22、こうして過ごすのは、悪くない
「ふふ。驚きましたか?」
イルゼ様は悪戯が成功した子供みたいに笑っている。一方で、後ろに立っている魔法使い様は仏頂面。温度差があまりにも大きい。
「お忍びで遊びにきたのです。お会いできて嬉しいですわ、アメリアさん」
イルゼ様はマントをひらりと広げ、ウインクしてみせた。
リオネル様はいつもの制服だと目立ちすぎるからか、今日は私服だった。白いシャツに紺のベストを身に付け、装飾は最低限のボタンのみ。きっちり着こなしているのが彼らしい。
リオネル様の隣には、帯剣している若い男性がいた。イルゼ様の護衛の騎士だろうか。やや着崩しているのが、リオネル様と対照的で印象に残った。
護衛らしき彼は私と目が合うと、にこにこしながら手を振ってくれた。騎士にしては腰が低い。といっても彼が騎士だとすれば手を振り返すなんてとんでもない話なので、頭を下げるに留めておいた。
「アメリアさんはどうしてこちらに?」
「ええと、友人の店を手伝っているんです」
イルゼ様にテーブルが見えるように、立ち位置をずらす。
「まあ、そうでしたか。お疲れ様です。わたくしも売り上げに貢献しますわね」
イルゼ様はそう言って、騎士を伴ってテーブルの周囲を歩き回り、その中のひとつを手に取った。店員がイルゼ様に近寄り、商品の説明をしている。
騎士も交えてきゃっきゃと笑い合う姿に、微笑ましい気持ちになる。多忙を極める王女様が、少しでも楽しめていればいいと思った。
リオネル様は私の前で立ち止まったまま。温度のない瞳が、じっと私を見下ろしている。
(……よし!)
話しかけるチャンスかもしれない。そう思って、お腹に力を込める。
「警護、お疲れ様です。リオネル様のお陰で、あの方も楽しんでいらっしゃるみたいですね」
前回みたいに失敗しないよう、当たり障りない話題を選んでみる。リオネル様はちらっとイルゼ様たちに目を向けてから、また私に視線を戻した。
「ああ」
「リオネル様もおひとついかがですか? 商品、色々あるんですよ」
「……見せてもらおう」
私は店員らしく、彼を商品が並んだテーブルへと連れていく。よくよく考えたらド素人の私が王宮魔法使い相手に営業するのも変な話だけど……リオネル様は何も言わずに商品を眺めていた。
「魔法の道具って、便利で面白いですよね」
「そうだな。よくこれだけの物を考えつくなと感心させられる」
言葉は素っ気ないけれど、その声色は柔らかい。ちゃんと話せていることが嬉しくて、私は笑顔を浮かべる。
リオネル様は私を見て、何か言いたげに口を開けて、すぐに閉じた。口下手な彼が言葉を選ぶ時、こういう仕草をすることを私はよく知っていた。
だから、ただ黙って彼の言葉を待つ。
「……なぜ、笑う?」
長考の末、出てきた言葉がそれだった。リオネル様は真顔だ。改めてそう問われると、急に恥ずかしさが込み上げてくる。
笑顔の理由なんて、そんなの――ひとつしかない。
(貴方と会えたから)
言えない気持ちを隠して、私は微笑む。
「お店番が楽しいから、でしょうか」
嘘ではない。
リオネル様は表情を変えず、私を見つめている。探るような視線が、私の本心を見透かすようで、とても居心地が悪い……。
「……君にも、一緒に出掛けたい相手がいるのではないか?」
ややあって、そう問われた。息が止まるかと思った。教会で、好きな相手がいると言ったのを覚えていたのだろうか。
「それは……いますけど、でもダメなんです」
私は曖昧に笑った。ロレッタとの約束を忘れたわけではないけれど、さすがに王女殿下を護衛している魔法使いを誘うほど、世間知らずではない。
「忙しい人ですから、邪魔したくないんです」
付け足した一言が、秋の空に溶ける。
「……そうか」
それきり彼は黙ってしまった。私も何を言っていいのかわからなくて、口を閉ざす。
街の喧騒の中で、私たちだけ時が止まったみたいに静かだった。でも、私たちの間に流れる空気は二度目で再会してから一番穏やかで。
(こんな風にこれからも過ごせたらいいなぁ……)
私はそんな風に思っていた。
止まった時間を先に破ったのは、リオネル様だった。
「イルゼ様が消えた」
ぽつりと呟いて、ため息をつく。
「え?」
ぱっと振り向くと、確かにランドール商会の敷地内には姿がない。
店舗内を確認に行ってみたけど、そこにもいない。会計役の店員に訊ねたら、「もう商品を購入してどこかに行かれましたよ」と言われてしまった。
「ごめんなさい! 私がしゃべってたから……」
私は勢いよく頭を下げた。
「まだそう遠くへは行っていないはずですから、探しましょう!」
「いや、その必要はない。それに、君のせいではない」
ひとり焦る私に、落ち着いた声が落ちてくる。私は恐る恐る顔を上げた。
「あの方はずっと私を撒く機会を伺っていた。君を口実に使っただけだ。騎士は連れていったようだし、問題ない」
リオネル様の言い方は事務的で淡々としている。護衛はもう一人いるとはいえ、急に主がいなくなったらもっと焦ってもおかしくないのに。
(……? もしかして)
私はリオネル様を見上げる。
彼は主がいなくなったのに、平然と広場を眺めている。その顔は、いつもよりどこか優しげに感じられた。
(あえて見逃した……とか?)
