9話 片思いの大好きな彼が愛ゆえについた嘘が奥手すぎて悪質すぎる
――その時、当たり前のように記憶が引っ張りだされた。
いつだっけ、と思い出そうとしたら普通に記憶が頭にあったのだ。
……モノトーンで統一されたどこかの部屋のベッドの上で、ノルディックと武器の装備の雑誌を一緒にごろごろと見てた時の事だ。……そうだ。あの雑誌は武器道だ。ノルディックが愛読していてダリアも読むようになったものだった。
雑誌の中では女性軍人のおしゃれな私服が特集されたページがあり、すっごく生足が艶めかしいコーデがずらっと並んでいた。その頃ダリアの私服はひざ丈の特にこだわりのないワンピースばかり着ていて、全然違うなぁ今の軍人さんは皆おしゃれなんだぁなんて思って眺めていたら、ノルディックが暫くそのページをじーっと眺めているものだからそれに嫉妬して「何がいいんですか!!」と枕でぼふっと彼を叩いたのだ。
そんな狼藉を働いたのにノルディックは「なにが」と怒るでもなくきょとんとしていた。……あの部屋はノルディックの部屋だったように思う。
家に行って、ベッドの上にいて、肩が触れるくらいの距離にお互いいたのに、ノルディックは全然自分を意識してくれる様子もなく雑誌の女の人を見ている。それがダリアにはすごく悔しかった。
ダリアは小柄で、雑誌に載るような軍人のお姉さんのむちむちした長い足には到底なれない。ノルディックが悪いのではなくむちむちしてない自分が悪い。しかし彼に腹が立っているのは事実なので拗ねてぼふぼふと枕で彼を叩きながら「むちむちした足がいいんですか!足がいい人がいいんですか!」と言ったら、全部察した意地悪な顔でノルディックはにやっと笑って「足が出てるの見て何か悪いの?」と挑発してきて、拗ねてるのに余計に拗ねさせようとしてそう意地悪を言ってるとダリアにも分かったので「はいはい別に悪くなんてないです!!好きなだけどうぞ!!」と枕に顔を埋めて黙り込んだ。
そうしたら「悪かったって」って言いながらノルディックは頭を撫でてきて、でもこっちだって完全に拗ねたので何も言わないでずっとそのまま無視していたら、名前を呼ばれて枕をとられてベッドの上で抱きしめられて、抱き合ったまま二人でベッドで寝ているその状況にすごくどきどきして、「機嫌直して」って耳元で言われた声がとっても優しくてぞくぞくして、……でもなんだかまだ許す気になれなくて。
「見てないって」「お前だけだから」と何度も言われて、そんなの嘘ですよいつだって見てみてくれないもんなんて、涙声になってきて、いじめすぎてごめんなっていっぱい撫でられて、ノルディックは精一杯機嫌をとってくれて、それでその日は結局、前より機嫌が良くなったのだ。
……あの時はまだ、二人は付き合ってなかった気がする。
キスはされなかったし、その先だってしなかった。ベッドで二人でくっついていただけだ。どう見ても付き合ってたのに、ダリアはノルディックがなかなか付き合ってくれなかったと覚えてる。
――そうだ、足といえば。また別の日のことも思い出した。
ダリアが魔法も使ってないのにカフェラテの泡で立体のアートを作ってくれるお店があると知ってすごく興味が湧いたのだが、しかし性格上知らないお店に一人で入るのは怖すぎてできなかった。……でもノルディックが一緒だったら、当時はどこにでも行けたのだ。
行きたいけど行けないそういう場所を彼に「こういうのがあって」と、連れていってくださいなんて一言も言えないものの遠回しにおねだりすると、ノルディックは「じゃあ見に行ってみる?」といつも察して連れて行ってくれたのだ。
カフェラテのお店の話をした時も、「じゃあ行ってみる?」とちょっと口元を緩めながら言ってくれて、休みの日のお使いの途中に連れて行ってくれたのだ。
カウンターで店員さんに「泡でひよことかうさぎとか猫とか、リクエストがあればできるだけ作りますよ」と言われて、……ダリアは、確かひよこにした。そして店員が次にノルディックに「何にしますか?」と笑顔で聞いたら、彼は「なんでもいいです」と言って……そうしたら店員が「お好きな物は?」って聞いたら彼は相変わらず真顔で「じゃあアサルトライフルか手りゅう弾」とか言い出すものだから「ねこで!!!!」とダリアが大慌てで言った。……あ、覚えてる。どんどんダリアの当時の記憶が蘇ってきていた。
