物の怪の噂
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──物の怪の噂
橘たちは落葉城の城下町で宿を取っていた。
「うむ。まだできることはない、か」
「下手に動くべきではないだろう。我らだけではままならない」
宿の部屋では橘と椎葉がまだ新しい知らせがないことに気を揉んでいた。
「なあにを男ふたりで辛気臭い顔をしておる」
そこに別室にいた黒姫がやってきて呆れたように息を吐いた。
「女でも買って来たらどうだ? 全く、見てるだけでうんざりする」
「黒姫。今は紅葉からの知らせを待っているのだ。次の行動を決めるのは岩戸衆から知らせがあってからと決めただろう?」
「そう言って何日経つ? わしは酒でも飲んでおれば満足だがな。お前たちのような男はそうはいかんだろう」
「お前に心配してもらう必要ない」
橘は明らかに暇つぶしのために絡んできた黒姫を軽く流す。
「それより化け狸からは何かないのか?」
「そうだね。聞いてみるか」
黒姫は橘にそう言われて手を叩いた。
「お呼びでしょうか、黒姫様?」
「狸。何か噂でも聞いてはおらんか? 白姫にまつわることでもそうでなくともよい」
いつものように天井から子狸が降ってきて黒姫を前に平伏する。
「噂と言えば化け狐の里が岩陰から逃げて来た物の怪たちを受け入れているとか」
「岩陽と岩陰の物の怪はそこまで仲が良かった記憶はないが」
「ええ。岩陰は化け狸、岩陽は化け狐がそれぞれまとめ役でしたから」
「それなのに、か?」
「白姫との戦いに物の怪の流民を使うつもりかもしれません。化け狐たちは性悪どもですから。あいつらほど信頼できない連中もいませんよ」
黒姫が化け狸に尋ねるのに化け狸はそう返した。
「物の怪たちは白姫をどう思っているのだ?」
「へえ、橘の旦那。大百足のように白姫に従ったものもいますが、白姫には従わないというものたちもおりますよ」
「ふむ。そういう物の怪は俺たちと一緒に戦ってくれるだろうか?」
「それは……ちょっと無理かもしれませんね」
「何故だ?」
橘が困った様子の化け狸に尋ねる。
「黒姫様が物の怪に恐れられていますから……」
「なるほど。物の怪も竜種は嫌うか」
化け狸が恐る恐る告げ、椎葉がさもありなんというように頷く。
「なんだ、わしのせいだというのか?」
「化け狐! 化け狐が黒姫様を恐れているのです! 化け狸ではなく!」
「ふん。狸も狐も似たようなものだろう」
黒姫がすごぶる不満そうな顔をした。
「お前、物の怪を取って食ったと言っておっただろう。そのせいじゃないのか?」
「取って食って何が悪い。食われるようなのろまが悪いのだ」
「そういうとこだぞ。間違いなく」
悪びれもせず黒姫がけらけらと笑い、橘が深々とため息を吐いた。
「竜種の傲慢さというものは死んでも治るまい。咎めるだけ無意味。しかし、私としても物の怪と結ぶのは慎重になるべきだと考える。物の怪の中にも人を食うものはいる。そういうものと手を結べば敵もできる」
「確かに。しかし、今だけは白姫に対抗するために団結せねば」
物の怪が何故恐れられるのかと言えば人を害するからだ。
人を脅かし、人を襲い、人を食う。
そうであるが故に物の怪は人に恐れられていた。
「団結とは困難なことだ。共通の敵というものがあったとしてもその敵との戦いの中で得られる利益や被る被害を巡って争いが生じる」
椎葉がそう語る。
「元寇は知っているな。鎌倉は元国を日の本の共通の敵とした。その後文永の役と弘安の役にて元国を撃退したものの、鎌倉は御家人に報いることができず世は乱れた。それと同じことが起きるかもしれない」
「物の怪が御恩を求めると?」
「人のために戦わせればそうなる。逆に物の怪のために人が戦えばその逆だ」
「ふうむ。俺も牢人であったから知っているが、人は戦えば何かしらの報酬を得られると思っている。そういうことか……」
「命を懸けるのには理由が必要だ」
橘が深く頷き、椎葉がそう言って腕を組んだ。
「生き残るってのも十分な報酬だと思うがね」
「それは自分たちを取って食う化け物とは相いれまい」
黒姫はどうでも良さそうにそう言い、椎葉がそう言い放った。
物の怪は龍である黒姫に食われ、人は化け物である物の怪に食われる。
「では、なおのこと紅葉からの報告を待たねばならないな。今において明確に頼りにできるのは岩戸衆だけだ。菅沼殿もどこまで当てにしていいか」
「わしが言えば菅沼は動く。わしの恐ろしさを知っとるからな」
橘の言葉に黒姫がにやりと笑ってそう言った。
「真に竜種らしい傲慢な交渉方法だな。そこまで己に自信があるなら単騎で白姫を討ってきてはどうだ?」
「馬鹿を抜かせ。何故わしがそこまでせねばならん」
隙を見せれば椎葉と黒姫が言い争いを始める。
「やめてくれ、ふたりとも。仲良くしろ。紅葉から連絡があれば動くのだ。ともに」
橘が苦言を呈し、そして椎葉と黒姫がにらみ合う。
「失礼します」
と、そこで宿の襖から紅葉の声がした。
「紅葉か」
「はい」
襖が開き、紅葉が姿を見せる。
「岩戸衆からの連絡があったのだな」
「岩戸衆が岩陽の物の怪たちが白姫に対抗すべく軍勢を組織しているということを掴みました。家老の菅沼殿はこれを案じておられます」
「案じている、とは?」
「物の怪が軍勢を築くとは前代未聞ですので。もし、白姫を討った後にも軍勢が解散せずして人に牙を剥くことがあれば」
橘が尋ねるのに紅葉がそう報告する。
「自分たちの指揮下にない軍勢が国の中におればそれは気に入らんだろうな」
「ですが、白姫に対抗するのであれば無視するのは得策ではないとも考えておられます。そこで橘様たちに物の怪たちの真意を把握してほしい、と」
黒姫が当然だというように言い、紅葉が付け加えた。
「承知した。しかし、物の怪たちはどこで軍勢を?」
「化け狐の里です。ご案内いたします」
「知っているのか?」
「岩戸衆には物の怪と親しいものもおりますので」
そう言えば岩戸衆には物の怪の血が混じったものがいるという。
「では、早速出立しよう。案内を頼むぞ」
「はっ」
そして橘たちは宿を出ると紅葉の案内で化け狐の里を目指した。
岩陽は山と森が多い。開墾のできないそこからは米は取れないが、山を知る猟師たちは山の幸を取る方法を心得ている。
そんな岩陽の山に向けて橘たちは馬ではなく徒歩で進んだ。馬が通れないほど荒れた道を通るからだ。
「やはり遠いのか?」
「ええ。人が物の怪を避けるように物の怪も人を避けますから」
「お互いに不幸な接触はしたくないということか」
美しい森を抜け、山道を登り、小川を越え、山を進む橘たち。
「止まれ!」
そこで渓谷の声とともに矢が飛んできて橘たちの進もうとした先に刺さる。
「待て! 敵ではない! 私は岩戸衆だ!」
「岩戸衆? そこで待て!」
そして、山の茂みの中から狐面を被った男女が姿を見せた。
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