化け狐の里での物の怪会議
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──化け狐の里での物の怪会議
絹御前は岩陽の化け狐、岩陰の化け狸、そしてその他の物の怪たちの代表者を自らの館に集めた。
「人より申し出がありました。元岩陰国の武士で今は牢人の橘玄殿が我々に戦を指導してくださると申し出ておられます」
絹御前が物の怪たちを前にそう説明する。
「ですが、既に知っておられると思いますが橘殿は黒姫様とともにいらっしゃいました。おふたりは無関係ではないでしょう」
「黒姫様か……」
絹御前の言葉に物の怪たちが呻く。
「黒姫様が何をしたか忘れたたけではあるまい。あの方は味方にはなりはせん。等しく殺すだけだ。そう、まさに荒ぶる神。かのような天災に分別は求められまい」
「まさに。黒姫様は冥府山と無惨川を象徴する存在。その存在はあの山と川と同一の存在である。黒姫様は天災そのものだ。天災は誰の味方でもない」
物の怪たちがそう意見を言い合う。
黒姫は龍神として大勢を殺した。人間も物の怪も。それはまさに天災そのもの。
それ故に恐れられているし、恨まれている。
天災だから仕方がないと思っても本心から納得できるわけではない。ましてその天災に人格があるならばなおのことだ。
「しかし、その牢人には黒姫様が付いておるのだろう。何か要求されるのではないか? また生贄など求められては敵わんぞ」
「触らぬ神に祟りなしという。黒姫様がおるならば関わらない方がいい」
「しかし、他の人間が我らに戦を教えてくれるとは限らない。これが最後の申し出となるかもしれないぞ」
「それも考えなければいけないが、だが黒姫様は明らかにかかわらるべきでない神だ。荒ぶる神は白姫より恐ろしいぞ」
誰もが橘の支援を必要としながらも黒姫を恐れて、橘の申し出も怪しんでいた。
「何を言う! 黒姫様はまだ道理の通じる神よ。少なくとも神としての道理は通しておられる。だが、白姫は違う。白姫は南蛮の邪竜であり、それに加えて死者を弄ぶ正真正銘の化け物だ。俺はこの目で見た!」
そう訴えるのは岩陰の化け狸だ。名を又坐衛門という。
今は岩陰国からの流民となった化け狸の頭をしている。
「白姫を討つのに黒姫様がお力をお貸しくださるというのであれば、俺が生贄となってもよい。それだけの価値はあるだろう!」
「黒姫様が中年狸の生贄などで満足なさるものか! もっと若くて食いでのある生贄を求められるだろう! そうなったらどうするのだ!」
「それならそのときだ!」
「無責任だぞ!」
又坐衛門の言葉に他の物の怪たちが非難の声を上げた。
「落ち着かれてください。頭に血が上ってはなりません」
そこで宥めるような声で絹御前がそういう。
「黒姫様は今のところ何も求められておりません。しかし、力を借りるとなれば黒姫様はまた以前のように振る舞われるでしょう。少なくない生贄を我らから受け取ろうとするはずです」
「やはり……」
「ならば、です。黒姫様の力を借りずとも我らが戦えるということを示せばいい。今はただ橘殿を信頼するというのはどうでしょうか? 教えを乞い、戦について学びましょう。そして白姫の軍勢に勝利するのです」
絹御前がそう提案した。
「ここに橘殿について詳しいものがおります。岩戸衆の忍びです」
「紅葉と申します」
絹御前が紹介するのは紅葉だ。
「橘殿は白姫の軍勢を退けたことがあるのですね?」
「はい。我ら岩戸衆の里の戦いにて我々岩戸衆の忍びたちは何倍もの兵の差がある中、橘殿の優れた指揮と武勇によって里を守り抜きました。あの方は真に戦に長けたお方です。私が保証いたします」
「岩戸衆の里の戦いについて教えてください」
「はっ。まず白姫の攻撃が始まったのは──」
紅葉は首無し武士、藤堂邦孝の軍勢がいかにして岩戸衆の里を落とそうとし、いかにして橘がそれを挫いたかを語った。
「何という戦上手。それは頼りになる!」
「うむ。我らにも戦について教えを願いたい」
話を聞いた物の怪たちが盛り上がり、笑みを浮かべる。
「ええ。橘殿に戦について教えを乞いましょう。そして、そのまま白姫に勝てばよいのです。そうすれば我らは神に助力を乞う必要もありません」
「しかし、先ほどの話ではその首無し武士には橘殿も及ばなかったと」
絹御前が語るのに又坐衛門がそう指摘した。
「それは我らで押さえればいい。生贄になって生きたまま食われるぐらいなら戦って死ぬがよいわ!」
「いかにも! 戦いあるのみ! 我らと橘殿で白姫の軍勢を打ち破り、裏切者の大百足の首も上げようぞ!」
しかし、既に物の怪たちは橘の助力があれば勝てると思い込んでいた。
「それでは橘殿に丁重に教えを乞いましょう。私にお任せを」
「頼むぞ、絹御前。必要であれば我ら物の怪から年頃の娘を見繕おう」
「ええ」
橘も男だ。色仕掛けで落ちると物の怪たちは踏んでいた。
だからこそ、絶世の美女とも言える絹御前に橘との交渉を託したのだ。彼らにとってはもはや橘のみが生き残るためのカギとなっていた。
そんな彼らが色仕掛けを考えるのは当然。古来より物の怪は色気で男を惑わし、取って食っていたのだから。
「まずはお客人としてあの方々をもてなしましょう」
「はい、絹御前様」
狐面を被った若い女たちが集まり、台所から料理と酒を橘たちの部屋に運んでいく。
「紅葉。ご苦労でした。あなたも今は客人です。部屋へ」
「はっ。失礼いたします」
紅葉もここで静かに下がった。
「お食事をお持ちしました」
「おうおう。酒も持っていこい」
そして、化け狐たちが料理を運んでくるのに黒姫がそう命じる。
「もちろんお酒もお持ちしております」
酒を持ってきたのは絹御前だ。化け狐たちとともに香ばしい香りのする酒を食事を前にした橘たちに運んでくる。
「どうぞ、橘様」
「ああ」
絹御前が自ら橘に酌をし、橘が酒を杯で受け取った。
「して、結論は出たのか、絹御前殿?」
「はい。物の怪たちは橘様に戦について教えを乞いたいと」
橘が酒を呷ってから尋ね、絹御前が答える。
「人を襲わぬことを約束してくれるのだな」
「もちろんです。恩人に仇なすような真似は致しません。お約束します」
「ならば結構だ。俺の知る戦の術を与えよう。いつから訓練を始める?」
「それついては後程。今はごゆるりと館でおくつろぎください。橘様たちはお客人でございます」
「そういうのであれば」
橘たちは椎葉を除いて化け狐たちが出した酒を楽しみ、料理を味わった。
「椎葉様はお酒は?」
「結構。だが、よければ後で岩陰からの物の怪たちに白姫や大百足について聞きたい。情報は重要だ。特に相手が手段を選ばぬ外法を使うのであれば」
「分かりました。では、後程」
椎葉は相変わらず酒が飲めなかった。
「やることがないのはわしだけか」
「酒でも飲んでおれ」
黒姫が愚痴るのに橘が苦笑い。
「いいえ。お願いしたいことがございます」
そこで絹御前が告げたとき他の化け狐たちはいなくなっていた。
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