第八十九話『無尽と勝利』
暗闇を、白の閃光が駆け巡る。
暗闇を斬り裂く様に、黒を白で埋め尽くすように。
異様な光景だった。おろされた夜の帳が、次々に食い尽くされて行く。建物や人々が――削り取られて行く。
「気を付けなよ。『鬼子』のグリアボルトとは少し違う。『無尽』のゲイルは自分の腹に入れたもの全てを食い尽くす。そうしてこの暗闇は、すでに彼の腹の中さ」
『無尽』のゲイル。そう語られた存在は、すぐにシヴィリィの視界にも映り込んでくる。
彼は、白の閃光の根本にいた。暗闇を睥睨するように宙に浮かび、長弓を一つ持っている。
一目には青白い肌を持つ青年のように見えた。前に出て戦うよりも、後方に控えている方がよほど似合いそうな姿だ。しかし被った帽子の奥に見える瞳は、驚くほどの侮蔑を含んでいる。
敵を見る目、ではない。より侮蔑するべきもの、より軽蔑すべきものを見る目。
遠くにあるはずのゲイルが言った言葉が、シヴィリィには不思議とはっきり聞こえた。音が死んだこの暗闇の中だからこそかもしれない。
「俺もまぁ、本当は面倒事は嫌なんだがね。やらなきゃならねぇなら、即ちやる。それが俺の主義でな。悪いが、加減はしねぇぜ裏切り者の末裔ども」
言葉を終えると同時、ゲイルが再び長弓を強く引いた。いっそ幻想的で、矢ではなく光そのものを引いているようにすら見える。傍らでアリナがぽつりと呟く。
「ほう。あれが神秘、光弓ウルか。伝承によれば暗闇の一切を追い散らすらしいが、この目で見れるとは僥倖」
「言ってる場合!?」
間違いがないのは、あの光弓が今こちらを向いていて。射線にあるのは自分達という事だけ。
そうして、正面からまともに受けて無事でいられるとは到底思えない。
咄嗟にシヴィリィは、眼前のアリナを抱きかかえながら横道に滑り込む。擦り傷を作りながら、金髪に土をつけた。
――刹那。足を付けていた通りの一部が光に覆われる。
そこは暗闇と共に、文字通り失われた。瞬きもないほどの時間にだ。弓というより、大魔導の威力に等しい。
「ほう。流石と賞賛しよう。それで、己は別に貴君に庇われるほど弱体ではないぞ」
シヴィリィに押し倒された形のアリナが、ため息でもつくような様子で言った。抵抗はしなかったが、やや不服そうな表情を作っている。よほど自信家なのか、怯えも恐怖も無いようだった。
「分かった。でも静かにしてて。何とか、するから」
シヴィリィは立ち上がりながら土を払い、手袋をはめ直す。
頭の中にはアリナと違い動揺もある、怯えもある。どうすれば良いのかと逡巡もする。
しかし――今ここにエレクはいない。ならば、自分自身こそが彼とならなくてはならない。私は、ギルドのリーダーだ。
その意志がシヴィリィを突き動かしていた。
敵は空中。ノーラとココノツは手が出ない。リカルダの弓矢も何処まで通じるものか。
となれば、シヴィリィが破壊するしかない。魔力がどこまで持つかは分からないが。矢を破壊し、あの弓そのものを破壊出来れば勝機はある。
一つ、シヴィリィがそんな覚悟を見せた瞬間だ。アリナが目を細めて、言った。
「うむ。実に結構! やはり戦士よ! しかし少々、貴君の手には余ろう」
「でも――ッ」
「一歩足を止めよ。アレの相手に相応しい者が来る」
相応しい者。そう言われて咄嗟に振り返ると、アリナも土を払いながら肩を竦めていた。
「己の本分は戦役だ。ああいう伝承の相手は、最もヴィクトリアが向いている。あれは常に、伝承と戦い続けてきた女なのでな」
どうして、アリナが勝利の騎士たるヴィクトリアの名前を親し気に呼ぶのか。
シヴィリィがそんな疑問をふと呟きそうになった、瞬間だった。
暗闇に覆われていたはずの宙を、根こそぎ払うものがあった。それが光であるのか、それとも別の何かであるのかすら理解が及ばない。
ただただ神秘と幻想を孕み、余りに雄壮な威厳を備えたそれは――もはや奇跡と呼ぶに相応しいのかもしれない。
その奇跡は、地上にありながら中空のゲイルと相対していた。
◇◆◇◆
