3、もう一度幸せに
死に戻ったなんて大それた事実が嘘みたいに、私が通う魔法学園の朝はいつも通りに騒がしかった。
友人がいて、他愛ないおしゃべりで満ちていて――何気ない日々がどれも懐かしくて、胸がいっぱいになる。
と、クラスメイトの男子生徒が一人、暴風のような勢いで教室に滑り込んできた。
「なー、聞いてくれよ! 今、門のところに王宮魔法使いたちが来てるらしいぞ」
彼は教室中に響き渡る大声で言い、みんなの注目を集めている。席についていた生徒たちは、ざわざわと色めき立った。
王宮魔法使い。
その単語に、私は飛び上がるようにして立ちあがった。
「どうしたの?」
突然顔色を変えた私に、隣の席に座っていた友人が怪訝な顔を浮かべる。
(彼に、会える――かもしれない)
そんな期待が私の体を走り抜けて、いてもたってもいられなくなった。
「私、見に行ってくるっ!」
野次馬のためにぞろぞろと教室を出ていくクラスメイトの後ろについて、私も学園の正門へと向かった。
「アメリア!?」
友人の声が追いかけてきたけど、振り返る余裕はない。
魔法学園の正門では、野次馬になった生徒たちが、二重三重に人だかりを作っていた。
ざわめく生徒たちに混ざって、私は足を止めた。
ただひとり、ぽつんと立ち竦む。軽く上がった自分の息遣いが、やけに大きく聞こえる。
真っ直ぐに見つめる視線の先に、男性魔法使いの姿があった。
彼の姿を見るだけで、胸が勝手に高鳴ってしまう。痛いくらい主張してくる胸を、ぎゅっと押さえた。苦しい。息が浅く、心が様々な感情で溢れそうになる。
魔法使いは、人混みの中でも目立つ長身を持っていた。黒色のローブは、誉れ高い王宮魔法使いの証だ。ローブと同じ色の髪を緩く結い、手には愛用の杖を持っている。
彼は鋭い眼差しで周囲を油断なく眺めていた。その瞳が私を映すことは――ない。
(……リオネル様)
心の中だけで、『一度目』で夫だった人の名前を呼ぶ。
「ほんとにいるね。イケメン成分の供給、助かるわー」
友人がいつの間にか隣に来ていて、背伸びをして王宮魔法使いたちに熱い視線を送っている。
そう、学園を訪れている魔法使いは複数いた。けれど、私が意識を奪われるのは、その中のたったひとりだけ。
「で? アメリアは誰が好みのタイプ?」
「え!? そ、それは……」
友人の予想外すぎる発言にうろたえた。
好みのタイプなんて、そんなの決まりきっている。視界にちらつく黒髪の魔法使いを意識してしまって、かあっと頬に熱が集まった。
そんな私の気持ちを置き去りにして、人だかりの先頭が動き出す。
「お客さんが来るから道を譲ってくれよー」
魔法防御術の先生が声をかけてきたので、生徒たちはそれに従って綺麗にふたつに分かれ、道を空ける。私たちも慌てて彼らに倣った。
大勢の生徒が見守る中、精霊学の先生の先導で、王宮魔法使いたちが学園内に入ってくる。
ざわざわと盛り上がっていた生徒たちが、ぴたりと私語をやめて魔法使いを見送った。
魔法大国であるここ、エヴァレット王国は、魔法使いの素養がある者は、身分に関係なく奨学金で学園に通うことができる。
平民クラスの私たちにとっては、王宮魔法使いという遥かな高みにいる人の来訪なんて、とんでもない大ニュースだった。
沈黙の中で、靴音だけが響き渡る。
お喋りでかしましい生徒たちを一瞬で黙らせてしまうくらい――リオネル様は場を支配する威圧感と、冷徹な雰囲気を纏っていた。
普段もそうだけれど、今ここでは特に気を張っているように見える。
『一度目』で夫だった人は、大勢の中に埋もれている私に気付くこともなく、彼は同僚たちと共に職員棟へと消えていった。
ちくりと、心に針が刺さる。
(今の私たちは――他人、だもんね)
わかっているのに、苦しさが抑えきれない。
けれど思えば、一度目の私も、彼のことをほとんど知らなかった。夫だったのに、優しいのに、いつもどこか遠い人――それが、リオネル様だった。
頭を撫でてくれた大きな手のぬくもり。私を呼ぶ声。全部全部、はっきりと思い出せる。だから余計に辛くて、深呼吸をして心を落ち着かせる。
(……遠い、な)
私は彼と『再会』するハードルの高さを、改めて思い知った。
リオネル様は王宮魔法使いだ。本来は、私みたいな一般人とは会うことも、話すこともないような相手。
他人スタートな上、立場が違いすぎるから、接点を持つことすら難しい。
それが今の私と『一度目』の夫の距離感だ。正真正銘の他人。
