第8話事件は唐突に襲い掛かる。②
――バタバタッ!!
本棚の一番上に手をかけた時、頭の上にぶあつーい本がいくつもなだれ落ちてきて、リテネロエは子猫みたいに小さくなった。
「……いったーぃ」
頭を撫でると、ちょっとたんこぶができているのがわかって、痛いのと同時に恥ずかしくなる。
焦っているからといって、本を拾うという仕事を増やしてどうする。今はとにかく最悪の事態になった時の対策をしなければいけないのに……
「――何遊んでるんです?」
聞きなじみのある声に、床に座り込んだままバッと振り返ると、そこには待ちわびていたルクシンドが蔑むような目でリテネロエを見下ろしていた。
「あ! やっと帰ってきた! おっそい!!」
「――遅い? 一体誰のせいでこんな朝から買い出しに行くことになったと思ってるんです? 数日前に馬鹿みたいにお酒を飲んで仕事を執事に押し付けたどこぞの大きな赤ちゃんのせいじゃないんですかね。あれ? 違いましたっけ」
手に持った重そうな袋を見せつけながら、おでこに血管がピキピキと浮き上がってくるのがはっきりと見えた。
――そうでした。今日ルクシンドがいなかったのはこの前酒場で潰れて仕事ができなかった日のツケで日用品を買いに行っているからでした。焦ってすっかり頭からすっぽ抜けてました。
「ご、ごめん! ごめんって! ちょっとバタバタしてたから口が滑ったの」
「別に良いですけどね。俺がいなくなって困るのは俺じゃなくてリーティだと思うので。それで、何してるんですか?」
「あっ! そうなの、大変でやばいの!」
「――? 何がやばいんです?」
「食料庫が荒らされて中のものが全部ぐっちゃぐちゃなの! さっき見にも行ったんだけど、多分食べれるのは一割残ってるかどうか……」
「はい!? 早くそれ言えよっ!!」
珍しく乱暴な口調で怒鳴り、ルクシンドは目を真ん丸にする。
抱えていた荷物を床に落とすのは何とか堪えたが、かっちりと整えてある髪を右手でぐしゃぐしゃにして、焦りを表していた。
「もっと詳しく!」
「はいっ!」
まるで先生みたいな鋭い口調に、リテネロエはビシッと背筋を正して、何が起きたのかを一から丁寧に説明した。
必要事項のそろった報告書のようにわかりやすく、端的に。
「――そういうことですか……じゃあまずすることは」
「近くの領主へ食料を分けてくれるかの確認、でしょ」
「その通りです。私は食料庫のほうへ状況を再度確認しに行きますから、リーティは急いで手紙を出してください」
シャツの袖をまくり、仕事モードになったルクシンドはやはり頼りになる。ほんの少し状況を教えただけで、どうするべきなのか一瞬で判断できてしまうのだから。
「ふぅ……」
外に走り出すルクシンドを見て、リテネロエはそれまでの激しく鼓動を続けていた胸元が少し落ち着いていることに気がついた。
頭がしっかりと冷えたことを自認できたのは良いことだ。
――よしっ、早く手紙を書かないと。
床に散らばった本の山から拾い上げたのは、地図と名簿。近くの領主の名前を確認して、大急ぎでペンを走らせる。
書く内容は決まっていた。「食料を買い取らせてほしい」そして、「お金は一月以内に返す」この二つ。
現実的に考えて、望みが薄いのはわかっていた。しかし、領主代理として、独断で書けるのはここまで。
出張に行っている父と付き添いの母はあと一週間は帰ってこない。だから、今起きているアクシデントに対処できるのはリテネロエだけであり、その中で最善と思う手段だ。
遠く離れた人と意思疎通を図る方法は手紙のみ。だが、伝書鳩を使えば半日で近くの領地まではたどり着くはずだ。
明日には返事が来るだろう。
ポッポーと鳴く鳩の首に手紙を小さく丸めて結び、お願いねと頭を撫でる。
一羽目は一番近い隣の山岳地帯の領地に。二羽目は少し離れた裕福な領地に。三羽目は遠く離れた父と母がいる領地に。パタパタと白い羽根を羽ばたかせて伝書鳩は飛び立った。
「次はどれだけの食料が必要で、どれだけお金が掛かるかの計算ね」
そしてルクシンドが食料庫の状況を持って帰ってくるまでの間にできることに、リテネロエは取り掛かる。
そろばんを弾いて、資料を見て、またそろばんを弾く。
パチパチパチパチ――
「――えっ」
計算が終わり、書き出した金額を見て、リテネロエは思わず固唾を飲んだ。
「一、十、百…………六千万ゴールド」
備蓄していた食料が一割残っていたとしても、最低六千万ゴールドが必要。それは、バーガランド家の資産の何倍にもなり、そうポンポンと差し出せる金額ではない。
――リテネロエは改めて、事態の緊急性を理解するのであった。
