第九十三話『平穏なぞこの世に無し』
第七層の家屋の一室。元々はシヴィリィが寝込んでいた部屋だ。生活感はないものの、清潔感に溢れ居心地は悪くない。シヴィリィにしてみれば、むしろ格別の環境と言ってもいいだろう。
しかし、今だけは非常に居心地が悪かった。
「――で。結局どういう事なわけ。シヴィリィ?」
ノーラが優し気な表情から怯えの起こりそうな声を転がして、じぃと見つめて来る。シヴィリィは唇を慄かせて暫く耐えていたが、すぐに呼気を漏らした。
「違うの、違うのよ。二人の大騎士のどちらかにつかなきゃいけなかったのよ!」
可能限り早口でそう返す。
何せ、アリナの部隊に合流すると決めたのは完全なシヴィリィの独断だ。パーティメンバーである三人には零れ出るものがあって当然だろう。
アリナからは使いを出すので暫し待てと言われたものの、彼女自身はここにいない。全てを説明するのはシヴィリィの役目だった。
「いやだとしてもですよシヴィリィ殿!?」
一通りの言葉を尽くしてなお、顕著な反応を示しているのはココノツだ。
「どーしてよりによってあの戦役の下なんでありますか!? アレの属領民嫌いは有名でありましょう!?」
「ほ、ほら私には優しかったし」
「それはシヴィリィ殿が変人だからでありますよ!」
「変人!? えっ!?」
心外な一言がココノツから飛び出て来る。彼女は抱えた頭を今にも壁に打ち付けんとする勢いだ。
勿論、シヴィリィも迂闊に彼女の言葉を否定は出来ない。
戦役の騎士――アリナが属領民嫌いなのは有名な話だ。噂ではなく本人も認める所。属領民のココノツとしてはその下につくというだけでも気が気でないだろう。囁かれた言葉につられて合流に同意してしまったが、早まったかもしれないとシヴィリィ自身も思い始めていた。
「……まぁ決めた事なら僕はああだこうだ言わないよ。一応、アリナとは旧知だからね。ただこう、彼女は勢いで行動する所があるからさぁ」
旧知の間柄であるはずのノーラですら言葉を濁す所、唯一前向きな言葉を発したのは意外にもリカルダだった。
「私は良いと思いますよ、勝利の騎士につくよりはマシでしょう」
彼は都市統括官シルケーのお抱えだ。だというのに政治においては対立する大騎士への合流をあっさりと受け入れた。
「どうしてでありますか!? ノーラ殿と一緒にいる辺り、ああいう小さいのが好みなんでありますか!」
「違います。勝利の騎士は、良くも悪くも彼女が隔絶しすぎている。配下のギルドこそいますが、結局のところ彼女一人で全て終えてしまう事が多い。
反面、戦役の騎士は配下の『軍団』を上手く使うようです。勿論、彼女自身が特筆すべき戦闘能力を持っているのはそうですが、全てを一人で解決するのを好まないと聞きます。ならば我々が何もできずに終えてしまうという事はないでしょう」
ココノツの妄言を一刀両断してから、リカルダは落ち着いた声で言う。
彼はどうにも、自分が陥った状況を受け入れるが上手かった。ココノツのように嘆くのではなく、どうすれば最善の立ち位置を得られるかを探っている。
「……確かに、アリナは昔からそうだね。人を率いるのが好きなんだ。大騎士は皆が皆、無欠の存在を目指しているけど、あの二人じゃ見ている方向が違うんだろうね」
ノーラが家屋の壁にもたれかかりながら言った。しみじみとした言葉には実感が籠っている。しかし旧知であるというのに、アリナに対してどこか遠くから語ろうとする気配があった。
大騎士四人――いいや五百年の間、数多の大騎士らが目指すのは完全無欠の『完璧』たる英雄。
敗北はなく、不知はなく、不可能はない。人類の導き手たりえ、人類の希望であれ。一切の妥協を削り上げた先、大騎士という役割にのみ殉じる英雄。それこそが、大騎士にとって目指す先だ。
しかしそこに至る迄の道筋には、幾つもの考えがあるのは当然の事だろう。
ノーラの言葉に頷きながら、リカルダは薄い笑みで言った。
「ええ。それに、彼女は権力欲といったものが最も薄い。ある意味、上手く渡りをつけられればシルケー閣下とも懇意にできる方かもしれません」