受け入れなきゃいけないと思うのに、苦しくて心が上手く働かない。
彼と確実に再会するためには、一度目と同じく事故を起こすことが必要になる。
王宮魔法使いたちの姿がすっかり見えなくなった途端、風が吹いたように空気が動き出す。
「すげー強そう」
「近寄りがたすぎる……」
そんな噂話が、耳に飛び込んでくる。
「あの人、すっごい迫力だったね! めちゃくちゃかっこよかった~」
友人が言っているのは、もちろんリオネル様のことだろう。
「そうだね……」
私は、曖昧に笑って誤魔化す。
油断すると、会いたい、また話したい、という気持ちが、全身から溢れだしてしまいそうだった。
*
学園から帰ってきて、子供たちとの大人数で賑やかな食事を終え、私はシスター・マリーと後片付けをしていた。
他のシスターが子供たちを庭で遊ばせてくれているらしく、開けっ放しの窓から賑やかな声が流れてきた。
(一度目の世界からループしているのは、というか記憶を持ち越しているのは、みんなの反応を見る限り……多分、私だけ)
考えながら手を動かすのも忘れない。
磨き上げられた食器は積み重なり、魔法灯から放たれるやわらかな光の元で輝いていた。
もしも私以外にもループしている人がいたら、今世の中は大騒ぎになっているだろう。時間を操る魔法だなんて、それこそ今まで人間が誰も使ったことがない、奇跡のようなものなのだから。
私は後ろを振り返り、食堂の片隅に置かれた本棚に視線をやる。
子供に読み聞かせるための絵本がずらりと並んでいる。中でも一際目立つ紅色の本が、例の巫女姫の物語だ。
「教会での暮らしはどうですか?」
マリーが穏やかに問いかけてくる。
今、ここにいるのは私とマリーだけ。
改めて聞かれるということは、二度目という今について問われているのだろうと、すぐにわかった。
「懐かしいです。私、結婚してからほとんど教会に帰ってこなかったから」
孤児の私にとって、マリーを含むシスターたちが親代わりで、一緒に育った子供たちが兄弟だ。みんな血は繋がっていないけれど、心の繋がりは強いし本当の家族だと思っている。
窓の外で、子供たちの歓声が一際大きくなる。
マリーは愛おしげに目を細めた。
「いつでも、帰ってきていいんですよ」
マリーの言葉に、じんわりと胸が温かくなる。
本当の母親のような雰囲気を持つ彼女だから、私はついつい甘えてしまいたくなる。
「あの……あのね」
迷ったのは、一瞬だけ。私の口から素直な言葉が滑り落ちた。
マリーは教会で暮らす私たち全員の母だ、成人間近の私が頼りすぎてはいけないとわかっているのに、言葉が止められない。
「……怖いんです」
彼女は何も言わず、皿洗いの手を止めて、静かな眼差しで私を見る。
一度目の人生で起きた事故で、私はリオネル様が御者をする馬車に轢かれて、瀕死の重傷を負った。
彼の治癒魔法もあり奇跡的に命だけは助かったけれど、長期間の入院を余儀なくされ、後遺症も残ってしまった。もう一生歩けない、そして長くは生きられないとお医者様には言われていた。
その結果が、一度目の死。
私はマリーと向き合った。
もし同じように轢かれたとして、今生でも助かるかはわからない。下手をすれば、その場で死んでしまうだろう。おまけに私だけではなく、一緒にいた子供にも危険が及ぶと思ったら、周囲の温度が一気に冷えるような感覚に襲われた。
「死ぬ……かも、しれないことが」
夫と再会するためには事故に遭わなければならない。そうしたら死ぬかもしれない。それが怖い。
きっと二度目の奇跡は起こらない。
神話の巫女姫だって、どんなに苦しい状況の場面だって、過去に戻ったのはたった一度だけだった。
暗闇ばかりの迷宮で、私は立ち止まっている。
「当たり前です。そんなもの、誰だって躊躇うでしょう」
マリーは深く、ゆっくりと頷いた。
「でも、私が轢かれなければ……あの人とは」
「そうですね」
マリーの手が、冷えきった私の手を、包み込むように取った。
「きっとどちらを選んでも、あなたは深く後悔するのでしょうね」
「……きっと、そうだと思います」
「だから、その時の自分の心に問うしかないのです。どんな選択をしても、私はあなたの味方ですよ」
マリーの言葉は、夜明けの光のようだった。
「……はい。ありがとうございます」
私たちは無言で皿洗いを再開した。不思議と、少しだけ心が軽くなる。
心のどこかでは、わかっていた。――私はきっと、貴方との再会を諦められないって。