さすがに面と向かってそんなことは言えない。私の推測だけれど、リオネル様はイルゼ様に収穫祭を楽しんで欲しくて、こういう手段を取ったのではないか。そう思った。
「満足したら戻られるだろう。それまでここで待たせてもらう」
そう宣言して、リオネル様はすぐ近くのベンチに腰かけた。私が立っている場所の、目と鼻の先に。
彼の口振りからすると、しばらくそこにいるつもりのようだ。急に息が苦しくなる。
(ど、どうしよう……)
側にいられて浮ついているのか、緊張しているのか、それすらよくわからなくなってきた。その存在がちらついて、まともに接客できるか不安だ。
などと思っていたけど、幸か不幸かいつの間にか広場を行き交う人がかなり少なくなっていた。必然的に、足を止めるお客さんも減る。
「王城前で歌劇が始まるからだろう」
戸惑っていたら、リオネル様がそんな情報を教えてくれた。
「みんなそっちを見に行くんですね」
私は北側に向かう通りの方を眺めた。ここからでは直接王城を見ることはできないけど、人々が吸い込まれるように北へ向かっているのが見える。
教会のみんなは歌劇を見に行く予定ではないのか、まだ広場に留まっていた。
「アメリア様ー!」
店員さんが背後で私を呼んだ。
「人も少ないですし、今のうちに休憩しちゃいましょう」
「わかりました」
店員さんは店舗の中に引っ込んでいった。
(……どうしよう)
私もそっちで一緒に休むという手もあったけど、ここを離れがたいなとも思う気持ちもある。
ちらりとリオネル様を見たら、目が合った。
また、昨夜のロレッタとの会話を思い出す。
(自分から、誘う!)
私はぎゅっと拳を握って覚悟を決める。イルゼ様がいないから、リオネル様は仕事中ではない。つまり、誘うチャンスは今しかない。
「と、隣、いいですか?」
崖から飛び降りる気持ちで聞いてみる。リオネル様は何も言わずに、黙って頷いてくれた。
人ひとり分のスペースを空けて、背筋を伸ばして浅く腰かける。体の力を抜く方法を忘れてしまったみたいに、全身が強張っていた。
リオネル様はほんの一瞬だけこちらを見た。その瞳はどこか切なげなようにも見えて、けれどちゃんと確かめる前に逸らされてしまう。
リオネル様は腕を組んで、遠くを見るような眼差しを広場へと向けた。
最初は警備をしている部下たちを見ているのかなと思ったけれど、よくよく観察するとまばらに行き交う人々を眺めているのがわかった。
真剣な表情に、声をかけるのを躊躇ってしまう。だから私も、黙って人々を眺めた。
色々な人がいた。走り回る子供、幸せそうに手を繋ぐ若い恋人たち、寄り添って歩く老夫婦、大きな荷物の旅人――本当に、たくさんの人がこの国には暮らしているのだと、私は改めて感じる。
イルゼ様が彼らを背負う責任は、きっとそのままイルゼ様を守るリオネル様の責任でもある。
どんな思いでイルゼ様を守っているのか――なんて、今のリオネル様の顔を見ればすぐにわかる。
「こうして過ごすのは、悪くない」
ぽつりと声が落ちた。顔を向けると、リオネル様は私を見つめていた。
リオネル様にとって、私は守るべき多くの中の一人。ほんの少しだけ他の人よりも接点があった、ただの少女。
そうわかっているのに、視線に何かの『特別』を感じてしまうのは、私の願望が見せる幻想なんだろうか。
勘違いして傷付きたくはないのに、何かを期待してしまう――
「私も、そう思います」
心の赴くままに、そんなことを口にしていた。
『特別』の幻想に浮かされるように、私は。
「ティンバー様。今夜、私と――」
踊ってくれませんか。
言葉の続きが生まれ落ちる前に、広場に突風が吹き荒れ、続いてバキッという不気味な音が響き渡った。




