第八十四話『偉大なる鬼人』
シヴィリィがエルフの腕を握りしめ、そのまま彼女の背へと回す。こうすれば周囲の射手も易々と魔導は放てない。
これで、この場を制圧できる。
「ちょ、っと。シヴィリィ殿――!?」
そんな一瞬の思考をつけ狙うように、シヴィリィの腹を目掛けて、何かが来た。
――轟音と、空気を斬り裂く圧力と。エルフにはあり得ない剛力。
シヴィリィの身体が、紙切れのように吹き飛ばされる。身体がバラバラにならなかったのは、魔力をため込んでいたお陰か、もしくはエレクが散々魔導による強化を身体になじませておいてくれた賜物だろう。
少なくとも少女の身体一つを弾き飛ばしてしまう程度の力がその一振りにはあった。
紅蓮の瞳が、炯々と光りそれを見る。
「何だい。とんだ使い手だと思ったが。武闘は素人かい」
エルフの射手らを指揮していた、指揮官――前頭部に雄々しく生えた異形の角は、彼女がエルフでも人間でもない事を示している。
鬼人。妖精族という広い範囲で見れば、エルフと同種だと言われる者ら。しかしその姿を、同種だと言われて納得できる者がいるだろうか。
身長は長大で、拳は岩でも砕きそうなほどに強固。一応体つきはエルフに近しいが、漲る魔力の質は別物だ。
緑の髪の毛を長く垂らした間から見えるその角が、彼女の強大さを誇示していた。
「あたしはグリアボルト。ロマニア様を守る者。それで、あんたの名を聞いとこうか」
「私は、シヴィリィ。貴方が、大淫婦の守護者?」
第七層に入る前、ドゥゼから聞いた言葉を思い出していた。
第六層での大陸食らいや魔女らの如く、その階層の罪過を守る守護者がいるのだと。確かに第六層においても、聖女カサンドラは信仰されていた。それと同じようなものだろうか。
シヴィリィが胸中で思考をすると同時、鬼人グリアボルトは手首を軽く払ってつまらなそうに眉をひそめた。
「はぁん。味方か、それとも敵かと思ったが。ロマニア様をそんな呼び方をするって事は敵かい。くだらない連中だねぇ。昔ロマニア様に守ってもらってたのはあんたらだろうに」
「……品が良い呼び方じゃなかった事は謝るわ」
実際、ロマニア=バイロンに出会った事すらないのに蔑称を口ずさむのは口が悪い。それに彼女がカサンドラと同じ有様なのだとしたら、元はエレクの同胞かもしれなかった。
だったとして、今敵対している事には変わらないのだが。
「どちらにしろ、私はロマニアに会いたいの。会わなくちゃならない。立ち止まってられないのよ」
「そうかい。まぁ、あたしはあんたには聞きたい事が幾つかある」
グリアボルトはその強大な角を上向け、狂暴そうな歯を見せる。シヴィリィもまた応じるように、魔力を全身に漲らせ、自らを魔導のための装置へ変えた。
その有様が、両者の間に言葉が必要ない事を雄弁に物語っている。
空気が張り詰め、一瞬、そうして刹那の間を極限まで長く引き伸ばしていく。
ここは迷宮で、シヴィリィは探索者。そうしてグリアボルトは階層の守護者。ならば選ぶ道はどう足掻いても一つしかない。
「魔導――付与『強化』」
グリアボルトが、詠唱と同時に跳んだ。ただでさえ強靭な鬼人の体躯が、弾丸のように一直線に飛び跳ねて来る。
鬼人の恐ろしい所はこれだった。純粋な膂力で言えば、巨人が一歩先んじる。
しかし彼女らは、妖精族特有の魔力操作と魔力量によって、継続的且つ爆発的にその強大な剛力を使用しうる。
先ほどシヴィリィを吹き飛ばした、様子見の一撃とはものが違う。文句なしに背骨すら根こそぎ千切り取ってしまわんとする一撃だ。横撃を狙っていたココノツすらも手を出せない高速武闘。
紛れもない強者。絶対粉砕のグリアボルトがそこにいる。
「――ッ!」
シヴィリィの紅蓮が、見開く。
もしもここにエレクがいたのなら、即座にシヴィリィの身体を使ってグリアボルトに相対しただろう。円滑な魔力操作を用いて、その一撃を受け流すくらいはしたかもしれない。
しかしシヴィリィにそのような真似が出来る技術は無く、才覚は失われ、あるのはただ身に宿した血統と一人の教え。
反射的に、シヴィリィは唇を動かしていた。
