第七話 有望な人材
前回のあらすじ
きらびやかなドレメールの街並みに圧倒されるエマニュエルだったが、飛行船に乗るには大金が必要であり、エマニュエルはそれを持っていなかった。
困って街を行くエマニュエルは、やがてドレメールの裏の顔を目にすることになる。
財力によって生じる格差と事実上の身分制に押さえつけられた貧者、彼らは人の心を失い、さながら地獄の餓鬼のようであった。それを目にしたエマニュエルは、思わず逃げ出してしまうのだった。
「はあっ……はあ……」
気づけばエマニュエルは公園に来ていた。先ほどの広場と違い植え込みや木が植えられ、行き交う人も綺麗な身なりで、ベンチや噴水、遊歩道が整備されたきちんとした場所だった。上を向けば青い空に巨大な飛行船が悠然と佇み、小型の飛行船が空を行き交うその光景は、先ほど見たものをまるで悪夢か何かだったのようにすら思わせてきたが、それで済ませるにはあまりに衝撃的だった。
「(どんな街にも、治安の悪いところはあるんだろうけど……)」
エマニュエルはお忍びの街遊びの際、そう言った場所に迷い込んで怖い思いをしたこともあった。しかしここのそれはよりも容赦も躊躇もなく、まるで人が獣に変わってしまったかのように感じていた、そんな時。
「テーヘンだ! テーヘンがいるぞー!」
「ただのテーヘンじゃないわ、ムショクのテーヘンよ!」
「テーヘンムショクだ! テーヘンムショク! ここはジョーキューシミンの場所なんだぞ」
公園の片隅から子供たちの声が聞こえてきた。そちらを見ると10歳かそこらの子供が3人、地面にうずくまる誰かを踏みつけ蹴り上げ、棒でたたいている。エマニュエルは思わずそちらに駆け寄ると、上等な服を纏った子供たちを引きはがし、棒を奪い取る。
「何をしていますの!」
「あ、何すんだよ!」
「テーヘンムショクは社会のゴミだからやっつけるんだ!」
「人に暴力を振るうのは、いけない事ですわ!」
「なんで?」
「え……」
女の子が言った一言に、エマニュエルは窮する。そも復讐のために旅をしている彼女が、人に暴力を振るってはいけないと言うことなど矛盾でしかなかったのだ。
「ねーねー、なんでー?」
「大人なのにそんなことも答えられないのかよ!」
「お前もムショクか!? ムショクー!」
「……なぜなら……」
煽る子供たちに対して、エマニュエルは唯一、自分の行動と矛盾しない理由を返した。すなわち……暴力には、暴力。子供たちの頬を一回ずつ、平手で打つ。乾いた音と共に、子供たちは呆気にとられた顔をする。
「痛いでしょう!? 人を殴って、痛めつけるなら! 自分もそうされても文句が言えないからです!」
「う、うわーん!」
「殴られたぁー!」
「痛いよおー!」
子供たちは泣きながら蜘蛛の子を散らすように逃げていく。エマニュエルは自分と同程度……自覚している自身の年齢と比して、だが。集団で暴力を振るう光景にやるせない気持ちになった。彼らが言っていたテーヘンムショクというのが底辺無職のことだというのはわかったが、一見して上流階級の子供がそんな言葉を使うということは、彼らの家庭でもまた、そう言った言葉が使われていると言うことでもあるからだ。
「……大丈夫ですか?」
暗澹とした気持ちながらも、ひとまず殴られていた人を助け起こすと、それはエマニュエルが最初に会った男だった。その表情はますます重く、殴られてできた傷やあざが痛々しかった。
「うう……? なんだ、さっきの……」
「あら、あなたは……ひとまず座って休みんだほうがよろしいわ。少しお待ちになって」
男……名前はアルマンという。彼をベンチに座らせ、噴水でハンカチを水に浸してその顔をぬぐう。アルマンは呻いていたが、傷はさほどでもなく、すぐに治るだろうと判断できた。
「ありがとよ……それで、何か用か?」
用があって助けたわけではなかったが、この街の事を聞く良い機会だと考えたエマニュエルは、アルマンの隣に座り、話をすることにした。
「あの、私……見ましたの。先ほど人が、生きたまま……」
「ああ、大物だったらしいな……くそ、あっちにいれば、俺も少しは……」
ご馳走を食べ損ねたと言わんばかりの口調に、やはりあれがこの街では当たり前のことなのだと理解させられた。だがそれでもエマニュエルには信じがたかった。勇者の治世が始まってからまだ10年と経っていないはずなのにもかかわらず、社会はここまで変わってしまうものなのか、と。
「この街は一体どうなっていますの? あんなことをして、まるで、何事もなかったかのように……」