……そこのホールの店員さんの制服のスカートが短くて。
ノルディックがまたすごく見てた気がして。
ふーんそんなに足が好きなんだと思って、それからダリアは膝上のワンピースばかり着るようになったのだ。……今まで自分から服を買うなんてことをダリアはしたことがなかった。おしゃれしたところで出かける事もないし人とも会わない生活だったし、いつだって宮廷魔術師のぶかぶかローブを上に着るので服に興味がないのは当然のことで、師匠がまとめて買ってきてくれたものを着て生きてきたのだ。でも、初めて服屋に自力で訪れて自分でノルディックに見てもらいたい服をいくつか買ったのだ。……それを今も着ている。なんで忘れていたんだろう。
しかし、せっかく新しい服でノルディックに会っても、ダリアはあまり背が高くないのもあって、丈が短くても上から見下ろす彼にしたらそんなに太ももなんて目立たなかったのかもしれない。結局彼に全然見てもらえなかった気がする。思い出していないだけなのかもしれないが、彼に服の事なんて言われた記憶が全然ない。
……彼に少しでも見て欲しかったのだ。大好きだったから。
……なんで、こんなにあっさりと忘れていた記憶を思い出したのだろう。思い出すだけであの時の時間もノルディックも、この服も、今出ている熱さえも愛おしくなった。
「……いつだって、ノル他の人ばっかり見てて、……私のことなんていつも全然見てくれないから」
一気にいろいろと思い出したからなのか、ダリアはなぜか涙が出てきた。これは今の自分の涙じゃなくて前の自分の涙な気がする。
「………なんでそんなのは覚えてるんだよばか」
抱きしめていたノルディックの腕が強くなった。その手が少し震えていた。
「あんたしか見てないってずっと」
「嘘だもん……」
「嘘じゃないって。ごめんな」
懐かしかった。あの時と同じだ。
……そうだ、いつも拗ねたらノルディックはこうしてくれてたし、どことなく嬉しそうだった。だからダリアもあの頃は遠慮なくわがままを言ったりすねたりできていたのだ。申し訳なくなんて思うことはなかった。
なんだか頭痛がするたびに、身の回りに残る彼の痕跡を思い出すたびに、遠くに追いやられた記憶が前の方に出てくる気がする。なんでこんなに大切な思い出を忘れるのって頭が全力で抵抗しているのかもしれない。
これまでだって既視感はたくさんあった。どれがきっかけで何を思い出すかわからないが、確実記憶が少しずつ引っ張り出され始めている。
「……あんたの足見ていいならいくらでも見たいんだけど、ローブでそんな見えないから」
そう言いながら、彼はダリアを抱き上げたままそっと床に膝をついた。しゃがんで膝にお姫様抱っこの姿勢で相変わらず逃げ場がない。
「……見ていいの。見ていいなら見たいんだけど」
「っ、あの」
片腕で肩を抱かれたまま、もう片手でローブのボタンをひとつひとつ器用に外されていった。ダリアが着ているのは魔術師団指定の男性用のローブで、着丈は足首まであるが前面は腰の下くらいまでボタンでとまっている。足は膝が出ているが、ボタンを外されて開かれると、服の全貌……と、太ももが見えた。体勢的にも今は足がより見える状態である。
「な、なんか……」
「……なに」
じっと全身を見られていると思うと変な気持ちになってきてしまう。どんどん熱もあがってくる気がした。ダリアはあわててローブの前を掴んで服を隠した。
「やややっぱり見なくていいですっ……!!!すみませんこれは、その、前の話なので!!今の私は大丈夫です!」
「……大丈夫なのになんでまだこういうの着てたんだよ」
……それはそうだ。言い訳である。
習慣は不思議なものだ。彼の記憶がなくても好みの服を無意識に選んでいただなんて。
でも、気がついていないだけで服の他にもこういったことがたくさんあるような気がした。その度にまた関連した記憶を思い出すんだろうか。
「……ついこんなのばっかり選んで着てたんですけど……そういえばノルに見てほしくて着てたんでした……」
「……あんたって本当に俺が好きだよな」
そう言いながら、すっと太ももが手の平で一度撫でられた。
びくっ!!とダリアの肩が跳ねる。
「んやっ!!だ、大好きですから」
「他にはなんか思い出せないの」
