さようなら、大好き~煌めきのクリスタルオーブ~
カランとドアベルが鳴った。そこに『彼女』と一緒に入ってきたのは黒い猫だ。いくつもの魔法道具が並べられている机の上に、ぴょんっと飛び乗る。そしてその魔法道具を倒さないように、咥えていた『彼女』を座らせた。
「おやおや、誰を連れてきたんだい」
ロッキングチェアでうとうとしていた老婆は、机の上にあった丸い眼鏡をかけ、『彼女』を覗き込む。黒い猫は「ニャー」と鳴いた。
「そうかい、そうかい。この子は人間になりたがっているんだね」
鷲鼻をした老婆はうんうんと頷いた後、一つの魔法道具を手に取った。
「これはね、煌めきのクリスタルオーブと言って、中に魔石が入っている。このクリスタルオーブに両手で触れてごらん。うまく魔石と共鳴すれば、おまえは魔法が使えるようになるよ」
老婆は言いながら、『彼女』の手をそっと摘まんでクリスタルオーブに触れさせてくれた。すると中に入っている石の一つが微かに輝きだす。老婆はそれを取り出して、『彼女』の前に置いた。
「これがおまえの魔石。いいかい。魔法の力が続くのはこの魔石を持っている間だけだよ」
『彼女』はこくんと頷いたように見えた。老婆は『彼女』をそっと持ち上げ、足元に置いた。キラキラした魔法の光が『彼女』を包み込む。『彼女』の姿が消えたかと思うと、そこに小さな人間の女の子が立っていた。
「あ、あり、ありがとう、おばあさん」
女の子はちょっとたどたどしく喋った。老婆はうんうんと頷いて、女の子の手に魔石を優しく握らせる。
「さあ、これを忘れないで。おまえの望みを叶えておいで」
「うん。あり、がとう」
女の子はやっぱりちょっとたどたどしく返事して、老婆の魔法雑貨屋を後にした。
「ミキー、いらないものは捨てていきなさいよー」
一階の台所からミキのお母さんの声が響く。
「わかってるー」
ミキの家はもうすぐ引越しをするところだった。関東の都会から九州の田舎にお父さんが転勤になり、お母さんもミキも弟もそれについていく事にしたのだ。子供部屋の真ん中にダンボールを開けて、必要な物を詰めていく。
ミキはベッドに並べられている人形に目をやった。
「もういらないかなあ」
大きなクマの人形。イヌの人形。ネコの人形。人形はどうしてもかさばる。それにもう今年の春に中学生になるミキには必要ない気がした。「ごめんね」と言いながら、人形達をゴミ袋に入れた。そしてふと気づいた。
「あれ? みこちゃんがいない」
みこちゃんはミキが大切にしていた女の子の人形だ。赤ちゃんの時にプレゼントされたもので、振り回したり、髪を切ったりしてぼろぼろになってはいたが、それでも今まで大事に持っていたものだ。
「まあいっかー」
ミキは仕方ないよね、と思いながら、片づけを進めていった。
魔法の力で人間の姿になった女の子はふらふらと歩いている。初めて自分で歩く足は、なかなか動かすのが難しい。でもミキが引っ越してしまう前に帰らなければならない。
犬がわんわんと吠える。猫がふーっと威嚇してくる。その度にびくびく震えながらも、女の子は歩いていく。
近道しようと大きな公園の中に入った。すると女の子と同じくらいの男の子が指を差してくる。
「お母さん、あの外人の子、一人で歩いてる」
その子のお母さんが「あら、ホント」と言って近寄ってきた。女の子は髪の毛が明るい茶色で、お顔も元の姿の時と似ていて、ちょっと外人っぽい。
「あなた、どこから来たの? お母さんはどこ?」
男の子とお母さんが女の子の前に立ち塞がって質問してくる。女の子はどきどきした。女の子には男の子とお母さんがいい人か悪い人かなんてわからない。
「あ、あ、あ、わ、わ、わた、し」
どきどきしすぎて言葉が出てこない。男の子とお母さんは女の子が日本語がわからないと思ったようだ。
「交番に行きましょうか。お巡りさんのとこ行こう。わかる? ゴー、ポリース」
お母さんはよくわからない英語で女の子の手を引いていこうとする。女の子はどこかに攫われちゃうと思った。
「わ、わたし、帰る、の!」
お母さんの手を振り払って慌てて走り出そうとしたせいで、足がもつれて思いっきり転んでしまう。そして握っていた魔石を離してしまった。
「ああ!」
女の子がうまく起き上がれずにバタバタしていると、お母さんが抱き上げて起こしてくれた。
「帰るの? 帰る所なのね? お家の場所はわかるの?」
女の子はうんと頷く。男の子が転がっていった魔石を拾ってきてくれた。
「これ落としたよ、はいどうぞ」
「あ、あり、がとう」
女の子はようやく男の子とお母さんがいい人だとわかった。その男の子とお母さんは家の近くまでついてきてくれた。
「あそこ、の、家」
女の子が指差した先の家の前には、大きなトラックが止まっていた。そこに家の人らしき人も出入りしているのを見て、男の子とお母さんはもう大丈夫と思ったようだ。手を振って戻っていった。
トラックに家の荷物がどんどん乗せられていた。乗せているのは知らない人――引っ越し業者の人――で、女の子は近寄るのをためらっていた。その内にトラックは荷物を乗せ終えたようで、知らない人達と一緒に走り去っていった。
やがて家からミキのお父さんとお母さんと弟が出てくる。その後にミキも出てきた。女の子は走り寄ろうとした。だが足がもつれて、また転んだ。魔石もまた手から離れ、側溝蓋の穴の中に落ちた。
(ミキが行っちゃう!)
ミキを乗せた車はあっという間に見えなくなった。女の子は泣いた。うつぶせのまま声を上げて泣いていた。
すると車の音が聞こえ、そこからミキが降りてきて女の子に声をかけた。
「あなた、どうしたの?」
車の中からは「ミキー、早く忘れ物取って来なさいー」と声がしている。
「わかってるー」
女の子は起き上がれないままだったけれど、一生懸命叫んだ。伝えたかった言葉を。
「ミ、ミキ……! わたし、あなた、大好き! さようなら……!」
女の子の姿が消え、そこには小さな人形だけが転がっていた。
「みこちゃん?」
ミキは人形を拾い上げた。
「あら、それ持っていくの?」
車に乗ったミキにお母さんが聞く。ミキはそっとみこちゃんに頬ずりした。
「うん、だってわたしの大好きなみこちゃんだもん」
完
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