第九話 驚異の黒騎士
前回のあらすじ
エマニュエルは、王家時代の教養を生かして有名な商会にもぐりこんだ。そしてその女主人の付き添いとして勇者パーティーの一人、デボラが主催する飛行船でのパーティーへと参加する。贅を尽くしたパーティーの中でデボラを探すエマニュエル。彼女が生きた人を使った的当てに激昂したとき、ついにデボラはその姿を見せたのだった。
「やあああああっ!」
エマニュエルは一直線にデボラへと駆け、跳びかかりながらその顔面へと拳を振る。一瞬で鎧姿に豹変したことにデボラは驚いたものの、身をそらしその一撃を躱した。着地の衝撃で砕かれたタイルの破片が飛び散り、それを避けて跳び下がったデボラは舌打ちする。
「ただの鎧じゃないな!? 玩具を手に入れたお嬢様が乗り込んできたってわけか!」
残党狩りを全滅させたのもエマニュエルだと察したデボラはそれまでの舐めてかかった態度を改める。現役を退いて久しいデボラだが、体に染み込んだ技は健在。逃げ惑う市民たちの隙間を風のようにすり抜け、デボラを見失ったエマニュエルの後ろに回り込む。そしていかなる鎧でも守りが薄くなる、膝裏と股関節に短剣での素早い斬撃を叩きこむ。しかしその手ごたえは、デボラが予想していたようなものではなかった。
「(何だこりゃ!? 柔軟なのに硬い!)」
最も装甲が薄いであろう部位も破れなかったことで、デボラは戦い方を考えねばならなくなった。一方のエマニュエルも、一瞬で背後を取られ攻撃を受けたことに驚いていた。
「(動きがまるで見えなかった……! これが勇者パーティーの実力……!)」
結果、互いに一時にらみ合う……先に動いたのはエマニュエル。ティルのために用意されていた弓矢を手にし、引き絞る。
「当たって!」
「ちっ!」
デボラは機敏に矢を避けながら、エマニュエルの動きを観察する。やがて、ある事に気が付いた。
「(狙いは正確、動きも洗練されてる。その割に……)」
横へのステップ。一手遅れて追従するエマニュエルの矢じり。フェイントで一瞬止まると、放たれた矢はデボラの前を通り過ぎ外へと消える。
「(反応が素直過ぎるしフェイントにも簡単に引っかかる。実戦経験が少ないのか……?)」
デボラは距離を詰め、矢を横に避けた動きそのまま、エマニュエルの横へと回り込む。そこから踏み込み、脇腹への短剣。通らず、そのまま飛びのいて手すりの上に立つ。不安定な足場に立ったところを狙い、エマニュエルは矢を放つ。のけ反って躱したデボラだったが、そのままバランスを崩し……
「う、うわああああああ!!」
叫びながら、手すりの下へと消えていった。
「やった……!?」
矢を撃ち尽くしたエマニュエルは弓を手放し、手すりに身をもたれて下を覗き込む。デボラの姿はそこにはなく、街の明かりが見えるばかり。この高さから落下して助かる者がいるはずもなく、エマニュエルは安心して肩の力を抜く……次の瞬間、重力が消えうせた感覚が彼女を襲った。
「え……」
エマニュエルは驚く。立っていた床は数mほど下に動き、同時に天井が頭を打って下に叩き落す。空中では耐えることもままならず、投げ出されながらも飛行船の方を向いたエマニュエルの目には、斜めになった床を転がる市民たちと、悠然と佇むデボラの姿が映った。
「(何が……!?)」
巻き添えを食った市民たちと共に落下するエマニュエルは、飛行船が大きく傾いているのを目にした。これほど巨大なものが宙に浮かぶのを不思議に思ってはいたが、人が住んでいるのだから当然地上と同じように安定しているのだろうという思い込みが、デボラにとっては付け入る隙となった。デッキの下の死角には整備用の足場があり、デボラは自身の風の力を使えば空中でもある程度動けると言うのも、彼女しか知らない事だった。
「突き落として倒すってのはすぐに思いついたんだがなぁ、問題はどうやるかだった。後始末は大変だが、俺の油断が招いたってことで諦めといてやるよ。落ちてバラバラになりな!」
エマニュエルはデボラの勝利宣言と市民たちの悲鳴を聞きながら落下する。鎧の中で叫んだ声も、飛行船が軋む大きな音にかき消されていった。
