第九十六話『鬼が笑う』
探索者の『軍団』は、進撃を続ける。
個人の悲哀と死を呑み込みながら、戦役の騎士アリナ=カーレリッジという旗印の下進み続ける。これこそが戦場なのだと語るかのように。絹を切り裂く如く、進撃していく。
しかし、けれども。
もしも迷宮が探索者の『軍団』によって容易く制圧されてしまう程度の魔境であったのなら。人類は五百年もの間手をこまねいてはいない。人類はそれほどか弱くはない。
難攻不落。金城鉄壁。迷宮を迷宮たらしめるのは、探索者など歯牙にも欠けぬ守護者らの存在だ。
――大騎士ですら、殺しきれずにいる彼ら。探索者を蹂躙する彼ら。
それは、暗闇の中から明確な殺意と共に来た。
「――ッ。総員、警戒せよッ!」
真っ先に気づいたのは、朱色の鎧だった。黒い血に塗れながらぐるりと騎士剣を回し、それに向けて構える。剣を真っすぐに構える最も専守防衛に長けた構え。
アリナをもってそれだけ警戒せねばならない相手が、その先にいたのだ。『軍団』が、一瞬の警戒を備えた瞬間。
「――ハハァッ!」
笑い声が響く。鬼人の笑う声。今となっては何よりも不吉であり、人類の死の象徴。
瞬間、赤い血飛沫が戦場を覆い尽くす。アリナより数歩前に出ていた探索者全員が首を刎ね飛ばされて血を噴き上げていた。
それを成し遂げた張本人は、状況に全く似合わない笑みを浮かべたまま中空で長い脚を一回転させてアリナの騎士剣を大いに叩く。
――けたたましい音が鳴り響く。まるで鉄と鉄が接合したかのようだった。
緑の髪の毛を夜闇に跳ねさせながら舞う、鬼子。守護者グリアボルトがそこにいた。
『軍団』が思わず嗚咽を呑んで、足を止める。
たった一個。魔物の群れでも何でもない、ただ一人の鬼人が『軍団』に匹敵するのだと、誰もが認めていたのだった。
「ほう! 祝着至極! 今度は己と剣を交える事を選んだか!」
アリナだけが嬉し気に笑みを浮かべ言う。戦役の騎士だけが、彼女と相対する資格を持っていた。
しかし、グリアボルトはすぐに肩を竦めて笑う。
「いいや。言っただろう。あたしはあんたに一人で立ち向かうほど自惚れちゃあいない。油断もしない」
グリアボルトは威風堂々とした様子でそう言った。言葉を弄してこそいるものの、彼女の身体からは自信と魔力が漲っている。
しかし万全に万全を尽くすのが、彼女のやり方だった。
彼女の言葉と同時――大量の魔矢が中空から降り注ぐ。探索者を狙い打つものもあったが、その多くはアリナへと射出されている。
魔力により加速させられた矢は、当然あっさりとアリナの剣に斬り伏せられた、が。
「――ッ!」
同時に、轟音がアリナの右腕を打つ。グリアボルトの空を飛ぶかの如き蹴撃が、初めて戦役の騎士にたたらを踏ませた。
「あんたも軍勢を使ってるんだ。文句はあるまい?」
「ふん。無論ッ!」
アリナは剣を振り下ろしてグリアボルトを弾き飛ばすが、鬼子に傷は見当たらなかった。まるでこちらの技を見知っているかのような。
――いいや、そうか知っているに決まっている。アリナは兜の中で、自らの血に伝わる記憶に想いを馳せた。
五百年前、グリアボルトと始祖の騎士は肩を並べて戦ったのだ。戦友であったと言っても良い。なればこそ、その必殺は承知済みのはず。
少し、不味いか。
アリナが一歩引いたのを見てから、グリアボルトは堂々たる振舞いで言った。その美麗な髪色が夜闇を舞い、雄々しい長角が宙を切り裂く。
「――あたしの名はグリアボルト。鬼人にして王の忠臣が一騎。反逆者どもッ! ここで自らの罪を思い知り、慄いて死ぬが良いッ!」
『鬼子』グリアボルトが、中空を跳んだ。
アリナが思わず瞳を剥く。その片脚には、信じられないほどの魔力が込められていた。
宙が動揺して揺らめき、空が慄いて道を開ける。アリナが剣を構えたのと全く同時、グリアボルトが詠唱を告げた。
「魔導――『強化》』」
閃光が、夜闇を舞った。
◇◆◇◆
