第八十七話『金貨を求める音』
シヴィリィが口を開き、テーブルの上に指先を乗せたまま言う。作戦会議とは言ったものの、方針はもはや定まっているに等しかった。
「都市統括官との約束もあるし、第七層攻略には積極的になるべきよ。前衛に出ようと思う」
それに、空位派の者らもまだ紛れてくれているはずだ。図らずも、もはや彼らの助力無しでも引くに引けない状態にはなった。となると彼らも当然、自らの利益の為に第七層の攻略を始めるはず。
――エレク奪還という目的の為に、それら一切を利用しない手はない。
その場の誰も、シヴィリィに反対しなかった。それぞれ思惑は別の所にあっても、積極策を取るべきという考え方に違いはなかったからだ。
それに今この状況で後衛や怪我人の警護に回ったとしても、状況は好転しない。
「うむ! 新設ギルドとしては目立つ成果をあげておくのは一つの手でもあろうな」
「…………」
何故かアリナがにこやかに同意を示し、ノーラはそれを疲弊した目線で見つめていた。二人のやり取りを見るに、どうやら旧知の仲以前に随分親しい間柄らしい。
その言葉に上乗せするように、ココノツが言う。殆ど流されるままである彼女にしては珍しい事だった。
「とはいえ、相手は鬼人とエルフの軍団。それに本城は空の上でありましょう? こう言ってはなんですが、闇雲に相手取って良い敵では無いと思うのでありますが」
まだ外部からの補給が望める状況ならば良い。魔力をふんだんに使用して拠点構築を行い、そこから徐々に戦力を増強して数に任せて足元を固めてからの侵攻という手が取れる。
しかし今となっては、遠征団数百名は孤立無援で第七層に置き去りにされてしまったに等しいのだ。下手な拠点構築は魔力を浪費してしまいかねないし、かと言って力攻めするにしろ一度失敗すれば後がない。
「浮遊城は大騎士に任せる、というのも一つの手ではありますが」
「でもそれじゃあ、手柄は全て大騎士って事でしょう。貴方にはあんまりよろしくないんじゃないの?」
仰る通り、と肯定するようにリカルダは肩を竦めた。
リカルダとしては、この大遠征が失敗に終わるのならまだ良い。一番に問題なのは、第七層が失陥しその上大騎士の手によってそれらが全て成し遂げられてしまう事。それを防ぐ事こそ、都市統括官シルケ―の意向だったはず。
それに実際の所、シヴィリィとしてもそうなって貰っては困るのだ。
エレクが無事だと仮定したとして、それを助け出すのは必ず自分でなくてはならない。他の誰ぞかであって良いはずがない。
それはシヴィリィにとっての絶対条件であり、何かをおいて譲れるものではなかった。
「私に一つ考えがあるの。以前ヴィクトリアと第七層に潜ったときなんだけど」
シヴィリィの言葉に一瞬、アリナが目を大きくした。まじまじとシヴィリィの顔を見ながら話に耳を傾ける。
「ここで第七層に住んでるっていう情報提供者と出会ったの。エルっていう名前の……その、エルフ」
「……完全に偽名っぽい名前なんだけど、大丈夫なのかなその子」
反応したのはノーラだった。複雑な表情はそのままに、軽く片目を捩って言う。
「それに、それってちゃんと正気だったのかってのも気になるな。シヴィリィはまだはっきりと見てないのかもしれないけど――この都市の住人は、色んな意味で壊れてるよ」
壊れている。ノーラの言い方は、知性を持つ人を言い表すには不適格と言えるほどに暴力的だった。
「見た方が早いけど、まぁ全員まともじゃあないね。それが第七層の空気から来るものなのか、欲求を実現できるっていう性質から来るものなのかはわからないけどさ。そのエルって子も、ただ狂言回しをしていただけの可能性もあるよ」
その言葉に、リカルダやココノツも顔色を曇らせながら異論は唱えなかった。
第七層の警備に回っていたというノーラの言葉には、異様な実感が籠っている。
シヴィリィも一度は第七層に足を運んだものの、そういわれると住民達をまじまじと観察はしていない。やたらと露出が多いのが気にかかって、それ以上視界に映す気にならなかった。
確かに、エレクと会話している際のエルという少女はふざけた様子で、どこまで本気だったのか、という点は疑わしい。しかし正気でなかったかと言えば、そうでもない気がするのだ。
それに彼女は金貨を欲していた。もし彼女が欲求に囚われていたとしても、それが金欲であるならば取引が可能かもしれない。
