25、幸福の幻想
※今回はブレディ視点になります
鐘塔は教会で一番高い位置にある。俺は、幼なじみ兼妹のような存在の少女を想いながら、朝早くからここに陣取っていた。
この場所に来る人間は少ない。
妹――リアが外を眺めるときは自分の部屋の窓を開ける。シスターたちは定刻に鐘を鳴らすのみで、それ以外の時にはここまで来ない。子供たちも危ないと言われているので登ってこない。
つまり、俺がひとりになりたい時は必然的にここに来ることになる。
遠く、朝靄にかすむ城に視線を向ける。
「リア……」
呟いた大切なひとの名前は、どこにも届かずに虚空に消えた。
最近、リアの様子が変わった。
本人はいつも通りに振る舞っているつもりだろうが、10年近く幼なじみをやっている俺の目は誤魔化せない。
急に強い風が吹いて、手摺りに掴まってやり過ごす。秋の朝は冷え込みが強く、澄んだ風が冷たい冬を運んでくるようだった。
もう二週間ほどになるか、時々リアは思い詰めたように表情を強ばらせるようになった。
こちらから声をかけると作り笑顔で応じてくれるし、子供たちの前では明るく振る舞っていつも通りにしている。
そうやって隠してしまうのが余計に痛々しくて、その理由に触れることを躊躇ってしまう。
(……リアは、俺が教会を出ようとしていることに気付いてる)
リアが「花嫁さんになる時が来たら――ちゃんと、直接お祝いしてくれる?」と言ってきた時、胸がざわついた。
俺は今のところ、教会を出るつもりじゃない。けど、いつか誰にも言わずに、こっそり消える日が来ることはわかっていた。
まだ遠いはずだった『その日』を、リアに言い当てられたみたいで――
「リアには、笑っていて欲しいのに」
溢れた声は、誰にも届かない。
少しずつ、けれど確実に、リアの周りで何かが起こっている。
それに触れることができない自分がもどかしかった。妹を守るのが、兄の役目なのに。
ふと小さな音がして下を見る。屋根裏部屋の天窓が開き、白色の髪をした少女が顔を覗かせたところだった。
(……リア)
彼女はこちらに気付かず、真っ直ぐに城を見つめている。
最近、リアはこうして窓を開けて城を見つめることが増えた。憂いを帯びたその表情は、まるで城にいる誰かに――
「リア! おはよう!」
自分の思考を絶ち切るように声を出す。
リアはびっくりした様子でこちらを振り向き、俺の姿を見つけると軽く笑って、手を振ってくれた。
そんなやり取りに、冷えきった心が温まる。
俺は急いで鐘塔の梯子を降り、リアの部屋の前へ向かった。
リアは部屋の前で俺が来るのを待っていてくれた。俺が来るのを知っていたみたいに。
こういう、些細なことで積み重ねた時を感じられる瞬間が好きだと思う。幼なじみ兼兄妹の距離感が心地いい。
「おはよう。今日はどうしたの? 鐘の時刻でもないのに塔にいるなんて」
「何となく。早起きしたから、適当にふらふらしてた」
俺が笑って答えると、リアは少しだけ眉を下げた。
彼女がどうして城を見ていたのか、聞こうか聞くまいか少し悩んだ。
聞くのは怖い。俺の知らないリアをそこに見つけてしまいそうだから。
でも、リアを知りたい――
「リアこそ、城を見て何してたの?」
衝動のままに聞いて、しまった。
すぐにそれを後悔する。
リアの表情が、一瞬で凍りついた。取り繕おうとしたのか、へたくそな笑顔を浮かべようと口角を上げて、けれど途中で泣きそうな顔をして唇を噛んでいた。
発してしまった言葉は、もう二度と戻らない。
「……別に、何となく見てただけ」
リアの視線が床に落ちた。
俺もそこを見た。床の木目には何の答えも書いていない。
(お互い、嘘ばっかりだ)
子供の頃はそうじゃなかった。
俺は最初から嘘つきだったけど、リアは素直で、俺に隠し事をすることはなかった。いつだって兄気取りの俺を慕って、一番に頼ってくれていた。
だけど、今は?
