乙女ゲームの悪役令嬢に転生したと思ったら登場人物全員TSしてるんだけど、どうなってんだこれ
生存報告兼天からネタが降ってきたので書きました。
需要があるなら連載するかもしれません。
その場合は不定期更新になると思います。
『人生、何があるかわからない』とは、よく言ったものだ。
思わぬ事故に巻き込まれることもあるし、気紛れに買った宝くじが当たることだってある。
「……だからってこうはならんだろ」
花咲茨、二十五歳。
妹が好きな乙女ゲーの悪役令嬢(男)に転生して十五年。
今日からゲーム本編始まります。
自分が花咲茨という成人男性だったことを思い出したのは、五歳のときだった。
公爵家の次男として生まれ、この国の第一王女殿下の婚約者となるお見合いのようなものに出向いた時のこと。
華美な王城の庭園で、彼女と出会った。
毛先に行くにつれて赤く染まる黄金の髪が風に靡き、ふわりと広がる。
周りの景色を取り込んだ瞳が俺を貫いた。
視線だけではない。
存在感、王者の風格とも言える何かが俺を掴んで放さない。
ずっと釘付けにされてしまいそうになりながらも、俺は自身の責務を全うした。
「お初にお目に掛かります、プロテア殿下。
私はブロッサム家次男、ローズ・ブルーム=ブロッサムでございます」
────ローズ。
聞き慣れた自分の名前のはずなのに、酷く違和感を持つ。
まるで、自分では無いみたいに。
殿下の燃えるような髪と虹にも見える白色の瞳も。
この違和感も、魚の小骨のように喉に引っ掛かっている。
この感覚は生まれてからずっと、俺を苛めていた。
何か重要な何かを忘れてしまっている気がするのだ。
しかし、今そんなことを考えている暇は無い。
今日の俺に課された使命は王女殿下の遊び相手。
いずれ結婚することが決まっている少女を、持て成すこと。
ゆっくりと頭を上げる。
今度は彼女の雰囲気に呑まれないようにしようと思いながら。
再び見える彼女の顔からは、表情が抜け落ちていた。
先程まではそんな顔はしていなかったのに。
今の数瞬で何か気分を害してしまったのだろうか。
不安になっていく心に鞭を打って、口を無理矢理動かした。
「王女殿下は植物がお好きなのですか?
私も植物が好きで……」
「本当……!」
いきなり飛び付いて、手を握って来る。
その勢いに気圧されてしまい、一歩退いた。
「……ええ、本当ですよ」
「どんな花が好きなの?!」
「薔薇です。色は問わず」
高い歓喜の声を上げて、少女は強引に俺の手を牽く。
「こっちに薔薇が沢山あるの! 見ていくでしょう!
いえ、見ていきなさい!!」
「……は、はあ」
半ば引き摺られるようになりながらも、彼女の後をついて行く。
庭園の中を右に左に曲がりながら辿り着いたのは、立派な薔薇の園だった。
少女は手を離し、俺の目の前で大きく広げた。
「どう、とっても綺麗でしょう?」
「……ええ、とても。今まで見た何よりも美しいです」
美しいとは、どれに向けた言葉だったのだろう。
いや、どちらにも向けた言葉だったかもしれない。
だって、満開の薔薇も少女の笑顔も、どちらも目に焼き付くほどに輝いていたのだから。
始めてみたこの美しい景色を────違う、この景色を俺は知っている。
“俺”は知っている。
『聴いてよお兄ちゃん!
プロテア様のこの顔めちゃくちゃ美しくない?!
