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第九十話『抜剣』

 中空を光矢が穿ち貫く。それは宙を覆い尽くす暗闇を射殺すような一矢であり――生くる者全てを刺し殺す一矢だ。


 放たれた矢の切っ先が、次々に別たれ何百もの刃へと変わる。これは文字通り、全てを射殺す切っ先。


 無尽たるゲイルが部隊を率いないのはその為だ。彼が保有する光弓ウルは、余りに見境が無さすぎる。しかし周囲全てが敵であるのなら、それでも構わない。


 相対したヴィクトリアは白刃の柄を両手で握り込み、ぐいと両目を見開いた。


 彼女が持つ剣は、光弓ウルのような伝承される神秘(ミステル)では無い。魔力装甲を施されただけの白刃。純粋なる一振りの大剣。


 けれど、だとしても。ヴィクトリアの名は数多の伝承を踏み越える。


 五百年の間、連綿と紡ぎ続かれてきた魔の結晶は、詠唱を開始した。


「魔導、解放――」


 魔導を行使するのではなく、解放して告げる。


「――『抜剣(ヴィクトリア)』位階、制動。」


 始祖の名を司る魔導を解放し、夥しい魔力を両手に束ねる。白刃が、輝きを伴って一本の大剣を象っていた。その輝きを、大きく振りかぶり――呼気すら継がずに振るう。


「全ての人類の為に、貴方を打倒します。エルフの英雄ッ!」


「ハッ! よくぞ語ったな、最低の気分だぜ」


 ゲイルが感嘆したように言う。帽子を抑え込んだまま、相変わらず皮肉げに飄々とした口調を隠さなかった。


 瞬間、ヴィクトリアの振るう輝きが宙を穿って光矢の悉くを墜落させる。それは輝きによって巨大な刃を作り出したというべきか。それとも、豪速で魔力の光弾を射出したというべきか。


 確かであるのは、ゲイルの魔がヴィクトリアの魔に食い尽くされたという事実。


 同時、闇夜が晴れていく。元よりゲイルの魔力によって生み出されたものが、彼の庇護を失って姿を綻ばせていった。


 しかしヴィクトリアが手にしている渦巻く魔力は失われず、蠢動を繰り返しながら雄たけびをあげている。それそのものが、もはや生きているのではないかと思わせるほど。


 シヴィリィは、路地裏からその背中をただ見ていた。

 

「――ッ」


 シヴィリィが息を呑む。心臓が固まったように冷たかった。間違いなく自分の命は彼女によって救われたはずなのに、眉間に皺を寄せて歯噛みをする。


 地面を掴み込む手先から、血が滲み出そうになっていた。


 全く同じ表情を、中空のゲイルが浮かべている。


「……分かった、理解した。忌々しいほどにお前は騎士だ。引いてやる。ゲイル=グラッセの名が泣くが、俺の名なぞどうでも良い」


「私が、逃がすとでも」


 ヴィクトリアが再び輝きを両手で握り寄せる。腰元に構えたそれは、彼女の技量なら一瞬で敵へと振るわれその首を落とすだろう。


 しかし、それももはや意味がなかった。ゲイルは今度は鼻で笑わなかった。ただ不機嫌そうに表情を歪めるだけだ。


「――ここはロマニア様の大地だぜ。関係がねぇんだよ。お前がどう思おうと」


 それと全くの同時。ゲイルの姿が掻き消えていく。鬼子グリアボルトが使った縮地とはまた別もの。まるで彼を構成する魔力そのものが掻き消えていくように、瞬く間に姿そのものが消え失せた。


 幻影か、それとも――ゲイルそのものが幻に等しい存在になってしまっているのか。推察は出来れど、確定した所は何も分からない。


 しかし鬼子グリアボルトの奇襲に引き続き、無尽ゲイルによる迷宮側の襲撃が失敗に終わったのは間違いがなかった。


「お、おぉおおお!」


 数秒の後、多くの探索者らが歓声をあげる。ヴィクトリアが有する魔導、そうして敵守護者を前にしても全く退かない武力を見なかった者はいない。


 第七層に閉じ込められ、一種の諦観を覚えていたものすら今の光景を見れば活力を取り戻すだろう。人類にとっての希望そのものとすら言って良い姿だった。


 しかし一人、シヴィリィだけは紅蓮の瞳を尖らせながらヴィクトリアの背中を見ていた。

 

