第70話
嵐が過ぎ去った後のような静けさが、レストラン内に満ちる。
ワンセの取り巻きたちが何か喚き散らしていたが、その声も次第に遠のいていった。
その声が完全に聞こえなくなったあと、レストラン内にざわめきが戻ってきた。
「……はぁ~……なんかドッと疲れた~……」
マロンが、魂の抜けたような声を漏らし、肩を落とした。
それからふらりと一歩前に出て、コヨミの前で立ち止まった。
「もう~……コヨミ~……無茶しないでよ~……」
マロンは言葉を絞り出すようにして、コヨミの両肩に手を乗せた。
「あはは……ごめんっス……」
コヨミは苦笑いしつつ、自分の頬をかいた。
「……でも……ありがとうね! ワンセに言い返してくれて! お父さんは、頼りにならなかったからさ……」
そう言って、厨房の隅で立っていたマロンの父親の方を向く。
「し、仕方ないだろ……あんな巨漢の男が暴れてたら、弱腰になってしまうって……」
……まあ、無理もないよ。
俺だって、あんな巨漢の白虎の獣人を目の前にしたら、腰が抜けてしまう。
「とは言え、コヨミちゃん、ありがとう。あのままレストランで暴れられてたら、どうなっていたか……」
マロンの父親が頭を下げる。
「いえ、そんな! 頭を上げてくださいっス! ウチはたいしたことなんて……」
「はあ? 何言ってんの! あのワンセに勝つなんてすごいじゃない!」
マロンが笑顔でコヨミの肩をバンバンと叩いた。
「え? あっ……いや……そ、その……あの……」
コヨミは困惑した様子で、ちらりと俺の方を見た。
俺は気にするな、自分の手柄にしろと目配せをする。
「と、当然っス……! ワンセなんかより、すごい人から料理を教わってるっスから……!」
「へぇ~そうだったんだ。それで……」
コヨミの答えに、マロンが納得した様子で頷いた。
「それに、ゴブくんやミュラちゃん。マロンも手伝ってくれたっスからね」
「うん! おてつだいした!」
ミュラは元気よく胸を張った。
その時だった。
「なあ……もう一杯、ないのか?」
客の一人が、恐る恐る声を上げた。
「あのスープ……もう一杯飲みたいんだけど……」
「あ、俺も」
「私も!」
次々とそんな声が上がった。
その言葉に、マロンは目を丸くしてから、慌ててコヨミの方を見る。
「ま、まだ……残ってる?」
「具はだいぶ少ないっスけど……汁の方は、まだ残ってるっス」
「じゃあ、スープだけでもいい!」
「ああ、頼む」
コヨミの答えに、客たちが即答した。
「あ、じゃあ……ちょっと待ってくださいね」
マロンが小皿をいくつか受け取り、厨房へと走っていった。
笑い声が、レストラン内に満ちていく。
先ほどまでの張りつめた空気が嘘のようだ。
「よかった~……いつもの雰囲気に戻ったわ」
「それはよかったっス」
「…………ねぇ、コヨミ。あのスープ、私も飲んでみていい?」
「へ? もちろんっスよ」
「ありがと」
マロンは鍋から汁を小皿へとよそう。
そして、一口スープを口に含んだ。
「……わっ。すっごくおいしい……うん……これなら……コヨミ!」
「ん? どうしたっスか、マロン?」
「このスープ、うちで出してもいいかな!?」
「へっ……?」
そのマロンの言葉に、コヨミが目を真ん丸にする。
「お願い……コヨミ! このスープの作り方、教えて!」
マロンがコヨミの前まで行き、両手を合わせて深く頭を下げた。
「え、ええっ……? そ、それは……」
コヨミが困った顔をした。
と同時に、俺も困った顔をしてしまう。
スープの作り方は簡単だ。
だが、肝心の出汁……ゴールデンフィッシュが大問題だ。
ワンセの話だと、あの魚は簡単に手に入るものじゃないらしい。
となると、あのスープを作るのは無理があるぞ。
