第六十一話『我が敵』
リカルダは俺の言葉を聞いて、困ったように眉を寄せた。表情を作るのが上手い奴だ。彼は自分が生み出す表情が、相手にどんな印象を与えるかよく分かっているのだろう。
「魔王とか呼ばれたぜ。初耳だな。善良な人間である自信は確かになかったが」
「ええ。私も貴方がその本人かどうかは少し疑問ではあるのですが」
リカルダは細い、殆ど閉じたような瞳を僅かに開いた。
「第六層のアレを見ると、可能性はあると思っています」
アレとは、魔女と巨人の軍勢の事を言っているのだろう。かつて俺に仕え、俺に従った偉大なる者ら。死して尚俺を想ってくれた彼ら。
「だから、組めないとそう言いたいのか?」
「いいえ」
話の流れを断ち切るように、リカルダは言った。もう困ったような表情は色を失い、何時もの穏やかな笑みが浮かび始めている。
「貴方の言う通り、貴方方は大いに価値はあると思っています。私にとっても、私の主にとっても。――そうですね。構いません。交渉をしましょう」
案外とあっさりと答えが返ってくる。てっきり主人であるシルケーと相談をするとでも言いだすかと思っていたのだが。
リカルダは俺の思いを見透かしたように言った。
「私は自分のような者が信用を持ちえないのを知っています。ですから、信用足る相手と信用足らない相手は常に見ているつもりですよ。
一先ず、今はシヴィリィさんとここから抜け出せれば良いですか?」
変わらぬ言葉遣いで周囲には響かないようにトーンを抑えながらも、目元を緩めてリカルダが言う。普段はさほどでもない癖に、今日はやけに舌が回っていた。
とはいえ、彼の言葉は的を射ている。
シヴィリィをここに呼び出した奴らの思惑は分かった。何をさせたいかも理解した。とすれば、出来る限り早くここから立ち去りたかった。何せここには魔族たるレリュアードがいるのだ。
俺の記憶通りなら、あいつは何でもやるしどんな手段も厭わない。どうして人間の振りをしているかはともかく、何時再びシヴィリィに魔眼を用いて来るかも分からないのだ。
少なくとも、多くの目があるこんな場所でやりあうべきではなかった。何せ、対外的に見ればあいつは権力者、シヴィリィはただの属領民なのだから。
「では、今すぐ抜け出してください。そうしてそのまま、そうですね。丸一日ほど迷宮に逃亡を。その間に何とかします」
「……その間に罪人に仕立て上げられたりしないだろうな、おい」
「安心してください。少なくとも今の段階ではその危険はありません」
今の段階では、というのが今一不安だが。まぁ実際、現状でシヴィリィを罪人にするメリットは少ないか。
「それに、本来探索者は全て都市統括官、私の主人が統括すべき所です。大国スレピドにも、大騎士教にも権限はありません。どうとでも繕えますよ」
リカルダはそう言うと、何時もと変わらぬ笑みを浮かべた。奇妙な、それでいて自信に溢れた笑み。
全てを信じたわけでもないが、リカルダも無暗に嘘をつく人間ではない。それにシヴィリィと俺に利用価値があるという言葉も虚偽ではないだろう。
「分かった。迷宮に潜ってれば、案内でも出してくれるわけだな?」
「ええ。分かりやすい合図を出しますよ。どうぞ、ご安心を」
リカルダはそう言って、視線を逸らした。これ以上の言葉はいらないという合図だろう。
俺も早々に、踵を返した。以前勝手に傍を離れた時はシヴィリィが随分と荒れたからな。下手に目を覚ます前に戻った方が良いだろう。
とはいえ、流石にこちらの意図くらいは汲んでくれるだろうが。
◇◆◇◆
前言撤回。
シヴィリィに他人の意図を汲むという能力は無かった。
『…………』
「何か言えよ」
シヴィリィの身体を借りながら、くるりと空中を蹴って屋根に飛び乗る。黄金の頭髪がはらりと宙を撫でた。シヴィリィはとっくに目を覚ましているのだが、どういうわけか殆ど口をきこうとしない。
いいや、その意図は分かっているのだが。
『エレクって私が眠ったり気を失ったりしてるとすぐに何処かに行かない!?』
「そうでもないだろ。というか別に好き勝手したくて動いてるわけじゃないぞ」
