首塚平原の戦い──撤退戦
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──首塚平原の戦い──撤退戦
一斉に退却を開始した西川の軍。
追撃戦とする大百足配下の羅城門を押さえるのは菅沼だ。
「これ以上は進ませぬぞ、悪鬼めが!」
「白姫様に逆らうものには死あるのみ!」
菅沼の槍と羅城門の斧が衝突。甲高い金属音が響き渡る。
「菅沼殿! 加勢いたす!」
「助かる、橘殿!」
そこに橘が駆けつけて横合いから羅城門に襲い掛かった。
「無駄だ、無駄! 俺は白姫様より不死を賜っておる!」
「お前もか」
しかし、斬りつけた傷はすぐさま回復する。これまでの白姫の配下と同じく不死だ。
「菅沼殿。ここは俺に任せて退かれよ。そして、椎葉殿と合流を!」
「すまん。任せたぞ、橘殿!」
巴も羅城門ももはや椎葉がいなければどうにもならない。相手は白姫の“ねくろまんしい”によって不死になっている。
「退け、牢人! 殺すぞ!」
「殺せるものならば殺してみろ、悪鬼!」
橘は死んだ兵から槍を拾って投擲し、羅城門の目を狙う。
通常の槍と投擲に使う槍は重心などが異なるが、橘は通常の槍を投擲できるように訓練していた。投げられた槍は羅城門の右目に突き刺さる。
「ぐおっ! 貴様! 死ねえ!」
「やめろ、羅城門!」
斧を振りかざして橘に襲い掛かろうとする羅城門の前に立ったのは巴だ。
「邪魔をするな、巴! 俺の功績を奪うつもりか!」
「白姫様のご下知を忘れたか! 橘は生け捕りにせねばならんのだ!」
「黙れ! ならば、お前から死ね!」
驚いたことに羅城門と巴は仲間割れを始めた。
「なんとまあ」
「どうする、橘? わしらも混ざるか?」
「もう放っておこう。椎葉殿がいなければ殺せない。俺たちも撤退だ」
「おう」
羅城門と巴が殺し合っている間に橘と黒姫は撤退。
既に先に引いた西川の軍も血塗れ渓谷へと逃げ延びようとしている。
そこに仲間割れを始めた大将たちを置いて独自の判断で進軍した白姫側の物の怪と亡者が迫り、背を向けている彼らを屠らんとしていた。
敵の刃が迫り、士気を失いかけている西川の兵が懸命に駆ける。
「構えっ!」
そこでよく通る声で号令が響いた。
「あれは……」
「鉄砲隊だな。おったのか?」
橘たちが号令のした方向を見ると馬防柵の向こうから鉄砲を構えた兵たちが見えた。しかし、掲げている旗は岩陽のそれでも、西川のそれでもない。
火を噴く東洋の竜が描かれた旗を掲げた軍勢が一斉に銃口を敵に向ける。
「撃てえっ!」
そして、一斉に銃声が響き渡った。
「ぎゃっ──」
敵の兵が薙ぎ倒され、物の怪たちが悲鳴を上げ、亡者は無言で倒れる。
「第2列、前へ!」
すぐさま弾と火薬の装填を終えている次の隊列の兵が前に出て射撃。さらに多くの敵兵が倒れていく。
「第3列、前へ!」
そして、同じように次の隊列が。
その間他の兵たちは装填作業を行い、次の射撃に備えている。実に慣れた様子であり、鉄砲に親しみのなかった岩陽の兵とは思えない。
狙いも正確で確実に敵兵を撃ち抜いていた。
「渓谷へ! 血塗れ渓谷へ逃げ込め!」
謎の鉄砲隊が敵の進軍を阻止する中で西川の兵が血塗れ渓谷へ逃走。
血塗れ渓谷は首塚平原から岩陽に攻め込むために通るであろう経路のひとつであり、山間の中にぽっかりと開いた渓谷だ。
歴史上その性質から何度も戦場になっており、それ故に血塗れ渓谷なる物騒な名前が付いているのである。
渓谷は曲がりくねった構造で待ち伏せには最適。