「……なんであんたにそんなこと教えなきゃいけないんだよ」
アルマンからすれば失業して早速痛めつけられ、これから自分もどうなるかという所で、良い服を着た苦労を知らなさそうな旅人にそんなことを尋ねられても苛立つばかりという物。それを察したエマニュエルは何か話を聞きだすための方策を考え……結局、一番単純な手に出ることにした。
「あの、これ……売ればいくらかにはなると思いますわ。これで少しお話を聞かせて下さらないかしら?」
エマニュエルは兵士から奪った剣を渡す。数打ち物ではあるがそれなりの品であり、彼女にとっては特に思い入れも無い物。対価として渡すにはちょうど良い物だった。アルマンは怪訝な顔をしたものの、話をするだけで金目のものが貰えるのならと、ここ何年かの事を話し始めた。王の死後、この地を治めていたバイヤール公爵家もまた争いに敗れ、後釜として勇者パーティーの一員、翠風の隠密デボラが総督としてやってきたのだと言う。
「総督は言ったんだよ。『これからこの街は自由の街になる。誰もお前たちを縛らない。税を取らない、鞭で打たない』ってな」
「……それが、どうしてこんなことに?」
「最初はみんな喜んださ。なんせ税が無くなるんだからな。役人も徴税人もみんなクビ、良いザマだって思ったよ」
話していくうち、アルマンは元々この街の農民であり、“腐れの王”が倒されて以後農地は増えたものの、税が高く生活は楽ではなかったということを知った。その税の恩恵を受ける側であったエマニュエルとしては複雑な気分ではあったが、まずはそのまま話を聞くことにした。
「だがそうなって威張りだしたのが金持ち、土地持ちたち……奴らは物の値段を釣り上げ、食うに困った連中から土地や家を買いたたいて、どんどん肥え太っていきやがった」
「まあ……ですが、それはどんな所でもままあることではありませんの? デボラが来る前にも、そう言った人たちは居たはずですわ」
人々が商いをする以上、商人は儲けを得ようとする。その過程で大商人と呼ばれるものが生まれ、多くの富を集めるのは必然と言えた。エマニュエルもそういう人物と会ったことは幾度となくあり、彼らが皆人格者というわけではなかったことも覚えている。だが彼らもまた、王国を成り立たせるうえで必要な人たちだと、そう教えられてきた。だが、アルマンは憤ってベンチを叩く。
「前はそれでも少しずつ蓄えを作るくらいはできた! 今じゃ丸一日働いてようやくその日の飯が食えるくらい、仕事をなくせば誰に狩られるかもわからないまま怯えて路上で過ごすしかない!」
「狩る……」
エマニュエルが見た光景、あれはまさに狩りだったのだ。獣が弱った獲物を狙って食い殺すように、この街では少しでも弱みを見せれば獲物とされて、比喩でなくすべてを奪われる。このきらびやかな街は実のところ、飢えた獣たちが闊歩する荒野とそう変わりない場所だった。
「俺たちは、総督に騙されたんだ! こんな生活をするくらいなら、まだ魔物に怯えても弱い者同士支えあって生きていけるあの頃の方がマシだった!」
「それほど辛いのでしたら、いっそ街を出るというのは……」
「それは……」
言い淀むアルマン。その表情は単に生まれ育った土地を捨てるという以上の物を感じたエマニュエルだが、それを確かめる前に二人のもとに駆け足の音が近づいてくる。
「いた! あいつだ! あいつが殴ったんだよ!」
先ほどビンタをした子供のうち一人……いかにも甘やかされていそうな小太りの少年が大人を連れて戻ってきた。親というには似ておらず、むしろ護衛といった雰囲気のいかつい男。男はエマニュエルを一瞥すると、ふん、と鼻を鳴らした。
「貴様、坊ちゃんに手を上げたそうだな」
「ええ、この子でしたら、確かに叩きましたわ。けどそれはこの子が……」
「坊ちゃんがお前を痛めつけろと仰せだ。女だろうと容赦せんぞ!」
「まあ!」
雇われボディガードはエマニュエルに殴りかかる。だが彼の失敗は、エマニュエルが見た目相応の非力な旅の女性だと思ったこと。彼はその失敗をその場で身に染みることになった。地面に突っ伏す彼に少年は容赦なく罵声を浴びせる。
「なんだよ! 普段偉そうなこと言っといて女にも負けるのかよ! クズ! 雑魚! 給料泥棒!」
「ぼ、坊ちゃん、お許しを!」
「うるせー、役立たず! お前なんかいらねー! クビだクビ! お前もテーヘンムショクになっちまえ!」