マジ国宝!』
小さな端末の液晶。
そこに映る美丈夫と薔薇園のイラスト。
ああ、そうだ。
プロテアは、プロテア・ブルーム=フラウは《フラワリング・エンゲージ》の攻略対象だ。
脳内に溢れ出す未知の記憶、忘れてしまっていた記憶。
やっと、見つけた。足りなかったものが見つかった。
頭痛で意識が途切れそうだ。
でも、まだ俺は倒れるわけにはいかない。
まだ、やらなければいけないことがいっぱいある。
覚束ない足をどうにか誤魔化して歩み寄り、プロテアと話す。
やれこの花はこういうところが美しいだの、やれこの花は育てるのが大変だの、俺が話せる範囲で植物のことばかり。
そこに氷のような面影は無く、ただ好きことに一生懸命になっている少女がいるだけだった。
それから数時間後。
別れを惜しむ少女を振り切り、屋敷へと帰ってきた。
襟を緩めてベッドに倒れ込めば、鳴りを潜めていた頭痛がぶり返す。
良く耐えた俺、良く泣かなかった俺。
自分を褒めて、やっと独りぼっちに成れた空間で、抑え付けていた苦しみを開放した。
涙が出るほど痛いのに、苦しいのに、何故かとても嬉しい。
ずっと自分に足りなかった何かをやっと思い出せたのだ。
地球という星の、日本という国で生きた俺の記憶を全て。
大切な妹が大好きだったゲーム、《フラワリング・エンゲージ》。
通称。
個性的な登場人物と主人公が大恋愛の果てに結ばれる、よくある乙女ゲーム。
大人気声優とイラストレーターを起用し、フルボイス・スチルてんこ盛り・マルチエンディングの三拍子で瞬く間に人気になった。
アニメ化、舞台化までした超大作。
────ん、乙女ゲーム?
そうだ、乙女ゲーム。フラエンは乙女ゲームだ。
勿論攻略対象は男。
プロテア・ブルーム=フラウは本来男性なのだ。
いや、待て。
俺はローズ・ブルーム=ブロッサム。
あのゲームでローズって言ったらあのキャラしかいなくないか?
嘘だろ、嘘だと言ってくれよ神様。
『ローズ様……麗し過ぎて死にそう』
そう言って、妹が見ていたイラストには如何にも悪役令嬢という風の金髪縦ロールお嬢様が鎮座していた。
今の俺を女にしたらこんな感じなんだろうなっていう女が。
「確定じゃねーか!」
拝啓、妹様。
お兄ちゃんは性別逆転乙女ゲー世界の悪役令嬢(男)に転生しました。
助けてください。
鏡に映るパツキン男。
我ながら容姿はとても良いと思う。
目が変な色なのは置いといて、顔はハチャメチャに良い。
妹が好きそうな顔だ。
茨だった頃の顔と比べれば顔面偏差値が天と地ほど違う。
こんな顔だったら、滅茶苦茶モテたんだろうなあ。
乙女ゲーあるあるというか創作物あるあるだと思うのだが、何故こんなにも制服がごちゃごちゃして面倒臭いのだろう。
よく分からんボタンと布、デザイン。
現実と被ると色々拙いからという話も聞くが、実際着る立場になれば面倒臭いという感想しか浮かばない。
コスプレイヤーって凄い。
今日はゲームの舞台である《フラウ王国立魔法学園》の入学式。
魔法師になるべく全国から人が集まり、切磋琢磨していく。
中身がアラフォーのおじさんにとって、若い子たちと学ぶことに心配はある。
しかし、今まででも大丈夫だったのだからこれからも大丈夫のはずだ。
根拠のない自信を胸に、寮の扉を開けた。
「……何してるんですか、姉上?」
「勿論弟を迎えに来た」
はいそうですかと有無を言わさずに納得させようとしてくるこの少女、サクラ・ブルーム=ブロッサムは俺の姉であり、ブロッサム公爵家の嫡子だ。
元のフラエン自体、女性領主がいる世界観だったため、性転換しているとしても俺が領主となることはなかった。
寧ろ、俺が領主となってしまえばゲームとの差異が大きくなってしまうだろう。
そもそも、性転換しているから元のストーリー通り進むわけねーだろというツッコミは俺にもあった。
変わっていなかったから俺は諦めた。
強制力みたいなものがあるらしい。
「ここ男子寮ですけれども、どうやって入ってきましたか?」
「正面突破。快く許可してくれた」
無表情でドヤる姉、いつも通りだな。
この人が大人しくしているわけねーんだわ。
大人しそうな眼鏡っ娘だというのに、中身はとんだお転婆だ。
妹もおもしれー男と常に言っていた気がする。
今はおもしれー女だが。
「さあ、行くよ」
「はいはい」
