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序章:革命の日

 勇者が討たれた街のあちこちから悲鳴がこだまする。十代以上も続いた王家の下で広がってきた美しい石造りの街並みと、勇者の手により灯り始めた近代文明の灯は天から雪のように降る光に飲み込まれ、端から徐々に削り取られていた。その中心たる王宮はもはや機能しておらず、静寂に包まれ……庭園には、テーブルと椅子、お菓子が乗った皿、そしてティーセットが一組。そこに座るのはこの事態をもたらした元凶、勇者パーティーを惨殺し、魔王の再来と呼ばれた、全身を黒い鎧で固めた老婆が一人。彼女は光に覆われていく空を見上げて、リンゴのパイをかじると、言葉を漏らした。



「やっぱり、ママの方が上ね」



 嘆息すると、彼女もまた光の中へと消えていった。





─── まだ、王国が在りし日 ───





 うららかな春の日光が差し込む、王宮の廊下を少女が走る。歳は11、クリクリした青い目と、背中まである赤レンガのような色の髪。青い服は子供向けながら上品なつくりで、彼女が上流階級であることを一目でわからせるだろう。息を切らせて走る彼女の名はエマニュエル・マルブランシュ。ここ、神聖マルブランシュ王国の第三王女に当たる人物だった。彼女は王女らしからぬ、両手を振った全力疾走で廊下を走り抜け……



「おじい様!」



 勢いよく祖父、すなわち国王の執務室へと駆け込んだ。目を輝かせて執務机に身を乗り出すエマニュエルを、白ひげを蓄えた国王、マルブランシュ十三世と、王子にしてエマニュエルの父、次期国王たるオディロン・マルブランシュが出迎える。



「おお、エマニュエル。今日は特別元気だね」


「ええ、もちろんですおじい様! なんといっても記念すべき日なのですから!」


「こらエマ、陛下は執務中だぞ」


「よいよい、めでたい日じゃ。かく言うワシも、正直仕事が手につかんでな」


「父上……」


「あら、お父様。仕方ありませんわ。何しろ勇者様がお帰りになるんですもの!」



 100年ほど前、突如として現れた魔王とその配下、魔族。それらと人類は長きにわたり争ってきた。しかしマルブランシュ王国の送り出した『勇者』は5年にわたる旅路の末、ついに魔王を討ち果たし……この王都サン・コリヌへと戻ってくるのが今日この日だった。



「一体いつ勇者様はお着きになるの? もう大通りは人でいっぱいよ! 私も早く行って、お出迎えをしないと!」


「エマ、勇者様たちは裏口から遅くにこっそりお戻りになる予定だ。大通りに行っても会えないよ」


「ええ!? どうしてなの!?」


「英雄の彼らが何の計画もなしに入ってきたら、街が大混乱になってしまうだろう? パレードはちゃんと後日計画を立ててする予定だ」


「そんなあ……」


「ほっほっほ、エマニュエル、心配せずとも今夜は盛大な宴を開く。そこで勇者と話す機会もあるじゃろうて」


「本当!? だったら、すぐにドレスを選んでもらいにいかないと!」



 踵を返し、再び廊下を走るエマニュエル。衣裳部屋には二人の先客の姿があった。



「まあ、エマニュエル」


「また廊下を走ったわね? はしたないといつも言ってるのに!」


「ご、ごめんなさい上姉さま、下姉さま!」



 金髪碧眼の二人の女性。髪にウェーブのかかった柔和な方が、第一王女アネット。肩程度の長さの髪の勝気な方が第二王女ミラベル。エマと違う髪の色は、流れる血が半分異なっていることを示している。



「どうせ祝賀会のドレスを選びに来たのでしょう? ほら、さっさと座る! あなたももうそろそろ、大人らしい服装にしても良いころよね」


「あら、まだまだ可愛い服装でいいと思うけど~」


「駄目よ、お姉さま。エマもそろそろ淑女らしさを身に付けてもらわないと」



 二人は着せ替え人形のごとく、エマに様々な服を合わせていく。後妻の連れ子であり、平民の血が混ざったエマと姉二人は当初上手くいっていなかったものの、生来の明るさと、様々な勉強や圧力、偏見にも負けない意志の強さで、いつしか姉妹としての絆を深めていた。