「そこの! そなたたちどこのものか?」
橘と黒姫は血塗れ渓谷の入り口に陣地を作っていた鉄砲隊に声をかけた。
「おう。我らは火竜衆だ。傭兵よ」
そう答えるのは髭面をした長身の男だった。纏っている甲冑は鉄砲を扱うもののそれで守りより動きやすさの方を重視しているものだ。
その男の戦場での動じる様子のなさは歴戦の猛者であることを示していた。
「火竜衆とは。あの雑賀衆にも劣らぬという鉄砲の使い手たちと聞いている」
「それは吹かし過ぎだな。実際は僅かに劣る」
そう言って髭面の男が大笑いする。
「敵が退くぞ! 退いていく!」
「一昨日来やがれ、化け物どもめ!」
そこで羅城門の兵たちが撤退を始め、火竜衆の兵たちが罵詈雑言を浴びせた。
「橘殿。無事だったか」
「椎葉殿。やっと来てくれたか。相手に不死がいる」
「すまん。敵の別動隊に襲われた」
「なんと」
椎葉が疲れた様子でそう語るのに、どこからか紅葉が姿を見せた。その忍びの衣装に返り血を浴びている。
「橘様。申し訳ありません。敵の別動隊に捕捉され、椎葉殿と化け狐の里の物の怪が足止めされてしました……!」
「そうだったか。それでもよく椎葉殿を連れて来てくれたな。感謝する」
紅葉が跪くのに橘が優しくそう返す。
「橘様。我ら物の怪も参りました」
「よく来てくれた、絹御前殿。ともに戦い、そして勝利しよう」
絹御前率いる化け狐の里の物の怪たちも血塗れ渓谷に到着していた。今はまだ西川の兵に見つからないように隠れている。
「それで? これからどうするつもりだ、橘?」
「まず西川殿と話す。物の怪を戦いに加えることを認めてもらわねば。それから我らが戦いに加勢が得られないか頼もう」
「では、わしが菅沼を呼んで会えるように取り計らってやろう」
「ああ。頼むぞ、黒姫」
黒姫が橘に頼まれて菅沼に会いに向かう。
「菅沼。無事であったか?」
「黒姫様。ええ、橘殿のおかげで助かりました」
菅沼は無事に血塗れ渓谷に逃げ込み、そこで休んでいた。
「では、恩を返せ。わしらを西川の殿様に会わせろ。それぐらい容易であろうが」
「物の怪の件ですか?」
「そうだ。化け狐の里の物の怪どもが加勢に来た。このままではお前たちも壊滅すると分かっておるだろう?」
黒姫が菅沼に質問にそう返す。
「分かりました。話を通しておきますのでお待ちを」
菅沼は今、この血塗れ渓谷において全軍撤退の指揮を執っている西川に橘たちが会えるように連絡を入れた。
西川はその工兵よりの技術を生かして阻塞などを設置し、それによって時間を稼いで一度国境付近の稲穂城まで退くつもりのようだ。
「急げ、急げ! 亡者どもが押し寄せてくるぞ!」
「力を入れろ! それ!」
重機がないこの時代において土木工事も野戦築城も全て人力だ。普段から畑仕事で鍛えている百姓たちが重量のある建材などを運び、指示に従って組み立てている。
阻塞が設置されているのは渓谷の中ではなく出口の地点。
そう、幅の短い渓谷から出る瞬間の少数の敵兵を取り囲むように陣地がある。このように配置することで敵の大軍の動きを制限し、局所的な数の有利を作るのだ。
「血塗れ渓谷で完全に迎え撃つつもりはないようだな」
「ああ。いくら渓谷が敵の大軍の動きを制限するとしても渓谷を無視して山を登って攻められたら敵わん。城まで退くが得策だ」
黒姫と橘はそう意見を交えつつ、西川友三に会いに向かった。
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