ずんずん進んでいく少女の後ろをついて行く。
あの時の殿下と一緒だな、なんて思いながら。
寮を出て、道なりに歩いていけば学園の本棟に着く。
洋風の世界なのに桜が咲いていることへの違和感は、日本のゲームだからということで納得した。
変に中世風に作っても別に受けはしないだろう。
桜と同じ色の少女は、黙っていれば桜に攫われそうだ。
そんなことにならないのは、弟である俺が一番知っている。
攫おうとした桜を全て伐採する女だ、姉上は。
アホみたいにデカいこの学園だが、寮と本棟自体はそれほど遠くない。
五分も歩けば着く位置だ。
自分たちの他にも、登校する生徒が多数歩いている。
五クラス四十人が三学年もあれば生徒数も相当になるもので、道を埋め尽くさんとするほどの人混みだった。
その人混みが急に二つに割れた。
何が原因か、見えないながらも俺には察しが付いていた。
「プロテア殿下、お美しい……」
「踏んでもらいたい……」
今踏んでもらいたいって言ったやつ表出やがれ。
ではなく、やはりプロテアだったかと彼女の元へ向かおうとする。
しかし、俺の足は前に進むことはない。
前から姉が抱き付いて来たからだ。
「……姉上、放してください。
私は王女殿下の元へ行かなければならないのです」
「駄目」
「放してください」
「駄目」
こうなってしまえば、彼女が自分の意見を曲げることはない。
お許しください、プロテア殿下。
まあ約束していたわけではないから許してくれるだろう。
護衛の彼女もいるし、ぼっちにはならないはずだ。
多分。
あのオーラ故にぼっちになりやすい少女を心配しながら、駄々っ子と共に登校する。
周りから奇異の視線を向けられるが慣れたものだ。
そもそも、目線を向けるのは全体の三分の一しかいない。
姉上がエキセントリックガールなのは同学年以上は解っている。
物珍しさを感じるのはこの人に慣れていない一年生だけ。
その一年生もそのうち慣れるだろう。
「おはようございます、ローズくん。
サクラはいつも通りですね」
「おはようございます、ネモフィラさん。
回収お願いします」
姉上の幼馴染のネモフィラさんが迎えに来た。
苦労人気質の人で、いつも姉上に悩まされている。
報われてほしい。
「嫌だ! ローズと一緒にいるもん!」
「ローズくんとは学年違うでしょ?
大人しく教室に行きなさい!」
「嫌だあ!」
じたばた藻掻きながら、姉上はネモフィラさんに連行されていく。
姉上よりも小柄だというのによくやるものだ。
薄紅色と空色の頭が見えなくなれば、俺は独りぼっちになった。
姉上のせいで周りからは避けられているし、変な目で見られているし、慣れていると言っても心に来るものはある。
これで友達作れなかったら恨むぞ。
数分後。
俺は広い学園の中を独りでうろうろ歩いていた。
求めるものは案内図。
一学年の教室が示されているもの。
はい、迷いました。
だってこの学園広くて迷路みたいなんだもん。
自分の方向音痴さを考慮していなかった。
まあいっか着くでしょ、と楽観していた過去の自分を殴りたい。
一年生の教室が一番遠い場所にあるってどういうことだよ。
何で人っ子一人いないんだよ。
手元のパンフレットをどう見ても、ここの場所の検討がつかない。
教室のプレートから推定しようにも何も書かれていない。
こんな空き部屋ばかりの場所は、どこにも載っていなかった。
どうするべきだろうか。
どこの部屋も空間に固定されているように扉を開けることが出来ず、角度的に時計は見えなかった。
腕時計を着けているわけでもないし、これはもう詰んでいるのでは?
いくら歩いても見つからない、と講義室を探して彷徨い続ける。
代わり映えしない景色の中、何度目か分からない曲がり角を曲がった瞬間、何かと打つかった。
どさりと倒れ込む何か、それは俺が探し求めていた人だった。
「すみません、大丈夫ですか?」
手を差し出して、自分と同じく新入生であろう少女を起こそうとする。
しかし、少女は口をあんぐり開けて俺を見つめるばかりで、手を取ろうとはしなかった。
「……あの、大丈夫ですか」
「……ローズ、様?」
「へ?」
少女はばねのように立ち上がり、俺を勢いのままに押し倒す。
意表を突かれたことで、抵抗することもできずに今度は俺が倒れ込んだ。
「ローズ様?! ローズ様だ! 男になっても麗しい!