「よし、こんなところでしょう!」


「髪はまたあとで整えてあげましょうね?」


「ええ、ありがとう上姉さま、下姉さま!」



 三人で着るドレスを決めて、それでも心が昂ったままのエマは王太子妃マリオン……すなわち母の部屋を訪れる。かつて王宮の侍女であった彼女は若き日の王子と関係を持ち、マリオンを授かった。しかし王子にはすでに決められた相手があり、一侍女の出る幕などなく彼女は王宮を去り、女手一つで娘を育ててきたのだった。しかし先妻が病で急逝した王子のたっての願いで後妻として王宮へ戻る。その経緯から様々な苦労をしてきたが、今では仲睦まじい王家の一員として暮らしていた。もうじきエマを姉にする新たな命を宿した赤毛の王太子妃は、娘の訪室に笑顔を見せながらも、まずは母としての務めを果たすことにした。



「こらエマ。家庭教師の先生が探していたわよ?」


「ええ!? こんな日にもお勉強なの!?」


「いい、エマ? あなたももうすぐお姉さんになるのよ。弟か妹か……どっちにしても、胸を張れるお姉さんになりたいでしょ? 勇者様だって、賢い女の子の方がきっと好きよ」


「でもママ、お姉さんがあんまり賢いと妹だって苦労するのよ。私がそうだったんだもの。それよりも、一緒にたくさん遊んでくれるお姉さんの方が良いと思うわ」


「もう、屁理屈ばっかり上手くなって……わかりました、それじゃあ勇者様をお招きするパーティーに、私の果物パイを出しましょう。それなら頑張れるでしょう?」


「本当!? 私、パイはママのが一番好きなの! 全然焼いてくれなくなったから、もうお料理はしないのかと思ったわ!」


「ふふ、ごめんね。赤ちゃんができたら、台所にも入りにくくて。さあ、楽しみもできたでしょう? 行ってらっしゃい」


「はーい!」



 ようやく自室に戻ったエマニュエル王女は家庭教師にお小言を言われながらも、歴史や作法、教養、音楽、刺繍、絵画、その他諸々……エマにとっては退屈な時間ではあったが、夜のパーティーと、そこで出会う勇者、そして母のパイ。たくさんの楽しみを支えに、エマは立ち向かうのだった。



 夜。謁見の間でもある王宮の大ホールは華やかの一言に尽きる空間となっていた。各地から集まった大貴族とその家族、彼らのために奏でられる音楽。シャンデリアが煌めき、別室には菓子や軽食が用意され、その別室からは、姉に頬をつままれながらエマニュエルが引っ張り出されていた。



「もう! あなたって子は!」


「お願い下姉さま、一口だけだから!」


「い、け、ま、せ、ん!」


「ふふ、仕方ないわよねえ、お義母さまのパイ、本当においしいんですもの」


「お姉さまはまたエマを甘やかす……いいエマ? こういう場はね、女の戦場なのよ。ここで素敵な男性に誘われるかどうかで、一生が決まるんだからね。口にパイの欠片をつけてたんじゃ、ネズミくらいにしか求愛されなくてよ」


「まあまあ、ミラベル。今日はあくまで勇者様の魔王討伐を労う会なのだから。まずは世界が平和になったことを喜びましょう?」



 明るい緑の落ち着いたドレスに身を包んだ長女、赤い情熱的なドレスの次女、そして青いドレスのはつらつとした三女、その王家三姉妹が仲良くおしゃべりをしていれば、当然注目を浴びる。しかしそれも、主役……すなわち勇者の登場するまでのことだった。



「勇者様ご一行、ご到着です!」



 入口の騎士が高らかに告げ、ホールに流れていた優雅な音楽が勇壮なものに変わる。正面の大戸が開かれ、入ってくる5人の英雄たち。彼らはたちまち、ホール中の視線をくぎ付けにした。エマニュエルもまたその例にもれず、目を輝かせて英雄に見入る。



「勇者様だわ……! 聖剣リュミエールを抜いた光の勇者オーレリアン様! なんて凛々しいのかしら!」



 先頭を行くのは黒髪に白い鎧の青年。20を少し過ぎた程度ながら、幾多の戦いを経たその表情は引き締まり、静かな使命感をたたえている。そしてその後ろには、勇者の戦いを支えてきた仲間たちが続いた。



「紅炎の魔術師、アニエス様! 蒼水の聖女、コレット様に、翠風(すいふう)の隠密、デボラ様! 珀土(はくど)の竜戦士ジョルジェット様! 勇者様のパーティーが一堂に!」



 勇者の後には、長い金髪で濃紺のローブ姿、勇者と同年代の魔法使い。幼さを残す小柄で短い青髪、白主体のチュニックを身に付けたエルフ神官。緑色の髪を結い、背は高く鋭い目をした軽装の隠密、大柄で黄色い鱗を持つ、胸甲を装備した半竜人の戦士が続く。勇者以外は全員が女性のためハーレムと言われることもあったが、魔王を討ち果たした今、そのような揶揄は過去のものとなっていた。