少年はボディーガードの襟についていたバッジをもぎ取る。絶望の表情……ちょうど、エマニュエルが最初に見たアルマンのような表情を浮かべその場にへたり込む。そして少年はそのバッジをもってエマニュエルに突き出した。
「お前、強いんだな。それに美人だし、俺んちで雇ってやるよ。殴ったのも許す! 俺って過去にはこだわらない男だからな」
「ええ? 急に何を言い出しますの……?」
「俺んち、あのバルリエ商会なんだ! 今夜のデボラ様のパーティーにも招待されてるんだぜ!」
「デボラの……!?」
威張った風に言う少年。彼は有名な商家である自分の名前を出してエマニュエルを釣ろうとする。突然の申し出に戸惑うエマニュエル。彼女はその名前を知らなかったが、この少年がデボラに招待されているとなれば、一も二もなく飛びつくほかなかった。
「わかりましたわ。そのパーティーに私も連れて行ってくれるなら、雇われます」
「よっしゃ! じゃあバッジ付けてついて来いよ。ママにも見せないとな!」
エマニュエルがバッジを受け取るなり、少年はさっさと歩きだす。エマニュエルは慌ててその後を追うが、背後から聞こえてきたアルマンの声ははっきりと耳に残るのだった。
「結局、美人で強い奴が金持ちに気に入られるんだよ……」
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上級市民
明確な定義はないが、おおむね大金持ちと同義。実力者や著名人を指すこともあるが、そう言った人物は基本的に金持ちである。彼らに気に入られれば人生を一気に好転させることも可能。そんな夢を見て上級市民の多い地区に入り込む者は少なくない。この自由の街では何をしようと最後に笑っていれば勝者なのである。
そんな夢見る人間をどうするかについても、また自由である。
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少年……名前はエドモンという。彼はエマニュエルを公園近くの馬車留めで馬車に乗せ、市街を行く。連れていかれた先はラ・トゥールほどではないものの高いビルで、警備員の立つエントランスにはそれぞれ操作係のついたエレベーターが並んでいた。その一つに乗り込んだエマニュエルと少年は高層階へと移動する。
「へ、部屋が……上がっていますわ……!?」
「なんだよ、エレベーターも知らないの? 田舎者なんだな!」
係の操作と共に壁が下へと下がっていき、立ったまま重力を感じる初めての体験にうろたえるエマニュエルだったが、それもそう長く続かず、扉が開く。カーペットが敷かれ明かりの灯った小さな廊下、エドモンはすたすたとそこを歩いていく。
「この灯り、ランプではありませんのね。光る糸が入っている……?」
「それは電球だよ、本当に田舎者なんだな……ただいま、ママ!」
また新たな技術に出会ったのもつかの間、少年は廊下の3面に1枚ずつある扉の1つに帰宅の挨拶と共に入っていく。豪奢な壺や観葉植物の植木鉢が並んだ玄関で、上等な服を纏い使用人を連れた、一目でこの家の主人とわかる女性が少年を出迎えた。
「エドちゃまおかえりなさい! あら……その子は誰ざます? 護衛はどうしたの?」
「クビにした! だってあいつ弱いんだもん! こいつにやられちゃったんだぜ! だから代わりにこいつ雇ったよ!」
「まあそうなの! あなた、お名前は?」
「初めまして、私……エマニュエルと申しますわ」
子供が使用人を勝手に首にしたというのにさほど驚くこともなく、少年の母はエマニュエルを品定めに入った。
「ふぅん、ふうん……なかなか器量よし。あなたどこの出身?」
「王都から。今日着いたばかりですの」
「まあまあ、それでエドちゃまの目に留まるなんて運が良いざますねえ。まあ、強いなら護衛としては問題ないざましょ。しかし、我がバルリエ商会の一員となるなら、腕っぷしや見た目だけでは足りないざます」
神経質そうな母は、玄関に飾ってあった花瓶を手に取り、エマニュエルに見せた。
「この花瓶、どのようなものかわかるざますか?」
「ええと……ロアエク窯の花瓶、印章からして、100年ほど前の物ですわね。魔王が現れて閉窯される直前の物で、その後の混乱で相当数が失われたため現存しているものは希少なのだとか……」
「ふむ……ならこちらの絵は?」
「マルゴワールの『湖畔』。水面のきらめきを見事に表現し、中期の傑作のひとつとして数えられていますわ、王宮の画廊に保管されていたはずですが……」