彼の教えが言っている。必要な事は、これと正々堂々戦い合う事ではない。大陸食らいの時と同じように、自分の足場に持ち込んでやる事だ。
「付き合って貰うわよ、『爆散』!」
足場を踏み叩きながら、詠唱を追える。瞬間、床板が粉砕される。先ほどの二番煎じだが、今度はただ壊すだけではない。
「屋根も、柱も、この場全てを爆散させてあげる! 泥まみれは得意なの」
建物全てが壊され弾け飛べば、グリアボルトとてその体術を自在に操れはしないはず。大事なのは常に足場だと、エレクは言っていた。
無論落ちるのはシヴィリィとて同じだが、それでも相手に隙は出来る――。
――そんな想いを裏切るように、シヴィリィの目の前に緑色が映った。
「あたしにはちょっぴり遠いねぇ」
中空に投げ出された柱を、煉瓦を足蹴にし、中空で軌道を変えながらグリアボルトが迫りくる。その勢いはまるで殺せていない。まさしく、死を直感させる速さだった。
死ぬ、死んでしまう。エレクを取り戻す事も出来ずに。シヴィリィは一秒もない刹那の間に、そう思考した。
「どうせなら、正々堂々と来れば良いものを」
グリアボルトの引き絞られた腕が、放たれる。その片腕は、もはや弓を離れた矢の如し。
建物が崩壊し、地面に身体が叩きつけられるのと同時。鬼人の腕がシヴィリィの左肩を抉り取る。命を掻きとる場所でなかったのは、足場を崩した事が多少なりとも彼女の狙いをずらしたのかもしれなかった。
「っ、がぁ――!」
「もう黙ってな。傷が広がって本当に死ぬよ」
痛い、痛い、痛い。
激痛という言葉ですら言い表せない。この世にこの痛みを表せる言葉があるとするなら、それはもはや死以外であってはならない。
死ぬまで味わいたくはない酸鼻たる苦痛。
しかし、であったとしても。
「……っ。うる、さぃわよ」
何事にも自信の無いシヴィリィには、一つ胸を張れる事がある。堂々と言い張れる事。
痛みに慣れている事だ。
骨を折られる事も、血を零す事も、肉を抉られる事も、全てが日常茶飯。
素晴らしい事だ。人生を傷つきながら歩き続ける事と定義するならば、シヴィリィほど傷つきながら生きながらえている人間はそういない。
そうして歩き続けた末に、彼女は今ここにいる。
――故に、この程度の弱音で止まれるものか。
もしもここで終わってしまえば、今までの痛みは何だった。今までの苦しみは何だった。今までの汚辱は、今までの屈服は。何のために。
グリアボルトの強大な腕を片手で掴み、にんまりと笑いながらシヴィリィは言う。
「ざまぁ、みなさい……! 『爆、散』!」
「――へ、ぇッ!」
正々堂々としない事を卑怯だと、そういう奴もいるだろう。しかし、それならば正々堂々とした場で戦えない者はどうすれば良い。
こうするしか、ないのだ。
グリアボルトの腕から、血が盛大に噴き出していく。まるでシヴィリィの嗚咽が吹きかかるかのように、腕が痺れを持って跳ね上がる。驚愕に、彼女の瞳が瞠目した。
この結果そのものより、シヴィリィが魔導を発動させた事に驚いたのだった。肩を抉られてまだ発動できるだけの意志を持っているとは。
「なるほどねぇ。伊達でそんな恰好をしているわけじゃないって事かい。なら、やっぱり持ち帰ろうか――」
「――待て」
魔導を放ち、意識を失ったシヴィリィの身体にグリアボルトが手を掛けた所だった。
声がかかる。研ぎ澄ましたような、それでいて殺意に溢れた声。
「そこの娘から手を放せ」
朱色の騎士鎧が淡い陽光を反射する。魔導の光を纏いながら、睥睨するようにグリアボルトを見ていた。
「こりゃあおっかない。あんたは亜人嫌いだって聞いてたんだがね」
「だからどうした。嫌いである事と、助力を尽くさない事は等しくない。素晴らしきかな! 己が欲求は常に愛によって振るわれる!」
朱色の彼女は騎士剣を抜きはらって言う。
「例え疑わしくとも、命を賭して戦う彼女は戦士である。戦士であるならば、己が敵にあらず、愛すべき者。――笑止千万! このアリナ=カーレリッジを弄せると思うな鬼人!」
戦役の騎士が咆哮をあげながら、武威を振るいあげた。




