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第五十九話『力よ肉体よ』

 魔族レリュアードが、唇を跳ねさせて言った。


 お前と同じ視線をする人間は、もう死んだのだと。それが誰を指している言葉なのか。想像するまでもない。


 静かで、穏やかで、それでいて敵意に満ち溢れた声。抑え込んでいた奴の獣性が、全身からあふれ出んばかりだった。


『ねぇ』


 シヴィリィが俺の胸中で声をかける。しかしこれもまた聞くまでもなかった。彼女が言いたい事は分かっていた。周囲に気取られない程度に、頷く。


『ものすごく怒ってない?』


 その通りだ。


 人も魔族も、時に同じような感情の昂ぶりの仕方を見せる事がある。


 憤りや激昂が極限に達すると、逆に穏やかな仮面を顔に張り付けるという仕草だ。片眼鏡をかけ直す指先が、一瞬震えているのに気づいた。レリュアードが、言う。


「フェオドラ様」


「なんじゃ。今更になって、言葉を違える気か大騎士教の剣が」


「いえ。そのような事は致しません。しかし、一点お願いが」


 指を一本立て。俺を見下ろしたままレリュアードが口を開く。一つだけ、とそう付け加えた。


 次の瞬間だ。奴の鈍い灰色の瞳が強く輝いた。魔眼ではない。しかしそれはもはや魔的な眼光であった。時が止まるほどの痛烈さ。ただの空気を焼け焦がすほどの速度。


 懐かしい気配がした。その匂いが、俺にあの頃を思い出させてくれた。人が人でなく、魔が魔でなかったあの時代。戦場の時代だ。


 レリュアードの二本の指先が、俺の、シヴィリィの首筋に狙いをすましていた。殺意はすでに喉笛を食いちぎっている。それはまさしく、殺害宣言に近しかった。


 本能的に、身体が死を予感させる。それは俺の意志とは全く関係なく、ただ肉体が死ぬとそう痛感してしまったのだ。レリュアードの身体が過去と変わりないならば、シヴィリィの身体を指先で殺してしまうなどというのは草花を摘む程度の気楽さだろう。

 

 ――避けなければ死ぬ。


 シヴィリィの肉体がそう直感した。しかし、俺自身は別のものを感じていた。


「――――」


 息を呑む。指先を僅かにびくりと、自然の反応で上げる。視線を虚ろにする。呼気をゆるく、吐いた。


 次の瞬間、鋭く尖った空気が喉を突いた。吐き気よりも、瞳の明滅が強い。見開いた瞳をそのままに、シヴィリィの身体をソファの上に横たわらせた。


 勿論、シヴィリィの喉笛は食いちぎられてなどいない。全てはレリュアードが、威嚇とばかりに指二本で空気を震わせただけだった。それでも、人一人を失神させるのには十分な威力だ。


 見事なまでに、シヴィリィの身体は意識を失っている。最低限の回避行動しかしなかった俺が悪いのだが。


 しかし、意味はあった。


「……何をやっとるのじゃそなたは。魔導を覚えただけの小娘ではないか。属領民(ロアー)といえど粗末に扱うでない。民は全て財産に等しいのじゃからな」


「――失敬。余りに似通っていたもので。私も衰えた。いいや、老いかもしれませんな」


 亡霊の身体を、シヴィリィの身体と離れ合わせる。やはり、シヴィリィがあっさりと気を失った事でレリュアードの警戒が僅かに解けている。今目をつけられるのは不味い、これが最善だ。


 しかし上手く言った安堵と共に、情けなさが魂の底からこみ上げてきていた。


 これが一番合理的なのは確か。レリュアードの疑いを避ける為に、魔眼でない威嚇なら素直に受けてやる必要があった。それで一時的には、シヴィリィは危険のないただの人間に見えるだろう。


 だが屈辱だ。こんなもの、運命を相手に委ねているようなもの。


 もしも俺に身体があったのなら、こんな敢えて引いてやるような真似をしなくてよかっただろうに。


 身体さえあれば、力さえあれば。不遇な想いをする事など無かった。こいつを再び殺してやれた。


 そういえば、俺の根源はそれだったなと不意に思い出していた。力だけが唯一、全ての不合理を合理に変貌させられるのだ。武力でも、魔力でも、権力でも。言ってしまえばシヴィリィも、それがなかったから今の境遇にある。


 レリュアードが目元を細めたのを見てから、フェオドラが言った。


「妾は血が薄い劣等での。記憶が騎士やそなたのようにはいかん。『破壊(ブラスト)』とは何ぞ。そなたがそこまで躍起になる程か」


 言ってしまえば、高々神秘(ミステル)の類じゃろうとフェオドラはつけ加えた。


 血が薄い、血が濃いというのは四騎士も口にしていた言葉に思う。今一俺には意味が分からないが、どうやら彼女らにとっては重要な要素なのかもしれない。

 

「祖国におられる閣下にお伝えください。今はそちらでお遊びになっているのでしょう。――魔王の秘奥ですよ、フェオドラ様。かつて人類を脅かした災厄の魔王のね。如何。それでも、都市統括官を間に入れますか」


 奇妙だった。どのような生まれにしろ、所詮フェオドラは人類種だ。魔族の敵ではない。まして、レリュアードの魔眼にかかれば瞬き一つで御せるはず。だというのに奴はどうして、意見を伺うような真似をしている。