太ももに触れられている手がぞくぞくとする。その手を止める気にはどうもなれなくて、ダリアはぎゅっと胸の前でローブを掴む手に力が入った。
「……きっかけがあれば思い出せると思うんですけど……」
「きっかけか……」
ノルディックは考え込んでいるのか足を見ているのかわからないが目線がずっと下にあって、ダリアはどんどん恥ずかしくなってきて、ばっとノルディックの顔を手で覆った。
「……なに」
「そ、そうだ。きっかけと言えばなんですけど、昨日本屋さんで武器道の新刊がでて、あの時も新しい……たしか、小銃の話を誰かにしなきゃって思ったんですけど。あれもノルにですよね?」
「……はあ……やっぱあれか……なんか見てると思ったんだよな。あれ俺がいつも買ってて、……で、最終的にはいつの間にかあんたが俺が買うより前に買ってくるようになって」
「やっぱり!新しい小銃が小銃の割に重そうなんで、ノル的にどうなのかなって!!」
「……今ダリア熱あんだけど。わかってんの。そういう話は今度聞いてやるから。手どかして」
とノルディックの顔の前にやっていた手をどかされると、そこにはふっと笑う顔があった。声だって凄く優しくてどきっとする。
それがやっぱり懐かしくて、嬉しくて、なんだか泣きたくなった。
前の自分が、もっと構って、とわがままを言いたがっている。……でもダリアはそれを堪えた。
「ねえ、お、おりますもう……!!おりていいですか」
「はいはい」
「あんまり甘やかさないでください……!」
「前は甘やかせって散々要求されたんだけどな」
「おかげでどこまでも我が儘言いそうになります……」
「……いいのに。俺はあんたに振り回されるの好きだったよ」
「っえ」
驚いた時、そっと背中を起こす様にして降ろされた。
「ほら帰るよ。家まで送るから」
――手を握られて引っ張られて、二人は隠し部屋を出た。
少し歩くと広い廊下に出て、廊下を歩いていくと昼休みの時間帯ということもあってどんどん人も増えてくる。そんな中で二人は堂々と手を握って歩いた。ダリアはそれまで呆然と歩いていたが、時たまこちらを見る目線にはっとして、慌てて片手でフードを被った。
「……どうしようノル……」
少し先を歩いていた彼に早足で寄ってぴったりくっつくと、ダリアは小声でささやいた。
「……なに」
「今でさえノルのこと大好きなのに、このままノルの思い出全部思い出しちゃったら私どうなっちゃうんでしょうか……好きすぎて困ります……」
「……絶対全部思い出せよ」
「だ、だから困るの……」
「ダメ。究極に大好きになって」
ななななんて事を言うんだ!!!人の気も知らないで!!!!
「やだああああ私どうなっちゃうんですか……!!」
「あんたが本来のあんたに戻ってもらわないと、また俺の事思い出さなくていいとか甘やかさなくていいとか俺の幸せのためにどうのこうのとか余計な事言い出すから困る」
うっ、とダリアは言葉に詰まった。
「だってそれは……本気でノルのために言ってたのに」
「……本当に俺のためを考えるなら、あんたはちゃんと全部思い出してよ。あんたがいないと俺は生きていけないんだって」
「っそれは事故の後遺症で」
……足を止めないまま、一度彼がちらりとこちらを振り返った。
それから盛大なため息をついた。
「え?どうしましたか」
「……今だから言うけど」
「はい?」
彼はためらうように一度黙ってしまった。そして、
「……確認だけど、あんたは俺の彼女だから」
「は、はい」
「あんたしか見てないから」
「っはいぃぃぃ」
な、なんなんだ。どういう確認なんだ。ダリアは身構えた。
「だから、言うけど」
一度そこで彼また口を閉ざして、一度息を吸って、そして吐いてから、
「………………嘘だよ、あんなん」
「ええーーーーーーー?!!?!!?!?!?」
驚きすぎて立ち止まる。
もう建物からは出ていて、今は中庭を抜けている所で幸い周りに人はいない。このまましばらく歩くと城下に出る。
ノルディックはちらっとこちらを振り返って、盛大にため息をつきながら、立ち尽くすダリアの手を引いてまた歩き出した。
「……俺の言う事何でもかんでも信じるんじゃねーよ……」
「うっ、うそぉ!??!あっじゃあ死なないですか!?大丈夫ですか!?」
「………………死なないし意識も飛ばない」
