第44話
俺は桶に水を入れ、慎重に両手で持ち上げる。
『よし……こんなもんか』
水をこぼさないように階段をのぼり、ミュラの寝ている部屋へと戻った。
静かな部屋の中で、ミュラの苦しそうな息だけがかすかに響いている。
ミュラの顔は赤く、額にはうっすらと汗がにじんでいた。
コヨミはその傍らに座り、静かに様子を見ていた。
「どう だ?」
俺の問いにコヨミが口を開く。
「やっぱり、普通の風邪だと思うっス。ただ……」
コヨミがハンカチを取り出し、ミュラの汗を拭きとる。
「ただ……?」
普通の風邪なら大きな病気じゃないはずだ。
なのに、どうして言葉を詰まらせるんだろう。
「ミュラちゃん……雪ん子は体質上、体温が低いっス。それで、普通の熱でもミュラちゃんからすれば高熱になっちゃうっス。風邪とはいえ、高熱となると……流石に体に良くないっスね」
そういう事か。
「なるほど……厄介な 体質だ」
俺は水の入った桶を置き、コヨミの隣に座った。
体質となると、こればかりはどうしようもない。
「とりあえず、急いで風邪薬と解熱剤を調合してくるっス。ゴブくんはその間、ミュラちゃんを見ててもらってもいいっスか?」
「ああ わかった」
「じゃあ、お願いするっス。あとこれ、頭を冷やす用のタオルっス」
小さめのタオルを受け取り、コヨミが立ち上がる。
そして部屋から出て行き、階段をおりていった。
「……ミュラ……大丈夫 か?」
俺の問いに返事はない。
ただ、うっすらと口が動いたように見えた。
それは返事だったのか、息苦しいからなのかわからない。
『……っ』
俺は桶の中にタオルを入れ、水に浸した。
濡れたタオルをしっかり絞り、ミュラの額に乗せる。
冷えたタオルが額に触れた瞬間、ミュラが少し気持ちよさそうな顔をしたように見えた。
しかし、それも束の間だった。
次第にミュラの眉が寄り、唇が震えはじめ、呼吸も浅くなる。
時おりうめくような声も漏れではじめる。
「うっ......はあ……はあ……」
「お、おい どう した……大丈夫 か!?」
俺はタオルを替えてみたり、汗を拭く。
それ以外、俺が出来る事は無い。
ミュラが目の前で、こんな苦しそうにしているというのに……。
『……せめて、少しでも楽にしてやりたい』
そう呟くと、ミュラの目蓋がぴくりと動いた。
「……ゴ......ブ……?」
掠れた声が聞こえた。
「おっ 起きた のか? 大丈夫 か?」
ミュラはうっすらと目を開け、焦点の合わない瞳で俺を見た。
「……はあ……はあ……」
「何か ほしい 物 ある?」
「……おみず............のど……かわいた……」
「わかった! すぐ 飲み物 持って くる!」
立ち上がろうとした瞬間、ミュラが俺の袖を掴んだ。
「……まって……いか……ないで……」
ミュラの声は震えていて、不安そうな顔をして俺を見つめる。
「だ、大丈夫 だ。すぐ 戻る。だから、その手を……」
ミュラは手を離さず、かすかに首を振る。
病気のせいで気持ちが落ち込んでいるみたいだ。
けれど、このままにしておくわけにもいかない。
どうしたものかと迷っていると、階段をのぼって来る足音が聞こえた。
「お待たせっス。ミュラちゃんは、どうっスか?」
コヨミが薬の入った器を持って部屋に入ってきた。
「コヨミさん。ミュラ 喉 渇いた 言ってる。俺 飲み物 作って くる!」
「あっ、わかったっ…………ん? 取って来るじゃなくて……作る……?」
俺はコヨミと入れ替わるように部屋から飛び出し、階段をおりた。
厨房へと走り、水を鍋に入れてかまどに乗せ、火をつける。
『高熱にあの汗……普通の水を飲ませるだけじゃ駄目だ』
こういう時は、水じゃなくてポカリのような経口補水液を飲ませるのが理想だ。
無論、そんな物がこの世界に売っているわけがない。
だから自分で作るしかない。
幸い作り方も簡単で、必要物も水、塩、砂糖でいい。
『溶けやすいように温めてるけど……熱くなりすぎるのも問題だから…………こんなものか?』
少し熱めのお湯になったところで鍋を火から降ろし、器へと注ぐ。
そこに砂糖を多め、塩を少々入れてかき混ぜた。
砂糖と塩が溶けたのを確認し、スプーンですくって味見をする。
『…………甘くて、少ししょっぱい……うーん、ポカリってこんな感じだったかな? いや……もっと甘かったか……?』
砂糖を少し足してかき混ぜる。
『……んーーー、今度は甘すぎる様な気がする……』
今度は塩を少し足してかき混ぜる。
少しずつ砂糖と塩を加えながら必死に記憶を手繰り寄せ、なんとかそれっぽい味になった。
『砂糖と塩の量が、これでいいのかわからんが……大丈夫だと信じたい』
あれこれしているうちに、お湯もすっかり冷めてぬるくなっていた。
だが、このぬるいくらいが一番いい。
熱くても冷たくても、体に負担がかかるからな。
『これで、少しは楽になってくれればいいが……』
階段をあがって部屋に戻ると、ミュラがこちらの方を見る。
「……ゴブ……?」
ミュラの声に、俺は急いで近づいた。
「無理 するな。これ 飲む」
俺はスプーンに経口補水液をすくい、ミュラの唇へとあてた。
ミュラは啜るように経口補水液を飲む。
「……コクン……あまくて、しょっぱい……へんな……あじ……」
「おいしく ない?」
「ううん……なんか……やさしいあじ……する……」
その笑顔は弱々しいが、いつものミュラの笑顔だ。
もう一度スプーンですくい、ミュラの口元へと持って行く。
時間をかけ、ミュラは経口補水液を全て飲んでくれた。
「さっ、これを飲めば、少しは楽になるはずっス」
経口補水液を飲み終えた後、コヨミが薬の入った器を取り出す。
器の中身は真緑の液体……見ただけで、すごく苦そうなのがわかる。
コヨミはスプーンで薬をすくい、ミュラの口元へと運ぶ。
そして、ミュラが薬を飲む。
「…………うぇ……にが~い……」
ミュラの顔が歪む。
「薬なんだから、当たり前っス。良薬は口に苦しっス、だから我慢我慢っスよ」
コヨミはもう一度スプーンで薬をすくい、ミュラの口元へと運ぶ。
ミュラは渋い顔をしつつも、薬を必死に飲んでいた。
ある意味、風邪よりつらいかもな……これ。
薬を飲み終えた後、ミュラは目を閉じて寝息を立て始めた。
「……これで、熱は少しずつ下がるはずっス」
「そうか……よかった」
気のせいかもしれないが、先ほどより頬の赤みが少しだけ薄くなったように見える。
今のところは呼吸も正常だし......とりあえず、大丈夫そうだ。
「ふぅ……」
俺は息を吐き、肩の力をようやく抜くことができた。




