24、夢のような、泡沫の
その後――
夕方の鐘と共にすべての店が閉まり、大人数が踊れるように出店が撤去された。ランドール商会も、お化粧直しに一度戻ってきたロレッタと共に、テーブルを撤去してスペースを作る。
王宮魔法使いたちが各所に魔法の拡声器を設置し、楽団の音楽を王都中に届ける準備をしている。
そうこうしているうちに日が沈み、漆黒の空に星が瞬き始めた。
「ロレッタ、お待たせ」
ランドール商会の店の前にいた私たちに声をかけてきたのは、ブレディだった。その右手はルパートの襟首をがっつり掴んでいる。
「逃げそうだったから捕獲しておいた」
「に、にげねーよっ!」
ルパートは昼間と服装が変わっていた。普段はラフな格好ばかりなのに、きちんとしたコートを着ている……!
「かっこいいね」
さらっと褒めた私に対して、隣の友人はなにやらもじもじとしている。
「え、あ……ま、馬子にも衣装ってやつ? ルパートにしてはいいじゃん……」
その態度でかっこいいと思っていると丸分かりなのに、本当に口は素直じゃない。
「それはこっちの台詞だし……」
ルパートがごにょごにょと呟いた。
ロレッタも化粧を直し、私服の可愛らしいワンピースに着替えている。彼はそれをちらちら見ては、視線を逸らすことを繰り返している。
放置したら一生ダンスに行かない気がしてきた。ブレディがルパートを捕まえてきた理由がよくわかる。
「はい、いってらっしゃい」
私はロレッタの背に手を添えて、ルパートの方へと押しやった。
「い、いくか」
「うん……」
付き合いたての恋人同士みたいなぎこちなさで、ふたりはようやく広場の方へと歩いていった。……といっても、私には恋人というものがよくわからないから、想像なんだけど。
「リアも誰かと約束してるんでしょ? 相手に迷惑かけないようにね」
「む。わかってるよ」
私が唇をとがらせて言うと、ブレディはにやっと笑って見せた。彼は誰とも踊る気がないし、約束もしていないのか、さっと踵を返す。
「……ブレディ」
その背中を、つい呼び止めてしまった。ブレディが不思議そうに、こちらを振り向く。その様子は、いつもと同じ。あの帰り道の雰囲気はどこにもない。
「またね」
私は微笑んで挨拶をした。
ブレディが聞かれたくないことは、無理に聞き出さない。でも、私が側にいると伝えたかった。
「うん、またね」
ブレディはいつも通りに手を振ってくれた。いつか来る別れはきっと、今日じゃない。
彼を見送ってから、私も誘った相手を探して広場へと向かう。リオネル様はランドール商会から最寄りの広場の端で、拡声器の調整をしていた。
「……ティンバー様」
声をかけると、その人はすぐに振り向いてくれた。黒い瞳に射抜かれて、胸が高鳴る。
「私と、踊っていただけますか……?」
今度こそ、ちゃんと言えた。私を見下ろして、リオネル様の雰囲気がふっと和らぐ。
「ああ。……手を」
おずおずと差し出すと、恭しく手を取られた。固い掌から温もりが伝わってきて、鼓動が高く跳ねる。
エスコートされるまま、私は広場の真ん中に進み出る。ちょうどその時、拡声器からワルツが流れだした。周囲のペアが1組、また1組と動き始める。
「もう少し、傍に」
リオネル様がかすれた声で囁き、彼の右腕が背に添えられた。そのまま抱き寄せられ、一步分の距離がまた埋まる。
ふわりと漂う爽やかな香りに、思考がどこかに吹き飛びそうになる。
(ち、近い……)
冗談ではなく、呼吸が止まるかと思った。だってこんなの、親密な男女の距離感だ。いや、ダンスを踊るということはそういうことなんだけど、心の準備がちっともできていなかった。
距離が近すぎて顔が上げられない。心臓の高鳴りが伝わってしまわないか不安になる。
(これはロレッタ……そう、練習と一緒。ロレッタと踊ってるの……)
自己暗示という名前の魔法をかけながら、私は空いている手を相手の腕に添える。
「いくぞ」
低い声が落ちてきて、私たちはゆっくりと静かに動き出す。
添えられた手の力強さに、自然と肩の力が抜ける。この上ないくらいドキドキしているのに、安心して身を預けることができていた。
踊り始めたらますます顔が上げられなくなって、爪先ばかりを見つめてしまう。
「足は踏んでも構わない。だから下は見なくていい」
(そうじゃない……!!)