「勇者オーレリアンよ。此度の働き、まこと見事であった」


「ありがたきお言葉です、陛下」



 魔王を討ったその装備に身を包んだ勇者一行は片膝をつき、玉座からの言葉を受ける。平凡な騎士の子であった勇者が選ばれし者にしか抜けないとされる聖剣を抜き、幼馴染のアニエスと共に旅に出たこと、初めて魔王軍の幹部とされる者を討ち果たしたこと、これまでの勇者の旅を振り返りながら……ともすれば老人特有の長い話がしばらく続いた。



「父上。その辺りで……」


「おお、いかんいかん。老いるとどうしても話が長くなってしまう」



 息子にたしなめられた国王はあごひげを撫でながら、話を仕切りなおす。



「さて勇者よ。おぬしの働きにいかなる褒美を与えたものか……財貨は当然として、儂としては孫娘のアネットを嫁がせ、いずれはオディロンの治世を助けてほしいと思っているのだが……」



 ホールがざわめくが、どこかそれも当然という空気があった。勇者の功績はそれほどまでに大きなものだったのだ。



「上姉さまが、勇者様のお嫁さんに!? そしたら勇者様がお兄様で……」



 突然のことに期待を膨らませるエマニュエルだったが、勇者の返事はそれを裏切るものだった。



「申し訳ありません陛下。私は、すでに伴侶とする女性は決めているのです」



 勇者はアニエスと視線を交わす。その意味に気づけないほど、エマニュエルは子供ではなかった。



「残念ね、エマ? 素敵なお義兄様はできないみたいよ」


「むぅ……でも、お父様のお手伝いをするなら家族になるようなものだわ。そうでしょう? 下姉さま」



 孫たちの思いはさておき、褒美を辞退された国王は少し困ったような様子を見せていた。事の成り行きによっては将来王位に就くことも可能なこの申し出を、断られるとは思っていなかったのだ。



「ふむ、そうか……しかし、ならばどのようにして報いたものか……」


「父上。褒賞の話はあとからでもできましょう。それより、英雄たちをいつまでも跪かせるわけにはいきますまい」


「おお、それもそうか……では勇者よ、今日のところは宴を楽しむとしよう!」



 国王が手を叩くと、別室に控えていた給仕がボトルを用意していく。会場入りしたばかりの勇者一行はまだグラスを受け取っていないため、賓客への礼儀としてその場で最も身分の高い女性が給仕をする。本来は王子妃たるマリオンがそうなのだが、身重ということもあり欠席中のため第一王女アネットがその役割を担う。



「さあ、勇者様」



 勇者ら5人のグラスを赤い酒で満たし、会場の全員に飲み物がいきわたった。主催たる国王により、乾杯の音頭がとられる。



「それでは諸君、勇者の勝利と、我らの輝かしい未来を祝して……」



 乾杯が宣言されようというとき、パシャリ、と水音。国王の言葉を前に音楽も止められていたため、余計にはっきりと、それは響いた。勇者一行の一人、隠密であるデボラがアネットにグラスの中身を浴びせたのだ。



「デボラ様、何を……?」



 アネットの困惑の声、それはたちまちの内に……



「え……? あああぁぁぁあぁ!!!!?」



 悲鳴になる。白い肌は黒く、そして見る間に肉の赤へと変わっていく。エマニュエルは、人間の顔が溶け崩れて行く様を生まれて初めて目にすることになった。



「え……上姉さま……?」



 悶え苦しむアネットを前にエマニュエルのみならず会場全体が呆然とする中、勇者は王を見据え、毅然と言い放った。



「王よ、諸侯よ、これがあなた達の答えか! 魔王を討ち果たした以上我らは用済みであると!」


「な……ま、まて勇者よ! これは何かの間違い……」


「問答無用! そちらが我らを排そうというのなら、我らもそれに抗おう! 聖剣リュミエールよ!」



 勇者は武器を抜く。魔王を討った聖剣は振りかぶられると輝きを放ち……



「父上、危ない!」



 振り下ろすと同時、閃光が走る。その光はホールの床を砕き、壁を裂き、国王と、国王を庇って前に出た王子はその閃光に飲み込まれ……二人は腕だけを残し、塵になって消えた。