はあ〜髪サラサラ、お目々キラキラ、睫毛バシバシ最高かよ。
わたしの推しが美しすぎる件」
俺の上で少女が限界オタクになっている。
この少女、『男になっても』と言ったはずだ。
つまり────
「……貴方は、『フラワリング・エンゲージ』という世界をご存知ですか?」
「勿論ですとも! わたしが人生掛けて愛する世界です!
って、あれ?」
少女はとても驚いた顔で俺に聞き返す。
「フラエン?! きみはフラエンを知っているの?!
つまり、転生者ってこと?!」
「聞き齧った程度ですが……まさか同じ境遇の方がいるとは思っていませんでした」
「ほへ〜……しかも、ローズ様が転生先なんですね。
因みに出身はどちらで?」
「日本です。後、できれば退いていただけると助かります」
「あ、すいません」
慌てた様子で少女は俺の上から退く。
苦ではなかったが、男の上に女性が乗るなんてあまり良く思わない。
「そうだ、名前……」
「ご存知だと思いますが、私はローズ・ブルーム=ブロッサムと申します。
以後お見知りおきを」
「わたし、リリィって言います。
平民なので家名はありません。
えっと……わたしも日本出身です。
フラエン、海外版もあるので、そっちの方だったらどうしようかと」
俺もリリィも立ち上がって、周りを見渡した。
「実は迷っちゃってるんですけど、もしかして……」
「そのもしかして、ですね」
「うわあ、どうしよお!
このままじゃ入学式遅刻しちゃいますよね?!」
「……いえ、もしかしたらその心配はないかもしれません」
俺の仮説が正しければ、俺達が迷い始めてから時間は経過していない。
もしくは、経過していてもたった数分だろう。
その仮説を結論付けるために、情報の磨り合わせを行った。
「リリィさん、今まで通ってきた道で誰かと会ったり、名称の付いた部屋があったりしましたか?」
「いえ、誰とも会いませんでしたし、ありませんでした。
ローズ様の方もなんですか?」
「ええ、不気味なほどに。
あと、『様』なんていりませんよ。
ローズとお呼びください
同学年ですし、この学校は身分差は重要視されませんので」
「ちょっとそれはこころのじゅんびがたりないのでろーずさんでよろしくおねがいします」
ガッチガチに緊張してるなあ彼女、と苦笑しながら周囲を警戒する。
予想通り、ここはどこかおかしい。
誰もいないこと。
どの教室もネームプレートに何も書かれていないこと。
扉が空間に固定されたように動かないこと。
あとは時計の時刻さえ分かれば、ここがどこかは分かるはずだ。
「時計、またはそれに準じる時間を示すもの。
何か持っていますか?」
「時計……持ってはいるんですけど、壊れちゃったみたいで」
「見せていただいても?」
リリィから受け取った腕時計の秒針はぐるぐる動き回っていて、時刻を示すことはない。
時間も、恐らく空間も狂っている。
ならば、ここは────《異界》、なのだろう。
「リリィさん、魔法はどこまで使えますか?」
「ええっと、初級ぐらいなら大体。
中級以上は殆どできません」
「それなら、私の側から離れないでください。
多分、そろそろ来ます」
「来るって何が……?」
リリーが疑問を呈したその刹那、彼女の隣にどす黒い霧のようなものが発生した。
咄嗟に抱き寄せて、霧から距離を取る。
霧から出できたのは、動物を継ぎ接ぎにしたような怪物。
全身黒で染め上げられ、目のような器官をぎょろりと回した。
リリィは珍妙な叫び声を上げながら、俺に更に疑問を打つける。
「あれ、何なんですかあ?!」
「あれは《魔物》です。
動物型、危険度四級くらいでしょうか」
「なんでそんなに冷静なんですかぁ!」
「慣れてるからですかね」
魔法の詠唱に十分な距離を取り、リリィを抱えたまま腰に付けていたホルダーから杖を抜き取った。
