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30、星の加護


 よく晴れた、秋の終わり。

 とうとう、イルゼ様が視察にくる日がやってきた。


 打ち合わせ通り、みんなは貴族クラスがある東棟の屋上で朝から待機してくれている。


 私は中庭を見張るために、遊歩道沿いにある植え込みの陰で身を潜めていた。


 今は授業中のため、もちろん中庭には人の気配がない。普段なら2、3人はサボりの生徒がいるのだけれど。今日は視察パワーでみんな真面目に授業を受けているのだろうか。


(この作戦、ひとつ問題があったかも)


 ほうっとため息をついて、痺れそうな足を組み換える。


 イルゼ様はまだ学園内にすら来ていない。いつ来るかもわからないので、イルゼ様を待って午前中から全授業を欠席することになってしまった。4人揃って。


 魔法防御術のトビアス先生が「あいつら揃ってサボりかー?」なんて言っている声が余裕で脳内再生できてしまう。


 それに、案外同じ場所で潜伏し続けることって、辛い。


 体は固まるし、気は抜けない。まだお昼を回っていないというのに、早くもしんどくなってきた。


 ここは東棟の真下、木が生い茂っている場所なので、みんなの姿を見ることもできない。ほんの少しだけ寂しいなとも思う。


「はー……」


 息抜きがてら立ち上がり、膝を伸ばした時だった。


「……アメリアさん……?」


 至近距離で声をかけられて、杖を構えながらばっと勢いよく振り返ってしまった。


 背中を丸め、フードを目深に被った若い男。陰鬱という言葉が似合いすぎるその特徴的な立ち姿は――


「ハミル先生!」


 慌てて杖を降ろした。


 精霊学のハミル先生は、一部生徒から『研究室の苔』『キノコ生えてそう』などと言われているちょっと変わった人だ。


 授業以外では自分の研究室から滅多に出てこないので、見つけたら幸運が訪れる、なんて噂もある。

 見た目は不審者丸出しだけど、優秀でいい先生だ。


「……声をかけただけなのに……」


 先生の猫背が更に角度を増す。俯いた顔はしょぼんとしていて、私は傷付けてしまった罪悪感でいっぱいになる。


「すみません。気を張っていて、驚きすぎてしまいました」


「……そうですか。まあ……ちょっとした冗談なので、お気になさらず……」


(冗談なの!?)


 心の中で突っ込みをいれる。本気だとばかり思っていたし、ハミル先生がこんな冗談を言う人だとは知らなかった。


 先生は私のことなど一切気にかけず、そのままのんびりと草を踏み分けて進んでいく。


 来たのが他人に興味がなさそうなハミル先生で良かった。

 ここに隠れていた理由を聞かれなくて、ほっと胸を撫で下ろす。トビアス先生あたりだったら多分、根掘り葉掘り聞かれて困ったことになっていただろう。


 ハミル先生は東棟のすぐ近くまでゆっくりと進み、草だらけのそこで唐突に横になった。大の字に手足を広げ、深呼吸をして、とてもリラックスしているように見える。


(なにしてるんだろう……)


 自分は何をしているか聞かれると都合が悪いのに、先生のことは気になってしまう。


 彼につられて私も上をみるけど、色付いた葉っぱの間からわずかに青空が見えているだけで、特別なものは何もない。

 風を受けて木々がざわめき、木漏れ日の形が変わる。何とも穏やかな秋の風景だった。


 視線がうるさかったのか、先生は横になったままこちらに頭を向けた。


「……精霊の声を、聞いています」


 その声色は真剣そのもので、今度は冗談じゃないとわかる。


 精霊の声を聞けるのは、特別な才能のある人だけ。その一人であるハミル先生は上向きに戻り、ゆっくりと目を閉じた。


 私の目には特別なものは何も見えないし、聞こえない。けれど、神秘的で近寄りがたい何かが、目の前に渦巻いているような感覚はあった。


 そのせいか、木々のさざめきがまるで精霊が語りかけている声のようにも思える。


「……星の……感情と……加護……?」


 精霊と話をしているのか、ハミル先生はぶつぶつと単語を呟いている。


 話しかけて彼の邪魔をしては悪い。

 私は黙って、彼の対話を見守った。


「……あなた」


 ふいに、先生がこっちを見た。理知的な青の瞳が、いつになく爛々と輝いている。


 あの神秘的な空気は薄れ、いつも通りの陰鬱な雰囲気に戻っていた。


「ここ数日、雰囲気が変わりました……以前から気配はありましたが……。何か変わったこと……ありましたか?」


(……ループのこと?)


 真っ先に思ったのはそれだったけど、ハミル先生はここ数日と言った。なので私は首を横に振る。


「そう……ですか」


 ハミル先生はゆっくりと立ち上がり、フードに住みかを移した草を軽く払いのけた。


「その『星』……大事に、してあげてください……」


 ハミル先生は私の返事を待たず、またのろのろと歩き出す。


「え? 何のことですか?」


 去っていく背中に、私は声をかけた。

 ゆっくりと振り向いた先生は、唇の端を軽く持ち上げてみせる。ハミル先生が笑ったのなんて、始めてみたかもしれない。


 結局ハミル先生は意味深な笑みをくれただけで、そのまま中庭に出て歩き去ってしまった。


(な、何だったんだろう……)


 先生の掴みどころのない言動に、思わずぽかんとしてしまう。


 そんな風にハミル先生に気を取られていた私は、誰かが近付いて来ていることに少しも気付いていなかった。


「――!」


 後頭部に強い衝撃があり、視界が揺れた。立っていられず、思わず地面に倒れ込む。ぐるぐると世界が回っている感覚に襲われて、とにかく気分が悪い。


(誰かに、殴られた……?)


 そう理解して、私は上を、東棟の屋上を見る。


(ブレディ……!)


 思いきり叫べば、きっとみんなのいる屋上まで届く。そう思って悲鳴をあげようとした私の口を、何者かが塞いだ。


「んん……っ」


 振り払おうとしても、力が強くてどうにもならない。


 目の前に私の杖が落ちている。倒れた拍子に手を離れてしまったそれを拾おうにも、馬乗りになられ、身動きがとれない。


 相手のもう片方の手が、私の首にかかった。


(い、息が……吸えない……)


 首を圧迫されて、呼吸が浅くなる。苦しくて手足を動かしてもがくけど、びくともしない。


 視界が霞んで、徐々に体に力が入らなくなっていく。


「おい、あまり傷付けるなよ」


「わかってるって。こいつは大事な――」


 誰かの声。聞いたことのない、男の声……。


 理解できたのは、そこまでだった。

 私の意識は、ぷつりと途切れた――




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