「陛下が……!」


「そんな、え……!?」


「勇者様が陛下を!?」



 ホールにどよめきが広がり、それはたちまち悲鳴へと変わった。それに呼応して駆け付けた騎士達が勇者を取り囲む。



「勇者が乱心した、斬れ! 斬れ!」



 騎士団長の声と共にいくつもの剣が勇者へと襲い掛かる。だが、勇者が剣を振れば腕が飛び、戦士が大斧を振れば胴体が割れ、隠密の双剣が首を裂く。優麗なホールはたちまち血と肉と臓物飛び交う地獄絵図へと塗り替わっていった。訪れた貴族たちは我先に逃げ出そうとし、出口で詰まり、駆け付けた兵たちに押し返され、戦いに巻き込まれて肉塊へと変わる。エマニュエルがその場に立ち尽くすしかできなかったのは、むしろ幸運だったと言えるかもしれない。



「あ、ああ、あぁ……」



 震え、声にならない音を喉から出すしかできないエマニュエル。見知った騎士の顔が兜ごと横を転がり、美しいドレスを血に染めた淑女が、体から飛び出る物を必死に押さえている。目には惨状、耳には血と肉の音、鼻にはむせ返るような鉄錆の如き臭い、全身が震え、膝が折れかけた時、その手を次女ミラベルが掴んだ。




「エマ! こっち!」


「下姉さま! 上姉さまが……おじい様が、お父様も!」


「……今は走るの! さあ!」



 ミラベルはエマニュエルの手を引き、ホールの裏手に当たる扉から出る。そこは料理などが置かれる小部屋になっていて、普段目につかない給仕用の通路があった。そこを潜って殺戮劇から抜け出した姉妹だったが、ホールを取り巻く回廊を走り、その場を離れようとした時。獣の咆哮を数段強烈にしたような声と共に、ホールの壁が吹き飛び、駆け付けようとしていた兵士たちと、運よくホールを抜け出せていた貴族ら数名を(つぶて)が打ち倒す。



「いいぞジョルジェット、そのまま正面玄関を抑えるんだ!」


「あ、ああ! やって見せるさ! さあ、(あたし)が居る限り、ここは通さないよ! それでも来ようって奴はいるのかい!?」



 粉塵の中から大斧を担いだ竜戦士が飛び出し、玄関ロビーへ続く大階段に陣取る。半竜の体躯から繰り出される斧の攻撃は、階段を通行不可能な殺し間へと変えた。



「っ、玄関はだめね、とにかくホールから離れないと!」


「どうして、どうして勇者様が、こんな、恐ろしいことを……!」


「わからない、わからないわ……今は生き延びることを考えて!」



 姉に手を引かれてエマニュエルは走る。肉親、そして王宮暮らしが始まってから顔見知りとなっていった騎士たちが惨たらしく死に、そしてそれをしたのは憧れであり、世界を救った勇者。あまりの衝撃に、涙を流すことすらできないまま、王女姉妹は悲鳴が続くホールから離れていった。



「下姉さま、私、私どうしたらいいかわからないの! これは、悪い夢ではないの!?」


「残念だけど現実よ。いいエマ? どんなに恐ろしくても、取り乱してはだめよ。私たちは王族、いかなる時でも民を導く責務があるの。陛下も父上も居ない今、それを背負うのは私たちなのよ」


「そんな……できないわ! 私、そんな……何も、何も知らないのに!」



 悲鳴がいつしか聞こえなくなった廊下で、エマニュエルは暗澹として俯く。生粋の王族として育てられたミラベルと、平民として暮らしていたエマニュエルの覚悟の差が出た形になるが、そのエマニュエルを決して責めることなく、彼女の赤毛を、ミラベルは落ち着かせるように撫でた。



「エマ、あなたが王宮に来て初めての狩猟会を覚えていて?」


「ええ……下姉さまが獲物を追いかけて、そのまま戻ってこなくて……」


「そう。崖で足をくじいていた私を最初に見つけたばかりか、その場の蔦を編んで助けに降りてきてくれたわね」


「そんなこと……何の役にも立たないわ……」


「いいえエマ。知識は後から身に付けられる、大切なのは機知と勇気。あなたにはそれがあるわ。だから……エマっ!!」



 ミラベルは突然、撫でていた手でエマニュエルの頭を横へと押しやる。尻もちをついたエマニュエルの目の前を白い線が下から上に薙ぎ、冷たいしぶきと共に、エマニュエルを撫でていた腕が宙を舞った。



