ははきぎ(三十と一夜の短篇第82回)
すみれの国の当代の国王ははじめから王様になるのを期待されていたのではない。王様は生まれた時は第二王子で、第一王子が既に王太子と決められていた。だから乳母や養育係が付き、遊び相手や教師も付けられたが、第一王子より人数は少なかったし、教育内容も違っていた。第一王子の花嫁選びは格式やら条件付けやらで使者が何度も行き来し、決定は難航した。しかし第二王子の花嫁はゆりの国の新興貴族の娘とあっさり決まった。身分や家格ゆえでなく、多額の持参金が見込めるからだった。
政略結婚でも愛情と信頼の深い夫婦となれる男女もあるが、第二王子と成金の娘と陰口を囁かれる娘の仲は睦まじいようには見えなかった。それでも二人の間に女児が生まれた。宮廷では第二王子よりもお世継ぎの第一王子とその妃の間に更なるお世継ぎが生まれるかどうか大事だった。しかし第一王子の妃は家柄にこだわった結果、きんねむの国の皇女が輿入れしてきたが、いまだ十三歳では懐妊がいつになるか知れなかった。表向きは慶事を祝いながら、第二王子夫妻は、特に妃は弁えない女性だ、と廷臣たちは陰口を叩いた。
ある夏の日、第一王子が狩猟から帰って急に高熱で倒れ、回復することなく亡くなった。弔いが済むと、若く、子のない王太子妃は実家に戻った。果たしてこの夫婦らしい語らいがあったのかどうか、当事者以外誰も知らない。
第一王子の死で、第二王子が王太子に繰り上がり、妃も王太子妃となり、待遇が変わった。そして一日でも早くお世継ぎを儲けよと、無遠慮な物言いが多くなった。これまでも成り上がり者の娘だの、王族に相応しくないだの言われ続けていたのに、更なる悪口が加わってくる。
「この国で女王はあり得ぬ。お世継ぎがいないのはお妃の所為ではないか」
「将来あの成金の出の王妃に頭を垂れなければならないのか」
王太子妃は悔しさを表に出せず私室で涙を零した。とにかく夫である王太子の気持ちに添うよう振る舞うしかなかった。男児を儲けられぬのを理由に結婚無効を申し付けられたら堪らない。
妃の心の支えは我が娘一人だった。時間を割いて王女の部屋に出向き、扶育係が暇を持て余すくらい、可愛がった。
「あなたはわたしの宝物。あなたはわたしの味方でいてね」
語り掛ける言葉は時に氷のようになる。
「美しい国の王子の妻になるとゆりの国では羨ましがられたけれど、結婚してわたしは仕合せになれたのかしら? いいえ、夫も舅も不愛想で何を考えているか判らないし、姑は万事前例の通りと儀式ばった会話しかしてくれない。
あなたが笑えばわたしは仕合せ。あなたは誰よりも可愛い。この国で一番の女性になれるのよ」
いつも憂い顔の王太子妃は王女の前でだけ微笑む。
やがて妃は再び懐妊し、今度は男児を出産した。待望のお世継ぎは妃の手から離された。お世継ぎの扱いとはそのようなもの、と割り切っていてもかなしい。
その後も王太子と妃の間には子は産まれ、王子が三人、王女が三人の子沢山となった。
王太子の父が崩御したので、また繰り上がりに王太子が国王になり、妃は王妃となり、第一王子が王太子の地位に就いた。
地方での小さな動乱や天災があったがおおむね順調に治世が進んだ。国王は長年連れ添う妻に自然な情が生まれて大切な同士と扱い、妃の心は安定した。
第一王子は未来の国王として子どもたちの中では特別扱いされた。まだ小さな下の子どもたちはそのしきたりに従い、仲良くしていた。ただ姉である第一王女はいつも不機嫌そうだった。
「わたしだけのお母様だったのに」
「王后陛下となれば国の母、国民皆の母として振る舞われなければなりません」
お付きの者に諭されても、第一王女の眉のあたりの曇りは晴れなかった。親子で対面できる場で、王女は母に訴えもした。
「お母様はわたくしを宝とも呼んでくださったのに、弟や妹ができた途端、王妃様になってからは更に冷たくなられた。もうわたくしは必要ではないのですね」
「あなたが宝物なのは変わりません。あなたと同じようにほかの子たちも宝なのです」
理屈で判っていても気持ちはなだめられない。第一王女は母に注目してもらおうと、学びでも公式の行事でも懸命に努めた。
