第七十三話『役者は誰か』
都市統括官の別邸は、シヴィリィが自分に不似合いだと思う程度には品格と威厳を兼ね揃えていた。
迷宮の入り口である英雄の門が持つ威厳とはまた別種、人を高揚させるのではなく、寄せ付けまいとする雰囲気だ。
廊下はくるぶしが埋まってしまいそうな柔らかな絨毯が敷かれていたし、調度品もそれ一つがシヴィリィが今まで稼いだ金銭より高価かもしれない。
迷宮都市アルガガタルの統括者にして番人。ザナトリア=シルケーは財政としては十分に裕福であるようだった。
それもそのはず。この自治都市はただ一つでありながら、小国に比するほどの経済力を有する。それは迷宮という特産品が存在しているのは勿論、この都市が多国間交易の中心地であるからこそだが。
「いらっしゃいませ。お疲れでしょう。すぐにお茶と軽食を用意しますわ。ジャムの好みはおありでして?」
「ええと……そうね。林檎がいいわ」
変わっていたのは、別邸にいる使用人はシヴィリィを笑顔で出迎えたメイド一人くらいだったという事くらいか。広大な屋敷であるというのに、非常に静かなありようだった。
寂しい、というよりも空っぽだという印象が強かった。立派な造りをしているのに、どれもこれもが見掛け倒しという風にシヴィリィには見える。
「シルケー閣下は騒音を好まれない方でして。本宅には多くの使用人を雇い入れているのですが、こちらは必要最低限な人員に絞っているのです」
柔和な表情を顔に浮かべたまま、リカルダが説明するように言った。もしかしたら説明し慣れているのか、随分滑らかな言葉回しだ。
どちらにしろ、ココノツと一旦別れたのは正解であったらしい。静寂を好むのなら予想外の来客は嫌いだろうし、それにどんな会話をするにしろ彼女が傍にいるのは好ましくない。ココノツも、流石に都市統括官の別邸に忍び込む愚は侵さないはずだ。
二階の階段に足をかけた所で、シヴィリィはこれから出会う――推し量らねばならない人物を想って、思考を回した。
こればかりはエレクの知識には頼れない。彼は物知りで、魔導だけではなく物事の道理や学識も有していたが、その知識は流石に古めかしかった。
しかしそれも仕方がない。シヴィリィは現代の知識を本や誰かから獲得する際には、可能な限り一人となりエレクが吸収する機会を限定させていた。
「この都市で、一番偉い人なのよね。都市統括官って」
「ええ。お会いになったことがありますか?」
「まさか」
シヴィリィは首を横に振りながらも、風聞や過去の出来事から想い馳せられるシルケーを瞼の裏に描く。
描いたのは――冷徹な現実主義者。情動よりも利益と損害を並び立てる人間。
階段を昇り切った先で、リカルダが重厚な扉に向けて数度ノックをする。
「リカルダです。失礼します」
十数秒後に、シヴィリィは自分の想像がさして外れていない事を知った。
「――随分と遅かったじゃあないか。こちらは寸暇を惜しんで頭を悩ませているというのに」
蒼い瞳が、ぎょろりとしてシヴィリィだけでなくリカルダすらも睨みつけた。瞳と同色のスレンダードレスは彼女を空気から切り取るようなはっきりとした色合いで、その美貌を際立たせている。
ただその表情はどこまでも攻撃的で、堂に入った威厳があった。
シルケーは三大国に囲まれながら、迷宮都市を自分の手に守り続けている鉄の女だ。彼女は美貌を武器に使う事はあっても、それを楽しもうと思った事はないのだろう。そこまでは想像の通りだ。
想像の外だったのは、うんざりした顔をしたパーティメンバーの一人――ノーラがシルケーと対面するようにソファの一つに座っていた事だ。彼女は顔色をすっかり悪くしたままソファに埋まっていた。
「申し訳ありません。これでも急ぎはしたのですが」
どこまでも穏やかな仮面を外さないリカルダに、シルケーは苛立ちを隠そうともせずに眉間に皺を寄せる。しかしその瞳が次に標的にしたのは、リカルダではなくシヴィリィだった。
「で、だ。貴様だな。私の傭兵二人をパーティに加え、その上私に交渉を申し入れてきたというのは」
「はい、エレクが――」
そう、シヴィリィの返事を聞き終わる前にシルケーはぱっと口を開いた。
「――間抜けめ!? 貴様が大教会から逃げ出したから、私は大変だったんだぞ!? 人の苦労も知らずにのこのこと現れるとは言い度胸だ!」
「……えっ?」
「とぼけるな!? スレピドの公女にはちくちくと嫌味を言われるわ、大騎士教には胃を痛めさせられるわ、散々だ!」
そこにきてようやくシヴィリィは合点が言った。
そういえばシヴィリィが眠っている間に、エレクはリカルダと密約を交わして教会を抜け出たのだ。話を聞くに、そのつけを払わされたのがシルケーなのだろう。
リカルダが苦笑をしている所を見るに、これはよくある光景らしい。シヴィリィはそっとシルケーへの評価に、激情家という一言を付け加えた。
