12、望むものは、二度目の
「では早速、質問ですわ! よろしいかしら?」
「えっ!? はい!」
イルゼ様の恋について聞くのかと思いきや、まさかの発言が飛んできて、私は目を白黒させた。
(話を聞いて欲しかったんじゃないの!?)
子供のように目を輝かせるイルゼ様が眩しくて直視できない。美人で可憐なのは反則だと思う。
「アメリアさんは、好きな殿方はいらっしゃいますか?」
姫君は、いきなり直球勝負に出てきた。
言われた瞬間に、咄嗟にリオネル様を見なかったのは奇跡だと思う。
視線はイルゼ様に固定しているけど、彼の存在感が一気に強まり、そわそわと落ち着かなくなってしまう。
「えっと、それは……その……」
言葉は尻すぼみになって消え、私はテーブルに視線を落とした。顔を上げられない。もし上げたら、きっと想い人を見つめてしまう。
イルゼ様もリオネル様も先ほど会ったばかりの人なのだ、彼女に「あなたの後ろにいる人が好きです」なんて言えるはずもない。
「リオネル、見ましたか? これが恋する乙女の顔です。なんて可愛らしいのでしょう」
イルゼ様は弾んだ声でリオネル様に話しかけている。
お願いだから実況するのはやめて欲しい。顔がますます上げにくい……。
話を振られたリオネル様も返事をしにくかったのか、無言を貫いていた。
「どなたか伺ってもよろしいかしら? 恋物語だと、お相手は幼なじみが王道ですよね?」
イルゼ様の声は弾んでいる。
幼なじみといえばブレディだ。けど、恋愛対象だと思ったことは一度もない。
「幼なじみはいますけど、家族のようなものですから」
好きな人についてはあまり語れないので、これ幸いと幼なじみの話題に飛び付く。
「ふふ。物語ではね、そういう恋愛対象だと思っていなかった相手に対して突然恋に落ちるものなのです」
「……そう、かもしれないですね」
同意して、曖昧に笑う。
私がイルゼ様のお言葉で思い出したのはブレディではなく、一度目のリオネル様との出会いだ。出会った時は、まさか彼の妻になるなんて、想像もしていなかったから。
「では、好きな殿方のどんな所に惹かれるか聞いてもよろしいですか?」
やっぱり、王女様は自分の話ではなく、私に話させようとしてくる。
「えっと……優しくて、頼りになって、誠実で……」
本人を目の前に好きなところを挙げていくのは羞恥プレイにも程があるのだけど、当然イルゼ様に他意はない。
恥ずかしさと緊張で頭が真っ白になり、当たり障りのないことしか出てこない。
一度目のリオネル様を思い出す。
王太女付き魔法使いとして、いつも朝早くから夜遅くまで仕事漬けの人間だった。何なら休日も家で魔道書を読みふけり、新しい魔法の発明に余念がなかった人だ。
そんなリオネル様に、お茶を淹れることが好きだった。お茶を配膳する時、魔道書に視線を落とすその真剣な表情を盗み見て、私は至福の時を過ごしていたのだ――
「いつもお仕事に一生懸命で、真面目で、お茶の淹れ甲斐があって……」
うんうん、とイルゼ様が相槌を打っている。
お茶の淹れ甲斐ってなんだ。だんだん自分が何を言っているのかわからなくなってくる。
それより、いつまで言えばいいんだろう……。
「一緒に過ごすと安らげて、優しいだけじゃなくて背中を押して進ませてくれる人、です」
このままだと相手を含めたすべてをバラしてしまいそうだったので、理性をフル動員させて会話を終わらせる。
「素敵です。朴念仁のリオネルとは全然違うタイプなんですね」
(その人ですよ!!!)
心の中だけで突っ込む。
確かにリオネル様は無愛想だけど、ちゃんと言葉の奥には優しさがあると、声高に主張させて頂きたい。
「そんな人が身近にいたら、きっととても幸福に過ごせるのでしょうね」
「……はい。とても幸せでした」
だからこそ、過去形がつらいのだけれど。
「あら。その方はアメリアさんの近くに今はいないのですね」
イルゼ様はなかなか耳ざといなと思う。相手を察されないように、注意しなくては。
「はい。……寂しいです」
隠した本音が、唇からこぼれ落ちる。
不思議だった。
朝から晩まで家を空けて、休日もずっと仕事をしているような人なのに、結婚している間はあまり寂しいと感じなかった。なのに、繋がりを絶たれた今はとても寂しいと感じる。
会いたいし、側にいたい。
あの人はそういう立場の人だから仕方ないと、前の私は無意識に自分を納得させていたのかもしれない。
寂しいなんてわがまま、言ってはいけないと。
押し殺していた自分の一面に、二度目の人生になってから気が付いた。
「その方とまたお会いできるといいですね」
「……はい」
本当は、お会いするだけじゃ足りない。
そう叫ぶ自分を、一度目の時のように静かに抑え込む。
「私も応援しておりますから」
イルゼ様の声色には、温かさが宿っている。
彼女はきっと本気でそう言ってくれるのだろうと思って、心が軽くなった。
「ありがとう、ございます」
「こちらこそ、ありがとうございます。良いお話が聞けました」
「こんなお話で良かったでしょうか?」
「ええ。とても有意義でしたわ」
顔を上げると、イルゼ様が満足そうに微笑んでいるのが見えた。
ガールズトークについていけなかったのか、リオネル様の眉間の皺は普段の5割増しくらいになっている。
「次回以降はこちらからお城にお招きしますね。招待状を出しますから」
「いいのですか?」
