第七十五話『空位派の変人』
最後に甘い紅茶だけを口にして、シヴィリィはシルケーの別邸を出た。
シヴィリィが出した条件についてシルケーははっきりとした確約を出さなかったが、恐らく問題はないだろう。優柔不断なのではなく、彼女はそういう人種なだけだ。
そこに拘るより先に、次に空位派との交渉を済ませなくては。
「案外と早かったでありますなぁシヴィリィ殿。うむりうむり」
別邸を出て数度角を曲がった所でココノツと合流した。彼女は流し目でシヴィリィを見ながら、迷宮の中とは打って変わって落ち着いた様子で顎を撫でる。どうやら第七層の空気にあてられた状態が元に戻ったらしい。
とはいえ、記憶までは失っていないようだ。
「――さて、では我々の隠れ家に案内するでありますよ。手配はずばっとすぱぱっとしておりますので! 詳しくはついてからでもよろしいでしょう?」
いや、案外まだ抜けていないのかもしれない。シヴィリィは苦笑をしながら、ココノツと歩調を合わせた。
エレク奪還のため、必要な協力者は都市統括官だけでは物足りないとシヴィリィは考えていた。
何故ならシルケーらが動くのは、必ず彼女らの利益の為。もし浮遊城の陥落ないしエレクの奪還が彼女らの利益にならない状況になってしまえば、あっさりと手を引くだろう。
――それでは困るのだ。
誰も彼も、前に進むも後ろに戻るもできない状況になって貰わなくては困る。その為に必要なのが、対立者だ。
都市統括官や大騎士教、それに空位派と大騎士。どうやら人というものは、対立者が存在する事で思いもよらぬ方向に転がっていくらしいという事をシヴィリィは学び始めていた。
属領民街の方へと足を運び始めた頃合い。ココノツがその艶やかな双角を不意に上げる。
「ふむり」
「……?」
シヴィリィはただ小首を傾げるだけだったが、ココノツは急に角を曲がる。その後もすぐに右に、次に左。今までは殆ど真っすぐだったのに、まるで何かを追い散らすような道順だ。それにやや移動する速度も速くなっている気がする。
そこでシヴィリィも大分遅れてから気づいた。
「ふぅーむ。誰かは分からないでありますが、つけられているでありますなぁ。気配を隠すのは不得手でも、こちらを察し取るのは得意なようで」
ココノツは片目を瞑って親指を軽く舐めた。さぁてどうしたものかとシヴィリィを視線で見る。
ここで秘技を用いてシヴィリィと共に隠れ潜むのと、それとも追跡者の正体を見破っておく事、どちらの方が都合が良いかを推し量っていた。
ココノツが軽く指を動かし、シヴィリィの肩を優しく掴んでから言った。
「ここからまーっすぐいってくださいシヴィリィ殿。迎えは用意しておりますので。自分は少しばかり相手の顔を見て来るであります」
「えっ、でも。大丈夫なのそんな事して」
「ふふん。お任せください。これでも斥候、最悪敵から逃げ去るのは楽勝であります!」
最終的には逃げ去るんだ。
シヴィリィの胸中の声を置き去りに、ぽんっとココノツはシヴィリィの肩を押し込んだ。槍を片手にした彼女は軽い足取りで背中を向ける。
よく考えずとも、ココノツはシヴィリィに指一本触れさせないだけの実力者だ。気配を察知している追跡者一人に不意を打たれる事はないだろう。
「分かった。すぐに追いついて来てねココノツ」
「お任せあれ、リーダー」
ココノツはすっかり何時もの調子が戻った様子だった。頼り甲斐があって見えるのは、過ごした時間の長さがそうさせるのかもしれない。
背中を預け、そのままシヴィリィは駆けだす。幸い、背後から戦闘音や悲鳴などは聞こえて来なかった。
走るのには慣れている。体力はないが、属領民にとって咄嗟な危険から逃げるために走り回るのは常の事だ。
しかし、迎えとは誰だろうかとシヴィリィは目を細める。確かに自分は目立つ容姿をしているが相手がどういった名前かとか容姿かとかは聞いていない。
まさかもう追い抜いてしまったなんて事はないだろうな。そんな風に思いながら、シヴィリィは地面を強く叩いた。
そろそろ息も切れようかという頃合いだ。
――属領民街にしては珍しく、道の中央に堂々と居座る人影があった。腕を組み、両脚を地面につけている姿は威圧的だが、体格はシヴィリィよりも更に小柄。少女だ。
これが迎えか、それとも新手の追跡者か。
そんな逡巡に応えるように、少女は言った。
「――はぁい。そこのお姉さん! 止まった止まったぁ! 滅茶苦茶止まって!」
その場全てに響き渡るような声、警戒を途切れさせないようにしながら、シヴィリィはとんっと地面を叩いて足を止める。
敵か、それとも味方か。どちらでも良いが、自分に引き込めそうな人物か。紅蓮の瞳が少女を見る。
淡い栗色の髪の毛は艶があり見る者の目を引き付ける。二つの房に分けた髪型はよく手入れされており、一目には属領民には見えない。
彼女は両腕を汲んだまま、自信満々の笑みを見せて言った。
