第九十一話『情報提供者』
どうして、こんな事になっているのだろう。
シヴィリィは紅蓮の瞳をぼうとさせながら、眼前の光景を見据えていた。決して戻りたくはないが、路傍で横になっていたあの頃が懐かしくなってくる。
何せ目の前の光景よりはずっと、そちらの方が現実感に溢れていたからだ。
金髪をはらりと払って、顔を上げる。専用に用意された個室は手狭ではあるが、息苦しさを感じるほどではない。
飲み物として綺麗な水が用意され、それが丁度中央のテーブルに四つおかれている。
「うむ! それでエルとやら、話を聞こうではないか。迷宮に詳しいのだろう?」
サイドテールを意気揚々と振るい、小癪な笑みを浮かべて戦役の騎士アリナが言う。兜は身につけていないものの、朱色の鎧を纏った姿は小柄なれど威風を肩に飾っていた。
その対面では、勝利の騎士ヴィクトリアが無表情のまま、秩序だった様子で口を開いた。
「アリナ。何時も言っているでしょう、貴方は性急が過ぎる。ものは秩序だてて求めるべきです」
「そう言って竜を取り逃したのが、己らの始祖とは違うのかなヴィクトリア」
ヴィクトリアとアリナが真正面で視線を合わせる。不仲、というわけではないのだろうが。ただそれだけで火花が飛び散りそうだった。
それもそのはずで、彼女達自身に不和の種は無くとも、五百年積み上げてきた歴史が彼女らの背には乗っているのだ。そこには幾らでも対立の根は埋まっている。四騎士らがそれぞれ他国に身を寄せているのも、これ以上不和を生み出さぬためというのが一因だった。
彼女らにしてみれば戯れに過ぎないのかもしれないが、シヴィリィには堪らなかった。そもそも、どうして自分がこんな場所に呼び出されているのかも今一分からない。ちょっと泣きそうだった。
シヴィリィの視線の先に座る自称迷宮案内人エルが、テーブルに肘を突きながら言う。
「え~。良いかな。まぁお金を貰った分は話すよ。第七層の彼女の事が知りたいんだろう?」
エルは長い耳をつんっと立てながら、飄々として言った。大騎士の重圧も彼女のペースは崩せないらしい。
第七層の彼女――大淫婦ロマニア=バイロン。エレクを取り戻すのに最も重要と思われる情報に、シヴィリィが僅かに身を乗り出す。
しかしヴィクトリアが、あっさりと首を横に振った。
「いいえ。聞きたいのはこの迷宮全体の事を含めてです。知らないなら知らないでも結構」
「全体……?」
問い返したのはシヴィリィだった。果てと首を傾げる。
アリナがゆっくりと口を開いた。
「貴君。迷宮の住人から情報提供を受けられる事は本当に珍しいのだ。すぐにいなくなるか、死んでしまう。なら得られる情報は全て得ておきたいのが心情というものよ」
どうやらアリナがシヴィリィに好感を抱いているという話は本当であったらしい。この部屋に入って以来、何かとこうして気を使ってくれている。
しかしそれが逆に、居心地が悪かった。ヴィクトリアもむしろ優しく扱ってくれるだけに、自分の立ち位置が分からなくなってくる。
「ええと、そのそれで私は何で呼ばれ……」
「それは後ほど。エルさん。聞きたい事は二つ。
まず一つ目ですが。我々が観測する限り、ここ数か月で迷宮は異様な活発化を見せています。第五層以上にも、上位種や人語を解する魔物が出始めている。五百年間、ここまでの活発化の記録はありません」
そこまで言われてからようやく、シヴィリィは彼女らの真意に思い至った。
瞼の裏に思い浮かぶのは、部屋中を埋め尽くすアークスライム、第五層の壁を突き破ったオーク。
思えばノーラやリカルダは、元々第五層以上での失踪者が多いがゆえに都市統括官に派遣されていたのだ。
第六層が踏破された事と大遠征により一時的に優先度が下がってしまったが、その問題も失われたわけではない。むしろより根深いと言えるかもしれなかった。
「……なるほど。迷宮案内人のエルさんとしてもそこを聞かれるとは思ってなかったなぁ。案外、ここの研究って進んでるのかい」
