密約
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──密約
巴の襲撃から一晩が明けた。
「御屋形様も昨夜の襲撃を憂慮されています」
菅沼は疲れた表情で橘たちを迎えた。
「それは岩陽として白姫に対抗するということか?」
「残念ですが、まだその段階ではありません」
「腰が重いな」
黒姫が肩をすくめる。
「しかし、私個人として黒姫様、そして橘玄をお助けすることはできます」
「家老としてではなく、か?」
「今はまだ。ですが、最大限の配慮をいたしますので何ほど」
「分かった、分かった。今はそれでいい」
菅沼が頭を下げるのに黒姫が手を振った。
「黒姫。白姫は俺を狙っていた。心当たりはないか?」
「さてね。お前のような男が好みだとか?」
「冗談はやめてくれ」
白姫は橘を殺すために巴を送り込んだのではなく、橘を連れ去るために巴をこの落葉城へと送り込んでいた。その理由が橘には分からない。
「ともあれ、白姫は岩陽への野心を隠さなくなった。わしのシマを守るためにわしも動こう。丁度、化け狸どもも配下に加わったことであるしな」
「化け狸でございますか? 岩陽は化け狐の里があり化け狸とか犬猿の仲では?」
「物の怪どもも白姫に付くものや、白姫に対抗するものに分かれた。もはやこれは人だけの争いではないぞ」
「それは……」
「安心せい。わしが物の怪どもはどうにかしてやろう」
菅沼が途方に暮れた顔をするのに黒姫がけらけらと笑った。
「これから岩陽で白姫の差し向けた連中を始末していく。その中で物の怪どもを纏めていくとする。わしと橘だけでは流石に人手が足りん」
「やはり化け狐たちを?」
「ああ。だが、上手くいくといわんぞ。わしは化け狐にも嫌われておる」
「そうでございましたな」
やはり化け狐も食ったのかと橘は横目で黒姫を見た。
「御屋形様もいずれは腰を上げられるはずです。白姫なる化け物は岩陰における盟友であった北右近殿を乱心させ、傀儡にしているというのが事実であれば、我々としても許しがたいことですから」
「あまり期待せず待っておこう」
黒姫はそう言って立ち上がった。
「橘。行くぞ。この城は一度襲われておる。次はもっと容易に落ちる」
「では、どうする?」
「常に移動することだ。連中の相手を正面からしても得はない。暫くは雑兵を送り込んでこっちを疲弊させようとするだろう。奴の目的はわしやお前を殺すことではないようだからな」
「生け捕りか」
「生け捕りにして、何をするやら」
橘が言い、黒姫が怪し気に笑う。
橘たちは城の兵に見守られて落葉城を出て城下町に繰り出す。
「白姫は最後に俺に会ったときも俺に何かをさせようとしたな」
「ふん? 飯でも食いながら聞かせてみい」
「ああ」
橘たちは店に入り、いつものように飯と魚を中心とした食事と酒を頼む。
「白姫は俺とひとつになると言っていた。それから家族がどうのと」
「なんだそれは。惚れられたか?」
「だから冗談はやめろ。心当たりは本当にないのか? 南蛮に詳しいであろう?」
「知らん。南蛮の竜が日の本の男に求愛する理由など聞いたこともない」
「そうか」
黒姫が酒をちびちびとやりながら返すのに橘は雑穀の飯に汁をかけてかき込んだ。
「だが、龍が人を好む話は昔から聞くな。主に雄の龍が女子に恋する話だが、別にその逆があってもおかしくはあるまい」
「お前にはそんな感情はなさそうだな」
「おう、言う言う。わしのような美人に好かれたいとは思わぬか? ん?」
「確かにお前は美人だ。認めよう。だが、それとこれは別」
橘は黒姫がにやにや笑いながら言うのに白湯を口にしてそう返した。
「お前が望むのであれば一晩ぐらい寝てやるのだがな」
「望まんよ。酒なら付き合うが」
「それでよい。それぐらいがちょうどいい関係よ」
黒姫はまた愉快そうに笑った。
その頃、岩陰国は青鹿城にて動きがあった。
青鹿城。今は白姫の手に落ちた城だ。
「白姫様。戻りました」
そう跪いて報告するのは巴だ。
「首尾はどうでしたか?」
今や青鹿城の主となった白姫が城主の座に着き巴の報告を受ける。
「残念ですが、あと一歩及ばず……。申し訳ありません」
「そうですか。仕方ありません。あの方は強い。とても強い」
悔し気に巴が報告するのに白姫がそう語る。
「そうであるからこそ惹かれるのです。あの方とともに生きたいと。あの方とひとつになりたいと。そう思うのです」
「白姫様……」
白姫が恍惚とした表情で語るのに巴が険しい表情を浮かべた。
「しかし、今は岩陽に対しても動かねばなりません。岩陽は我らが覇道の第一歩。さあ、皆のもの。集まりなさい」
そう白姫が言うと人ならざるものたちが姿を見せた。
「堕落」
「白姫様。御身のために尽くします」
ひとりめは僧侶だ。初老の小男で僧衣を纏い、卑屈そうな顔をしていた。
「藤堂邦孝」
「……」
次は首のない武士だ。真っ黒な甲冑を纏い、胡坐をかいて座っていた。
「大百足」
「白姫殿。我々岩陰の物の怪はそなたのために戦う」
次は物の怪、大百足だ。上半身は長い黒髪の美女の姿をしている。しかし、下半身は赤と黒と百足のそれでとぐろを巻いていた。
「勅使河原宗人」
「今はともに」
次は若い男。僧衣を纏っているが僧ではないらしく頭は丸めていない。
「今や岩陰は我々の砦。岩陽を落とし、いずれはこの日の本を制しましょう」
白姫は人ならざるものたちを前にそう語る。
怪しげな笑みを浮かべて。
「そして、その暁にはここにいる全員に不老不死の秘術を授けます。我々はもう死を恐れる必要はなくなるのですよ」
「それは素晴らしい」
白姫の言葉に大百足が扇で口元を隠して笑うとそう言った。
「死の苦しみと別れがなくなり、日の本は楽園となる。かつて秦の始皇帝は不老不死の仙人たちが暮らす蓬莱を探しました。しかし、それは存在しなかった。そのときは」
感情が窺えない貼り付いたような笑みを浮かべたまま白姫は語る。
「そう、これから蓬莱が生まれるのです。楽園が生まれるのです」
「……選ばれたものたちの」
白姫が言うのに勅使河原が小さく呟いた。
「白姫様。あなた様が号令をかければ私は先陣を切って岩陽を制しましょう」
「頼りにしていますよ、巴。ですが、まだそのときではありません。我々の武器は刃のみにあらず。方法はいろいろとあるのです」
巴が力強く訴えるのに白姫がそう諭す。
「戦争と征服という事業は真正面からやれば酷く浪費し、疲弊するものです。征服者が征服者であるが故に敗れたことは数多に上ります。我々はそれらの失敗した征服者と同じ轍を踏まぬようにしなければ」
「して、いかがするのか?」
白姫が語るのに大百足が尋ねる。
「恐怖で敵の心を挫きましょう。恐怖は何より恐ろしい毒」
くすくすと白姫は笑った。
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第1章完結です。
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