「お願い……! このレストランで、このスープを出したいの……!」
マロンは何度も頭を下げた。
「……ちょ、ちょっと考えさせてほしいっス!」
「もちろんだよ! いい返事、待ってるね」
そう言うと、マロンはニコリと笑った。
「あははは…………ちょ、ちょっと、外の空気を吸ってくるっス!」
そういうと、コヨミは俺の傍でしゃがみこんだ。
「……ゴブくん、ちょっといいっスか?」
「あ、ああ……」
俺たちはレストランの外へとそそくさ出ていった。
「あ、ミュラもいく~」
外に出た俺たちは、近場の陰に座り込んだ。
「ゴブくん……どうするっスか……? 教えちゃっても、いいっスか?」
「教えて 問題 ない」
「そうっスよね……簡単には……って、いいんっスか!?」
「別に 秘密 でも ない……ただ……」
「ただ?」
俺は、問題のゴールデンフィッシュのことを話した。
それを聞いて、コヨミが両手を組んだ。
「……なるほど……確かに、同じ物を作るのは無理っスね……ふ~む……」
「……? ほかのおさかなじゃだめなの?」
ミュラが首をかしげる。
「駄目 じゃない……作れる。だが、それで マロンさん 納得 すれば だが」
俺が言うと、コヨミはしばらく考え込み、やがて、ゆっくり頷いた。
「……それしか、ないっスね。マロンに話してみるっス」
その後、改めて事情を説明し、マロンたちと話し合った。
マロンは残念がってはいたが、理由が理由なだけに快く承諾してくれた。
そして俺たちはスープ作成のため数日間、町に滞在することになった。
そうして市場へ向かい、あらゆる魚を買っては、その味を確かめた。
何度も味を確かめ、何度も失敗して、ようやくゴールデンフィッシュまでとはいかなくとも、マロンが納得のいくスープが完成した。
その完成したスープは、マロンが「コヨミスープ」と呼び始め、すっかり定着。
「うぅ……ウチには、コヨミ特製スープがあるのに……こっちの方が喜ばれるなんて……複雑っス……」
と、コヨミはいじけていたが……まぁそればっかりは仕方ないと思う。
だって、あのスープだしな。
コヨミスープって名前は、こっちにつけた方が俺はいいと思う。
そして、俺たちの帰る日がやってきた。
俺たちは帰りの船へと乗り込んだ。
「それじゃあ、またね! コヨミ! ミュラちゃん! ゴブくん!」
船が港を離れていき、マロンが俺たちに向かって大きく手を振った。
「うん! またっス!」
コヨミもまた両手で振り返す。
「またね~!」
「また!」
俺たちもマロンに手を振った。
その姿が見えなくなるまで……。
船は進み、町は見えなくなった。
辺りはもう青い海しか見えない。
「く~……く~……」
甲板の上、ミュラはコヨミの膝枕ですやすやと眠っていた。
「……ありがとうっス。ゴブくん」
コヨミが小さく言う。
俺は首を振った。
「俺 教えた だけ。スープ 作ったの コヨミさん。コヨミさんの 手柄」
「……んん……? スー……プ……?」
膝の上のミュラが目を開ける。
「……ふえ……? また……あの、スープ……たべられる……の?」
寝ぼけた声で、そうつぶやいた。
俺とコヨミは顔を見合わせ、小さく笑った。
「食堂に戻ったら……港町でとれる魚で、作ろうっス」
「わ~……わ~い……やっ……た~……むにゃむにゃ……」
ミュラは幸せそうに、また眠り始めた。
「……ふふっ。相変わらず、食いしん坊っスね」
コヨミはミュラの頭をやさしくなでる。
「やれ やれ……」
俺は苦笑いしつつ、青く広がる空を見上げた。
「帰っても スープ 研究……か……」
こりゃあ、どの魚からどんな味が出るのか、ますます詳しくなりそうだな。