「“風よ、切り裂け。”」
こちらに向かって一直線に駆けてくる魔物。
そういう動きは狙い易くて助かる。
魔力を言葉に乗せ、魔法を放つ。
空中に描かれた魔法陣から不可視の刃が飛び出し、魔物を襲った。
皮膚らしきものを切り裂かれて、体中から黒い液体が漏れ出している。
「……効いている、普通に殺しても問題無さそうですね。
“風よ、貫け。”」
また、不可視の攻撃が魔物の脳天を貫く。
衝撃で怪物の身体は吹き飛び、何度か床にバウンドして動かなくなった。
数秒もしないうちに、黒い霧へと変化し消失する。
後に遺ったのは透明な石のようなもの、《魔石》だ。
「……やった?」
「それ、フラグですよね」
あの魔物の息の根はしっかりと止めた。
その証拠に、魔物の核である魔石はあそこに落ちているし、肉体も霧散した。
ただ、彼らがやって来る門は開いたままだ。
一匹、二匹。同じ魔物が門から飛び出してくる。
「ご、ごめんなーい!」
「口閉じないと舌噛みますよ」
再び俺達は走り出す。
ずっとあの場で戦っていたとしても埒が明かない。
門が増える可能性だってあるし、魔力だって無限じゃない。
今の俺達がしなければいけないことは、出口を見つけることだ。
廊下の一番端、反対側の角を曲がる。
先に見えた景色は先程と全く変わらなかった。
ただ俺達が向かっていた方向が逆転しただけ。
「このように無限循環型の突発的異界の場合、目に見える出口はありません。
異界を形成している核を壊さなければ、私たちは一生閉じ込められたままです」
「それじゃあどうするんですかあ?!」
「決まっているでしょう。壊すんですよ、核を!」
より魔力を込めて詠唱する。
初級よりずっと上、この空間全てを壊すような魔法。
両手で数え切れないほどに増えた魔物が一直線に向かってくる。
ノータリンの怪物共は学びもせず殺されに来てくれるらしい。
「“焔よ、暴れ回れ。掻き乱せ。
赴くままに殺戮しろ。
それは、誰もが恐れる大厄災。
全てを|燃やせ《Verbrennen 》。
全てを壊せ。
塵一つ遺さず焼き尽くせ!”」
焔が広がる。
火の粉一つが花びらのように舞い散り、触れた魔物を燃やす。
殺しあぶれないように、骨の髄まで灼いていく。
業火の中には塵一つ遺らず、全て消失する。
轟音の中で、何が割れた音がした。
魔物を殺し終えた厄災は何事も無かったかのように消え去った。
同時に、周りの景色も剥がれ出す。
異界の核が壊れ、維持できなくなったのだろう。
閉じられた世界が剥がれ落ちれば、騒音が耳に入り出した。
俺達を取り囲む数十人の生徒たち。
誰も彼もが、俺たちを見つめている。
これ、本当に最初から異界に入ってたのか?
小動物のように縮まりこむリリィを背に隠して、一先ず辺りにいるであろう教師や委員を探す。
「もしかして君たちが遭難者かい?」
眼鏡を掛けた、理知的だが草臥れた様相の男が話しかけてくる。
身に着けている白衣からすると、教師のうちの一人なのだろう。
「はい、私たち二人だと思います」
「ふむ、通報と該当しているな。えーと……」
「ローズ・ブルーム=ブロッサムです。
こちらはリリィです」
「ああ、ブロッサムの……そっちの子、大丈夫そうかい?」
「色々あって動揺しているようです。
落ち着けそうな場所があれば、そちらに移動したいのですがありますか?」
「案内しよう。委員全体に通達、事後処理は任せた」
腕章を付けた生徒たちが一斉に動き始める。
この場は大丈夫そうだ。
震えるリリーの肩を抱いて、教師の後を追う。
初めての異界遭遇なら無理はない。
誰だって初めはそんなものだ。
数分歩いて、保健室と書かれたプレートが掲げられた部屋に入る。
中は無人で、いくつかのベッドとソファ、テーブルが寂しく置かれているだけだ。
