第六十六話『彼女と彼女の思惑』
エルフのエル。そう名乗った女は、やけに楽し気に金貨をバックに入れる。この街の例外に漏れず白い肌をよく見せる格好をしていたが、恥ずかしくないのだろうか。
俺は恥ずかしい。
「さて二人とも、あの城と住んでいる彼女に興味があるんだろう。立ち話もなんだし、料理でも食べに行こうよ」
『えっ、料理?』
お前が一番に食いつくのかシヴィリィ。まぁ身体は同じなのだから、俺が食ってもシヴィリィが味わう感触は同じなのかもしれないが。
もう少々落ち着きをと思うのは、俺の傲慢だろうかレディ。
「オレは構わない。どうせ、丸一日はここに潜らないといけないからな」
「――ええ、そうでしたね。ではパーティと合流するまでの間、暫し時間を使いましょうか」
自然な口ぶりでヴィクトリアは言ったが、彼女がそれで良いのかは疑問だった。そもそも彼女は自分のパーティと合流するのが第一目的のはずなのだが。いや、パーティすらも不要という、騎士らしい自信の表し方だろうか。
ココノツも不安ではあったが、この都市には第六層ほどの危険は見られない。彼女がそう易々とくたばるとも思えなかった。
それにやはり、情報源を逃す手はない。
「どうせなら、パンが上手い店はあるか?」
「パン? よくあんなもの食べられるね。小麦を焼いただけだろう」
『今この人なんていった!?』
エルはエルフらしからぬ感想を呟いて、指先を伸ばした。本当にエルフかこいつ。かの種族の主食は木の実や菜食といった森の恵みのはずだが。
後シヴィリィ、分かった。お前の主張はよくわかった。だからちょっと待ってくれ。
緑色の瞳を特徴的に輝かせ、くいと店舗を指してエルが言った。
「そりゃたまには良いけどさ。やっぱり、こういうのがいいな私は」
彼女が指示したのは、いやというほど肉の焼けた匂いが鼻を突く店だった。何の肉かはよく分からなかったが、牛や鶏の肉に近いように見える。
中は広々としていて、人々は入って来た俺達に一瞥もくれずに好き放題に飲み食いをしていた。
そこに品位というものは存在せず、彼らはただ自らの欲求を満たすためだけに肉を口にしているようだった。中には肉以外にも魚や野菜を食べる者らもいたが、それでも食い方は同じだ。
「ここは何時もこうなのか?」
「皆が皆ってわけじゃないよ。まともな人もいるし、健全であろうって人もいる。まぁそれ自体そういう欲求に従ってるのかもしれないけど」
エルは何気なく言いながら店員が運んできた鶏肉らしいローストに軽く口をつける。
「それで。城の住人の事だったね」
「はい。何者かは知っていますが、この街でどのように振舞っているのか、この街で何をしているのか。ご存じの限りをお伺いしたい。我々の調査も随分と古いものですから」
堅物らしい実直な切り口だった。必要な事だけを詰め込んだ言葉に、エルが気圧されて唇を歪める。
「遊びってものがなくていけないや。でもまぁ一言で言うなら、うん。庇護者であり、それでいて暴虐者かな。あ、二言になった」
口元を拭いて、はっきりと発音してエルは言う。知らず目を丸めた。恐ろし気な言葉が混じっているというのに、彼女は何処か誇らし気にして続けるのだ。
「偉大な事は間違いない。彼女は迷宮が始まったときから、この希望の国を統治し続けているんだからね。外から人が一杯やってきても全てを受け入れた。ここの民はもう全てが外から来た人間なんじゃあないかな。
そんな誰もを、空飛ぶ城から彼女は常に見下ろしている。その統治の下だからこそ、皆暮らしていける。それは確かだよ。この都市には魔物だって入ってこれないんだからね」
ゆえの、庇護者。
それだけを聞くならば、理想的な施政者のように感じられる。
しかし、そうではないのだとエルは言っているのだ。
「では、暴虐者とは?」
「うん。そこが問題なんだよね。
――彼女というエルフは、庇護したペットを絞め殺す事になんら罪悪感を感じないタイプらしいんだ。いいやむしろ、それこそを望んでいる。同族の私としても困ったものだよ」
エルは明るくどこか楽し気に言う。しかし口にしている事は余りに異常だ。
けらけらと無邪気に笑うその裏に、冷徹な精神が煮詰まっているように思えた。
詳しく聞こうと身を乗り出すと、俺の口に鶏肉を突っ込みながら彼女が言った。
「本当なら金貨を貰っても全ては話さないよ。でも君たちは可愛くて私好みだからね、サービスだ。彼女は、皆の欲望を肯定する。ここでは皆の希望が叶えられる。そう皆信じている。だからこその希望の国だ。
けれどそれは、彼女の希望を叶えるための国、という意味でもあるよね」
もったいぶった言い方だった。俺はこの手の婉曲染みた言い回しをする人間が苦手だ。
こういった人種は得てして、こちらを値踏みしているからだ。