(考えるな)
自分に言い聞かせる。
そう、考えるべきじゃない。まだ覚悟ができていない。
――この幻想を、終わらせたくない。
深呼吸をひとつして、気持ちを切り替える。
大丈夫。俺は……幸福なのだから。
「リアは今日予定ないって言ってたよね」
努めて明るく声を出す。演技は昔から得意だ。
「え、うん、そうだけど」
向こうは俺の急な変化に戸惑っているようだった。でも、彼女はこちらを見た。
冬空と同じ薄青の瞳は、どこまでも透明で真っ直ぐで、すぐに壊れてしまう硝子のようだと思う。
「じゃあさ、俺に付き合ってくれないかな」
予想外の言葉だったのか、リアは目を瞬かせた。
「だめ?」
「だめじゃない、けど……」
リアの視線が、また床を見た。
だめじゃない、けど。
その先をリアは決して口にしない。言わなくてわかってしまう。兄よりも優先したい誰かがいるのだと、ここ最近のリアの態度が如実に物語っている。
少女から女性へと。リアは変わっていく。
だから俺は笑って言うのだ。
「いつも頑張ってる妹を、兄として甘やかしたいから」
リアは顔を上げた。
驚きと安堵。そんな感情が読み取れた。
「そんなのいいのに。ブレディの方が、勉強がんばってるでしょ? 朝は早いし、夜帰ってくるのも遅いもの」
「最近何か思い悩んでるリアを元気づけたいなーって思う兄心もわかって欲しいんだけどな?」
「……わかる?」
伺うようにリアが聞く。
「残念ながらわかっちゃうんだなー。お兄ちゃんだから」
おどけて言うと、笑ってくれた。リアはとびきりの美少女って訳じゃないけど、彼女には笑顔がよく似合うと思う。
「わかった。じゃあ、出掛けよっか。どこにいく?」
なんて聞いてくるリアを見て、俺も少しだけ心が踊った。
兄と妹という幻想の関係が、ずっとずっと続けばいい――
*
秋晴れの空の下、俺とリアは並んで歩く。
王都は今日も人も物も多くが行き交い、せわしなくて騒がしい。賑やかで活気があるといえば聞こえはいいが、どちらかというと雑然としていると表現した方が正しいだろう。
隣のリアをちらりと見ると、明るい顔であちこちに目を向けていた。朝の陰りの名残がなくてほっとする。
俺はこの街が好きだった。
リアと出会う前にいた場所よりも、ずっと。
王太女イルゼ・ミラ・エヴァレットがこの街を更に活性化させるために道路や水道の整備、市場面積の拡張、魔法学園をより平民に普及させるための後見人制度などの政策を打ち出している。
貴族よりも平民に目を向ける方針に、一部の貴族たちは反発を示しているらしいが、俺はイルゼの考え方の方が好ましいと思う。
街や国を作るのは貴族ではなく、平民なのだから。
名ばかりで無能な第一王子ブラッドリーが失脚し、イルゼが世継ぎに立ったこの国は、きっとこれからも発展を続けていくだろう。
俺たちは気ままな散策を楽しんでいた。
ウインドウショッピングをして回ったり、たまたま出くわした大道芸を見物したり。
お昼は、噴水広場にあるパン屋でサンドイッチを買って食べる。
リアはこの店の卵サンドが子供の頃から好きで、俺は幸せそうに食べる彼女の姿を見るのが好きだった。
だから、この店で昼食にするのは俺たちが出かける時の定番コースだ。
最近流行りだという庭園を散歩していたら、周囲が自分たちの世界に没入しているカップルばかりで、大変気まずい思いをした。
「デートに人気の場所だったんだね……」
「だなあ……」
リアの手を引いて、そこから直ちに逃げ出す。
丁寧に手入れされた花と水路が綺麗だったような気がするが、正直それどころじゃなくてあまり記憶にない。
他の人から見た俺たちは、家族に見えるだろうか。それとも違う『何か』に見えるのだろうか。
「なんか疲れちゃったね」
彼女の声で思考の海から引き上げられる。もう太陽は西に大きく傾いている。
リアと過ごす1日はとても早く過ぎていく。
「帰ろうか」
リアの手を離して、ふたりで並んで歩く。
ふふ、と小さく笑う吐息が聞こえて、すぐ隣を見下ろした。
「ブレディに手を引いてもらうなんて、初めてかも」
「そうだったか?」
「そうだよー。昔は私が手を引いてたもの」
「何年前の話だよそれ……」
リアがくすくす笑っている。
10年くらい前。俺が教会に引き取られ、リアと初めて会った頃の話だろう。
正直、昔の話は恥ずかしいから、即刻記憶から消して欲しいところだ。
子供の頃の俺は、人々の普通の暮らしというものがわかっていなかった。教会なんて助け合わなければ暮らしていけないのに、俺ときたら皿の洗い方ひとつ知らなかったのだ。
