第六十七話『勝利の名の下に』
この世界の大原則は明瞭だ。血統と力こそが全てを支配し掌握する。
血統を持つものは、地位によって守られるだろう。力を持つものはその武威によって守られる。両方を持つ者は、支配層になるのだ。
そうしてどちらも持たない者は、打ち捨てられて誰にも顧みられずに、枯れ木のように朽ちていく。
無論大騎士たるものは、そのどちらをも持たねばならない。
ヴィクトリアは、まだ自分の名前を持つ前にその事実を知っていた。
何せ大騎士の血統においては、力、即ち才能がない者はいないのと同じだ。才能をもって自己の存在を証明しなくてはならない。
四騎士の血族――ドミニティウス家はそんな思想を象徴する一族だった。
かの一族が掲げる二つ名は『勝利』。
『戦役』、『落陽』、『天秤』とは異なり、勝利こそを絶対価値とする。求められるものは一つ。
――完璧な始祖の血統継承のみ。
歪な家だった。ドミニティウス家にとっては、物事の尺度は二つしかなかった。
大騎士の血統を継承しうるか、しえないか。継承を成し得たならばその者が当主となり、それ以外の者は、ただ血を次世代へ受け継ぐためだけの入れ物に過ぎなくなる。
彼女もまた、その入れ物の一人だった。
彼女に名は無かった。ただ、八番目を意味する単語で呼ばれていた。
「では、八番目よ。先に言っておこう、君はきっと報われない」
「はい」
彼女が頷くと、よろしい、とその者は言った。
男だったのか、女だったのかも覚えていない。記憶の中で何時もそれの姿は朧だ。だが自分の姿だけは、はっきりと思い出せた。
――手と足が黒く変色し始めていた子供だった。
それは魔力が身体を侵している証拠だ。
剣を握り続けた指先からは感覚が失われていた。地面を踏み固める事しか知らない足が、鈍くしか動こうとしない。まだ齢は十を超えていなかったが、身体は限界を迎えていた。
肌の所々には魔獣に噛み千切られたような跡があり、何より片目がすでになかった。
何故、こんな痛ましい姿になったのか。ドミニティウス家の者は口を揃えてこういうだろう。
八番目には、才能が無かったからだ。
ドミニティウス家の血縁に産み落とされておきながら、数多の訓練とまさしく血を吐き出す鍛錬に、まったくついていけなかった。
過酷な魔導行使によって体内の魔力と血液は斬り刻まれ、もはや戦う事などできはしない。
ドミニティウス家の誰も、彼女を顧みる事はなかった。才能がなく、使えない人間など視界にすら入らないからだ。両親の顔すら彼女は見た事がなかった。恐らくあちらは興味もないだろう。
だがそれも仕方がない。
努力は、苦労は、鍛錬は、敗北の免罪符になり得ないのだ。
これだけ努力をしたのだから。
耐え難い苦痛に耐えたのだから。
弛まぬ鍛錬を積んだのだから。
そんなものに一体どれほどの価値があるというのか。
数多の努力は裏切りを孕み、苦痛は無為を内包し、鍛錬は挫折と共にある。八番目の生涯は、そんな当然の現実に押しつぶされ終わりを迎えようとしていた。
身体が駄目になった後に、選べた道は二つ。
ただただ、会話もした事もない男の子供を産み落とし続けるだけの血統の一部になるか。
それとも、自らの血を始祖に捧げるか。
彼女は後者を選んだ。
生涯は苦痛だらけだ。生きる事は傷つき続ける事と同義であり、報われる事は決してない。だというのに、自分より何もせずとも報われる者もいる。才能があるというだけで。
そんな生涯ならばいっそ。そんな想いに浸ってもおかしくはない。
幼い彼女をこの時まで支えていたのは、朧気な記憶のみだった。
本来なら、自分には誰かがいるはずだった。片割れとも言える誰か。ともに歩むべきだった誰か。記憶の相手だけが、ヴィクトリアの心を慰め続けた。
自由になったならば、その誰かを探しにいこう。私の手を、取ってくれる人を。
しかしそんな自由は、彼女に与えられはしなかった。