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「あの倉庫にあったのは全てダメになっていました。霊気に充てられてしまっていて……。警察の見解ではどこからか生屍が迷い込んだんだろうとのことです」
最後の希望をかけて、帰って来たルクシンドの報告を聞いた時、リテネロエは思わず天を仰いでしまった。
大きな深呼吸と共にぐーっとのけぞり、肺の生温かい二酸化炭素を吐き出すが、脳内はぐっちゃぐちゃで知恵熱が止まらない。
「――――あひゃっ!?」
急に視界が遮られると、顔面が冷凍庫にダイブしたみたいに急速冷凍され、乙女らしい声が漏れた。
「氷水で冷やしたタオルです。今自分が汗だくなの気付いてないでしょ」
「……あ、ほんとだ。すごい汗」
額を拭うと、掌がべっとり汗で濡れていた。気付かぬ内に、締め切った部屋の中が日光で温まっていたようだ。
そう言えば、朝起きてすぐにパンデが訪ねて来たから、部屋着のままだし、ご飯だって何も食べてない。
ぐーっとお腹の虫が鳴ったのを見て、ルクシンドはちらっと時計を見てから眼鏡をかけ直した。
「少し早いですが昼食にしましょうか。着替えたら食堂に来てください」
「ん、わかった」
適当にクローゼットからワンピースを引っ張り出して部屋着を脱ぎ去り、食堂のある一階に降りると、空っぽの胃袋を刺激する香ばしいシチューの香りが鼻孔をくすぐる。
「いただきまーす」
うちの執事の料理は、いつもプロ顔負けの美味しさだ。
しかも、それは料理だけに限らず、裁縫も掃除も何もかも貧乏な我が家には勿体ないくらいハイレベル。
王都でも通用するだろうに、十年もここで働き続けているのは大助かりな一方で不思議に思う。
「口に合いました? 新しい香辛料を入れてみたんですけど」
「美味しいよ、いつも通り」
「それならよかったです」
「……でも、こんな呑気に美味しいご飯を食べてて良いのかな? 隣の領主が食料を売ってくれるともわからないし、売ってくれたところでお金はどうする?」
「今そんなに悩んだって答えは出ません。明日返事が来たら考えましょう」
ルクシンドはただ落ち着いて、せっかくの美味しいご飯を苦い顔しながら食べるリテネロエの額をツンと小突く。
せっかく作ったんだから美味しそうに食べろ、とでも言いたげなムスッとした顔に、リテネロエはシチューと共に沈んだ気持ちも飲み込むと、残りを胃袋に掻っ込んだ。
「そーだ! みんなの胃袋の笑顔は私の手にかかってるんだから落ち込んでる暇なんかないよね! たまには良いこと言うじゃんっ」
「リーティの作るご飯は人の食べて大丈夫な味がしないので、みんなの胃袋を掴もうとするのは心の底から反対しておきます」
「余計なお世話よ!」
リテネロエがぶん投げたスプーンを軽くキャッチしながら食器を片し、ルクシンドは最後に真剣なまなざしでこちらを向いた。
「――とにかく三日がリミットです。三日以内に解決策が見つからなかった場合、本当に予備の食料も全て尽きて、領地内が混乱に陥ります。それまでにどうにか方法を見つけてください」
「見つけてください」なんて突き放すように言ったのは、きっとこの問題を最終的に解決しなければいけないのは領主代理であるリテネロエだから。ただの執事であるルクシンドが領地を助けることは出来ないのだ。
きりっとした紺色の瞳に宿っていたのは、そんな気持ちのこもった、わかりづらいエールであった。
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カーテンを開けると、窓にポツっと水滴がぶつかった。
空は朝のはずなのにどんより薄暗く、今にも辺りが水浸しになりそうだ。
だだっ広い灰色のキャンパスを眺めていた時、突如一直線にこちらに近付いてくる白い何かが現れた。
「――伝書鳩だ!」
送った手紙の返事を持って帰って来たであろう白い鳥を部屋に招き入れ、首のリボンをほどく。
そこに書かれている内容によっては、もう八方塞がりになってしまう可能性だってある。
どうか「Yes」と書いてあってくれと祈りながら丸まった手紙を開くと、そこには――
『バーガンディ領には信用がない。タダで貴重な食料を渡すなどできる訳がない』
――――――終わった。
世界から音と色が消えて、深海にずぶずぶ沈んでいく感覚。
きっと海底に一人取り残された、いつか誰かのものだった指輪も、この気分を味わったんだろうな。
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お久しぶりです、緑山実です!
またまた訪れていただきありがとうございます!
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今後は、この時間に隔週投稿していきます。