『勝利』のヴィクトリアは、威風堂々と宙にある敵を見上げる。幾度か地上で分霊を見た事はあったが、本体を彼女自身が見るのはこれが初めてだ。
彼女が身に纏うのは白色の騎士甲冑と、白い長剣。構えながら、血が脈動しているのを感じていた。
勝利の騎士の血が、かつてのゲイルの姿を訴えるのだ。
妖精族エルフの英雄『無尽』のゲイル。数多の魔族を光弓で射ち殺し、『大陸食らい』を初めて地上に撃ち落とした弓の名手。
『女侯爵』エウレア、『巨人将軍』ガリウスと並ぶ、かつての人類軍の英雄。その歴史の一角が、今ヴィクトリアの目の前にいた。
五百年前の姿そのままで。
「――勝利の騎士。いいや、末裔か? いやぁご立派な姿だな。かつての盟友の屍を踏み越えて生き延びただけはある!」
「融通の利かない皮肉者。そう記憶していますよ、ゲイル」
「はぁーっはっはっはっ!」
ゲイルは帽子を抑え込みながら、腹を抑えた。本当におかしくてたまらないと、そう言うような素振りだった。
それだけを見れば、彼は陽気にも見える。冗談の一つや二つも飛ばす性格なのだろう。
しかし次には、奈落の底のような瞳で言った。
「――てめぇが俺の名前を気易く呼ぶんじゃねぇよクソヤロウ。王を殺し、俺達を裏切りやがった四騎士共」
「――申し訳ありませんが。私も全てを覚えているわけではない。しかし、そう語られているのは知っています。お茶の時間でも取らせて頂ければ、事情をお伺いできますが」
「はっ」
鼻で笑いながら、ゲイルは弓を再び引く。長い脚を伸ばして中空に飛び上がったまま舌を鳴らした。
「ぬかせよ」
光弓ウルが、唸りをあげてぎゅるりぎゅるりと光を回転させる。暗闇を切り裂き、光立つ者らの希望の証であったはずの弓が、今はその刃を人類種へと向けていた。
一切の躊躇もなく、それがヴィクトリアへと放たれた。殺意と侮蔑を伴って。数多の魔法円を形成しながら空を裂く。射出から敵を貫くまでに、刹那の間も存在しない。紛れもない英雄の一矢。
「残念です」
しかし相対するのもまた、現代の英雄たるヴィクトリア。五百年もの間血を重ね、精錬し続けた彼女らもまた尋常ではない。
引き抜かれた刃が、輝きを伴って宙を両断する。刃が体躯とともに回転し、光の証たる矢を吸収するように消し去った。
ふと見れば一瞬の邂逅。しかしその全てが、数多の鍛錬に裏打ちされた技術の結集だ。
それが幾度も、続く。光矢は次々に射出され、ヴィクトリアが前に一歩、また一歩と踏み出しながらそれを射ち落としていった。
息を吐く瞬間にも決着がついてしまいそうなのに、しかし終わらない。完成した秩序そのものの動きが、ヴィクトリアにはある。
「ヴィクトリア=ドミニティウスの名は、勝利以外を許されません。あいにく、貴方とでは私の方が相性が良いようです――」
「――俺を相手に相性が良いと抜かすのかい。どっちが皮肉屋だか分かったもんじゃねぇ。生前のあいつにそっくりだよお前は」
忌々しそうにゲイルが言う。しかしそこに悔しさや口惜しさは含まれていない。ある種当然だとでも言うような様子があった。
思えば不思議だ。二人は今日初めて邂逅するはずなのに、互いの力量を十分に知っているかのようだった。ゲイルは大きく呼気を吸い込んでから言った。
「だがな、裏切り者。俺達は決してお前らを許さねぇ。それこそ根絶やしにするまでだ。――陛下は戻られた。例え俺達が死んでも、お前らはもう終わりさ」
「――まさか」
ゲイルは再び鼻で笑うようにしながら、ヴィクトリアには取り合わず、中空に放つようにして矢を放った。
それが何を意味するのか、ヴィクトリアの血だけが理解していた。
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
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日々皆さまにお読み頂ける事、感想やレビュー等頂ける事が気力となり続けられております。
今後とも何卒、よろしくお願い致します。