第七十話『竜人はかく語りき』
ココノツは黒い瞳を輝かせ、双角をくいと上向けて言う。
今までの彼女では無かった。あたかもふざけた仮面を取り払ったように片眉を上げる。
『折り入って話……?』
「良いさ。シヴィリィも聞いてる。このまま話せよ。どうせ誰も聞いてやしない」
言葉の通り、大広場にはちらほらと人の姿が見えるが誰も彼も欲望に囚われた連中ばかりだ。
ここには殆どそういう人間しかいやしない。いいや彼らはそうなりたかったからこそ、第七層にいるのだ。
案内人エルの話では、探索者にもここへの移住者が大勢いるという話だったがそれも致し方ない。食欲でも色欲でも、ここは強欲を肯定してくれる。欲望の肯定は、抗いがたい幸福だ。
ココノツは両手を広げるようにしながら口を開いた。
「シヴィリィ殿は生きる為に、エレク殿は身体を手に入れる為に迷宮に潜られているのですよね。エレク殿はともかく、シヴィリィ殿はよくある理由です。属領民にとっては生きる手段は少ない世界でありますからなぁ」
ココノツの言葉に、シヴィリィが胸中で僅かに表情を変えたのが分かった。
ココノツがこのような話を口に出すのは珍しい。属領民としての悲哀など笑い飛ばせてしまえる奴だと思っていたが。
今の彼女は、瞳に深い感情の色を浮かび上がらせていた。
「思われませんかお二人とも。属領民にはこの世界は生きづらすぎる。どれだけ苦労しても、何一つ成果はあがらない。
例えばシヴィリィ殿は第六層を踏破された。しかし、今までこの事で祝福の声を正市民から大々的にあげられた事がありましょうか。個人に留まるのでは?」
「――言いたい事を聞こうかココノツ」
彼女には、婉曲的に物事を告げる癖があるらしい。俺の知り合いにも似たような奴がいたな。あいつも馬鹿みたいに明るかった癖に、遠回りに物事を成す癖があった。
「これが言いたい事でありますよエレク殿。お二人がこの地で栄光を掲げた所で、果たしてそれが正しく受け入れられるかは疑問ではありませんか? いいえ、分かり切っているであります。
属領民の栄光など、正市民は望んでいない。大騎士教の連中が判断するとなれば。良ければ、正市民の身分を与えられてその栄誉の大部分は四騎士とその配下のギルドに。悪ければ、魔導を不当に所持したとして断頭台送りでありましょう」
眉を顰める。ココノツが告げたような事は、俺自身も感じていた。きっとシヴィリィがどれほどの功績をあげようと彼らは大々的に認めようとはしないだろう。
言ってしまえばこの世界は――属領民が正市民を上回るなどというのは有り得ない、そんな前提の上に成り立っている。
何故なら世界の根幹たる大騎士教こそが、正市民と属領民という頸木を穿ち、その善悪、優劣を決定づけている存在だからだ。両者の位置づけが揺らぐのは、大騎士教の教義そのものが揺らぐのと同義。
美しい眉をあげながら、ココノツが言った。
「ですから。――お二人が目的を遂げようと思うのであれば、今のまま迷宮を探索されるべきではありません。大遠征とやらで功績をあげた所で、意味はないでしょうから」
「……そこまでは分かった。それで、本題は」
「エレク殿はせっかちでありますなぁ! こういうものはもったいぶるのが常道でありましょう」
どんな常道だ。
まさか俺も、ココノツがそれだけを言いに来ているとは思わない。ここまでは前振りだろう。提案を相手に呑み込ませたい奴が、先に相手の思惑の失点を突くのはよくある話だ。
では彼女は、結局何を言いたいのか。
次の一言に集約される。
「――申し遅れました。改めて自己紹介を。自分はココノツ=クズシ。大騎士教に反する『空位派』に所属しております。お二人に、同組織に列席を頂きたく」
「クズシィ――?」
そうか。通りで髪と目の色が同じだと思った。こいつあいつの血筋か。
それに空位派という名前は、一度ノーラから聞いたな。物騒な連中だと彼女は語ったいたが詳しい所は分からない。
『……各国が目指している王や、今の四騎士もいらない。秩序なんていらないって集団よエレク。各地で暴動とか酷い事を起こしてるって聞いた事しかないけど』
シヴィリィの言葉に軽く頷き、指先を鳴らす。
これは交渉事だ。相手も思惑があって俺達を引き込もうとしている。
では今、俺がすべき事は。
「考えても良い――。だが、オレ達をわざわざ入れようって理由があるんだろう。それにそっちの集団も物騒な連中としか思ってなくてね。こちらに利益はあるのかよ」
可能な限り情報を搾り取る事だろう。利害の判断はその後で構わない。
「勿論。単純なものでありますよ。自分達はただ今の世界を良く思わない者の集団でありますから。踏みつけられ、抑圧され、生まれながらに下位である事を命じられる。そんなものが幸せだとでも?