「う……あああああ!!」


「下、姉さま……」



 エマニュエルの顔にかかる熱い雫と、苦痛の悲鳴が、恐怖も悲劇も終わっていないのだと告げる。ホールの方から歩み来るのは、穏やかな表情を浮かべたままの少女。エマより少し年上な程度の見た目でありながら、勇者一行の癒しと守りの魔法を一手に担う、水の聖女コレットが悠然と歩みを進めていた。



「ああ、申し訳ありません。苦痛を与えるつもりはありませんでした……さあ、癒して差し上げます」



 腕を落とされ、激痛にうめくミラベルに、コレットは杖を一振りして癒しの術をかける。断ち切られた傷口が塞がり痛みも消えたミラベルだが、それは迫りくる死が遠ざかったことを意味するものではなかった。



「では、今度は動かないでくださいね? 二人とも痛みなく、送って差し上げます」



 苦痛は与えない、しかし命は奪う。その矛盾ともいえる行動のために、聖女コレットは杖を掲げ、再び水流の刃を打ち出さんとする。だがそれに、ミラベルは片腕で組み付いた。



「まあ! 慈悲を与えたというのに!」


「エマ、逃げなさい! 早く!」


「そんな、下姉さまを置いていくなんて!」


「あなたは逃げないとダメなの! 無事なのはもうあなただけなのよ!」



 組み付いた敵を排除する手段に乏しいコレットは、弱めた水流の刃でミラベルを切りつけていく。少しずつ肉を削がれドレスの赤は血の赤に変わっていくが、それでも一本だけの腕を離すことはしなかった。



「下姉さま……! う、うぅ……!」


「逃げてはいけませんよ? 苦しみが長引くばかりです……ああ、そうだ! 先にあなたを送ってあげましょう! そうすれば、お姉さんも無用に耐える必要は無くなりますね!」


「エマ! 逃げるの!!」


「う、ああああぁぁぁ!!」


 ミラベルの悲鳴じみた叱責に、エマは駆け出し、廊下を曲がる。その背後を水流の刃が突き抜けた。



「……逃げられましたか」


「エマ、無事で……」



 妹が逃げおおせたのを見届けたミラベルは力尽き、その場に倒れる。聖女はその胸を無造作に水流で貫き命を奪うと、エマニュエルを追いかけようとするが、背後から兵士たちがやってきたのを見て嘆息した。



「まあ、あちらは任せてしまいましょうか」



 エマニュエルを追うのを諦め、兵士たちに聖女コレットは向き直る。兵士たちが全員彼女に葬り去られるのに、時間はそうかからなかった。





「うっ、うぅ……ぐす……」



 エマニュエルは泣きじゃくりながらも、王宮の廊下を走っていく。その足は彼女に残された最後の肉親……母親であるマリオンの部屋へと向かっていた。



「ママ……ママも、危ないわ……私が、頑張らないと……お姉ちゃんに、なるんだから……」



 泣き崩れてしまいそうになる自分を子供ながらに必死に鼓舞して、一人、静かになりつつある王宮を走る。窓から見える中庭ではまだ兵士たちが抵抗を続けていたが、勇者たちの攻勢を凌ぐには至らず、その数を次々に減らして行く。



「……逃げないと……ママを連れて……王族の責務なんて、そんな物より命の方が大事に決まってるわ……」



 エマニュエルは、かつて自分が住んでいた家を思い返す。小さな、王宮から比べれば物置小屋のような家。それでも母と二人で暮らす日々は暖かく、幸せだった。少なくともこうして、勇者に命を狙われることなどは無かった。



「どこか、遠くへ行くのよ。もう魔王だっていないんだもの、私とママだけでも旅ができるはずだわ。どこか小さな町で、ママと、お腹の子と……」



 うなされる様に呟きながら、エマは最後の角を曲がった。長い廊下の向こうには母の部屋があり、あとはまっすぐ進むだけ。そして母の部屋からは、ランプに照らされた二人の人影が近づいていた。



「エマ!」


「ママ! それに、アデラール卿!」


「おひいさま、ご無事で!」



 一人は母マリオン、それに付き添うのは古参の騎士アデラール。王宮に入りたてで環境に慣れておらず、肩身の狭かった親子に当初から親身に接してきた馴染みの騎士だった。年齢故に半ば隠居のような身ではあったが、王宮の異変に際し彼だけは身重のマリオンを案じ馳せ参じていたのだった。