「なるほど……教養も十分に備わっているようざますね。よろしい。ボドワン、この子に制服を!」
エドモンの母はパンパンと手を叩き使用人を呼び寄せる。まだ王女だった時、嫌々ながら勉強していたことが予想だにせず役立ったことに巡りあわせの珍妙さを感じながらも、ボドワンと呼ばれた使用人に更衣室へと案内される。彼から他の使用人が来ているのと同じ、グレーのツーピーススーツを受け取ったエマニュエルだったが更衣室でその服を手に困り果ててしまった。
「どうしようかしら……」
デボラとの戦いが待っている以上この鎧を着ていかなければならない。かといって出された服を着なければ不興を買う。デボラに近づく千載一遇のチャンスを失うわけにいかないエマニュエルは重ね着をしてみたりしたが、どうしても不自然になってしまう。
「どうしようかしら……鎧から変わったりもするのだし、この服の形に変わってくれたりしないかしら」
そうつぶやいたとき、エマニュエルの服が、鎧に変わる時のように粒子となり制服を覆っていく。
「え、え……これって……!?」
10秒もせず、制服は粒子と混ざりあい、崩れ去る。そしてエマニュエルの体に再びまとわりついた黒い粒子は色合いや質感を含めて、制服を完全に再現していた。
「こんなこともできるなんて……とにかくこれで問題ないわね」
更衣室を出るエマニュエル。外ではボドワン……20代中ごろ程の、色黒の青年使用人が待っていた。
「お、ぴったりだな。それじゃあここの仕事を教えていくぞ。坊ちゃまの護衛だと言っても普段他の仕事もできないと話にならないからな」
「ええ……わかりましたわ」
先輩に案内されて各部屋を回るエマニュエル。このフロアは丸ごとバルリエ商会の持ち物であり、広さこそ建物の面積分しかないが、高級な調度品の数々は王宮に居たエマニュエルの目からしても、豪勢な生活を送っていると感じさせるものだった。
「そう離れていないところで、人が生きたまま切り分けられているというのに……」
「光と闇ってやつだな。でも良いじゃないか、俺たちは光の側にいる。落ちこぼれていったクズ共とは違うんだ。あとはヘマせず働いて金を貯めりゃ、ここほどじゃないにせよ高級な家でノンビリ暮らせるってもんだ」
「でも、あなた達だっていつそうなるか、わからないのではありませんの?」
「そりゃ努力が足りなかったって話だろ? お前だって、元居た奴をぶちのめして枠を奪い取ったんだろうが」
「ええ……ええ、そうですわね……」
「別に悪いことしたって言ってるんじゃないさ。お前の方が能力が上なんだから上に行くのは当然のことだろ?」
「けれどそれは……残酷ですわ、あまりにも」
「そうか? 俺は農家の四男坊で継ぐ畑もありゃしなかった。どうあがいたって人生の先は見えてた。今の方がよっぽど公平だと思うぜ。デボラ様のおかげだよ!」
エマニュエルは、デボラに感謝するボドワンに複雑な感情を抱いた。マルブランシュ王家の政策下では日の目を見なかった者が、デボラの下では喜んでいる。仮に自分が勇者たちを討ち、女王になったとして、アルマンもボドワンも喜ぶような政治が、果たしてできるのか。自分へのその問いに答えを出すことはできなかった。
「まあ、とりあえず親睦を深めようってことで、今夜一緒に食事なんてどうだ? 正直いかついオッサンがこんな美人さんと入れ替わるなんて俺としちゃ大歓迎ってなもんで……」
「ごめんなさい、今夜はパーティーに出席させてもらう約束になっておりますの」
「パーティーって、デボラ様のか!? ああ、坊ちゃんの護衛だもんな。くそ、いいな~。どんなだったか聞かせてくれよな!」
ボドワンは屈託のない表情で笑う。それを見たエマニュエルは、自分が何か、ひどい裏切りをしているような気分になるのだった。
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雇う者と雇われる者
上級市民に雇われれば、ドレメールにおける成功の一歩を踏み出したと言えるだろう。実のところ、上級市民は使用人に対して、イメージされているより寛大に接する。多くの人を雇うことは自身の箔付けにもつながり、大勢の味方がいなければ結局数的に多数である底辺層達から自分の身を守れないためである。弱者は強者の庇護を受けようと強者に奉仕し、さらに弱い者を踏みつける。そのたびに強者はさらに肥え、強者たり続けるのである。
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