彼女は朧気な記憶を抱いたまま、自ら血を捧げて死ぬはずであったのに。
――ヴィクトリア=ドミニティウスは、自らがヴィクトリアの名を与えられた日の事を思い出していた。何も無かった自分が、五百年の血統と記憶を継承したあの日。
そうして、数多を思い出したあの日。
「五百年。五百年待った。継承し続けた」
大きな瞳が、ぎょろりと唸った。
教会で一目みた時から、ヴィクトリアはそのみすぼらしい属領民が誰かを直感した。魂が、何より血統が脈動したのだ。
姿かたちは全く変わってしまったけれど。いいや言動すらも、少し変わった。自分の知らない顔つきすら見せてくれるようになった。
多少の疑いはあったものの、世界の剣でのレベル測定――その魔力結果をもって、確信した。
かつて自らが仕え、自らが取り逃した王。五百年待ち続けた者。
生前の彼に最初にかけられた言葉を、ヴィクトリアは決して忘れない。何度も何度も、幼き頃心の支えにした声だ。
――素晴らしい。お前は誰よりも、尊い人間だ。俺に力を貸してくれ、レディ。
もう一度。あの言葉を聞きたい。
それこそ自分が、あの時死ななかった理由なのかもしれない。
ヴィクトリアは第七層を見て回りながら、一歩一歩、足を踏み固めていく。
「第七層も変わったように見えましたが、地形自体は同じようですね。ロマニアが何をしでかし始めたのか興味は湧きますが」
しかし大淫婦そのものよりも、もはやヴィクトリアの思考は物事の先を見はじめていた。
これから行われるであろう『大遠征』。その先に始まるだろう迷宮を交えた権力闘争。
――その合間に、彼を手に入れる隙間は必ずある。
「皆、よろしいですか」
ぎらりと、瞳を輝かせながらヴィクトリアが言った。パーティメンバーは、踵を鳴らして自らの騎士に付き従う。五人はまさしく、彼女の為の精鋭だった。
「我らギルド――バアルは、必ず大遠征にて結果を残します。それこそが我らの義務と心得なさい」
五人が、熱にあてられたように返事を漏らした。ただの一人も、ヴィクトリアの真意を知る者はいなかった。
◇◆◇◆
浮遊城はまさしく、堅牢そのものの有様を中空に晒している。
無防備に浮いているようでありながら、まるで隙というものがなかった。魔導への対策も当然構築しているだろう。カサンドラの結界ほどとは言わないが。
本来ならば、中を調べてみたい。亡霊の身体なら多少は融通が利くだろう。しかし問題なのは、得てしてこういった城郭は一定の自動迎撃機能も備えているのだ。
もし亡霊の身体が敵と認識されてしまえば、俺は間違いなくその場で消滅する。か弱い魔導にだって、今の俺は耐えられないだろう。
「……世界は広いでありますなぁ。あんな城があるとは。……えっ、自分達あれを攻めるのでありますか!?」
無事合流出来たココノツは、大広場でシヴィリィに案内されながら浮遊城を見上げていた。
「無理でありましょう無理! あーいうのは専用の魔導とか装備がいるんでありますよ!」
「……でも。やってみないと分からないじゃない。それに目立っておくならここじゃない?」
ココノツの勢いに押されながらも、シヴィリィは唇をくいと上げて言う。
「見返してやるなら、皆が見てる所でよね」
おお。自信なさげな所があったシヴィリィにしては、強気な発言だ。一種の成長かもしれない。
それでも同意を求めるようにちらりとこちらを見て来るのは、彼女らしいとも言える。
「……いや、そうだな。ここで名を売るのは良い話だ」
実際。シヴィリィの場合目立っておかねばフェオドラやシルケーのような上層の連中に何をされるか分かったものではない。利用価値がある事を示しつつ、手が出せない程度には力を見せておかねば。
ふむ、と宙に浮きながら言った。
「シヴィリィ、丁度良い。鍛錬相手もいて時間もある事だ、本格的に戦い方ってものを教えてやろう」