頬杖を突いたまま、視線をぷいと、一瞬シヴィリィを向けながらエルは言う。
「簡単だよ。そもそもこの迷宮は、五百年前たった一人の為に造られたモノだ。たった一人に捧げる為に、追放された亜人と生き残った魔物達が手を結んで造り上げた墓。それが活発化する目的は一つしかない。――それが目覚めに近づいた時だけだ」
「――やはり、そうですか」
ヴィクトリアが深く座り直して、細長い指先を眉間に這わせる。整然とした振舞いは何時もの通りだが、深くため息を吐いた。
けらけらと、面白そうにアリナが笑う。
「これは珍奇な。貴君は知っていただろうに」
「……全てを知っていたわけではありませんし、推測の域を出ませんよ」
おかしな光景だった。
部外者であるはずのエルに対してではなく、むしろ身内であるはずのヴィクトリアとアリナがその胸中を探り合っている。
その傍らで、シヴィリィはぱちりと目を大きくしていた。
ふと、思案が頭を巡る。
もしや、いいやまさか。そんな想いがどんどん胸の中からあふれ出て来る。
彼本人から直接は聞いていない。むしろ彼の生前については殆ど語った事はなかった。
しかし、魔女侯爵や巨人将軍という存在を彼が味方につけたらしい事実。そうして、聖女カサンドラがエレクをよくよく知っていた事実。
いいやそれ以前に、五百年前から彼が迷宮で眠りについていた事実。
その全てを繋ぎ合わせると、最も辻褄が合うような。
「ハッハッハッ!」
両腕を組みながら、アリナが一人笑った。痛快だとでも言うようだった。
「第六層が踏破されたと聞いた時から、己はそうだと踏んでいたよ。――魔の王エレクの復活というわけだ。歓喜到来だなヴィクトリア。勇者と騎士の時代が再び来る。この時代のアリナが己であった事に感謝しよう!」
「…………」
ヴィクトリアは言葉を発さなかったが、雰囲気が苦々しいものを漏らしているのがシヴィリィにすら分かった。少なくともアリナの言葉に同調はしていないようだ。
そうしてそれはシヴィリィも同じ。
魔の王。迷宮の主人。――エレク。
決して善人でないのは知っている。どちらかと言えば悪人だ。だが、そのように呼ばれているなど聞いた事がない。同じ名前。いや、しかし。
不意に、大騎士教の剣レリュアードが放った言葉を思い出してしまった。
――彼女の言う『破壊』は、まさしく五百年前に失われた秘奥ですよ、フェオドラ様。生み出したのは一人、用いたのも一人。もはや存在そのものが迷宮に眠る遺産。
紅蓮を呆けさせていたシヴィリィを、アリナが見ていた。その瞳にはまだ友好的な色合いは残っているが、彼女本来の冷徹さを取り戻している。
シヴィリィは今更になって、自分がここに呼び出された意味を知った。
――エルと同様、情報提供者として呼ばれたのだ。
「シヴィリィ=ノールアート」
アリナが、短く呼ぶ。心臓が鉄のように冷たかった。
「……何、でしょう」
「平時の言葉で構わん。公用語を話せるだけでも上等だ。我ら四騎士は、貴君が第六層を踏破した事を知っている、聖女カサンドラを打倒せしめた事もな。万来喝采。素晴らしい」
明らかに裏のある誉め言葉だった。
アリナの言葉を継いで、ヴィクトリアが言う。その秩序だった瞳が今シヴィリィを貫いていた。
「……しかし同時に疑問もでます。数か月前には名もなき属領民でしかなかった貴方が、どうして第五層はおろか、第六層までもに足を踏み入れられたのか」
ヴィクトリアは、すでに答えが分かり切っている事を告げる様子だった。ただ、確認をするだけの言葉。何せ彼女は彼の事をもう知っているはず。
なら何故、このような事を。
シヴィリィが視線を返すとヴィクトリアは数度意図的に瞬きをした。アリナは、それに気づかぬままシヴィリィを見つめている。
「己は嘘が嫌いだ。貴君の人柄も好ましい。だから正直に答えて欲しい。――魔の王エレクは、貴君の中にいるのか。それとも、貴君は魔導と智恵を手に入れただけなのか」
かちりと、アリナが剣の柄に手をかけた音が聞こえた。
――明確な、殺意と共に。




