忍び、紅葉
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──忍び、紅葉
現れた岩戸衆という忍びの一味のもの。
「お前、名は?」
橘が尋ねる。
「紅葉です。家老菅沼様から橘様たちを里に案内するように命じられています」
紅葉と名乗った少女は若く、小柄だった。長身の黒姫と比べると明確に子供だ。
「いつ向かう?」
「できればすぐに。我らが里は今も攻撃を受けています」
「ふむ。では、出立しよう」
紅葉が頭を下げて頼むのに橘が黒姫と椎葉を見た。
「まだ飲み足りぬが仕方あるまい」
「立とう」
黒姫が渋々という具合に頷くと杯を空にし、椎葉はすぐに立ち上がった。
椎葉が宿の支払いを済ませ、紅葉に続いて橘たちが宿を出る。
「里は遠いのか?」
「それなりには。馬を準備してありますので」
「助かる」
橘たちがそうやって暫し進むと馬が準備されていた。痩せていて、あまり立派な馬ではないがちゃんと乗れるように準備されている。
「黒姫、椎葉殿。馬はどうだ?」
橘は武士として乗馬も覚えたが他のふたりは不明だ。
「わしは問題ない。馬に乗る程度問題にもならん」
「私も乗ることはできる」
ふたりとも問題はないようだ。
「それでは行こう」
橘たちは馬に乗り、紅葉の後ろを進む。
馬が駆けて岩陽の山道を登って行き、森の獣道に入る。森の中の何の目印がなさそうな場所でも紅葉は何ら迷うことなく進む。
「まだ着かんのか?」
「忍びの隠れ里なら見つからぬように深い山の中にあるだろう」
黒姫が文句を言うのに橘がそう返す。
紅葉はただ進むのみでどれくらいで到着するのかは伝えていない。
やがて森がどんどんと深くなっていき、森に差す光も遮られてきた。
「つきました」
紅葉がそこでやっとそう言う。
小さな小屋があるだけの場所で紅葉は止まり、小屋の前に馬を止める。
「ここが里か?」
「こちらへ」
紅葉に案内され廃屋のような小屋へと橘たちが入った。
中は暗く、ほこりっぽい。
「何もないではないか」
「ええ。そのように装ってあります」
黒姫がそう文句をいうのに紅葉が靄の壁のひとつの前に立つとそれを押した。くるりと回転ドアのように壁が回り、道が現れる。
「ほう。忍びらしい仕掛けだな」
「どうかこのことは内密に」
「分かっている」
紅葉にそう言われて橘が頷き、壁の裏にあった洞を進む。
洞は人ひとりがようやく通れるほどで10メートルほど伸びた先で紅葉が立ち止まる。
「誰か」
洞の奥から声がした。男の声だ。
「紅葉です。橘様たちをお連れしました」
「紅葉か。通れ」
暗い洞の中で松明が不意に輝き、男たちが姿を現した。
黒に近い忍びの装束を纏った男たちで小刀を腰に差している。
「よくぞ参られた、橘殿。お噂は既に聞いております」
「あいにく俺はお前たちのことは知らんのだ。案内してくれるか?」
「もちろんです。里長にお会いください」
男たちに連れられて橘たちは洞を出る。
「おお。こんな山の中に街があるとは」
そこそこに立派な街が山の中に広がっていた。いくつもの木造の建物が並び、光を押さえた提灯が道を照らしている。外からはこのような街が広がっているなど予想もできないだろう。
橘たちは街の中を抜け、街の奥にある立派な屋敷の前に案内された。
「敵だ! 敵襲!」
しかし、そこで鐘の音が鳴り響く。
「敵だと」
「物の怪の臭いだ。白姫の配下だろうな」
橘が鐘の音に眉を歪めると黒姫がそう言う。
「橘殿。早速だがご助力願えるか?」
「無論だ。力を貸そう」
「では、こっちだ。来てくれ!」
橘たちは忍びたちとともに里の中を再び駆け抜け、里を囲っている防壁に到達した。