 そんな俺の疑問を置き去りに、フェオドラが唇を開いた。


「――――」

 


 ◇◆◇◆



 さしもの都市統括官シルケーも、自分を呼び出した使者の言葉には動揺を隠せなかった。彼女の感情に苛立ちが混じるのは常の事だが、今日は更にその上積みがされている。爪をがちりと噛み、強く跡が残ってしまう。


 しかしそうでもしないと感情が抑えきれない。よもや渦中とも言える探索者の事で、即日他所から話が入るとは思ってもいなかった。想定より二日ほども早い。

 

「くっそぅ」


 口癖のように言ってシルケーは馬車を降りた。騎士教会前まで運ばれれば、もはや爪を噛むような真似をしない。スレンダードレスを平然と着こなし、泰然とした態度をとる。それは統治者として、迷宮を管理する者として当然の振舞いだった。


 何せ自分を呼び出した相手は、大騎士教の剣とも呼ばれる、四騎士を別にすれば大騎士教の権威そのもののような存在だ。加えて、大国スレピドの第二公女が供にあるとなれば、流石のシルケーも足を運ばないわけにはいかなかった。


 大陸の中心地たる迷宮(エルピス)を任されているとはいえ、各国の公主らと同格とは到底言えないのだ。


 だからこそ神経質で鋭利な瞳は今日ますます尖り切っていた。


「顔つきが酷いものになっていますよ」


「間抜けめ。そんなもの自分で分かっている」


 傍仕えとして同行したリカルダが添えた言葉を、跳ねのけるようにしてシルケーが言う。それでも緊張感が背筋を這い寄ってくるのは避けようがない。


 シヴィリィ=ノールアートは紛れもない劇薬だった。上手くやればシルケーの状態をこれ以上なく良化させてくれるが、反面迷宮都市に多大な被害を起こす可能性もある。だからこそ、選択肢は処刑か利用かのどちらかだった。管理と伐採。シルケーがその胸にとどめている統治手法。


 しかし、三大国と大騎士教が関わってくるとなるとそうはいかない。相手が何処までものを知っているかは知らないが、扱いを誤れば迷宮そのものの管理に踏み入ってくる可能性だってある。


 それだけは許容できない。良くも悪くも、シルケーにとってその生涯の中心地は迷宮のみだ。他国などどうでも良いが、ここを奪われる事は我慢がならない。


 リカルダに数度言葉を吐いて落ち着きを取り戻しながら、使用人に案内されるまま教会の応接間を前にする。息を整える間もなく、使用人が扉を開いた。


 中に視線をやれば、そこにいたのはたった二人。渦中の探索者はいなかった。


 一番に口を開いたのは、スレピドの公女フェオドラだった。


「足労をかけたの。本来なら挨拶にはこちらから向かう所なのじゃがな」


「いえ。公女のお出でとあれば、お出迎えするのは当然です」


 ただの挨拶に過ぎなかったが、ソファに座ったままのフェオドラに対し向けられたシルケーの瞳は鋭かった。相手が何をしに来たのか。自分に何を差し出させようとしているのか。冷静に推し量っている。


 皮肉にもその間を取りもったのは、大騎士教の剣レリュアードだった。


「お二人とも。本日は公の場ではございません。私がお二人をお呼びしたようなもの。気楽になさってください」


 気楽になぞ出来るものか。温厚な優男に向けて、思わず施政者特有の毒舌がシルケーの胸中で渦巻く。


 しかしそんなものはおくびにも出さず、礼節にのっとりながらソファに座る。本来なら、本題に入る前に一つ二つ世情について言葉を交わすのが通例だったが、教会の人間であるレリュアードには不要のようだった。


「お伝えした通り、探索者シヴィリィ=ノールアートの事です。彼女は随分と稀有な運の持ち主らしいと分かりまして」


 一拍を置いてから、レリュアードは言葉を続けた。


「――ご存じかもしれませんが、例の者の魔導を見つけたようです」


「……ええ。聞いております」


 胸中で舌を打つ。やはり、そこまで知ってからこそ呼び出したのだ。


 稀有な運。それは間違いがない。彼女がただの少女であったにしろ、もしかすれば魔王に憑りつかれた人間であったにしろ。もはや正常な運命とは言い難いだろう。ただ生きる事はもはや許されない。


「それで、彼女をどう管理するかという話でしょう」


 シルケーが言葉を受けてすぐに、フェオドラが言葉を継いだ。


「いや、その前に一つ提案があってのう」


「提案、ですか」


 この時点でシルケーは自らの敏感な胃袋がじくりと痛みを覚えるのが分かった。


 どうせろくな事でもない。いいや元より、権力者の提案とは我欲と身勝手とそうして一かけらの無邪気な善意で形作られているものだ。


 シルケーの予感をそのまま掬い取るように、フェオドラが言った。


「どう転がすにしろ最も重要なのは、あの小娘が使えるか、使えないかという点じゃろう? 前者ならば有効に、後者ならば血を引き抜き適応者を探すまでじゃ」


 それは、確かだ。どう足掻こうと例の者の魔導を見つけた血があるのならば、その血は保管されなければならない。だが今の者が有用に魔導を使えるのなら、そのまま用いても構わない。


 同じ想いだったのだろう。フェオドラはゆっくり唇を動かして言った。


「どうじゃ。――久方ぶりに、他のギルドも巻き込み迷宮での冠絶を競わせようではないか。元よりそういう話があったじゃろう」

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