第十五話 社会の敵
前回のあらすじ
コレットを討つことに失敗したエマニュエルは、一軒の民家で休む。そこの主はエマニュエルがドレメールで妻を殺し、子を置き去りにした、バルリエ商会の主だった。ドレメールの一件を伝えたエマニュエルだったが、主は穏やかな様子のまま、全てを受け入れていた。その姿に違和感を覚えながらも、頭痛に疲弊して休むエマニュエル。一方その頃、コレットはエマニュエルを諭すのをやめ、抹殺することに決定、エマニュエルを狩りだすため、何かを仕掛けようとしていた。
「う……」
いつしか眠っていたエマニュエルが目を覚ますと、頭痛が消えていることに気づいた。窓から見える空はいつしか灰色の雲に覆われており、時間の経過を示している。
「眠っていたのね……でも、いつまでもここに居るわけには……」
エマニュエルは気だるさの残る体を起こし、一言礼を言うために家主バルリエの姿を探す。そう広くもない家の中を探すのには手間取らず、キッチンで窓の外をボウっと眺めて佇む彼の後姿を見つけ、その背に声をかける。
「そろそろお暇致しますわ。お茶、ありがとうございました」
恭しく一礼をしたエマニュエルだが、返事はない。それに疑問を覚えたのと、バルリエが手にしていた包丁を投げつけたのはほぼ同時だった。
「えっ」
エマニュエルには鎧により刻み込まれた戦闘技能はある。しかしそれはあくまで技能であり、使うかどうかの判断はエマニュエル次第だった。それ故に、親切にしてくれた人が突如向けた殺意に対応が遅れ、その刃を無防備に受けてしまった。胸元に走る熱感に気を取られる間もなく、フライパンを振りかぶって突進するバルリエに押し倒される。
「何をなさいますの!?」
頭に振り下ろされるフライパンを手で受け、押し返そうとして……エマニュエルは気づいた。バルリエの表情は先ほどお茶をくれた時とまるで変っていないことに。
「鎧に!」
異様な様子に、服を鎧へと変えるエマニュエル。強化された筋力はバルリエを軽々と弾き飛ばし、壁にたたきつけた。
「くっ、うう……!」
エマニュエルは胸骨で止まったそれを力任せに引き抜き、苦痛に顔をゆがめる。鎧に空いた隙間は縫い合わされるかのように塞がったが、その下で熱いものが広がり、冷えていくのをエマニュエルは感じていた。
「なぜ、急にこんな……!」
もがくバルリエを尻目に、痛みに耐えながら、転がり出るようにして家を出たエマニュエル。その目に映るのは水路と明るい壁の家々が織りなす街並み。その水路の向こうから、銛を持った漁師が走ってくる。右手の路地裏から、剪定鋏を手にした老婆がにじり寄ってくる。明るい色の屋根の上から、大工が道具を次々と投げつけてくる。後ろからは血の付いた包丁を手にしたバルリエが迫ってきていた。皆一様に、穏やかな表情のままで。
「くっ……!」
唯一空いていた左手の道を走るエマニュエル。だがその行く手に次々と市民が現れる。皆、普段使いの道具を手に、エマニュエルに襲い掛かる。その数は続々と増していき、進退窮まったエマニュエルは空中へと逃れた。
「これは……一体どういうこと!?」
空から見下ろしたエマニュエルが見たのは、街の通りから裏路地まで、あらゆる道を使って集まってくる人、人、人。まるで砂糖に群がる蟻のように、街中からエマニュエルを目指して人が集まってきていた。
「こんなことが出来るのは……」
エマニュエルは、聖堂を見る。何が起きているのかはわからなかったが、そこに居る相手が何かをしているのは分かった。いま彼女が決めることはただ一つ。行くか、退くかのみ。
「……ここで、退けるものですか!」
確たる勝算や策があるわけではなかった。しかし、この街の異様な……ドレメールのそれとはまた違う、街全体に染み入ったような禍々しい何か。それを捨て置いて逃げることは許されないように思えたのだ。エマニュエルは眼下に群がる市民を飛び越え、鉛色の空を切り裂くように飛翔する。聖堂に居る、聖女コレットと決着をつけるために。
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コレット(その2)
コレットは善良な人間だった。すべての人々が平和に幸せに暮らすことを願っていた。
コレットは健気な人間だった。父の隠し子として母に疎まれても笑顔を絶やさなかった。
コレットは無私な人間だった。皆のために必要ならと、両親の命も自分の命も差し出した。