「この私を見過ごそうなんて笑止千万片腹痛し! 何故なら私が世界の中心地だから!」
あ。良かった。ココノツの同類だ。シヴィリィは顔を上げながら、小首を傾げる。
「ココノツから迎えが来てるって聞いたんだけど、貴方が?」
「その通りよ。私はナツメ=ヌレハネ。ナツメちゃんって呼んでねナツメちゃんって!」
「私はシヴィリィ。シヴィリィ=ノールアート。……ええと、ナツメさん?」
「ナツメちゃん!」
僅かに指先で眉間を抑える。シヴィリィ自身、決して自分がまともだったり正常だという認識はないけれど。それにしたって空位派の人間は調子が変な相手が多すぎないだろうか。
――いや、とシヴィリィは考え方を変えた。
空位派は、大騎士教の支配体制に反発する属領民の集団だと聞く。となれば、変人が多くて当然なのだ。
周囲をふと見てみれば、無気力に地面に横たわっていたり、食べ物かよくわからないものを漁っている者達ばかり。騒ぎ立てているナツメにちらりと視線をやるものはいても、関わってくる者はいない。
これが通常の属領民だ。抵抗する気力も何もかもへし折られてしまった者らなのだ。立ち上がろうとする者は、通常から逸脱していなくてはならない。
シヴィリィは改めてナツメを真っすぐに見た。
「それで、案内をしてくれるって聞いたのだけれど」
「もっちろん。ついておいで。世界の果てから果てだって、私が見てきた限り案内してあげるわ! でもよく考えたら無理ね。私ってば世界の中心地だし。私の近くにいる限り世界の中心から離れられないわ!」
シヴィリィに背を見せながら、栗色の髪の毛をぽふんと揺らして快活に笑みを飛ばすナツメ。
その足取りは可憐にみえたが、行先は凄まじかった。
小路を駆けたかと思えば、廃墟を通り抜けて蜘蛛の巣を浴びる。時に酒場の二階から隣に飛び移り、そのまた別の建物へと乗移って――。
まるでシヴィリィを撒こうとしているのではないかと思うほどだった。もしかすると、道順を覚えられないようこうしているのだろうか。
そうして流石にシヴィリィがもう道順を覚えきれなくなった頃だった。
――石造りとなった地下への階段を、シヴィリィは降りていた。
認識阻害の魔導か。それとも、記憶が弄られているのか。先ほどまで酒場の中を歩いていたはずなのに、いつの間にかここにいた。
「……どういう事?」
「あれ、気づいちゃったのね。大丈夫大丈夫。流石にウチもさ、部外者を招待するのには多少気を使わなくちゃいけないじゃん? ほら、ナツメちゃんってばやっぱりそういう心遣いが出来るっていうか――」
ナツメが何を喋り続けているかはシヴィリィには分からなかったが、間違いないのはやはりこれは彼女の仕掛けらしいという事だ。
地下の風景に僅かに警戒を見せながら瞳を歪めたシヴィリィに、ナツメは快活な笑みを浮かべたまま言った。
「滅茶苦茶大丈夫だって。ここも隠れ家の一つでしかないから。ただ、ウチの中心人物に会ってもらうだけ。オズワルドっていう爺さんなんだけど。ちょっとイカれてるのが良いのよ。
――それでココノツから聞いたけど、ウチと取引したいんでしょう」
じぃと、ナツメはシヴィリィを見て言った。軽く頷く。空位派がどういった組織かは説明を受けたが、肌では実感していない。話が通じる相手なのかは不明瞭だ。
動悸が僅かにあがった。緊張が胸元にこみ上げてくる。
考えろ、考えろ、考えろ。考えを止めるな。シヴィリィは思考を加速させるように吐息を漏らし、そうして薄暗い石造りの廊下を抜けた。
「……」
石造りの居室の中、老人は腰元に剣をぶらさげながら立ち上がって待っていた。冷たい地下室の印象とは裏腹に、そこにはしっかりとした一室が拵えられている。
シルケーの別邸ほど、とまでは言わないが絨毯が敷き詰められているし、家具すらも置いてあった。老人の趣味か酒瓶が幾つも置いてある。大きな椅子が寂しそうに空いていた。
老人――ナツメがオズワルドと言った彼は、老練な目つきを隠そうともしないままシヴィリィ、そうしてナツメを見た。
「本来なら客人に言うべき事が幾らでもあるんだが、先に一つ」
ため息をつくような、あきれ果てたような声でオズワルドは言った。
「何をやってらっしゃるんです、貴方は」
「はっはっはっはっは!」
ナツメはオズワルドの問いかけに笑い声で答えて、きょとんとしたシヴィリィを後目に部屋の中に入る。
そうして、空いたままの大きな椅子に座った。
「ええと……ナツメ、さん?」
戸惑いを隠せないシヴィリィに、ナツメは笑顔を浮かべたまま言った。
「ナツメちゃんだと言ってるでしょうに。さぁさぁ、時は金なり生き馬は走り去って七転八倒。取引を始めましょうよシヴィリィちゃん。ウチと、取引したいんでしょ?」
ナツメは頬杖を突きながら――まるで空位派と自分を同一視するような物言いで、そう言った。