「……まぁ、魔国グレマールの連中はそういうのばっかりだからね」
リカルダの言葉に押される様子で、ノーラは頷いた。元々彼女も、さして反対するつもりはないのだろう。
詰まり、問題は。
「無理でありますぜぇったい無理であります! 合流した途端に生爪剝がされたりしないでありますか!? 角だけ剥製にされたり!」
絶叫と共に頭の角を振り回すココノツ。やけにその言動が生々しくて嫌だった。
角を持つ種族は、過去属領民としてすら認められていなかった頃に狩猟の標的にされていた歴史がある分、彼女にとっては冗談ですまないのだろう。
「しませんよ。失礼な……」
「あぁああ! 片脚で吊るされて血抜きとかされるんでありますよきっと!」
「あ。聞いてませんね。はい……」
ふと見れば、呻きをあげるココノツと問答をしている人間がいた。
いや問答というより、お互いが勝手に喋り合っているだけのようだが。
若々しい顔つきをした少年が、ため息を何度もつきながらココノツの隣に立ち竦んでいた。まだ年若いというのにその三白眼の下には年不相応な深い隈が浮かびあがっている。それだけを見てしまうと、五歳は老けて見えた。
シヴィリィは少年に見覚えがあった。黒と赤を基調にした軍服、そうして特徴的な喋り方。
戦役の騎士アリナに駆け寄った軍団員だ。
「ああ、その度はどうも……。アリナ様の無茶ぶりに付き合わされたとか……」
「ぎゃあぁあ!? 出たであります!?」
シヴィリィの視線に気づいたのか、少年は頭をやや深めに下げて言った。同時、ココノツが壁に強く頭を打ったのが横目に見えた。
「カールマルク……。本名はもっと長いのですが、そうお呼びください……。アリナ様から、皆さんをよろしくと、仰せつかりました」
「よろしく、っていうと?」
「よろしく、の一言だけですシヴィリィ様」
その一言だけで、カールマルクの日々の気苦労が察せられた。恐らくはアリナが出すと言っていた使いは彼なのだろうが、その彼自身が何も聞かされていないように見える。
しかし何時ものことだとばかり、カールマルクは平然とした様子で眠たげな眼を押し上げた。
「相変わらずというか、何というか……」
ノーラがカールマルクにつられたようにため息を吐く。二人の様子を見る限り、やはり一事が万事この調子らしかった。
「お久しぶり……でもないですねノーラ様。この前ぶりです……」
「この前ぶり。君が僕らを迎えに来てくれたのかい。ま。人選だけは間違えなかった感じだね」
「うちは地方領の方々を嫌っている方もよく入られますからね……」
地方領とは、属領の正式な名称だ。三大国が中央領、その他は全て地方領という大枠での分け方だが、そう言い分ける者は殆どいない。それだけでも、カールマルクがさして差別的ではない人間だと分かる。
アリナが気遣ってくれた、とは考えづらいが。
「私達は待っていろって言われたんだけど。これから野営地に入ればいいの?」
シヴィリィが紅蓮の瞳を大きくして言う。
アリナの軍団は大勢であるのもあり、遠征団が占拠している通りの一部を野営地として使用している。他のギルドは家屋を借り受けたり、もしくは同じように野営をしたりと様々だ。
時間感覚が薄れる迷宮の中ではあるが、もう夜も更け始める。地下ではあるが、空には月らしきものが見えるだろう。
「ああ、いえ……」
しかしカールマルクは首を横に振って言った。
「我々が占拠している通りはまだ一部……。ここから敵の本拠である浮遊城まではもう一つ大通りと、広場を超える必要があるのはご存じですか……」
「ええ、一度来たから」
なら話は早いですね。カールマルクはこくりこくりと、頷くようにしてから言った。
「アリナ様が……夜襲をかけると仰っています。ご準備を、よろしくお願いします……」
「……へ?」
ヤシュウ。シヴィリィは一度唇の中で言葉を繰り返した。それというのは、夜に襲撃をかける。あの夜襲だろうか。
呆気にとられるシヴィリィとリカルダ、ため息をつくノーラ、頭を打って床に転がっているココノツ。
四者を見ながら、カールマルクが言った。
「慣れてください……。日常茶飯事ですよ、アリナ様の下では……」




