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第八十八話『エルフの耳と暗闇と』

 エルは煙のように現れた癖に、さもそこに最初からいたような振る舞いを見せて言う。その眦を悪戯げに揺蕩わせながら、くすりと笑みを浮かべた。


「……偶然ってわけじゃないでしょう。どうして私の居場所が分かったの?」


 長く尖った耳が、つんっと跳ねて中空を刺す。


「私は求める者の所に現れて、求められるものを提供するのが生業さ。私の事を聞きまわるなんて事をすればすぐに耳に入ってくる。少なくとも、この第七層ではね。むしろごまかそうとする方がずっと難しい」


 エルは真新しい皿に肉を数切れのせて、まだ血が滴りそうなそれを口に含んだ。エルフが好んで肉を食す姿は何とも奇異にも見える。


 彼女が浮いた存在であるのは、この第七層の住人というカテゴリーで見ても同じだ。他の住人は殆ど例外なく虚ろな瞳をしているというのに、彼女の瞳は爛々と輝いたまま。欲求に囚われているようには到底見えない。


 リカルダが僅かに顎を引く。何時もの表情を浮かべたまま、淡々と口を開いた。


「……彼女が、現地の情報提供者ですか? どちらかと言うと探索者のように見えますが」


「おや。馬鹿々々しい事を言うんじゃないよ。私は何時だって何処だって迷宮の住人さ。君たちが決して迷宮の住人ではありえないように。私も迷宮の住人以外ではありえない。

 まぁ言いたいことはわかる。大方、私が第七層の影響を受けていないからって事かな」


 肉をあっさりと飲み込んで、水を喉に注ぎ込んでからエルが言葉を続ける。その一つ一つの動作がやけに様になっていて、彼女の言葉に奇妙な威厳のようなものを漂わせていた。


「ふむ、そうだな。――簡単に言えば、欲求を満たすという行為は、馬鹿々々しい事に未来がある者が熱中する行為なんだよ。彼らにも、君たちにも未来がある。素晴らしいのか、馬鹿々々しいのか未確定の未来だ。

 しかし私は違う。私には過去しかない。過去だけがあるんだ。だから少しばかり、彼女の影響からは外れているだけさ」


 過去しかないと、そう語るエルの姿。不思議な事に、その一瞬だけ彼女の姿が随分遠い所にあるようにシヴィリィには感じられた。思わず言葉を失って、唇を固くする。


 エルの語りぶりはやけに気さくなものだから勘違いしそうになるが、やはり彼女も迷宮の住人なのだ。探索者達とはどこかで一線を画している。何か、俗世だけでは言い語れないものを抱えている。


 ――そこがどういうわけかエレクと似通っている気がして。シヴィリィは眉を顰めた。


「うむ。結構! 迷宮の住人だからこそ聞くべき価値がある! 千載一遇! 知ること全てを答えるが良い!」


「んっ」


 重要な情報提供者に対し、意気込みながら一歩を出たアリナにエルがすぅっと手のひらを差し出した。


「……?」


 アリナは小首を傾げながら、その手に自分の手を乗せる。


「違う違う。そうじゃあなくて、お金だよお金。この世に対価無しで得られるものなんてあるはずないでしょ」


「……過去しかないから欲求は満たさないという話はどこに行ったのでありますか?」


「それはそれ、これはこれ。エルフだろうが人間だろうが、自分で言った言葉すら裏切ってしまうもの」


 ココノツの発した疑問にさして回答にならない回答を返しながら、エルはぐいと手のひらを突き出してくる。


「お金、お金ね……」


 思わずシヴィリィが唇を歪め、懐を確かめた。無論、お金が必要になるのは承知していたが、こうもはっきり言われるとやや困惑する。


 以前はヴィクトリアが全て建て替えてくれたものの、流石に今から彼女を呼びつけるわけにもいかない。とはいえ、以前ヴィクトリアから借り受けた金銭はまだ十分残っている。支払うには十分だろう。