前の世界でも、平民である私がお城に行ったことはなかった。遠くから見つめるだけだったお城にいけるなんて、嬉しさ半分、不安半分といったところだ。
「ここだと、ゆっくりお茶もできませんから」
イルゼ様の声のトーンが下がる。
食堂に案内した時、さすがに何もないよりはマシだろうとお茶を淹れようとしたのだけれど、イルゼ様に不要だと言われてしまったのだ。
――毒味役を連れてきていないからと。
(あの噂は、本当なのかな)
今でこそ王太女としての地位を持つイルゼ様だけど、幼少期は母違いの兄王子と熾烈な後継者争いを繰り広げていたらしい。彼女と兄がというよりは、周囲の貴族の派閥が。
その争いに終止符を打ったのが、側室である王子の実母だった。
10年ほど前、彼女がお茶に毒を混入させ、イルゼ様を暗殺しようとしたのだという。その結果、側室は処刑され、王子は幽閉されることになった。
王族のみ一夫多妻が認められているこの国だからこそ起きた事件だと、城下ではまことしやかに噂されていた。
「ね、構わないでしょう。ね?」
無邪気な笑顔でリオネル様に迫るイルゼ様からは、想像もできない過去だ。
お一人で出歩くような王太女殿下が毒を警戒しているのは、噂が事実だからなのかもしれない。
リオネル様は今日の中で一番、大きく息を吐いた。
「どうせ、反対しても聞き入れるつもりはないでしょう」
「よくわかっていますね、さすがですわ」
「ただし、条件があります。二人きりにならないことと、用が終わったら速やかに帰らせること」
彼が出した条件は、案外緩いものだった。
「もちろんです。アメリアさんも、それでよろしいですか?」
「はい。ありがとうございます」
ドキドキしながら、私は頷いた。
「では、わたくしたちはこれで失礼しますね。次回はわたくしの話を聞いて下さい」
イルゼ様が優美な動作で立ち上がる。
私も見送りのために立ち上がろうとしたが、リオネル様に制された。
「貴女と話がある。……殿下、構いませんね?」
イルゼ様が臣下を見る。またふたりの間に見えない火花が散った気がした。
「あら。わたくしのお友達係を苛めたら承知しませんから」
イルゼ様はリオネル様を軽く睨むと、さっと食堂を出ていってしまう。
扉が無情にも閉まった。
イルゼ様の足音が聞こえなくなった後、彼は先ほどまで主君が座っていた席についた。対イルゼ様とは目線の高さが大きく違い、私は彼を軽く見上げる形になる。
二人きりになると空気がずんと重くなった。
さっきはイルゼ様に『安らげる』なんて言ってしまったが、この空気は安らぎとは程遠い。
これが私と、一度目の世界の夫との今の距離。改めて現実を突きつけられたようで、急に息が苦しくなった。
「殿下は気に入った者を貴賤の区別なく登用される」
知っている。
臣下であるリオネル様もまた、平民なのだから。ティンバー家は古くから続く魔道の大家で有名だけど、爵位はない。
「だが、勘違いはするな。身分が違うということを忘れるな」
「はい」
素っ気なく、冷たい言葉に目を逸らしたくなる。
でも、心を奮い立たせて向き合い続けた。
(せっかくまた会えたのだから……逃げたくない)
変な意地を張って、私は前を向く。
「イルゼ様から賜った役割が終わったら速やかに身を引き、以降関わりを持とうなどとは思うな」
「……っ、はい」
遠回しな拒絶に、平静を装った声でそう返すのが精一杯だった。
一度目のことなど何も覚えていないであろう彼に、どんな態度で接すればいいかわからない。もっと話をしたいのに。もっと側にいたいのに。
張りつめた心が、いたくて苦しい。
苦しいのに、貴方を想うのをやめられない。
あんなにも会いたかったのに、どうして出会う前よりも苦しいのだろう。
「殿下のことを、頼む」
その声は、掠れている。
リオネル様は私を一瞬だけじっと見つめて、それから風のように素早く去っていった。
引き留める言葉は、見つからなかった。
ドアが閉じて、ひとり残された私はふう、とテーブルに突っ伏した。胸が激しく鼓動を打ち鳴らしている。
(一度目のリオネル様は)
思い浮かべるのは、あの病室。
忙しい日々を縫って会いに来てくれた貴方と、飾られた野花。
それから、病床に伏す私の頭を撫でてくれた、優しい手。
もう取り戻せない過去が、とても恋しい。
(どうして、私に優しかったの……)
馬車の事故という負い目があったから、優しかったのだろうか。治らない体を抱えた少女に同情して、結婚したのだろうか。
潤む瞳をぎゅっと閉じて、感情がこぼれ落ちないようにする。
愛する人を追いかけているときに、泣きたくない。
泣いたら多分、もう歩けなくなってしまう。
リオネル様が去っていった扉の向こうを想う。
一度目の私の幸せは、責任感の強い人を縛りつけていただけだったのかもしれない。あの人はそれで責任を取ったつもりだったのかもしれない。
そんなことない、と言いたいのに、それを否定する根拠がない。
二度目の人生が始まってからずっと、リオネル様に会いたいと思っていた。でも、会ったところで問題は解決していない。私たちの距離は、ひどく遠い。
唇を噛み締める。口の中はほんの少し、鉄の味がした。
会えばなんとかなるなんて、とんだ思い上がりだった。
(身の程くらい、わかってる、のに)
苦しいほど、傍にいたい。貴方に向かって歩き続けていたい。
――なによりも、二度目の幸せが欲しかったから。
いつも誤字報告ありがとうございます。
より一層、気を付けます。




