第63話
朝も早い時間。
まだ人通りの少ない大通りを、俺たちは並んで歩いていた。
「ふあ~……」
ミュラはあくびをしつつも、機嫌よく、軽やかな足取りで歩く。
「……あっ!」
ミュラが声を上げた。
低い建物の向こうに、林立する帆柱が見えた。
「ふねだ!!」
次の瞬間、駆け出しそうになったミュラをコヨミが慌てて止める。
「急に走ると、転ぶっスよ!」
「ねぇねぇ! どのふねにのるの!? あれ? それともあれ?」
ミュラが並んだ船に指をさす。
「え~と……あれっスね」
コヨミが一艘の大きな船に指をさした。
『……あれに乗るのか……』
コヨミが手続きを済ませ、順番を待つ。
ミュラは落ち着かず、その場でソワソワと体を揺らす。
「ねえねえ、まだ? まだ?」
「少し 待つ」
「…………もうのれる?」
「……まだ だ」
そんなに慌てなくても船は逃げないっての。
まぁ……嵐になったら出航はなくなるだろうがな。
やがて、乗船の合図が出る。
タラップを渡ると、甲板の木がぎしりと鳴った。
『おお……』
大丈夫とわかっているが、やはり足元の木が鳴るのはちょっと怖い。
「わっ!」
ミュラが一瞬よろけ、コヨミが手を取る。
「ほら、気をつけるっス」
「あ、ありがとう……わああ! ふねだあああ!」
こけかけたにもかかわらず、ミュラが甲板を走り出す。
はしゃぎたくなるのもわかるが、少しは落ち着いてほしい。
「……よし、客はこれで全員だな。おい、船長に報告してこい」
「へい!」
船員たちが出航の準備に取り掛かり始めた。
もうじき出航するとなると、ミュラを大人しくさせないといけないな。
「ミュラ もうすぐ 船 出る。こっち 来る」
「あ、うん!」
ミュラが俺たちの方へと戻ってきた。
しばらくすると、船がゆっくりと動き始めた。
「わあ! うごいた!」
ミュラが目を輝かせて、手すりに手を置き、背伸びをする。
「おお! みてみて! まちからはなれていくよ!」
ミュラの言う通り、港町から少しずつ離れていく。
「いってきま~す!」
ミュラは右手をあげて大きく手を振り、港町に向かって声を上げた。
船が沖へ出るにつれ、船の揺れがはっきりと感じられるようになる。
『けっ、結構揺れるな……』
現世界で船に乗ったのは片手で数えられる程度。
それでも、ここまでは揺れなかった。
それを考えると、こっちの世界とは、船の技術にも差があるんだな。
「キャハハ!」
そんなことを思っていると、ミュラは船の揺れに合わせて、体を左右に揺らして笑っていた。
「たのしい!」
あんなにはしゃいで……。
楽しむ余裕があるのは、今のうちだと思う。
しばらくすると……多分、動けなくなるだろうな。
『――うぷっ!』
俺は甲板の端で、手すりに力なくもたれ掛かっていた。
『……ううう……』
喉の奥から、情けない声が漏れる。
甲板が上下するたび、空が……床が……世界が……揺れていた。
『……まずい……』
これは完全に、船酔いだ。
船内より、外で風を受ければ少しは楽になるかと思ったが……全然ましにならない。
「……ゴブくん、大丈夫っスか?」
コヨミの声が、やけに遠く感じる。
「……だい じょ……ぶ……」
と言いつつも、弱々しい返事しかできない。
「はい、酔い止めの薬っス」
「……あ……ありがと……」
コヨミから液体の入った小瓶を受け取り、一気に飲み干した。
すごく苦くて吐き出しそうになるが、必死に我慢する。
「ゴブ、つらそう……」
ミュラが心配そうにのぞき込んできた。
真っ先に動けなくなると思ってたのに……船酔いのふの文字もなく元気だ。
となると、動けない俺と一緒じゃあかわいそうすぎる。
「……俺 事 気に……しない。コヨミ……さんと……船……中 見て……回って……くる……」
「え? でも……」
ミュラが困ったようで俺とコヨミと交互に見る。
「……せっ……かく 船……楽し……む……。コヨミさん……お願……い……」
「……わかったっス。ミュラちゃん、一緒に見て回るっス」
コヨミがミュラの手を取る。
「あ……うん、わかった……ゴブ、いってくるね」
ミュラはその手を握り返す。
「……ああ」
ミュラとコヨミが船内へと入っていく。
それを見送った俺は、視線を青い空へと向けた。
「おい、聞いたか?」
「あん? 何の話だ?」
少し離れたところで、船員たちが談笑している声が耳に入った。
「最近この辺りの海域で、サンマが大量発生しているらしいぜ」
「げっ、マジかよ」
なんでサンマが大量発生しているだけで、そんな嫌そうな声を出すんだろうか。
「ああ、昨日この海域を通った奴らが言ってたんだ。港に着いたら、何十匹ものサンマが、船底に突き刺さってたらしいぞ」
『…………んっ!?』
サンマが船底に……突き刺さるだと。
そんなわけがあるはずない。
きっと船酔いで、聞き間違いでもしてしまったに違いない。
「うへ……大型船ならまだ大丈夫だが、小型船だと転覆する可能性があるからな……本当に、サンマは厄介だぜ」
『……』
聞き間違いじゃないようだ。
そういえば、まだこの世界のサンマを見ていないな。
いや、見ていても【それ】がサンマだと気づいていないだけか。
秋刀魚……話を聞く限り、文字通り刀のような形をした魚かもしれんな。
「でも、脂がのっている奴はうまいんだよなー」
「まあな、焼いても煮ても抜群。酒が進むのなんの」
『……うぷっ!』
今は食べ物の話はやめてくれ。
焼く、煮る、その単語を聞くだけで胃の中が逆流しそうだ。
『……今は……聞きたくない……』
俺は目を閉じ、船員の会話を聞かないように波の音だけを聞くことにした。
どれくらい時間がたっただろうか。
相変わらず、俺は手すりに力なくもたれ掛かっていた。
「まだもたれかかってる……」
ミュラの声に俺は目を開けた。
すると、目の前にミュラの顔があった。
「あ……戻った のか……」
「うん」
「具合、どうっスか?」
「ああ……さっき より……マシ……」
酔い止めの薬が効いてきているのだろう。
なんとか立てそうなくらいにはなっている感じだ。
「ん? あっ! みて! みて! あれなにかな!?」
ミュラが手すりの向こうを指さしていた。
その先には……。
「……灯台 か?」
水平線の向こうに、ぼんやりとした塔らしき物が見えている。
船が進むにつれ、それは少しずつ形をはっきりとさせてきた。
やはり灯台のようだ。
「ついたの!?」
ミュラが、待ちきれないといった様子で跳ねる。
「まだっスけど、もうすぐっスね」
コヨミの言葉に、ミュラはさらに嬉しそうに笑った。
「わ~い! たのしみ~!」
その無邪気な声を聞きながら、俺は大きく息をはき、よろよろと立ち上がる。
灯台がはっきりと見え、町も見えてきた。
『……やっと……到着するのか……はあ……』
帰りも、この地獄を味わうのかと思うと憂鬱だが……今はそんなことを考えるのはよそう。
今は初めて訪れる町を楽しむべきだしな。




