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益雲寺の夜

……………………


 ──益雲寺の夜



「椎葉殿。白姫は討ち取らねばならぬ化け物だ。そして、そのためには“ねくろまんしい”の知識を有するそなたの協力が欲しい。どうか折れてはくれぬか」


 竜種たる黒姫を嫌悪する“ねくろまんさあ”椎葉に橘はそう頭を下げた。


「橘殿。私も白姫を脅威と思っているし、あれには因縁がある」


 椎葉がそう語り始める。


「私には同じ志を抱いた友がいた。ともに明に学びに行ったほどの仲の友だ。ともに“ねくろまんしい”について学んだ。よい世界を作り、人々が幸福で満たされるように、と。だが、その友は私を裏切った」


「裏切ったとは穏やかではないが、何があった?」


 橘が椎葉にそう尋ねる。


「私の友、勅使河原宗人は優れた医学者であった。私と彼は生まれた時代こそ異なるが、ともに学んだ友だ。私たちは天竺にて出会って以来、ともに医学と“ねくろまんしい”を学んできた」


 椎葉がそう静かに語り始めた。


「彼がおかしくなり始めたのは明に留学したときだった。私たちは明で仙術について研究を行った。仙人とはまさに不老不死の存在。私たちは目的を果たすためにそれを調べるべきだと思ったのだ」


「仙人は実在するのか?」


「竜種の存在を認めても仙人は認められないか?」


「いや。それはそうだな」


 竜がいるのだから仙人がいてもおかしくはない。


「勅使河原は心根の優しい男だった。私が人々から苦痛を取り除くために“ねくろまんしい”を学んでいることにも理解を示していた。だが、心優しい男だったからこそ、今に至る乱世の世に耐えられなかったのだろう」


「その男は何をした?」


「勅使河原はある思想に憑りつかれた。優れた人間の身を不老不死として永遠に支配者とし、その下に全ての民衆を置こうという思想だ」


 橘が尋ねるのに椎葉がそう言った。


「南蛮では哲人王として知られる思想である。優れた人間による統治こそもっとも優れた統治体制であるという考えだ」


「優れた人間ならばこの乱世を鎮められると思ったというところか」


「ああ。しかし、その思想に憑りつかれたまま仙術を紐解き続けたところでその思想は歪み始めた。そう、優れた人間以外に価値はなく、凡夫は優れた人間に奉仕すべきだという考え方へと」


 守られるべき民衆のための優れた統治者のはずが、優れた統治者のための奴隷としての民衆となったのだ。


「非常に竜種染みた考え方であり私はそれを否定した。しかし、勅使河原の意見が変わることはなかった。明から帰国後、彼は私と袂を分かち、そして白姫の陣営に加わった。今や白姫による残酷な支配を進めている」


「白姫に付いたのか」


「これが私と白姫の因縁だ。私は竜種を嫌悪し、それと同類に落ちた友を軽蔑する」


 橘たちに椎葉はそう彼と白姫の間にあるものを語った。


「であるならば、白姫を討ち取るのに力を貸してくれ」


「しかし、そなたは竜種と手を結んでいる。白姫を倒した後でそこの竜種が白姫に成り代わらないと断言できるのか?」


 改めて橘が椎葉に助力を乞うが椎葉は渋い表情を浮かべている。


「わしが白姫に取って代わると? お前の方こそ“ねくろまんしい”を極めれば外道に落ちた友人とやらと同じことを考え始めるのではないか? ん?」


「私は支配に興味はない。もしそれに興味があれば今までの人生で何度もこの日の本を支配する機会はあった。だが、私は人の苦しみを取り払うことにのみその人生を費やしているのだ。お前とは違う、竜種」


 ここで黒姫が言葉を挟み、椎葉が黒姫を睨みつけた。


「その善性を俺は疑うつもりはない。事実、この寺でこうして不死人の治療をしている。噂では見返りも受け取っていないと聞くが」


「流民に払えるものなどないだろう。それに私は本当に人から苦痛を取り除きたいのだ。不死人の治療もまたひとつの仕事」


 黒姫が害した椎葉の機嫌を取ろうと橘が言い、椎葉が小さく頷く。


「その実は自分の友人とやらがやったかもしれない行いを隠したいのではないか? こんなことで“ねくろまんしい”の看板が汚されては困るのだろう」


「黒姫。やめろ。俺たちの敵は白姫だ。この椎葉のような善良なものではない」


「この男が本当に善良だと思うならばお前の目も節穴だな。わしには分かる。この男も人の生死を弄ぶことに快楽を覚えておる狂人だとな」


「何を根拠に」


「考えてみろ、橘よ。お前は刀を使って人を殺すが、刀を使って人を斬るのにどうやってその腕を磨いた?」


「それは鍛錬だ」


「それだけではなかろう? 鍛錬だけで実戦で通じる腕にはならぬもの」


 黒姫が意地悪く笑いながらそう語る。


「……まさか椎葉が“ねくろまんしい”の技術を得るのに白姫と同じことをしていたはずだと言いたいのか? 俺が実戦で腕を磨いたように、と?」


「あながち外れでもあるまい。そうではないのか、医者?」


 橘が黒姫の言わんとすることを言葉にし、黒姫は椎葉にそう言った。


「確かに私は自分が一点の曇りもない潔癖な人間であり、一切の罪のない人間だとは言わない。かつて過ちを犯したこともある。今に至るまでに犠牲にせざるを得なかった人間や道徳に反する行いもあった」


「ほうれ。死体を弄り回したか、あるいは生きた人間を斬り刻んだか。龍であるわしを批判できるような立場ではあるまい」


「私はその過去を反省しているし、過ちからは学んだ。自らの罪から何ひとつ学ぶことなく、数千年も暴虐であり続ける傲慢の極みのお前たち竜種とは違う」


「言うではないか。いい加減腹が立ってきた。食い殺してくれようか」


 椎葉が言い放つのに黒姫が珍しく苛立った表情を見せる。


「やめろ」


 そこで橘が声を響かせた。


「敵は白姫だ。それを過つな。我々が殺し合えば白姫は高笑いするだろう」


 そう言って橘が睨み合う黒姫と椎葉の間に立った。


「ふん。だが、こやつは気に入らん。こんな嫌な男と手を組むぐらいなら、わしはひとりで白姫を討つ」


「私とて竜種などと手を結ぶぐらいならひとりでやる」


 橘が言って聞かせてもふたりの仲は結べそうにない。


「黒姫様!」


 そこで天井から子狸が振って来た。化け狸だ。


「おう。どうした?」


「物の怪たちがこの寺に迫っております! 大百足の配下です!」


「つまり白姫の手先か」


 化け狸が報告するのに黒姫がにやりと笑った。


「ここはわしが龍神の偉大さをそこの性根の腐った死体弄りしかできぬ医者に見せてやろう。わしの力を前に跪くがいいわ」


「竜種は所詮暴力でしか己の価値を示せぬというわけか」


「貴様。そろそろ本気で食い殺すぞ」


「やれるものならばやってみるがいい。私が竜種について何も知らずに嘲っているとでも思ったか。竜種を敵に回せるだけの力量はあるつもりだ」


 黒姫が睨むのに椎葉はそう返す。


「頼むからやめてくれ。白姫の配下が来るならば俺も戦う。力量があるというならば椎葉殿も力を貸してくれ。そして、正式に手を結ぶかどうかの話は敵を撃退してからにしよう。どうだ?」


「分かった。そなたに手を貸そう、橘殿」


「助かる」


 静かな夜の寺に太鼓の音が近づいてきた。


 敵だ。


……………………

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