 そこに希望も、歓声すらもありはしない。ただただ、推し量る瞳だけがあった。


 先ほどの魔導、刃の一振り。魔力のレベル量。いいやその全てに至るまで、シヴィリィはヴィクトリアに至っていない。


 当然と言えば当然。生まれながらにして勝利を宿命づけられ、鍛錬と血統を積み重ねてきた人間と、世界から打ち捨てられたシヴィリィでは下地が違いすぎる。


 しかし、それでも。


 ――アレらを超えなければ、自分は欲するものを手に入れられない。


 そんな本能的な直感が、シヴィリィにはあった。エレクを絡めての事なのか。それとも全く別のものなのかは分からない。ただ感情が真っ先にそう反応していた。


「――貴君。助かったというのに随分な表情だな。ふぅむ、ふぅむ。悔恨か、無念か」


 感情に思考を奪われ、一瞬意識が跳んでいたのだろうか。いつの間にかシヴィリィの顔をアリナがまじまじと覗き込んでいた。


 彼女の上向いた強気な瞳が間近でシヴィリィを見つめ、両手が頬を掴み取る。


 何だろう、これ。


 シヴィリィのそんな疑問に応じる事はなく、アリナは一人で納得して言い放った。


「うむ。やはり己は貴君の事が嫌いではない、むしろ好みだ。属領民(ロアー)でありながら戦士である者よ」


「は……ぁ。あ、ありがとう?」


 急にどうして、そんな話になったのか。他人に好ましいと言われた経験が余りに少なかった所為で、どう反応していいのかシヴィリィは分からなかった。


 そんなシヴィリィを置いてけぼりに、アリナは言葉を続ける。


「大いに結構! 大遠征の甲斐もあったというもの。察するに、貴君は強者になりたいのだろう。

 ――ならば鍛えよ、刃を振るえ、足掻き続けろ。才覚の無さなど噛んで殺せ。人は常に賢明ではなく愚者であらねばならない。必要であるならこのアリナ=カーレリッジが手を貸そう!」


 言葉は強引で暴力的ですらある。けれど、その言葉はシヴィリィの内心を強く貫くものだった。


 思わず、呼気が唇から跳ね出そうになった瞬間。


 歓声の中心にあるヴィクトリアが、その整然とした表情を動かさずにこちらを見ているのに気づく。表情は全く変わらないのに、呆れているような、それでいて嘆息したような素振りがある。


 その場の探索者の視線が、シヴィリィとアリナに突き刺さった。


 シヴィリィもヴィクトリアと面識こそあるものの、あんな表情をされるような覚えはない。一体何事だろうか。


 彼女はかつりとこちらに数歩近づいて言った。


「――アリナ。珍しく何をしているのです。戦場で鎧を脱ぎおろすなど、貴方の口ぶりを真似れば言語道断では?」


「否! この身は常在戦場! 鎧が必要であれば付ける、しかし休める時に休むのも戦場と心得るが良いヴィクトリア!」


 サイドテールに纏められた赤髪がヴィクトリアを前にしてすら強気に跳ねる。むしろより意気揚々という風にすら見えた。


 顔を青ざめさせたのはシヴィリィだ。ヴィクトリアと顔見知りではあるらしいが、堂々と呼び捨てにするとは思わなかった。


 周囲の探索者らもざわめき、アリナを不快そうな表情で見つめ、あからさまに敵意を見せるものもいる。


 当代の英雄であり、信仰の象徴たる者に気軽に接することを、信仰者たちは許さない。


 しかしヴィクトリアはびくとも表情を変えず、むしろため息を吐いた。その内探索者の集団の中から、一人が血相を変えて飛び出してくる。


「ア、アリナ様ぁ……っ!? お一人で独断行動をされたと思われれば、一体何を。その、お願いを聞いて頂けないのは何時もの事ですが。一々騒ぎに……」


「おお! 何、陣地視察をしていただけだ。騎士鎧をつけたままでは、ろくに視察もできまい!」


「あ。聞いてませんね。はい……」


 従者のような少年が、ヴィクトリア同様に大きくため息をついた。


 だが、少年は――戦役の騎士が率いる軍団の赤黒い制服を身に着けている。


 シヴィリィ同様、多くの者が目を丸くした瞬間だ。アリナは堂々たる振舞いで言った。


「うむ! 己は戦役の騎士、アリナ=カーレリッジである。――束縛は受けぬ!」


 常在戦場を唱え、迷宮外では殆ど鎧すら外さない戦役の騎士が、その素顔をあっさりと晒してそこにいた。


 シヴィリィはますます、今まで以上に顔を青ざめさせていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] そらまあ属領民嫌いで有名な騎士に気に入ったと 言われたら青くもなりますね まあアリナは良くも悪くも戦士としての心を尊重するカリア気質で 諦念と惰性で生きている状態の多い属領民を毛嫌いしてるだ…
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