そこでふと、彼女が言っていた言葉をシヴィリィは耳の内に思い出した。
――次の限界は一週間後くらいかな。あの広場に来なよ。君たちなら、私が案内してあげよう。これでも迷宮の案内人エル様と呼ばれているからね。
一週間は、少なくとも過ぎ去ったはず。ならば彼女の言う通り、あの広場で何かが行われているのかもしれない。
「分かったわ。じゃあどうかしら、大騎士は今も情報収集をしてるんでしょう。私達もそれに加わりましょう。結論はその後でも良いんじゃない?」
一つ、二つそれから言葉はあったが、結局シヴィリィが定めた方針の通りに落ち着いた。
どちらにしろこのまま座して事を待つような消極性は誰も持っていなかったからだ。
シヴィリィが向かう先として提案したのは当然、あの浮遊城へと繋がる広場だ。無事エルと合流できるかは分からないが、今の所有用と思われる手がかりはそれしかなかった。
なのだが、
「……と思ったんだけど、そもそも広場に行くには敵が潜んでいるかもしれない地域を通らないといけないわけね」
「うむ。そもそも! この都市全体が戦場であるという事を失念しているのではなかろうな!」
都市の通りを見据えながら、落胆したように言ったシヴィリィに言葉を返したのはアリナだった。
そう言えば一体いつまでついて来るのだろう、懐かれたのだろうか。というシヴィリィの視線を堂々と受け止めながらアリナは前方を顎で指し示す。
尊大な態度に他ならなかったが、妙に堂に入っていた。
「案外と、我々の立ち位置は強固ではない。不用意に動けばかみ砕かれるぞ」
アリナが言う通り、遠征部隊が安全を確保できているのはまだ精々が町の通りの一つ程度。浮遊城の直下に存在する広場までは遥か遠い道のりと言えるだろう。
通りの一角では、遠征団の一員が武装したままバリケードを作って見張りをしている。無論情報収集を言い訳に外に出ることくらいはできるだろうが、もし外で奇襲時の戦力と遭遇すればその場で運命は定まったようなもの。
参った。次の手が思い浮かばない。
シヴィリィはため息をつきながら、街並みに目を通す。エレクならこんな時どうするだろうかと、そう自問した。
動きを止めてしまうようなことはしないはずだ。彼ならば、なんらかの手を打つ。
最低限でも、自分に出来る事をしなくては。そういえば、エルは堂々とこの都市の飲食店で食事をしていた。聞き込みの一つもすれば、顔を見たものはいるのではなかろうか。
そう思い、街中の飲食店やそれらしい店舗を覗き込んでみる。
市民たちは探索者とエルフの兵団との対立など意に介してもいないらしかった。以前見た通りに扇情的な服装をして肌を絡め合うものもあれば、街角で酒を飲み続けているものもある。
共通しているのは誰もの目が虚ろだということだった。
「ええーと、エルってエルフの事を……」
「……あぁん?」
幾度か軽く声を掛けてみたとしても、返事をして来るようなものはいない。皆まるで欲望の波にでも埋もれるかのようにただただ、目の前の物事に耽溺しているのだ。
歪だった。同じ人であるのは確かだが、明らかに何かが欠落している。
シヴィリィが幾度目かわからないため息を吐きながら、飲食店で暴食を繰り返す面々に目を顰めた。
その瞬間だ。
「――まぁ酷い有様だと思うけどさ。あれでも本人にとっては悪いものじゃあないんだから否定すべきじゃあないさ。主観的に幸福でさえあれば、案外幸せなのかもしれないだろ?」
ふと、シヴィリィにそう囁く声があった。
聞き覚えのある声。ひどく軽い響きなのに、やけに耳に残る声だ。
咄嗟にシヴィリィが振り向く。
耳を尖らせた、鼻梁と眦を異様なまでに整わせた人物がそこにいた。
「嘘。エル――?」
余りにタイミングが良すぎる。まるで狙いすましたかのような登場に、流石にシヴィリィが目を剥いた。
「そう。私だよ。いやぁ良かった。色々困ってたんだよね。外からの人間は一杯くるわ。それに応じて兵隊までわらわら出てくるわ。お金稼ぎ所じゃあないよ」
飲食店の一角にぽふりと座り込み、相変わらずよくわからない肉を手に取りながら口に放り込んで、エルは言った。
「それで。私の事を聞きまわっていたんだろう。そういうお金の匂いに私は敏感なんだ。だから、現れてあげた。――話を聞こうか。どうしたのかな、レディ?」
まるで、全てお見通しだとでも言うような様子で、エルは薄い笑みを浮かべた。




