手にきつく縛られている。


(そうだ、私誰かに殴られて……!)


 気絶する前の光景が甦り、さっと青ざめる。


(今はいつ? あの人たちはどうして私を……?)


 疑問が矢継ぎ早に出てきて、いてもたってもいられなくなる。


 とにかくこの場所を出て――と立ち上がろうとしてから、ふと、リオネル様の顔が浮かんだ。


(もし、今リオネル様がここに転がされていたとしたら)


 多分、いや絶対そんな状況はないと思うけど、そんな想定をしてみる。


(彼ならきっと、焦ったりしない。冷静に助かるための行動を取る)


 いつだって落ち着いていたあの瞳を思い出す。そうすれば、冷静な心を分けて貰える気がした。


 私はひとつ深呼吸をする。


(私は、大丈夫。まずは状況を確認しよう)


 首だけを持ち上げて、周囲を眺める。


 見覚えのある部屋だった。がらんとしていて殺風景だけど、間違いない。学園内の教室だ。

 長い間使われていなかったようで、ひどく埃っぽいし壁が剥がれかけているところすらある。旧校舎の空き教室だろうか。


 魔法を使おうとしてみるけど、精霊に祈りを捧げても発動する気配がない。


(さすがに使えないか)


 魔法の発動には精霊の協力が不可避。だから魔法使いを相手にする時は、まず相手の触媒を奪い力を削ぐ。次に精霊が嫌う香を焚くなどして、その場の精霊を遠ざけて魔法を完全に封じるという。


 なんて知識は全部、リオネル様の受け売りだ。聞いたときはこんな形で役立つなんて、考えてもいなかった。


「おい、本当に大丈夫なのか」


 突然外で声がして、立ち上がろうともがいていた私は慌てて元の横向きに戻る。


 ガチャガチャと鍵を開けるような音がして、扉が開いた。私は目を閉じる。


(気付かれませんように――!)


 足音がいくつか、室内に入ってきた。音は私の目の前で止まる。薄く目を開けると、3人分の靴が見えた。すべて同じ、この学園の制服の靴だ。


「大丈夫だって。この視察が最後のチャンスなんだぞ」


「ま、いざとなったら人質もいるし。本人が何とかしてくれるだろ」


(人質? 何の話をしているの?)


 彼らの会話から、この生徒たちこそイルゼ様を襲撃する犯人だと私は当たりをつけた。


 彼らの言う、人質とはなんだろう。


 生徒たちは言い争う声を背に、私は考える。


 順当に考えれば、犯人には協力者がいて、人質がいるから無理やり従わせている、とか――


「あ、いいこと考えた。こいつを王太女襲撃の実行犯に仕立てあげればいいんじゃね?」 


 靴先で蹴られ、体の向きが変わる。歯を食い縛って悲鳴を飲み込んだ。制服のポケットから何かが滑り落ちた気配がしたけど、確認する余裕がない。


 私はただ黙って、耐えた。


(このままじゃまずい。どうにかして脱出しないと)


 といっても相手は男子生徒3人。魔法も使えない部屋だし、真っ向から対抗する手段なんてない。


(せめて、ブレディたちが気付いてくれていれば……!)


 私の焦りをよそに、犯人たちは呑気に作戦会議を始めた。額を汗が滑り落ちて、拭いたいのに身動きが取れないのがもどかしい。


「じゃ、そろそろ俺らは東の屋上行ってくるから。お前はこの女を見張って、騒ぎがあったら連れてきて合流しろ」


「わかった」


 3人が部屋を出て、再び鍵をかけた。それからふたり分の足音が遠ざかっていき、消える。

 

 残った1人の気配はドアの前にある。


(危ないけど……今しかない!)


 私はぱっと目を開け、室内に誰もいないことを慎重に確認する。


 それから何かみんなに合図を送れるものがないかと周囲を探した。


 使われていない教室にはほとんど物がない。それでも何かないかと寝返りを打った私の目に、床に転がっていたそれが飛び込んできた。


「ロレッタ……!」


 収穫祭の日に、ロレッタがくれた閃光玉。

 さっき制服のポケットから滑り落ちたのはこれだったらしい。


 友人に心から感謝する。もぞもぞと体の位置をずらし、小さなそれを思いっきり蹴飛ばした。


 瞼をぎゅっと閉じる。


 カン、と小気味いい音を立ててそれは壁に当たり、まばゆいばかりの光を放つ。目を閉じていても瞼の裏側が赤く燃えるようだった。 


(みんな、気付いて……!)


 心の中で強く祈る。


 十数秒で光はまばらになり、消えた。


「お前っ!」


 光に気付いたのか、見張り役が鍵を開けようとする音が聞こえた。


 立ち上がろうともがくけど、上半身を起こすのが精一杯だった。結局、私は動けないまま彼と対峙することになってしまう。


 扉を開けて入ってきたのは見覚えのない男子生徒だった。私と同年代の少年で、制服は平民クラスのもの。どこにでもいる平凡な男子生徒といった雰囲気で、王太女襲撃を計画するような人間とは思えなかった。


 私は動きを止める。

 憎々しげに見下ろしてくる彼を前に、ひとつ大きく息を吸った。


「……あなたの目的は何? 本当にこんなことがしたいの?」


 私はなるべく落ち着いた声色で、男子生徒に話しかける。睨むように、けれど静かな眼差しを向けた。


「お、俺は……」


 こっちは床に転がったままのただの女子生徒なんだけど、堂々とした態度に戸惑ったのか、男子生徒はその場で立ちすくんでいる。


 話が通じるなら、説得ができるかもしれない。

 私は一縷の望みをかけて、彼との対話を続ける。


「早く、仲間を止めて。今ならまだ間に合う。だから……」


「できない」


 ぽつりと、彼が呟く。


「そんなこと、出来るわけがない!」


 叫んだ男子生徒は、ひどく怯えた顔をしていた。監禁している側とは思えないくらいに。


 その勢いに、私は怯んでしまう。


「王太女が死ななければ、俺たちはッ!!」


 男子生徒が制服のポケットから折り畳み式のナイフを取り出す。甲高い金属音に、背筋が凍る。


 光を受けてぎらりと輝くそれは、私へと向けられた。



 

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