リリィをソファへ誘導し座らせる。
よっぽど怖かったようで、座った瞬間に崩れ落ちた。
「怪我は?」
「ありません」
「なら少し休んでから教室に来なさい。
入学式の整列時間には間に合うように。
……質問攻めにされるのは、今の彼女には厳しいだろう」
耳打ちするように呟く教師は、融通が効くタイプのようだった。
俺が了承したことを確認すると、彼は去っていく。
俺はリリーの隣に腰を下ろした。
「リリィさん、暫く休みましょうか。
整列時間までに教室に向かえば良いらしいので」
「……うん」
それ以上語ろうとしない少女の隣で静かに過ごす。
妹が疲れていたり、辛かったりした時はいつもこうやって隣にいてあげた。
もう会えない妹が、偶に恋しくなる。
「……なんだかお兄ちゃんみたいです」
「……そう、ですか。
リリィさんにはお兄様がいらしたのですね」
「……もう、会えないんですけど」
やべ、地雷踏んだな。
リリィの空気が更に落ち込んだ気がする。
気の利いたことを話せればいいのだが、更に地雷を踏みそうで尻込みしてしまう。
「……ごめんなさい、ローズさん。
無茶なお願いしてもいいですか?」
「私にできることなら、何でもどうぞ」
「数分でいいです、抱き締めてくれませんか」
それは、俺が叶えていい願いなのだろうか。
しかし、それを叶えるだけで彼女が癒やされるならば、俺は実行するしかない。
きつくならないように優しく抱き締める。
リリィも俺の胸に体重を預け、脇の下から背に腕を回した。
出来れば誰も来ませんように。
「原作のローズ様も優しかったけど、ローズさんも優しいです」
「……ローズとは、『悪役令嬢』ではないのですか?」
「ある意味、ゲーム本編だけなら主人公と攻略対象の恋路を邪魔する悪役です。
だけど、ノベライズやコミカライズを見ればがらっと印象が変わるキャラクターなんです」
彼女の抱き締める力が少し、強くなった。
「プロテア様に見合うように研鑽して、誰よりも気高くあろうとして。
でもとても優しくて、悪役なんて柄じゃなくて……どうしてあんなことになっちゃうんだろう」
「あんなこと……? 具体的には」
「……それ、は」
廊下をどたばたと走る音が聞こえる。
誰かがここへ向かってやってくる。
足音から分かるのは、恐らく男性であることだけだ。
リリィをドアから隠すように立つ。
足音は段々と近付いて来て、遂に勢い良くドアが開かれた。
「リリィ、大丈夫か?!」
「マリー……?」
目に入ったのは如何にも主人公と喩えられそうな少年。
太陽色の髪と真っ直ぐな瞳、少年誌によくいるタイプだ。
リリィの知り合いだろうか。
「無事で良かった。そいつに酷いことされたりとか……」
「されてないもん!
っていうかローズ様に向かって『そいつ』って言わないで!」
「ああ、そいつがいつも言ってる『ローズ様』?」
「だからあ!」
「お二人とも落ち着いてください」
徐々にヒートアップしていく彼らを宥めて、机に備え付けられた椅子に座り直す。
ただ、問題なのはリリィが俺から離れようとしないことだ。
「リリィさん、そろそろ……」
「もうちょっとだけお願いします」
マリーさんに滅茶苦茶睨まれてるんですけど俺。
修羅場過ぎて胃が痛い。
「で、ローズさん? リリィと何してたんですか?」
「特に何も。異界化に巻き込まれただけなので」
「……本当ですか?
たったの数十分でこんなに仲良くなるもんですか?
人見知りのこいつが?」
「ローズ様優しいもん! 悪い人じゃないもん!」
「おれはお前を思って言ってるんだぞ馬鹿リリィ!」
「そっちこそわたしの話全然聴いてくれないじゃんバカマリー!」
「だから落ち着いてくださいって!」
身を乗り出して争い始める二人を再び宥めて席に付かせる。
俺は保育士か?