必要だから動いているだけであって。俺だってむしろ本当なら楽をしたい性格だ。黙っていてもシヴィリィが勝手に迷宮に潜って魔力をかき集めてくれるならそっちの方がずっと良い。
物事は合理的に動いて、楽に全てがぐるりぐるりと回ってくれればそれで良いのだ。問題なのはそう簡単には回ってくれないというだけで。
むしろ上手く回そうと思えば思う程に、その反動が強くなるもの。この世界そのものが合理的でないのに、合理的に全てを回そうと思ってしまうのは無理があったのかもしれない。
宙を幾度か跳躍しながら屋根へと足先を付ける。本来なら屋根から屋根への滑空などすれば身体の筋肉が断裂してしまうが、魔力の補助が身体を強化していた。
同時、指先に魔力を集める。
「――シヴィリィ。あんまり騒がないでくれよ」
目元を細め、眦を下げる。しかしどうしたわけか、目を覚ましてからは上手く回らない事が生前よりずっと多くなった気がする。それは身体を失った所為か。それとも、俺のやり方が悪いのか。
もしくは両方か? シヴィリィの反応を待たずに、指先を背後に向けて口を開いた。
「『魔弾』」
瞬間、魔力の弾丸が音も射ち殺して宙を駆ける。
息を呑む暇すら失わせ、俺の背後に迫っていた影を撃墜した。鼻を鳴らす。いいやすでに肌で感じ始めていた。
懐かしい。五感が震える。吐息が熱くなる。背後からはまだ複数の気配がした。
――魔の匂い。魔物ではない。魔族共の匂い。
『……あれ、何。エレク』
振り向けば中空に、幾つもの羽根が見えた。瞬き、瞬き。まるで人を翻弄するからのような振る舞い。
下級の妖精共。姿は朧気にしか見えないが、その魔力が奴らの存在を明瞭に俺に伝えている。
「魔族の使い魔だ。レリュアードの奴、気づいてたのか?」
いいや。もしあいつが本当の意味で俺の存在に気づいていたのなら、こんな風に逃がすわけがない。依り代たるシヴィリィの身体を打ち壊して、そのまま殺してしまうはずだ。
あいつは俺の憎悪すべき敵の一人で、あいつにとっても俺は憎悪すべき敵でしかない。
つまり――何処まで行ってもシヴィリィの身体が俺の魔導を持っている、としか思い至ってない。要はこの使い魔共は監視か。もし不穏な動きをすれば、敵意を見せ動きを止めると。
妖精の一体一体が、徐々にその身に纏う魔力を大きくしている。人を監視する役目から、人を襲撃する為の役目に切り替わっていく。ふと見れば、十数体はいるだろうか。
俺も鈍った。これだけの相手に囲まれていながら、姿を現してようやく気付くとは。
しかし、同時に俺は安心もしていた。
本当に、良かった。人間のシヴィリィ相手にこれだけの使い魔を寄こすという事は、奴は五百年経って尚人類種の敵であり続けていてくれたというわけだ。
人間の中に紛れ込みながら、未だ人類種と相反する道を歩いている。決して、人間と手を結んでなどいない。お前はお前の思惑があって、一時的にそうしているわけだな虚偽の魔王レリュアード。
俺はそれが自分にとって面倒事だと分かっていても、思わずにはいられなかった。
かつて人類種を幾度も甘言で絡みとり、幾度も裏切りを誘い滅ぼそうと奸智を巡らせた魔族。そいつが今この時にも生きている。
俺の中に、身体を取り戻す以外の目的が生れ落ち始めていた。
『エレク――?』
シヴィリィの声が、耳に入らなかった。
頬を緩め、五指を鳴らしながら魔力を走らせる。
「『魔弾』『複製』『爆散』」
空を、数多の弾丸が駆け抜ける。避けうる合間は与えない。羽を揺らめかせる時間もない。一瞬の光があった。
刹那の間に、魔弾は有象無象の区別を無く全ての妖精共を射ち殺す。
鼻を鳴らし、唇を尖らせた。
レリュアードはまだシヴィリィを俺の力を持っただけの探索者と思っているはず。精々利用してやろうとでも考えているのだろう。
それだけでも憎悪が胸を走るが、それでもあいつは今大騎士教の重鎮を務めている。正面から殺すのは難しい。
――ならば、一つ手にのってやろう。あいつが魔族としての本性をさらけ出すまで。殺すだけの隙をさらけ出すまで。