心の中で悲鳴を上げた。
爪先から視線を引き剥がし、勇気を振り絞って顔を上げる。
至近距離にあるリオネル様の顔は、にこりともしていないのに、普段よりも表情が柔らかい。
その頬に、ほんの少しだけ朱が差しているのを見つけてしまう。
「ティンバー様も、緊張してるんですか」
そんな言葉が、ぽろりと出た。リオネル様の目が少し泳いで、また私を見た。
「私だって緊張する時はある」
言葉が拗ねた子供のように聞こえてしまって、私は思わず微笑んだ。
今この瞬間、世界には私とリオネル様しかいないように感じられる。そんな錯覚をするくらい、彼から目が離せない――
滑らかなターンで、私のスカートの裾がふわりと広がる。
「どうして私を誘った?」
意外な質問に、私は目を瞬かせた。あからさまに赤くなったりドキドキしたりする私の気持ちなんて、とっくにお見通しだろうと思っていた。
ふたりでリズムに合わせて円を描く。
「……あなたが、素敵な人だと思ったから」
浮かれたお祭りの空気に当てられるように、素直な言葉が口をついた。ほんの少しだけ、私の背を抱く腕に力が籠った気がする。
リオネル様は私の答えに対して何も言わない。流れるようにステップを踏み、導いてくれる。
もしかして、王宮魔法使いや王太女殿下の臣下といった肩書きに惹かれたと思われてしまっただろうか。彼は、私たちが出会ったばかりだと思っているから。なくなってしまった時間を想い、寂しさが胸を過る。
「仕事に真剣に向き合っていて、冷たく見えるけど本当は誰よりも優しくて誠実で」
貴方の好きなところを、私はすらすらと口にできる。
「そういう人を素敵だと思うのは、普通だと思います」
「今日のあれは、当たり前のことをしただけだ」
リオネル様は真剣な眼差しを私に向けている。そこには照れも謙遜もない。
(当たり前って言いきれるところが、一番素敵なんだけど)
そう心の中だけで呟いた時、ワルツの曲が終わる。リオネル様は足を止めた。
周囲の人たちの中にはペアを解消し、次の相手を探している人もいる。
「お相手、ありがとうございました」
私は頭を下げ、離れようとした。けれど彼は私を離さない。
「ティンバー様?」
「一曲でいいのか?」
そう問われて、私は考えるよりも先に首を横に振っていた。
「貴方に迷惑でないのなら、踊りたい……です」
口にしてから、ひどく恥ずかしいことを言っていることに気付いた。でも、もう取り消せない。
「――なら、このままで」
耳元で囁かれ、本当に心臓が止まってしまうかと思った。目の前の人も、この時間を少しでも良いと感じてくれているのかもしれない――そんな自分に都合のいい想像で、胸がいっぱいになる。
2曲目が始まる。
最初よりも少し余裕が出てきたのか、踊りながら周囲の様子を見ることができるようになっていた。
近くでロレッタとルパートが、遠くの方でイルゼ様が誰かと踊っているのが見える。
「みんな、楽しそうですね」
「ああ」
小声で会話しながら、私はリオネル様の腕の中でくるりと回る。
「今回だけだ」
言葉の意味をすぐに飲み込めず、私はリオネル様を見つめた。
「祭りだから誘いを受けた。……これ以上は望まないでくれ。君を困らせるだけだ」
距離を取る言葉を口にしながら、困ったように少しだけ眉を下げているのはリオネル様の方だった。
ワルツの曲が、遠くに聞こえる。
やんわりと、線を引かれた気がした。
「……はい」
わかっている。
「今日はありがとうございます」
私はただ微笑む。笑顔の裏側に、抑えきれない感情を秘めて。
(今日だけは、特別)
一度目の人生では叶わなかったことを、叶えてもらっている。それだけで十分すぎるくらい嬉しくて、満たされている。
夢のような泡沫のひとときを、私は精一杯踊ってみせた。