咳払いをして、両方の主張を整理する。
「先ずマリーさん、私たちは異界化に巻き込まれただけです。
仲良くなったのもそこからで、特に怪しいことはしていません。
次にリリィさん、貴方はもう少し自分を思い遣ってくれているマリーさんに感謝するべきです。
話を聴いていただけないことは置いておくとしても、純粋に心配してくださっているのですよ」
「……ごめんなさいローズさん。ごめんマリー」
「おれも熱くなり過ぎました。すみません」
漸く二人は仲直りしたようだった。
どっと疲れた。
水面下での腹の探り合いも疲れるが、こういうザ・喧嘩も疲れる。
久し振りに相見えたから尚更だ。
時計を見ればあと十分ほど。
ゆっくり歩いていけば丁度に着くだろう。
「そろそろここを出ましょう。
お二人のクラスはどこですか?」
「おれもリリィも一年一組。あんたは?」
「私も一組です。一緒に行きましょうか」
動かした椅子片付け、電気を消し、俺達は教室へ向かうことにした。
「リリィ、流石に教室入る時は離れろよ。
ローズさんに迷惑掛かるんだから」
「分かってるよ!」
三十分以上引っ付いたままのリリィとマリーと共に、遠い場所に位置する教室へ歩いていく。
一年生の教室は四階と、日本特有の年功序列を感じさせる。
教室と言っても、ものを入れるロッカーや朝の出席確認でしか使わないのだが。
専ら授業は講義室で行われるし、基本教室は使わない。
それを理由として空き教室で悪事を働く生徒もいるようだが、今日はまだ見かけない。
一年生の一番始めにやるような愚行は冒さないようだ。
廊下の突き当たり、最奥にある教室の扉を開く。
一斉に視線が集まるが無視して席に座る。
偶然にも俺達の席は固まっていて、俺の左にマリー、前にリリィが座るようになっていた。
教壇に立っているのは先程の草臥れた男教師で、時計をちらちらと確認している。
「整列を開始する。確実学籍番号順に並べ」
彼の声に合わせて、皆動き出す。
それぞれのポケットから端末を取り出して、学生証を閲覧しているようだ。
俺は学籍番号を覚えているから、取り出す必要はない。
教師が見ている中で話し掛けるような者はいないようで、何事もなく大講堂へと向かう。
そこから先は、特に何も起きなかった。
学園長が話して、生徒会長とプロテアが代表挨拶をして、来賓から祝辞があった。
その中には父上からの言葉もあった。
意外だったのは、姉上とネモフィラさんが生徒会として壇上に立っていたことだ。
ネモフィラさんはともかく、姉上はそういうことをあまり自分から進んでやろうとする人ではない。
何か心変わりでもあったのだろうか。
教室へ戻り、教師が話し終えた瞬間を狙ってリリィを連れ出す。
朝は時間稼ぎが出来たが、今はそうとは行かない。
彼女が群衆に潰される前に連れ出す必要があったのだ。
マリーは別に大丈夫だろう。
あの場にいたわけではないし、詰め寄られても自分で出ていける。
本棟から渡り廊下を通って特別実習棟へ逃げる。
人気のないここまでくれば彼女が怯えることはない。
足を止めて、牽いていた彼女の手を放す。
「強引に連れて来てしまって申し訳ありません。
あのままではリリィさんは困ってしまうと思いまして。
身勝手な行動をお許しください」
「いえいえいえ!
ありがとうございます、あのままじゃわたし動けなかったから」
真っ赤に染まった顔でリリィはそう答える。
そして直ぐに俯いてしまって、上げようとしない。
「……リリィさん?」
「……あの、今日は本当にありがとうございました。
ずっと、生まれたときから不安だったんです。
この世界にはお兄ちゃんはいないし、ゲームの世界だって知っているのはわたしだけで、信じてくれるひとはいないし。
友だちだってマリーくらいしかいなくて、マリーも幼馴染だから、あの子は『主人公』だから優しくしてくれるだけで。
わたし、どうしようもない人間で────」
「それは違いますよ」
震える声で話す少女の声を遮る。
それ以上は話しちゃ駄目だ。
自分を否定するのは駄目だ。
自分を自分が信じられなくなってしまったら、誰が自分を信じてくれる?