「アデラール卿! 上姉さまが! 父上もおじい様も! 下姉さまも……私を逃がすために……!」


「ええ、何やら大変なことが起きている様子……とにかくお二人は王宮を脱出しなされ!」


「しかしアデラール卿、どうやって……」


「なあに。無駄に歳ばかり食ったおかげで、少々古臭いことを知っていましてな。この王宮はかつて遺跡があった場所に建てられているのです。今でも、その遺跡に入る道がいくつか残されていて……」



 膝をつき、安心させるように語り掛けるアデラールだったが、その背後で王太子妃の部屋が轟音と共に火を吹き、廊下を爆風が駆け抜ける。



「ぬうっ!?」


「出遅れたみたいね! でも、逃がさないわよ!」



 炎に包まれた部屋から、ローブに身を包んだ魔術師が飛び出す。紅炎の魔術師アニエス、勇者パーティーの攻撃魔法を一手に担う彼女の魔法は、飛行魔法と併用しながらでも部屋一つを吹き飛ばすなど容易なことだった。



「お逃げ下され! ぬあああ!!」



 剣を抜いたアデラールがアニエスへジグザグに突進する。護衛のいない魔導士に対して一気に距離を詰めるという選択肢は正しく、アデラールにはそれをするだけの技量もあった。アニエスの放つ魔法の光弾を躱し、剣を振り下ろす。しかし……アニエスの魔法は、そのような戦術に破られるようなものでもなかった。魔法の障壁が剣を防ぎ、魔力を乗せた杖の一振りが、アデラールを弾き飛ばして廊下の窓から叩き落す。



「アデラール卿!」


「まったく、手間かけさせるんじゃないわよ。用があるのはあんたたち二人だけなんだから」


「や、やめてください、お願いします……! 私は、王宮や権力なんて要りません、どうか、どうか娘とお腹の子だけは……!」


「そうね……あなた達、単に巻き込まれただけだものね……」



 マリオンの懇願に、アニエスは嘆息すると歩み寄り、その手を取った。マリオンは安堵の表情を浮かべ、俯いていた顔を上げるが……



「でも、そんなの関係ないのよ」



 取られた手から炎がマリオンの体に広がり、たちまち全身を覆う。肉と髪の焼ける嫌な臭いが立ち込めた。悲鳴の代わりに炎を口から吐き出し、マリオンは黒く焼け焦げていく



「ママ!! いやああああ!! そんな! あああああああ!!!!」



エマニュエルは半狂乱になり、叫ぶ。母親と、自分を姉にするはずだった子が、水気の多いブズブズとした音を立てる焼死体になる様を目の前で見せられるのは、11歳の少女にとってはあまりに酷な出来事だった。うつろな目から涙を流しながら、その場にへたり込んだエマニュエルの耳に、背後から複数の足跡が、彼女の耳に聞こえてきた。



「アニエス! 済んだかい?」



 爽やかな……今この状況においてはむしろ異様と言える声が足音の方から響く。勇者……この事態を招いた張本人が、鎧のあちこちに返り血の汚れをつけ、それでも涼しい顔をしている。左右を固めるのはその仲間たち。ここに集まっているということはすなわち、彼らの目的が達成されたということでもある。



「オーレリアン! ええ、この通り。あとはこの第三王女で終わりね」


「ああ。それじゃあ、終わらせよう」


「……どうして……どうして、こんなことに……私たちが、何をしたというの……」


「何もしてはいないよ。けど、君の中に流れる王家の血がいけないんだ。生きていれば旗印として担ぎ出す人が必ず出てくる。新しい国づくりをするうえで、それは良くないんだ」



 子供を諭すような口調で語る勇者。剣を手にするその姿に、エマニュエルは諦めようとしたが……すぐに、一つの疑問が彼女の頭に浮かんだ。勇者は毒を盛られたと思って反撃したはずなのに、なぜもう新しい国づくりなどという所まで考えが及んでいるのか。そもそも、毒に気づいたのは隠密のデボラのはずなのに、なぜ勇者たちは誰一人驚いたりしなかったのか。それの意味するところが、エマニュエルの頭の中で急速に像を結んでいく。



「あなたが……あなた達が、仕組みましたのね!」


「あらあら、デボラ。あなたのお芝居が良くなかったのではないですか?」


「ちっ、うるせえな。上手くいったんだからいいじゃねえか」


「これも世界を良くするためなんだ。悪いけど、死んでもらえるかな」


「う……うあああああ!!」



 エマニュエルは叫んだ。諦めを、悲しみを、それを上回る激情が押し込めた。この男の思うようにしてはならない。野望のために無慈悲に、無残に、家族を殺したこいつらを許してはおけないと。アデラールが突き落とされた窓に走る。この廊下の下には水の張られた堀があり、2階からでもそこに飛び込めば大丈夫のはずだと考えたのだ。恐怖を押し込め、破られた窓から飛び出す。しかし……