国王である父にとって娘が立派に成長しているのは好ましい。縁談がいくつか持ち込まれている、条件次第で進めてもいいだろうと考えた。きんねむの国の皇太子はどうかと話してみると、王女は蛇蝎を目にしたような声を上げた。
「結婚なんて真っ平です!」
「この国の王女と生まれて我が儘は許されぬ。国の利益の為に他国に嫁ぎ、平和を導き次代の国主を儲けるのは誉れである」
「他国の宮廷に行って不運に見舞われるとも限りません。わたくしはお母様が苦労した姿を見て覚えています。他国から来たお母様を陰で悪く言う者がいるのを知っています。
お父様はわたくしがそのような目に遭うとはお思いになりませんの?」
「我が娘を侮るような場所に嫁がせはせぬ」
「とにかくわたくしは何処にも嫁ぎません」
国王はまだ早過ぎたか、と一旦引いた。時間を掛けて説得しなければなるまい、妹姫たちはまだまだ幼い。王妃に王女の役目を説いて、肯かせなければ、と、為政者らしい思考をした。王妃は気が重いながらも、長女を諭す役目を引き受けた。王女は泣きそうになりながら反論してきた。
「わたくしは何処にも誰にも嫁ぎません。女と生まれたからには男と娶わせられるのが仕合せと年長の者たちは言うけれど、お母様はお仕合せなのですか?」
「尊き生まれの者の責務を忘れてはなりませんよ。
確かにお父様とはすぐには打ち解けられませんでしたが、今では深い信頼で結ばれています。決して不幸ではありません」
「どうしてお母様はわたくしを遠ざけようとなさるのです」
「親として娘を遠くに嫁がせるのは寂しいに決まっています。でもいずれ子は親元から巣立つもの。他国の王族と婚儀を結ぶのは王族の務めです」
「お母様はわたくしを愛しく思っていらっしゃらないのです」
今度は王妃が泣きそうになった。
「なんということを! あなたがわたしの大事な宝物の一つであるのは変わりません」
「ああ! 弟たちが生まれる前に戻れたらいいのに! わたくしは数ある宝の一つに過ぎない。男でなくては国を継げず、他国へやってもよい程度なのです」
「数ある子の中の一人と言うのなら、あなたはどの子よりも恵まれました。あなたは最初の子であったから、より長い時間を母と過せました。弟妹たちははじめから母を独占できないのですよ」
独占していたからこそ、きょうだいを等しく扱う難しさを親が説いても王女の心は静まらない。
「こんな目に遭うのなら結婚に向かないような器量や体に生まれればよかった」
「思い上がりもいい加減にしなさい!」
王女は母の声に驚いた。
「恵まれない身の者たちが聞いたらどんな気持ちになるでしょう? すみれの国の王女は高慢な我が儘娘と謗るでしょう。
あなたがそんな心根の娘とは……、わたしは見損なっていたのでしょうか」
自分の物言いが母を嘆かせ、怒らせたと、王女は身が縮んだ。
「賢く育ったと信じていたのに、聞き分けのない」
王女は母に縋り付きそうになる。
「お母様、お母様、お怒りにならないで。わたしはまだ頑是ない子どもなのです。お母様のお膝の上に抱かれていた温もりを失いたくないのです」
王妃は王女の手を取った。
「あなたが愛しい我が子であるのは昔から変わっていません。ただ、愛しいのは弟妹たちも同じです。そしてあなたは大きくなった。歯の生え変わりを気にする子と、大人の仲間入りをしようとする子と、親の対し方が違うのは当然でしょう。
判りますか?」
判らない、自分をもっと気に掛けて欲しい、と王女は言えなくなった。母に反抗し続けたら、今度こそ優しい言葉を掛けてもらえなくなるかも知れない。親から無視されたら身の置きどころが無くなってしまう。
「お母様、どうかわたしをお見捨てなさらないでください。
胸の中にお母様の腕に抱かれた赤子のままの自分がいるのです」
王妃は王女の体を引き寄せた。
「母より背が高くなったあなたはゆりかごに戻れませんよ。愛しいあなたの気持ちが大人になるまで婚儀の件は待って欲しいとお父様に申し上げましょう」
王女は「はい」と肯くしかなかった。
一年後、父王は第一王女ときんねむの国の皇太子との結婚を決めた。王女はまるで苦役を課せられたような顔で旅立った。与えられるだけでなく、自らが与える愛情があってこそ人とのかかわりが成り立つと、果たして王女は気付くだろうか。親は子にとって全能の存在かも知れないが、長所も短所もある一人の人間に過ぎない。