「貴方は、どうしようもない人間なんかじゃない。
出会って一日目の私がそう言うのです。
周りの人だってそう思っているはずですよ。
マリーさんだって、フラエンの主人公である《マリー》だったとしても、今ここにいるマリーさんは貴方と過ごしてきたマリーさんです。
彼の性格なら、嫌な人とは付き合わないでしょう?」
俯いたままの顔を覗き込む。
涙で濡れた瞳が潤んでいた。
今にも溢れ落ちそうな涙を必死に堪えている。
「今まで、よく頑張りましたね。
貴方を信じてくれる人はいます。
頼ってもいいんです。
もう、独りぼっちで頑張らなくていいんですよ」
出会った時のように、少女は俺に勢い良く抱き着く。
二人以外誰もいない空間で、ずっと蓋をした気持ちが決壊したダムのように溢れ出している。
ここには声を遮る者も、涙を止めるものもいない。
いるのは孤独に耐え続けてきた少女と、それを救った一人の男だけだった。
長い夢を見ていた。
走馬灯というやつかもしれない。
まだ死んでいないけれど。
「……そんなことも、あったなあ……」
懐かしい思い出は昨日のように覚えている。
在りし日、もう届かない日々。
リリィにマリー、プロテアや姉上。
他にも色んな人たちと過ごした日々。
しかし、戻れないんだと嘆いていたって、何も始まらない。
手足に巻き付く薔薇。
血のように真っ赤に染まった花弁が、辺りに舞っている。
本当に、どこからどう見ても魔王の風格だ。
今思えば、リリィがあの時『ある意味、悪役令嬢だ』と言っていたのはこういうことなのだろう。
言葉通り、『悪役を演じる令嬢』。倒されるべき巨悪。
そして、彼らは勇者。
魔王を倒す、勇気ある者たち。
これは避けられない運命。
彼らが、おれを殺し、世界を平和に導くという。
魔王が生きていれば、世界は平和になんてならない。
だから、俺は決めたんだ。
彼ら彼女らが幸せになるならば、断頭台にだって立ってやる。
悪役を羽織って立ってみせる。
喩え、皆が望んでいなかろうと。
「……行こうか、ファヴニール」
背後にいた金色の竜は、咆哮する。
それはまるで、旅立ちのファンファーレのようだった。
「……俺達の使命を果たそう。そして────」
この狂った夢の世界を終わらせるんだ。
これより始まりますは、『邪竜と茨の魔王を打ち取りし勇者たちの物語』その最終章。さあさあご照覧あれ。
幸福な結末は直ぐそこに!
D■■■■■■■ルート
■■■■年 ■月■日 ■■■時
◇ローズ・ブルーム=ブロッサム
元シスコン成人男性、現悪役令嬢(男)。中身はおっさん。大分無理してるので、若者のノリに付いて行けないときがある。
フラエンについては妹から聞き齧った知識しかないため、原作のストーリーをほぼ一切知らない。唯一あるルートの終盤の内容だけ知っている。
自分がどう死んだのか覚えていない。
角度によって目の色が異なるため、宝石のような瞳だと言われる。食べたい。本人は変な色だと思っている。
悪役としての役割を全うする。
◇リリィ
色々隠してるタイプの女。例の通り性転換済み。前世は女だったらしい。お兄ちゃんがいた。
トラウマ持ちだけどローズに絆された。そのうち失うものなのに。
前世からローズ推し。ファンディスクとDLC、小説漫画舞台化同人誌まで全て目を通した強いオタク。地雷はお兄ちゃん曇らせ。
◇マリー
原作主人公。性転換済み。ルートによって結構違う。マルチエンディングなので死ぬことが多い。ノベルゲー主人公なら当然のこと。
この世界のマリーくんは超絶完璧勇者の主役なので、迷い無く悪役を討ってくれることでしょう。主役なので。
◇プロテア・ブルーム=フラウ
多分一番可哀想な女の子。性転換済み。元はお花大好きツンデレ王子だった。
◇サクラ・ブルーム=ブロッサム
ブラコン姉貴。性転換済み。元は無表情ボケ眼鏡男だった。世界で一番大切なものは弟。
◇ネモフィラ
サクラの幼馴染みの違法ロリ(16)。性転換済み。元は肉食ハムスター系男子だった。騎士家だから一応貴族なんだけど家名せなかった。
◇教師
よくいるダウナー系教師。性転換済み。女にすればそのまんまこいつ。ローズ似の親友を亡くしている。
普段はこんな作品を書いています。
ご一読いただけますと幸いです。↓
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