その防壁は昔から存在するものらしく木製ながらしっかりとした作りで、櫓なども設置されている。そして、その防壁の門の上から忍びたちが投石などで攻撃側を撃退しようとしていた。
この岩戸衆の隠れ里は山の中に存在する。
この防壁は険しい斜面の上に築かれており、防壁は見た目以上の高さだ。その地形故に攻城兵器の使用も困難。だから、今も隠れ里は落ちずにいた。
「来たぞ! 物の怪どもだ!」
どおんと爆発音がする。
「この臭いは腐肉のそれだな。物の怪かと思ったがどうやら事情が違うようだ」
黒姫が不快そうに眉を歪めるとまた爆発音が響く。
「物の怪が爆弾を撒きつけて防壁に突っ込んでいます!」
「クソ。なんてことをする」
隠れ里の防壁に向けて爆弾を巻きつけた物の怪たちが突っ込んでいた。それらは防壁に立つする度に爆発して防壁を揺さぶる。
「あれは化け狸じゃないか……?」
「化け狸だが死霊術で操られている。既にあれらは死者だ」
櫓に上った橘たちが防壁に突入してくる化け狸たちを見て呟く。椎葉には化け狸にかけられている死者を操る呪いが見えていた。
「来るぞ、首なし武士だ! 備えろ!」
そこでほら貝の音が響き、凄まじい蹄の音が聞こえる。
「紅葉。首無し武士とは?」
「文字通り首のない侍です。3丈はある槍を持ち、黒甲冑を纏っています。そのもの恐ろしさと言ったら……。この世ものではありません」
「黒い甲冑に3丈の槍。まさかとは思うが」
「何か心当たりが?」
「分からん。今はまだ」
櫓から橘たちが険しい斜面の向こう側を見つめた。
そこに一騎の騎兵が斜面を駆け上ってくるのが見えた。
「あの甲冑はやはり!」
「橘殿!?」
橘は櫓から防壁の外に飛び降り、騎兵の前に立つ。
「止まられよ! そなたは藤堂邦彦殿の息子である藤堂邦孝殿とお見受けする!」
橘が叫ぶのに騎兵が歩みを止めた。
首無し武士はその名の通り、首のない武士が黒毛の巨大な軍馬にまたがり、3丈の巨大な槍を握っていた。
その武士が纏っている甲冑を橘は知っていたのだ。
そう、かつてともに北右近に仕えた藤堂邦正の、その息子である藤堂邦孝のものであると。黒い甲冑には藤堂家の家紋が残っており、もはや間違いなかった。
「何があられたのだ? その姿は何故……」
藤堂邦孝は槍の名手としても知られていた。その槍を振るえばいかなる強固な陣地であろうと突破して道を切り開くと。
その藤堂邦孝は無言で槍を構えると橘の方にその矛先を向けた。
「椎葉殿! これも“ねくろましい”か!?」
「そうだ、橘殿! 今解呪を試みる!」
しかし、椎葉の解呪が行われる前に藤堂邦孝が騎兵突撃を再開した。
「ならぬ! 止まるのだ、邦孝殿!」
騎乗した槍騎兵を相手に刀で挑むのは無謀のそれを越えて愚かである。相手には速度と射程において圧倒的優位があり、刀で挑む側に勝機など欠片もないのだ。
「白姫め……! 藤堂殿の息子をかのような姿に……!」
藤堂邦孝が構える槍は北右近から下賜された“隼狩り”という槍。その鋭く長い矛先はこれまで幾人もの強者を屠って来た。
そして、今回は橘を屠るはずだった。
「ふんっ!」
橘は迫る槍を白姫の血を浴びたことで鉄のようになった手で握った。そして、騎兵突撃の勢いでずずずと押されながらも藤堂邦孝の騎兵突撃を阻止。
「椎葉殿! まだか!?」
「まだだ!」
かつての恩師の息子を救おうと橘が奮闘するがそれもままならない。
藤堂邦孝は一度下がり、再び勢いを付けると橘に向けて矛先を向けて突撃。
「くっ!」
今度は受けきれないと悟った橘は死を覚悟する。
そこに突如として白い煙幕が広がった。
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