第10話
とはいえ、客と聞かれてつい反射的に肯定をしてしまったのも事実。
もはや帰りますと言える状況ではない。
「さっ、席にどうぞっス」
「は~い!」
ミュラが女性の案内で席についた。
『ん? ……スンスン』
焼き魚の匂いの中に、薬品臭の様な独特の匂いが混ざっているぞ。
外では気が付かなかったから、この店の中からって事だよな。
俺は目だけを動かして、辺りを観察するが店の中に薬品らしき物は置かれていなかった。
『……どういう事だ?』
「ゴブ、すわんないの?」
「え。あ、ああ 今 行く」
不審に思いながらも、俺はミュラの座った席へとついた。
「……あれ? メニュー ない? すみません メニューを……」
「無いっス」
女性が笑顔で答えた。
「はっ?」
「だから、ウチにメニューは無いっス」
メニューが無い食堂ってなんだよ。
「じゃ、じゃあ 何 ある?」
「コヨミ特性スープっス! おいしいっスよ!」
この食堂は特性スープ一本勝負ってわけか。
となれば、相当こだわっているんだろう。
「それ いくら?」
「パンとサラダ付きで、1杯50ゴルドっス」
2人で100ゴルド、十分足りるな。
にしても、パンか……この世界のパンってフランスパンみたいに硬いんだよな。
まあこればかりはセットだし仕方ない。
「ミュラ それで いいか?」
「うん、いいよ」
「じゃあ 特性スープ 2つ」
「わかりましたっス!」
女性が厨房へと入り、大きな鍋からスープを器によそいはじめた。
すると、薬品臭がふわっと漂って来た。
『えっ?』
おい、待て。
なんでスープから薬品臭がするんだよ。
「わくわく、スープスープ~」
笑顔のミュラに対して、俺は顔を引きつらせていた。
やばい……すごく嫌な予感がする。
オタオタしていると、女性はスープの入った器を持って席までやって来た。
「お待たせしましたっス。まずはスープをどうぞっス」
『――っ!?』
目の前に置かれた器の中を見て、俺は目玉が飛び出そうになった。
中身のスープは濃緑一色だったからだ。
いやいやいやいや、なにををどうしたらこんなに濃い緑色になるんだよ。
「わああ! まってました~!」
いやいやいやいや、なんでミュラはこれを見て何も思わないんだよ。
「じゃあ、さっそく――」
「待った!」
ミュラがスプーンを持った瞬間、俺はすぐさま止めに入った。
「俺から 食う! ミュラ 後!」
「え? なん……」
「何でも だ!」
「う、うん……わかった……」
これは俺が毒見をしないといけない。
しかし、ゴブリンの体とはいえこれを口にするには勇気がいるな。
『すーはーすーはー……よしっ! いくぞっ! パク――っ!?』
なっなんだこれは。
甘くて、酸っぱくて、しょっぱくて、辛くて、苦くて……ただただまずいの一言。
今までこんなもの食べた事が無いぞ。
「お味はどうっスか?」
女性が笑顔で聞いて来た。
どうと言われても……。
「ふぉふぇ ふぁふぃ ……ふぁっ!?」
く、口が痺れてうまくしゃべれない。
「ゴブ、なにいってるかわかんないよ? ゴブがたべたし、ミュラも~」
ミュラがスープをスプーンですくった。
「ふぃふぁ!!」
駄目だ。
これを口に入れてはいけない。
「ひゃめ――!」
「ぱくっ」
止める間もなく、ミュラはスープを口の中へと入れてしまった。
「………………」
無言のまま顔色も変えず、そのままの体勢で全く動かないミュラ。
まるで時が止まったかのよう。
「…………うげえええええ!」
『うわっ!』
ミュラが突然見た事もない歪んだ顔をしたと同時に、口の中からスープが流れ落ちて来た。
「どうっスか? ウチのスープの味は?」
この人は何を言っているんだ。
ミュラの反応を見れば一発でわかるだろう。
「うえええ……なんこれ、まずい!」
ミュラが女性に向かってストレートに言い放った。
「へ? まずい……?」
女性はミュラの言葉を聞いて、目をぱちくりさせた。
「そう! あまくて、すっぱくて、しょっぱくて、からくて、にがくて……とにかくまずい!」
「そんなわけないっス! これはありとあらゆる薬草を入れた、めちゃくちゃ体にいいスープっスよ!?」
ありとあらゆる薬草って……なるほど、濃緑一色の理由が分かったわ。
「つまり! 体に良いからおいしいに決まってるっス!」
体に良いからおいしいって理論がおかしい。
この女性、どこかズレてやがる。
「けど、まずいものはまずいの! もうこれたべたくない! …………ゴブがつくって」
「「は?」」
ミュラの突然の言葉に俺と女性は同時に声をあげてしまった。
「だから~ゴブがなにかつくって!」
ここは食堂、俺が料理をするなんておかしいから。
ミュラの奴、何を言い出すんだ。
「……その子、料理が出来るっスか?」
女性が俺の方をジッと見つめて来た。
「い、いや 全――」
「うん! すっごくおいしいの! おなじスープでもこんなのとぜんぜんちがうもん!」
「そうっスか……そんなにっスか……」
眠たそうな目で見つめられているだけなのに、圧がやばい。
蛇に睨まれた蛙の気持ちってこんな感じなんだろうか。
「………………いいっスよ。ウチよりおいしい物を作れるようなら、作ってみるっス!」
女性がビシッと厨房に向かって指を差す。
おいおい、なんだこのグルメ漫画みたいな展開は。
俺はただ飯を食いに来ただけなんだぞ。
「あの 俺 別に……」
「さあ! 作るっス!」
「だから あの……」
「さあ!」
「……はい」
俺は女性の圧に負け、厨房へと向かった。
どうしてこんな事になるんだよ。
「で、何を作るっスか?」
『……』
申し訳ないが、スープは使い物にならないから外すとして……今あるのはサラダ用の野菜、ゆで卵、パン、各種調味料か。
「他 材料は?」
「無いっスよ?」
「え? あの魚 っとか……は?」
「あれはウチのご飯だから、食べた分しかないっス」
マジかよ、たったこれだけで何を作れと言うんだ。
「ゴブ、がんばって!」
応援されても困る。
こうなったらスープに調味料を入れて味を調え……られる気が全くしない。
『野菜……ゆで卵……パン……野菜……ゆで卵……パン……野菜……ゆで卵……パン……あっ!』
あった、これで作れる物があったぞ。
「塩 生卵 酢 植物油 あるか?」
「へっ?」
「塩 生卵 酢 植物油 だ」
「え~と……塩はその赤い蓋の小瓶で、酢は右側から三番目の瓶っス。あとは生卵と植物油っスよね……ちょっと待つっス」
女性は棚を開け、瓶を取り出した。
「これはマゴの油っス。卵は庭に行ってとってくるっス」
女性は裏口から外へと出て行った。
よし、材料があるのなら作れるぞ。
果たしてあの女性が納得するかわからんが……もはや、これしかない。
「ゴブ、それだけでなにがつくれるの?」
「出来ての お楽しみ」
「?」
俺の言葉に、ミュラは不思議そうに首をひねった。