そんな、周囲と馴染めずにいた俺に、リアだけがあれこれ世話を焼いて、教えてくれた。
家事の仕方、買い物の仕方、友達の作り方。全部。
昔の俺たちは姉と弟のようだったが、リアは不器用な上に2つも年下だから、いつの間にか俺の方ができることが増えていた。
そんな俺を見て、頬を膨らませているリアはとびきり可愛かった。リアのそんな顔を見たくて、ますます生活力を磨いていった。
(懐かしいな)
心のなかで呟く。
ふと、高台へ向かう階段を見つけた。昔々、まだこの王都が小さな街だった頃に使われていた街壁の名残で、今は遊歩道として使われている場所だ。
子供の頃、リアと時々遊びにきていたのを思い出す。
思わず足を止めてじっと見つめていたら、リアが先に階段へ向かって歩いて行ってしまった。
リアを追いかける形で階段を登る。
「ここってこんなに、段数あったっけ」
一番上に到着する頃には、リアの足取りはかなり重くなっていた。肩で荒く息をしている。普段あまり運動をしないのに、体力配分は考えない。そんな所が、子供の頃から少しも変わらない。
遊歩道はいつも人がいなくて、しんと静まり帰っていた。街の喧騒からも離れているから、どこか非現実的な雰囲気がある。
「ここに来るの、久しぶりだね」
リアは高台の上、昔は見張り塔として使われていた建物の壁にそっと触れた。塔の横にある入り口は、錆びた鎖でがっちりと封鎖されている。
昔、リアと鎖を潜って中に侵入して、この塔のてっぺんまで登ったことがあった――そんな記憶を今、思い出した。
俺が、王城の一番奥深く、王族が暮らす宮殿を見てみたいと言ったから。高いところからなら見られるかも、とリアは俺の手を引いて、ここに連れてきてくれたのだ。立ち入り禁止なのに。
「リアは背伸びばっかりだったなー」
からかいを交えてそう言えば、予想通りリアがむっとした顔をした。この子は本当に、昔と少しも変わっていない。
今思えば子供の頃のリアは物知らずな新入りに対して、お姉さんぶりたかったんじゃないかと思う。
周囲からすれば子供同士が戯れる微笑ましい光景に見えただろうが、当時の俺にとっては彼女こそが救世主に見えた。
それからだ。俺にとってリアが特別な存在になったのは。
パラペットの凸部分に手を乗せた。子供の頃はよくここに座って王城を眺めたものだ。
同じように、今の俺も城に視線を向ける。夕暮れの城は白い壁が赤く萌えるようで、とても美しい。
リアもそばに来て、一緒に城を眺めていた。
この10年、俺の隣には、いつも彼女がいる。
優しくて、困っている相手を放っておけない人。
俺が守ってあげなければ、壊れてしまいそうな人。
「リア」
名前を呼ぶ。
「なに?」
改まった雰囲気に、ほんの少しだけ彼女の顔に緊張が滲む。
「子供の時、始めて料理を作ってくれたこと覚えてる? あの時の料理は最高の出来映えだったよ」
だから俺は、にやっとしながら言ってやった。
今思い出しても笑ってしまう。
お料理はこうやってするんだよ! とドヤ顔をしていたのに、あの時のリアは盛大に焦がした料理を作り上げたのだ。
しょぼくれるリアを見て、俺は教会に来て初めて笑った。炭の味の料理は美味しくなかったけど、忘れられない一品になった。
「む。ブレディ、今日は意地悪だよね」
10年近く前の大失態を思い出したのか、リアが唇を尖らせている。
それが可愛くて、思わず頭を撫でた。
「……!」
リアはぱっと身を引いて、俺の手から逃れる。
また、失敗した。
咄嗟にそう思った。
朝といい今といい、何をやっているのだろう。
あ、ごめん、と軽く言えれば良かった。
思いと裏腹に、開いた口から吐き出されるのは自分の呼気だけ。
たった一言がいえない間に、時間はとめどなく流れる。そうこうしている間に、余計に言い出しにくくなってしまう。
薄青の瞳でリアはこちらを凝視して、怒るでも照れるでもなく、そのまま悲しげにうつむいてしまった。
せめて、何か言ってくれればいいのに。
リアはもう口を開かなかった。だから俺も声をかけられなくて、結局、教会に帰りつくまでどちらも何も喋らなかった。
遠ざかっているのは俺か、リアか。
沈黙は重苦しくて、帰り道は永遠のように長く感じた。
リアは硝子の体にヒビが入っても、砕けるまで止まれずに進んでいくのだろう。
その隣に、俺の――兄としての居場所は、どこにもない予感がした。