「はあ……やれやれだ。やっぱあの時潜って探すべきだったな」
デボラは風の力を使い、止めていた風を再度吹き上げさせる。そもそもこの飛行船の浮力は豪邸を空中に浮かせるには到底足りず、強力な風を下から吹き上げて持ち上げていた。それを一部止めることでわざとバランスを崩し、エマニュエルをはじき出したのだった。その代償として、船内全体で家具は滅茶苦茶になり、戦いの中右デッキから逃げ損ねた市民達はほぼ全員が落下するという結果になったが。
「さて、片付けにどれだけかかるか……」
再度風を吹かせて船体を持ち上げ、床が水平に戻っていく。壁につかまっていた手を放して船内に戻ろうとすると、背後で重たいものが落ちる音がした。
「……マジかよ」
そこにはエマニュエルが居た。黒い鎧には、巻き添えで落とされた市民たちの赤色がこびりつき、さながら地獄から這い上がってきたかのような様相。赤いスリットが輝く鎧の背後には、先ほどまで『的』たちが逃げ回っていた舞台が、その的たちに操作され、浮いている。
「……今のは、偶然に過ぎなかったのでしょう」
エマニュエルは踏み出しながら、言う。
「しかしその偶然を招いたのは間違いなくあなたの傲慢! あなたの重ねた悪行が、あなたを滅ぼすのですわ!」
「ぬかしやがれ!」
エマニュエルとデボラが交錯する。弾かれる刃、空を切る拳。互いに決め手に欠けるまま、戦いの場は通路、そしてホールへと移っていく。エマニュエルが大きな壺を砲弾の如く投げつけ、外れたそれが砕け散ったと思えば、お返しとばかりにワインボトルが顔に投げつけられて割れ、視界を奪う。
「くっ……姑息ですわよ!」
咄嗟に兜をぬぐうエマニュエルだが、その時デボラの姿は視界から消え失せていた。客たちの悲鳴も遠ざかり、絢爛なパーティー会場だったホールは絵具とおもちゃ箱をぶちまけたような惨状を静けさが包んでいた。
「どこへ……?」
エマニュエルはあたりを見回しながら、銀食器やグラスを踏みしめつつ歩く。広い部屋で敵を見失った時、選択肢はおおむね二つ。壁を背にするか、どこから来ても対応できる時間を最大にする、中央に行くか。前者の選択は自然と潰されていた。一度傾いたため、ホールにあった様々なものが壁際に寄っており、そちら側からやってきたエマニュエルは、障害物の多い壁際から自然と足が離れていたのだ。
「まさか、逃げ
言葉も終わらぬうち、エマニュエルの頭上で金属の破断する音。彼女が頭上を見上げた時には、金で出来た巨大なシャンデリアが視界一杯に迫ってくるところだった。
「あっ……!」
到底避けられず、下敷きとなるエマニュエル。天井から勢いよく落下したシャンデリアはそのまま床を砕き、あしらわれたクリスタルの破片を虹色の輝きと共にまき散らしながらエマニュエルごと下に落ちる。ホールには巨大な穴が開き、それをデボラは切った鎖にぶら下がったまま見下ろしていた。
「さて……さすがにくたばったか?」
相手の動きを読み、周りにあるものを利用し、思いもよらぬところから牙を剥く。デボラは自身の得意とする戦術をもって、エマニュエルに渾身の一撃をくらわせた。しかし、それに安堵することなくデボラは鎖を離し穴の下へ飛び降りる。襲撃者エマニュエル、7年前の亡霊が今度こそ死んだのか、確認するために。
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デボラ(その2)
デボラの理想社会は金がすべての社会。金は誰が使おうと額面通りの価値を持つ。誰であろうと努力と工夫でそれに応じた額を手にすることができる、何より平等な基準であると考えたからだ。
だが、平等と公平は似て異なるもの。それを問題だと考えるには、デボラは日陰を歩きすぎていた。暗闇から出てきた者にとって、昇らんとする暁の太陽も沈みゆく黄昏の太陽も見分けがつくはずもなかったのだ。
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