「逃がすわけ、ないでしょうがっ!」



 それをアニエスが追撃した。エマニュエルが水に落ちると同時、掲げた杖から無数の稲妻がほとばしり、水面に次々突き立っていく。



「あっ……」



 魔力の電流はエマニュエルの体を駆け抜け、彼女の心機能を停止させる。自分の体から力が抜けていくのを感じながら、エマニュエルは水面が遠ざかっていくのをただ見つめていた。



「(ああ……やっぱり、私なんかじゃ……)」



 ゴポ、と口から泡を吐き出し。エマニュエルはその意識を手放した。一方でそれを上から見下ろしていた勇者たちはしばらく水面を見ていたが……



「浮いてこないね。もう息も続かないはずだ」


「どうすんだ? 潜って死体を確認するか?」


「いや、アニエスの魔法を受けたんだ。それより先に後の処理を優先しよう」


「亡くなられた方を弔い、新体制樹立の発表、人員の選定……することは山ほどありますね」


「私はそういうの、無理だぞ……」


「ご心配なく。頭脳労働は私とコレットでやっておくから」


「ああ、これから大変だと思うけど、みんなよろしく頼む! 俺たちで、新しい、明るい未来を作っていこう!」



 王族を廃し、自分たちの理想の世界を作る。その第一歩を踏み出した勇者たちだが、その足元で起きた小さな異変。堀の中で小さな扉が開き、水と共にエマニュエルの体を飲み込んでどこかへと流していったことに、気づくことはなかった。



─────

────

──




「起きなさい……エマニュエル……目を覚ますのです……」



 聞いたことのない、穏やかだがどこか無機質さを感じさせる声。男とも女ともつかないその声に、エマニュエルの意識が闇から引き戻される。



「私……私は……あ、ああ! ママ! お姉さま! おじい様、お父様!」



 家族をすべて勇者に殺され、自分もまた魔法の稲妻に打たれて堀に沈んだ……エマニュエルの脳裏に、悪夢のような一晩がフラッシュバックする。



「私……私は死んだの? ここはどこ?」



 エマニュエルの頭ははっきりとしているが、その目は何も映してはいない。どこまでも続く暗黒の中、立っているのか、寝ているのかもわからないまま、暗闇に問いかける。



「ここはあなたの夢の中。あなたの命は今、消えゆこうとしています」


「ああ、私、やっぱり……それならあなたは誰? 神様なの?」


「私は聖剣リュミエールを造りし者。それを神と称するのであれば、神ということになります」


「なら、やはり神様なのね! でも、それならどうして……勇者を止めて下さらなかったの! そうしたら、皆……私だって……」


「私は人に力と目的を与えます。しかし、その行動を強制できるわけではないのです」


「そんな……! 無責任だわ、そんなの!」



 エマニュエルは暗闇に叫ぶ。彼女は神や伝説を信じる人間であったが、それだけに、偉大なはずの神が投げっぱなしのようなことをするのは、納得がいかなかった。そんな彼女の抗議を他所に、声は話をつづける。



「しかし、今の勇者は私の考えから大きくそれようとしています。このままでは世界は乱れ、あるべき姿から外れてしまう……エマニュエル、あなたに一つの道を示しましょう」


「道、ですって?」


「そう、あなたが勇者を倒すのです」


「そんな……できっこないわ! 私、剣を握ったこともありませんのよ!」


「戦い方は教えましょう。戦う武器も与えましょう。必要な物は、あなたの意思のみです」


「私の……」



 エマニュエルは暗闇の中目を閉じ、自分の心を見つめる。心の中にあるものは、家族を失った悲しみ。無慈悲に命を奪われる恐怖。何もできなかった自身への失意。そしてそれらすべての原因である勇者たちへの、燃えるような怒り。その怒り全てを吐き出すように、暗闇へ叫ぶ。



「私……これで終わりなんて嫌! このまま、何もせず死んでいくくらいなら……同じ死ぬでも、ママを、皆をあんな目に遭わせた勇者たちに少しでもやり返してやりたい!」



 その叫びに答えるかのように、暗闇は無限に広がる明るい空間へと反転した。彼方は空のごとく青色が飽和しているが、エマニュエルはどこか曖昧だった自分の体をはっきり認識し、目に見えない床に立っていることもわかるようになっていた。自分を取り戻した心地になったエマニュエルに、神の言葉が続く。