シヴィリィは、最前線でその姿を見ていた。騎士と鬼子が、再び轟音と豪速をもって刃を交わし合う瞬間を。
それは明らかな異様、明らかな隔絶。人智を超えた者らの戦役だ。
グリアボルトが瞬きの間に蹴撃を放てば、それをアリナが剣にて叩き落とす。
代わってアリナが剣を振り上げれば、その瞬間にグリアボルトが間合いを詰め切って殴打を繰り出す。
どれもこれもが必殺の一撃。
一瞬、一呼吸でも見逃せば、そのままどちらかが死ぬであろうという攻防。もはやどちらが鬼で、どちらが人かなど分からない。
グリアボルトは自惚れていないなどと言っていたが、これで自惚れられないというのは、彼女らが志すレベルはどの程度なのだろう。
しかし、これは明確に不味い。シヴィリィは紅蓮の瞳を細めながら唇を噛んだ。
『軍団』は間違いなくアリナに率いられて来た集団だ。統率が取れているとはいえ、それはアリナの下での事。
――詰まり、アリナがグリアボルトに足を止められてしまえば、全員が足を止める。そうなれば夜襲は失敗だ。
そう、シヴィリィが思い至った瞬間だった。
「――総員、広場前まで進撃ッ! 己らの目的は大通りの制圧である! 行けい!」
戦役の騎士の号令が、周辺を覆った。
数瞬の後、全体が動き出す。まるで再び一個の生物となったかのようだった。
素晴らしく、『軍隊』とその配下ギルドはアリナの言葉によって動く統率の取れた集団だ。例え彼女の手元を離れても、その命令を遂行する事が出来る。
全体が、アリナとグリアボルトを残して再び大通りを進撃していった。
しかし、
「っ――」
シヴィリィは咄嗟に、足を止めた。
アリナの告げた言葉は尤もだ。最終目標の為には、ここで足止めを食らうわけにはいかない。
けれども、どう甘く見積もってもアリナとグリアボルトの実力は拮抗して見えた。
五百年前の英雄同士。グリアボルトは決して狩られる側などではない。いいやそれ所か――。
シヴィリィには、グリアボルトが押しているようにも見えた。
「どうしたんだい。ちょいと、血が薄いのかね」
「笑わせてくれるな」
アリナが無言のまま、グリアボルトの蹴撃を受け止める。
間違いなく敵の攻撃を捌き切ってはいるものの、攻勢に出れてはいない。
当然だった。グリアボルトは時にエルフの射撃を加勢させているが、アリナは手勢のほぼ全てを突撃させた。互いの実力が拮抗している以上、援護の有無が彼女らの優劣を分けているのだろう。
「――悪いけどね。あんたくらいのなら、五百年間よくいたもんだよ。騎士が殺された事はあっても、あたしらが殺された事はなかっただろう?」
そう、グリアボルトは告げた。
瞬間、そのつま先がますます加速する。今まで速度を抑えていたのだとすれば、それは彼女の自力がアリナを上回っている事に他ならず。
――アリナの剣が、激しい音と共に切っ先を弾かれる。今まで全てを防ぎ続けていた鉄壁の剣が、揺れ動いた。
それは彼女らほどのレベルにあれば明確な隙であり。死ぬのに丁度良い瞬間だ。グリアボルトの真っすぐに突き出される蹴撃が、アリナの胸を襲う。
どうすべきか。
そんな思慮を脳内で走らせるまでもなく、シヴィリィは口を開いていた。
「――『魔弾』!」
魔の弾丸が、宙を抉りながらグリアボルトへと突き進む。余りに思慮のない、反射的な行動だった。
けれどもアリナは、シヴィリィに手を差し伸べてくれた数少ない人間であるのだから。
例え彼女が大騎士であったとしても。死ぬのは、嫌だ。そんな想いだけがあった。
「ハッ!」
しかしグリアボルトは、その一瞬でいとも容易くその弾丸を見据えていた。まるで呼吸をするかのように片腕を振り抜き、弾丸を射ち落とそうとした瞬間――。
シヴィリィは、唱えた。
「『爆散』」
魔力の暴発が、グリアボルトの腕を弾き飛ばし視界を隠す。
同時、アリナが剣を振るっていた。
「美事! 戦士よ!」
騎士剣が、鬼子に向けて真っすぐに振り落とされる。