さぁ、気付けるんだろうな。気づけないのならお前はそれまでだよ。と、あやふやな言い方で測りにかけている。
「……大淫婦が、自分の欲望を満たす為に住民を使ってるのは分かった。で、具体的には何をしてるんだ」
「ん」
エルはそれだけを言って、皿に乗った肉を指さした。
「これにしてる」
先ほど口に詰め込まれた肉を吐き出した。
「ふざけんなよお前!?」
「あはははは! 嘘、嘘だって。冗談じゃないか。まぁ、そうだね」
エルは流し目でヴィクトリアを見ながら頷いた。皿の上の肉を切り分け再び唇に運び、呑み込む。
「今日はもう終わっちゃったからね。多分次の限界は一週間後くらいかな。あの広場に来なよ。君たちなら、私が案内してあげよう。これでも迷宮の案内人エル様と呼ばれているからね」
非常に良い笑顔でエルは言った。
どう考えても嘘だった。もしそれが本当なら名前を問われた時にああも考え込むものではない。
どうやらエルは、嘘を吐く事に躊躇がないタイプのようだ。それも、時に無意味な嘘も吐く性格らしい。
皿の上の肉を平らげると、エルはもうこちらに興味はないとばかりに踵を返した。
「それじゃあまたね。一週間後、待ってるよ」
それだけを言って、エルは店の外に出ると直ぐに見えなくなった。それこそ煙のように消えてしまったのだ。
ヴィクトリアと顔を見合わせる。金貨一枚分の情報量があったかと問われると、流石に疑問だ。
「いいえ。現地の協力者が出来ただけでも良しといたしましょう。一週間後であれば、大遠征の準備も整うでしょうし」
金貨一枚、何のことがある。そんな素振りでヴィクトリアは言った。どうにも自分が小市民そのもののようで、少し頬が熱くなってきた。
ヴィクトリアは薄い笑みを浮かべながら、得体はしれないもののもう一つ肉を頼んだ。
「我々のパーティの合流地はあの大広場です。辿り着いていない所を見るに、よほど遠方に出たのでしょう。暫し、ここで時間を取ろうではないですか」
料金の事であれば、御気兼ねなく。
騎士様は本当に優雅なふるまいで、指先を律儀に揃えながらそう言った。
不味いな、普通の相手だったなら心を奪われていたかもしれない。それだけの笑みをヴィクトリアは湛えていた。
◇◆◇◆
「――ヴィクトリア様」
ヴィクトリア=ドミニティウスは、不意にその声を聞いて眦をあげた。ふと周囲を見渡せば、第七階層の街並みが広がっている。傍らではパーティメンバーのロザが、不思議そうにこちらを見つめていた。
「どうされたのです。気が気でないご様子でしたが」
そう言われて、ヴィクトリアはようやく意識をはっきりと取り戻す。
彼女――いいや彼とは別れた後、暫し久方ぶりの第七階層の探索を続けていたのだ。その余りの平穏ぶりに、思わず意識を飛ばしてしまっていたらしい。
「いえ。なんでもありません。気にしないでください」
表情を引き締めたまま、ロザに言う。彼女は一歩を引きつつも更に口を開いた。
「よもや、あの属領民が何か無礼でも働きましたか。必要であれば、こちらより――」
「――ロザ」
一言だけ、言う。
失礼しました。そう言ってロザはもう何もいってこなかった。笑み一つ見せないまま、ヴィクトリアは前を歩く。
しかし、だ。
ヴィクトリアは思わず緩みそうな頬を引き締めながらパーティの一番前を歩いた。到底、人に見せられそうな顔をしていない。
仕方がないではないか。勝利の騎士としての記憶は、脈々とヴィクトリアに受け継がれている。五百年前から今に至るまで。ありとあらゆる勝利の騎士の経験と情念が彼女の肉体には宿っている。
紛れもなくその記憶は彼女自身のものであり、彼女を構成する一要素だ。
その記憶が、疼く。感情が血を渦巻かせ、脈動して逆流すらしそうだった。ヴィクトリアの発する雰囲気が熱すら帯びるように震えあがる。
感情の正体は、悦びだ。
――あのような表情、私は見た事がなかった。見せてくれた事はなかった。私の手から物を受け取ってくれた事も、よもや貸しを作る事など絶対になかった。
それが今では、まるで無警戒にこちらを寄せ付ける。
身体は違うといえど、明確に彼そのもの。言葉の節々に、所作の間際にそれが垣間見える。
胸元が破裂すら起こしそうだと、ヴィクトリアは思った。
わざわざ、レベルを測らせた甲斐があった。いいやあれはきっと、五百年待ち続けたゆえの恩寵なのだろう。
しかし焦ってはいけない。以前は、焦ったがゆえに取り逃した。今度は周到に、間違いなく事を成さねばならない。
まだ他の三人は気づいてもいない。理解してもいない。あれが、誰なのか。
「――――」
ヴィクトリアの笑みが、深まった。表情だけをみれば微笑であるはずなのに。
まるで、深い谷底をみるような笑みだった。