「……えっ、あっよかったぁああ!!!!!……で、でもなんであんな嘘を!?すっごく悩んで心配して死んじゃったらどうしようって怖かったんですけど……!!!」
「はあ……あー言っちまったな。あー……言わない方がよかったか……」
彼は歩きながら俯いてそんな事をぼそぼそと繰り返している。
ダリアは嘘をつかれたことには怒りや悲しみはなく安堵の気持ちが圧倒的に勝った。……で、でも、なぜ嘘を?ダリアがいなくても全く問題なく生きていけると言うなら、あんな嘘を言う必要はどこにあったんだろう……??とダリアが混乱していると、それを察したかのようにノルディックはぼそぼそ呟く。
「……ああでもしないとあんたが離れていくと思ったんだよ」
「えっ」
「……ばか言っただろ。ちゃんと、その……好きだったから……離れたくないし……このままあんた臆病だしじゃもう今後触れ合うとか絶対無理だと思って……あんたが師匠に症例聞いたとか言い出したから焦ったわ」
……どんどん、嬉しさと恥ずかしさと愛おしさと、いろいろとこみ上げてきて、
「ば、ばかぁ!!」
歩きながらダリアはノルディックの手をぐいぐい引っ張った。
「悪かったって……なのにあんたは変に気を使って離れようとするし、買い物つきあわなくていいとか言い出すし……もう意味わかんない……」
「だってぜんっぜん分かんないんですもんノルの気持ちが……!!迷惑なのかなって」
「……だよな。俺、今までよくこれで好かれてたと思うというか。……なかなか慣れなくて誤解させる事ばっかだと思うけど、その、これからは、ちゃんと言うわ……がんば、る」
さっき思い出した彼は、不機嫌になれば機嫌も取ってくれたし、ちょっとでもしたい事とか行きたい所があると大体全部連れて行ってくれたし、嫌な顔もせず振り回されてくれていた。
熱量が同じかは分からないが、ちゃんと両思いではあったのだ。
「き、記憶消されたって話してくれた時に、今も好きだって普通に言ってくれてたら私だって離れようなんてきっと思わなかったのに……!!師匠に症例とか聞いちゃったじゃないですか!!師匠だって聞いた事ないって変な顔してました!」
「初めはあんたがまだ俺の事好きなんてわかんなかったじゃん。見知らぬ人にいきなり俺ら付き合ってるとか言われたらあんた怯えるだろ」
た、確かに。おっしゃる通りだ。さすがダリアの彼氏である。よく分かっている。
「……こっちだって必死だったんだよ。あんたがあの隠し部屋に帰ってきて俺の事普通にノルとか呼ぶ時あるし、なんか好きとか言うし……覚えてんのか覚えてないのかはわかんなかったけど、今なんとか捕まえておかないと絶対後悔すると思って……全部忘れられて一回全部諦めたつもりだったけど、やっぱ諦めきれなかったんだよな」
それを聞くと、じんとくる。
「か、彼氏だぁ、発言が彼氏だぁ」
「まぁ」
「わあ、夢みたい……他にはなにか嘘ついてないですよね」
「さぁね」
さあねってなに!?とダリアが思わず言うと「あんたが全部思い出せば分かる話でしょ」と返されて、うぐっと言葉が詰まる。全くその通りではあるのだが。
「……で。もう俺が死なないから大丈夫って離れようとしたら俺めちゃくちゃ怒るから」
「っえ、あ、」
「いい?めちゃくちゃ怒るから」
……確かに言いそうな気がしてしまった。
だから彼はさっき「彼女だから」「あんたしか見てないから」と念を押したのだ。そこまでして捕まえておいてくれるのであれば、もっと早めにはっきり好きだから離れるなと言って欲しかった。どれだけ!!!どれだけ奥手なのだろうか!!!!!わかんないそんなの!!!!
でも、彼の言い分も分かる。仕方なかったのだ。自分の知らない人にいきなり「今まで恋人だったんだから付き合って。今もこっちは好きだから」とか言われたら混乱するだろう。ダリアが彼を好きだと口をすべらせた事がこんなにも功を奏すとは。
……でも!!!だからって!!!命を盾にしないで欲しい!!!
「その……もう一回言うけど、はっきり態度に出したり言ったりするの慣れてなくて誤解させる事あると思うけど、ちゃんと思ってること言うから。できるだけ」
「分かりました!!」
「……嬉しそうだな」
「すっごく嬉しいです!!大好きです!!」
「わかったって」
そうしているうちに、家についてしまった。
……熱は確実に上がった。