「あなたの意思は示されました。エマニュエル。あなたはこれより7年の間眠りにつき、戦うための準備をしなければなりません」


「7年も!? 私が死んでいないことはすぐにばれてしまうわ! 眠っている間に見つかったら……!」


かぶりを振ったエマニュエルは、自分の体を見て愕然とする。一糸まとわぬ姿なのは良いとしても、肌は所々炭化し、そうでないところも、電撃が残した赤い筋がまるで木の根が張ったようにいくつも刻まれている。



「これは……!」


「あなたの体はこの通り傷つき、心臓は止まっています。まずは、傷を癒さなければなりません」


「……わかった。それしかないのなら、7年でも、70年でも待って見せます! さあ、私に力をちょうだい!」


「では眠りの時です、エマニュエル。目覚めた時、すべてが見違えていることでしょう」



 神の声と同時に、エマニュエルの意識はまどろんでいく。暗く冷たい水中で、意識を手放していくようなそれのなか、エマニュエルは夢を見た。



(私たちが王宮に? すごいわ!)


(平民が後妻として王宮に入る、それがどういうことかお分かりなのですか?)


(ああ。だが信じてくれ。君への愛を失ったことなど一度もない! 君たちを守ると約束する!)



初めて父と出会ったこと。



(エマ、またミラベル様と喧嘩をしたんですって?)


(向こうが先に意地悪をしてきたんだもん。それに『様』だなんておかしいわ。ママはママだし、私だって王女でしょう?)


(もう……我が子ながら、その物怖じの無さはいっそ感心ね。でも王族なのだから取っ組み合いなんて駄目よ。それから、言葉遣いももっと上品に。いつも言っているでしょう?)



平民出を嘲る姉たちと喧嘩が絶えなかった日々の事。



(わあ……壁から出るとこんなに景色が違うんだ!)



勇者が近隣の魔物の親玉を倒し、生まれて初めて街門をくぐり、見渡す限りの大地に心躍らせた時の事。



(下姉さま、泣かないで……)


(だって……私、あんなに意地悪したのに……)


(けど、私たちは姉妹なのよ? 家族は助け合うものだわ)



 狩猟会でミラベルに肩を貸しながら共に暗い森を歩いた時の事。



(エマニュエル、王宮を抜け出したりして……アデラール卿、あなたの仕業ね)


(だって上姉様、ずっと王宮じゃ退屈だわ!)


(エマニュエル。私達は王族としての自覚をもって、普段の振る舞いから……)


(その、今日は私達と一緒に遊びましょう。思ったより楽しいんですよ、街って)


(ミラベルまで……仕方ないわね、今日だけは付き合うけど、これっきりですよ)



 アネットも巻き込むようになって、城下町で遊ぶようになった時の事。



「(そんなに前でもないのに……懐かしい感じ……)」



嫌なことも良いことも、いろいろなことがあり……少しずつ、家族として絆を深めていった。それら一つ一つを思い出として、平和な世界を生きていける。魔王討伐の報を聞いたときのエマニュエルは疑いなくそう思っていた。



「え……? あああぁぁぁあぁ!!!!?」


「な……ま、まて勇者よ! これは何かの間違い……」


「父上、危ない!」


「エマ! 逃げるの!!」


「や、やめてください、お願いします……! 私は、王宮や権力なんて要りません、どうか、どうか娘とお腹の子だけは……!」



 その幻想は残酷に打ち砕かれた。リフレインする家族の最期に、音にならない叫び声をあげ……エマニュエルは誓う。



「(必ず……必ず、報いを……!)」



 その思いが、長く孤独なまどろみの中、ともすれば意識もろとも溶けてしまいそうなエマニュエルの心を保つ。悪夢。そのたびに固まる決意。それが何度も繰り返されてく。

 

エマニュエルが眠りにつく中、王家が一夜にして滅んだという事実は衝撃と共に国中へ伝わった。しかし、魔王を討った勇者の人気は絶大であり、それを裏切ったとされた王家に対する怒りもまた大きなものだった。一部から反発する声もあったものの、とどのつまり勇者の武力に抗しようというものはほとんど現れず、勇者とそのパーティーによる新体制による国家運営はさしたる抵抗もなく、始まろうとしていた。


初めまして、あるいはお久しぶりです。

悪役令嬢者が流行っていたのでやってみたら、別に悪役でもない令嬢が割とアグレッシブに復讐するお話が出来上がりました。

復讐ということで全体的に暗い空気のお話ですが、よろしければどうぞお付き合いくださいませ。


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