――お二人も、屈辱を呑んだ事があるのでは。泥水に塗れ、流した涙すら踏みにじられた事は? 裕福に過ごす正市民のすぐ傍で、属領民の赤子が息絶えた経験は? 自分は何度も思ったでありますよ。もしも自分があちら側だったのなら、どれ程世界は違ったのだろう。普通で、平凡で、退屈な日常がある世界があればと」
ココノツの声は何時もの緩やかなものではなかった。紛れもない力が籠められ、実感が血肉となり、こちらの精神を絡み取るものがあった。
「しかし、与えられないのなら。もはやこの世界の方を変革するしかないでありましょう。――エレク殿とシヴィリィ殿にどれだけのものが与えられるか、自分如きの一存では決められません。けれど、可能な限りの全てを。それに、今のまま大騎士教の足元で足掻き続けるよりは良いのでは?」
ココノツは美麗な瞳を煌々と輝かせて、熱を吐く勢いでいった。まるでその言葉にはかつて竜人が持っていたブレスが含まれているようにすら思える。
彼女の言った事は少なくとも大部分真実だろう。全てを決められるものではない、というのもやや押しが弱いが誠実ではある。
『……エ、エレク?』
「良かったなシヴィリィ。大騎士教に、あのフェオドラとかいうお嬢様は大国スレピドの公女様、それに空位派からもお誘いだ。引く手数多だぜ」
『そういう話!?』
そういう話だ。敢えて言うのなら、リカルダの伝手で都市統括官もここに含まれるか。第六層を踏破する前から考えれば破格の扱いだな。
俺にも今一理解できていないが、シヴィリィにそれだけの価値が生まれたというわけだ。では、どうすべきか。
出来る事なら魔族レリュアードの奴がいる大騎士教には近づきたくないが、直接懐に潜り込むという手もある。しかし最も安穏なのは大国の懐に紛れる事か? そこにも魔族がいないとは確信がないが、それでも今よりはずっと良い目が見れるだろう。
反面、空位派に与するならある種茨の道だ。反体制というものは、何時だって安穏とは言い難い。
都市統括官シルケーは、それを言うならある種中立だろうか。大騎士教に寄っているとはいえ、周辺全ての影響力を排したいという意図はあるようだった。上手く交渉すればシヴィリィを英雄に祀り上げてくれる事も考えられるだろう。
まぁ俺ならもう少し別の道にするが。結局の所、聞かなければならない事がある。
「シヴィリィ。お前はどうしたい。まずはそこを聞こうか?」
『わ、私!?』
思わず動揺したように、胸中でシヴィリィが言う。今更何を言っているんだこいつは。
「勿論だ。オレは所詮死人だ。決めるべきは今を生きる人間だけ。今を生きた人間だけが、全てを決める権利を有する。個人として賛成だ反対だ、というのはあるがね。結局、最後に引き金を引くのはお前だけだよ」
言いながらも、目を細める。吐息を熱くしていた。
俺もどうやらココノツにあてられたのか、熱がこもってしまっていたらしい。
それに、一つ予感がしていた。
嫌な予感。シヴィリィの答え次第によっては、俺も行動を選ばなくてはならない。
それも、思わしくない方向にだ。
じっくりと数秒の時間が経つ。俺もココノツも、何も言わなかった。シヴィリィが気圧されたように、胸中で唇を開く。
『それなら――』
俺は、一つため息をついた。ああ、やはりかと。そう思ってしまったからだ。