コレットは聡明な人間だった。死にゆく魔王から得た知識をすぐ受け入れることが出来た。
コレットは賢明な人間だった。世界を変えるより人々を変える方が早くて確実と気付いた。
コレットは幸運な人間だった。それをするために最適なものを魔王は遺していた。
コレットは冷淡な人間だった。人の心や命、個性に価値を見出さなかった。
コレットは真摯な人間だった。故に、成し遂げた。
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聖堂の前では、コレットが左右に騎士を伴い佇んでいた。彼女は聖堂の鐘楼を見上げ、杖を片手に何かの詠唱めいたことを行っている。
「はあっ!」
それめがけて滑空しながらの一撃を見舞うエマニュエルだが、それは振り返りもせずに張られた魔法の障壁に阻まれる。エマニュエルにとっても、これは挨拶のような物。ゆっくりと振り向くコレットに、エマニュエルは鋭い視線を向けた。
「街の人たちに……いったい何をしましたの!」
「ただ、伝えただけです……あなたが討つべき敵である、と」
「何を馬鹿な……そんなことで街中があんなことになるなんて……」
ありえない、そう言おうとした時、エマニュエルはそのような『ありえないこと』を実現する道具の存在を思い出した。
「魔王の、遺産……!」
「ご存じだったのですね。これが私の持つ魔王の遺産……『魔王の喉笛』です」
障壁を解いたコレットが振り仰いだのは聖堂の鐘楼。一度目に来たときのエマニュエルは気にも留めていなかったが、尖ったその塔に吊るされていたのは、鐘ではなかった。それは銀色をした巨大で鋭い松かさのようであり、無数のとげや針が四方八方に伸び、それらの先端からは何か、空間をゆがませる波紋のようなものが広がり、空中に溶けて消えていた。
「これで、街の人たちを操っているんですのね……!」
「いいえ、操っているのではありません」
「何を……!」
「あなたは、人の心がどこにあるのかご存じですか?」
コレットからの問い。エマニュエルが意図を図りあぐねていると、コレットはゆっくりと、自分の頭を指さした。
「ここです。私たちの頭の中で、ごくごく小さな雷が瞬いているのです。その雷が無数に集まり、私たちの心を作っている……さながら、単純な音がいくつも集まり、音楽を作り出すかのように」
「そう……王宮では習わなかったお話ですわ。でもだから何だと言いますの」
「音楽であるならば、皆が同じ曲を奏でることもできる、そうは思いませんか?」
「何、ですって……?」
エマニュエルの目に映るのは、穏やかにたおやかに、まるで説法をするかのようなコレットの姿。だが、エマニュエルは目の前の聖女が悍ましいことを口にしているのだと言うことを感覚で理解した。
「幸せだと思うその心もまた、一つの現象に過ぎないのであれば。幸福を追い求めて苦しむより、幸福だと思っている状態に『調整』すればよい。そうは思いませんか?」
「そんな……そんな幸福、偽物ですわ!」
「そうでしょうか? あなたが思う正しさも幸福も、他の人から聞き、見て、学んできたことで出来ているはず。人の心は他者により形作られるのです」
「屁理屈を! 築き上げた物も投げ捨て、家族との別れを悲しいとも思わず、その上あなたの都合で戦いの道具にされる! そんな物が人の心であるものですか!」
「外から見たらそう見えるのかもしれませんね。しかし皆さんは心の底から幸せに思っているのですよ? 具体的には頭の中で自ら作られ作用するごくごく微量の薬をいくつか……」
「……もはや……問答無用ですわ!」
エマニュエルは力強く踏み出す。彼女に哲学や脳神経学の知識など望むべくもなく、コレットの言葉の半分も理解できていなかったが、人の頭の中をいじり、都合よく変えて、それこそ幸せと言ってはばからぬこと。自分が戦うのでもなく、訓練した軍人を充てるのでもなく、仮初にでも平穏に過ごしている市民をぶつけてきたこと。それは紛れもない悪であると、エマニュエルは断じた。囁かれた平穏が彼女を縛ることはもうない。
「やああああっ!」
気合一閃、エマニュエルの突撃。二人目の姉の仇との戦いの火ぶたが切られた。
今回もお付き合いくださり、ありがとうございました。
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