 奮発をして、銅貨ではなく銀貨をエルの手のひらの上に置くと、彼女はくるりと手のひらを返してそれをシヴィリィの手元に落とした。


 意図が分からず、シヴィリィがふと顔を上げる。エルはにやりと唇を開いて言った。


「金貨が良いなぁ。君が来てるって事は、以前の白い人も来てるんだろう? もう一回くらい金貨は払えるんじゃないのかい?」


「無茶言わないで!?」


「じゃあどれくらいまでなら払えるのかな、そこから交渉といこうじゃないか」


 エルはすっかり味をしめてしまったようだった。


 緑の瞳をにぃと緩ませ、こちらの限界を見積もるように視線を鋭くしている。こう思うと以前のヴィクトリアの奮発が恨めしく感じられてくる。


 流石に、シヴィリィは金貨を払えるほどの手持ちはない。シヴィリィがちらりとノーラやリカルダを横目で見て、彼女らもが懐を確認しはじめた頃合いだった。


「うむ。道理だな。承知した、持っていくが良い。軍資金の足しになるかと持ち込んだが、正解だったようだ!」

 

 アリナが納得したとばかりに頷き、何気なしに懐から大きな金貨を取り出す。それもまた、ヴィクトリアのものと同様偽造されたものではなく、しかも悪貨でもない。純正金貨。


 思わず、シヴィリィが目を見開く。


 明らかに一介の探索者が持っていいものではなかった。


 というより、もし金貨を手に入れられるほどに稼いだのなら多くの探索者は引退して新たに商売でも始めるだろう。稼げるとはいっても探索者ほどリスキーな稼業もないのだ。


 だというのにアリナは一切の惜しみなど見せず、あっさりエルの手元に金貨を乗せる。


「……参ったなぁ。出来れば他の条件とかも引き出したかったんだけど。こうもあっさり金貨がぽいぽい出てくるとは思わなかったよ。何、君たちもしかして大富豪の探索者一行だったりするのかい?」


 エルが長い耳を軽く撫でながら、切れ長の瞳をシヴィリィに向けて言う。


 しかしむしろ話を聞きたいのはシヴィリィの方だった。ただの衛生兵担当の探索者に過ぎないアリナが、どうして金貨を持ち歩いているのかがさっぱり分からない。


 もしかすれば貴族の出自だったりするのだろうか。それとも、何かの魔導を使用しているのか。


 そんな考えをぐるりぐるりと回していると、ふふん、っとアリナは胸を張った。


「金は使うからこそ意味がある。必要な場合に、必要な時にな。さぁ、では早速話してもらおうかエルとやら――」


 アリナが自信満々に、そう言った瞬間だった。


 彼女の長いまつ毛が一瞬で跳ね上がる。同時、シヴィリィにもぞわりとした感触が襲い掛かってきた。


 臓腑の奥から、重い泥がこみあげてくるような。その泥が自分自身を覆いつくしてしまうような、異様な感覚。

 

「――伏せてッ!」


 そう言ったのが誰だったかは、はっきりとしない。しかしその場の誰もが、自分たちに脅威が降りかかってきている事を察知していた。全員が手に持っていた武具を構える刹那。


 ――訪れたのは無音。先ほどまで周囲を覆っていた雑音も何もかもが吹き飛ばされる。まるで、音そのものが殺されたかのよう。


 空があっという間に暗闇に閉ざされた。シヴィリィが周囲を見渡せば、暗闇の中にいるのは自分たちだけではなかった。周辺の建造物、人間たち。その他一切合切が暗闇に飲まれている。


 まるで一瞬の内に夜の帳が落ちたかのようだった。


「あー……これは、なるほど」


「何か、知ってるわけ?」


 誰もが動揺を隠せない中、エルだけが椅子に座ったままシヴィリィに返答する。


「一先ず、手付として話しておこうか。浮遊城の彼女には従う者が多くてね。その中でも、別格の守護者が二人いる。一人は鬼の子グリアボルト。エルフの軍団を率いるのは主に彼女の役目だ。単体としての戦闘能力も飛びぬけている。

 もう一人は軍団を率いる事はないんだが――」


 ため息をつきながら、エルが愚痴をこぼす様子で口を開く。


「融通が一切利かなくてね。少し、不味いな。来るよ」


 エルの言葉と、同時。


 ――暗闇を切り裂く様に、光の一線が中空を薙いだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] リカルダがアリナに反応が薄いのは大騎士達がいつも鎧を纏ってて身内以外には素顔を知られてないのかな。 魔力でモノを見ることを覚えたシヴィリィも気づかないのは、まだ他者の魔力は見るほどの力は無い…
[一言] 楽しく読ませていただいてます。 幸福を の楽しませていただきましたが こちらもようやく最新に追いつきました。 エル 大淫婦さんのアバターか何かかな? と思ってましたが。
[良い点] 誰も彼もどんどん胡散臭くて、そして魅力的なのが凄い [一言] 今年も素敵な作品をありがとうございました 2022年も楽しみにしております(礼)
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