「まぁまぁ。糖分が足りていなのですよ閣下。林檎のジャムとクッキー、紅茶を用意しましたから」
まだまだ言い足りない、という素振りのシルケーを落ち着かせたのはメイドだった。ロングスカートをぱたぱたとはためかせ、部屋の中心に置かれた長方形のテーブルに手際よく人数分のお茶と菓子を置いていく。
砂糖と言えば高級品なのだが、シルケーは信じられないほど大量の砂糖を紅茶に流し込み、もはや液体なのか粘体なのか分からない物質を口にしてからようやく次の一言を出した。
「どうした。掛けたまえ。交渉をしにきたんだろう。間抜け面をするな」
そう言って、ノーラが埋まったままのソファを指さした。元々複数人用のソファは三人程度ならゆうに腰掛けられるだろう。
「申し訳ありません。マイペースな方でして」
リカルダがフォローをするように言ったが、シヴィリィは唇を歪める事しか出来なかった。色んな人物を思い描いてはいたものの、これは少々想像の外だ。
しかし、そうだとしてもコレと交渉をして必要なものを引き出さねばならない。望むべきは第七層踏破の為の助力。正確には、浮遊城陥落の為の手立てだ。
どうすべきか、こういう手合いに自分の話を聞いてもらうのは難しい。得てして、自分の言葉だけで場を牽引しようとする。
シヴィリィは紅蓮の瞳で蒼を見据えて、ソファに座った。
「お時間を頂き、ありがとうございます。本日は――」
「――前置きは不要だ。そんなもの誰もが面倒だと思っているのに、やたらに使いたがるだけでな。亡霊が話があると聞いている。直接話せないのか?」
それとも、お前が亡霊か?
シルケーの率直で威圧的な言葉。しかし急ぎ過ぎている言葉遣いと口ぶりに、シヴィリィは一つ直感した。
――彼女は、どこか気焦っている。
理由はすぐに分かった。
都市統括官の瞳に映っているのは属領民の小娘ではない。五百年前の亡霊だけだ。その亡霊は空位派は勿論、大国や大騎士教が目をつけるほどの存在。
最初に鬱憤を払うように怒鳴り散らしたのも、自分のペースに持っていくための彼女なりのやり口なのだろう。
では、彼女に有効な札は、手段はなにか。
シヴィリィは、そっと紅蓮の瞳を細めて。吐息を思わず漏らして言った。頬にゆっくり手をあてる。
「いえ。彼、エレクは今私の口を使ってしか話せない状態です。お伺いした事も、私から彼に伝える事になるかと。というのも迷宮で――勝利の騎士ヴィクトリアと、第七層に赴いていたものですから」
少し、迷うような弱弱しい素振りで言った。声色に感情を込めてはいけない。そこに私の思いはなく、ただ代弁者のようであらなくてはならない。
シヴィリィにとって、それらは得意な演目でしかなかった。
属領民としての生涯が彼女に演技と仮面の付け方を覚えさせ、迷宮で一度斬り殺されたという事実が、彼女に生死すら厭わない大胆さを身に付けさせている。
「勝利の騎士と第七層に――?」
「はい。時折彼は私に黙って行動する事がありまして。どうやら、勝利の騎士とは既知であるようでした」
シルケーの表情がみるみる曇っていくのが見える。
三大国と迷宮都市アルガガタルとの確執なぞ、風評を聞けばすぐにでも耳に入ってくる代物だ。彼女と四騎士の関係が良くない事はすぐに想像がついた。
シヴィリィは、敢えて自分からは断片的に情報を告げるように、ぽつりぽつりと言葉を零す。目の前の都市統括官は最初の出方からしても、自尊心が高い人間であるのは確実だ。そういった人間は交渉事において、格下の人間から提案をされる事を嫌う。
――必要なのは、自分が言いたい事を相手から言わせる事だ。まずは、こちらの話を聞かせなくてはならない。
「待て。貴様に話す事は全て、亡霊に筒抜けか?」
「いえ、閣下。普段ならばそうですが、今は身体を休めている最中。私が伝えるべき事だけを伝えています」
「……そこまで弱ってるって、第七層で何かあったの?」
傍らでソファに埋もれていたノーラが、ゆっくりと身体を起こして復活してきた。彼女が言葉に乗ってきてくれたのはシヴィリィには有難い。
「ええ、実は――」
「――待て、待て。シヴィリィ=ノールアート」
シヴィリィはノーラに応じる素振りをしつつも、シルケーに視線を向けた。何時ものようにびくりと、肩を上下させるのを忘れなかった。
今初めてシルケーは、亡霊ではなくシヴィリィを見たのだ。
そこに、一つの価値を見出して。そうすれば、次に言うだろう。
「まず貴様の話を聞こう。第七層で何があったか、大騎士ヴィクトリアが何をしたか。話す事を許す。起こった事全てだ」
ほら、来た。
「――はい。分かりました閣下」
シヴィリィは内心で意地の悪い笑みを浮かべながら、都市統括官に向けて頷いた。




